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初発から21年、乳がん治療が教えてくれた周囲に振り回されないご機嫌な生き方

[公開日] 2026.07.13[最終更新日] 2026.07.13

写真はイメージです。(AIによる生成)
プロフィール お名前:ぶーふーうーさん(ニックネーム) 年代:60代 性別:女性 家族構成:夫と2人暮らし(子ども3人は独立) 仕事:ボランティア活動(診断時は専業主婦) がんの種類:乳がん 診断時ステージ:ステージ2A 診断年:2005年 現在の居住地:徳島県
※本体験談は、患者さん個人の経験に基づくものです。治療の経過や副作用、生活への影響には、個人差があります。医療的な判断や治療方針の決定の際には、必ず医師・医療従事者にご相談ください。 2005年、ぶーふーうーさんは3人の子育てに追われる中で乳がんの診断を受けました。地域のクリニックから総合病院を紹介され、乳房温存手術、放射線治療、抗がん剤治療、そして7年間にわたるホルモン療法を乗り越えました。しかし、15年が経過した2020年、背中や脇腹のしびれをきっかけに骨転移が判明します。大学病院へと転院し、現在も治療を続けながら、患者会でのピアサポートやボランティア活動を行っています。「がんと闘うのではなく、共存しながら自分らしくご機嫌に生きる」と語るぶーふーうーさんに、お話をうかがいました。

鏡に映った胸の違和感から始まった乳がん治療

2005年、私は3人の子どもを育てていました。一番下の子どもが1歳、2番目が幼稚園の年長、1番上が小学2年生でした。専業主婦として家事と育児に追われる毎日で、毎年受けていたがん検診も、一番下の子どもが生まれた年だけは行くことができませんでした。 ある日、お風呂上がりに鏡に映った自分の姿を見たとき、胸の形がいつもと違うことに気がつきました。普段は自分の姿をじっくり見ることはありませんでしたが、そのときは直感的に違和感を覚えました。触ってみると、痛みはありませんがしこりがありました。私はどんな病院がいいのかわからなかったため、友人に聞き、症例数が多いという乳腺専門のクリニックを受診しました。 クリニックでは、マンモグラフィや超音波(エコー)検査を行う前に、医師から「よく気がついたね」と言われ、いきなり針生検が行われました。そして「こんな検査をされて驚いたでしょうから、結果は家族全員で聞きに来てください」と言われました。私はその言葉を聞き、悪性であることを直感しました。

乳がんの告知と幼い子どもを抱えての治療選択

1週間後、夫と3人の子どもと一緒に検査結果を聞きに行きました。医師からは乳がんであること、そして「これから手術をするまでの間に、自分のがんについて勉強しておいて」と声をかけられました。 当時の私には、がんについての知識がほとんどありませんでした。医師からの助言を受け、書籍を探し3冊ほど本を購入して読みました。 手術は全摘出か乳房温存手術かを選ぶように言われました。子どもが小さかったため、「生きていられるのならどちらでもいい」と思いましたが、主治医から「乳房温存手術にして、もしまたがんが出てきたら全部取るという方法(救済乳房全摘術)もある」とアドバイスを受け、乳房温存手術を選択しました。手術そのものは、クリニックの医師の立ち会いのもと、別の総合病院の外科で行われました。

乳房温存手術と放射線治療、そして抗がん剤治療へ

8月中に総合病院で乳房温存手術を受けました。病理検査の結果、がんは取り切れていましたが、リンパ節に2か所の転移がありました。リンパ節転移があれば再発予防として抗がん剤を行うのが標準的でした。私の場合は、まず残した乳房への局所再発を防ぐため、別の病院で全25回の放射線治療を先行して受け、その後、総合病院で抗がん剤治療を行うことになりました。 2005年の10月から2006年の1月までAC療法(ドキソルビシン、シクロホスファミド)を4クール受け、その後2月~5月までパクリタキセルを毎週投与する治療を4クール受けました。抗がん剤の副作用は非常につらいものでした。倦怠感や吐き気がありましたが、苦しいというよりは、常に船酔いしているような不愉快な状態が続き、イライラすることが増え、味覚障害も起こりました。さらに、脱毛も始まりましたが、きれいに抜けるわけではなく、ひよこの産毛のように中途半端に残ってしまったため、いつも帽子をかぶって過ごしていました。

副作用とワンオペ育児の中で

一番下の子どもはまだ1歳でしたが、生後3か月で断乳していたため、授乳の心配はありませんでした。体調が悪いときは、ぐったりと横になり、脇に子どもを置いて眠れるときに寝るという生活でした。 手術の直後は、実家から両親が来て子どもの面倒を見てくれましたが、私が退院して数日後には実家へ帰ってしまいました。抗がん剤治療中は事実上のワンオペだったため、気持ちの余裕は全くありませんでした。 当時小学2年生だった一番上の子どもも、私ががんだということは理解できていないようでした。しかし、私が情緒不安定で怒りっぽくなっていたため、子どもながらにつらい思いをしていたようです。20年近く経った最近になって子どもたちに当時のことを聞くと、「がんのことはあまりわからなかったけど、お母さんが頑張っている姿を見たから耐えられた」と言ってくれました。下の2人の子どもは、幼かったので当時の状況をあまり理解していなかったと思います。

ホルモン療法による精神的な不安定さ

約8か月にわたる抗がん剤治療が終わった後、引き続き再発を抑えるためのホルモン療法が始まりました。まずはタモキシフェンを5年間服用し、その後は主治医の判断でゾラデックスとアリミデックスを併用する治療を2年間、合計7年間にわたり続けました。 ホルモン療法の副作用としてよく言われるホットフラッシュや関節痛は、私にはありませんでした。しかし、自覚がないままにホルモンバランスが崩れていたようで、精神的な影響が強く出ました。家族に対して「私なんかいなくていい」「あなたたちは私がいない方が幸せなんでしょう」と苛立ってばかりいました。感情のコントロールができず、そんな自分自身が嫌でつらい時期でした。今振り返ると、身体的な痛みよりも、精神的な不安定さのほうが家族にも負担をかけていたかもしれません。

孤独を埋めるための患者会への参加

初発の治療をしていた当時、今のようにインターネット上に多くの情報があるわけではありませんでした。私は孤独を感じ、誰かとつながりたいという思いから、すぐに患者会を探しました。 インターネットで見つけた乳がんの患者会に参加し、その後、メンバーの一人が私の出身地で新たな患者会を立ち上げたため、遠方からその会にも参加させてもらうようになりました。この患者会でのつながりが、後の私の命を救うことになります。

初発の診断から15年目の骨転移判明

7年間のホルモン療法を終えた後も、定期的な経過観察を続けていました。しかし、2019年の夏ごろから、背中と脇腹にしびれを感じるようになりました。 当時、発達障害がある子どもたちをサポートする仕事をしていたため、体を使いすぎたのが原因だと思い整体に通う一方で、内臓の異常も疑い、かかりつけのクリニックで胃や大腸、膵臓、子宮などの検査も受けました。しかし、どこを調べても大きな異常は見つからず、原因がわからないまま2020年の5月になっても不調が続きました。 参加していた出身地の患者会の代表に相談したところ、「10年以上問題なくても、あなたは今でもがん患者なのだから、整体では検査も治療もできません。行くなら整形外科に行きなさい」とアドバイスを受けました。その言葉に従って整形外科を受診し、MRI検査を受けたところ、胸椎に異常が見つかったのです。

設備の整った大学病院へ転院し行った検査と治療

整形外科の医師から「ここでは治療できないから主治医のところに持っていって」と検査結果を渡され、かかりつけのクリニックを受診しました。クリニックの医師はMRIの結果を見て胸椎への転移を疑い、慌てた様子で「そこだけだと思うから、早く放射線治療を受けて」と勧めました。しかし私は、「全身の状態を調べないとわからない」と考え、自らPET検査を受けることを希望しました。 私がずっと診てもらっていたクリニックには、エコー検査とマンモグラフィの設備しかなく、PET検査などの精密検査ができませんでした。10年以上お世話になったクリニックを離れることには申し訳なさがありましたが、やはり設備の整った病院で診てもらいたいという思いが強くなりました。がん相談支援センターの担当者から「よく転院される方はいますよ」と後押しを受けたこともあり、大学病院への紹介状を書いてもらうことにしました。幸い、クリニックの医師とも良好な関係のまま、スムーズに転院することができました。 そして、転院先の大学病院でPET検査を受けた結果、胸椎、肋骨、腸骨の3か所に骨転移があることが正式に確認されたのです。

共に治療方針を決める新しい主治医と医療現場の変化

大学病院での新しい主治医は40代の医師で、患者の意見を聞きながら共同で治療方針を決定する姿勢を実践してくれました。 初発の治療を受けていた約20年前は、医師が患者の不安に寄り添ってくれない威圧的な医療現場を経験し、心無い言葉につらい思いもしました。それに比べて現在の医療現場は、患者に寄り添い共に歩んでくれる姿勢へと大きく変わっており、そのことに深く感謝しました。

骨転移に対する治療と現在の副作用への対応

骨転移に対する治療として、まず胸椎に30グレイの放射線を照射しました。その後、フェマーラという内服薬を飲み始め、2週間後からは骨病変に対する注射薬のランマークと、分子標的薬のベージニオを追加しました。 骨の組織を採取する生検は痛みを伴うため、初発時の組織の性質に基づいた治療開始でした。幸いにもその選択が合い、骨転移の判明から7年目を迎えた今も病状は落ち着いています。2023年の3月でランマークは休薬し、現在はフェマーラとベージニオを継続しています。 ベージニオの副作用として激しい下痢がありました。外出が嫌になるほどで、下着を汚してしまったり、膀胱炎になったこともありました。しかし、現在は下痢止めの薬をうまく使いながら副作用をコントロールできています。髪の毛が細くなり、爪が割れやすくなるといった影響もありますが、病状が安定している今はあまり気になりません。

周囲の心無い言葉と自分らしく生きる決意

がんになってから、周囲の無理解や心無い言葉に傷つくことが何度もありました。抗がん剤治療中で帽子をかぶっていたころ、体調が良かったため2番目の子どもの保護者会でダンスを踊ったことがありました。そのとき、「酸素ボンベを背負って踊るのかと思った」と言われたり、別の機会には「あなたの家は呪われているのではないか」と言われたりしました。また、当時は医療者のモラルも低く、発熱して不安な中で採血を待っている目の前で、看護師と週刊誌をめくって読んでいる医師の姿を見たこともありました。 現在でも、「かわいそうに」と上から目線で言われたり、「私にはそんな治療はできないわ」と言われたりすることがあります。私だってやりたくて治療をしているわけではありません。 こうした言葉に感情を左右されるのが嫌になり、周りの雑音に振り回されずに自分らしく生きようと決意しました。今の主治医が「高血圧でも降圧剤を飲みながら共存して暮らしている人がいるように、がんの治療も同じように考えてください」と言ってくれたことで、病気に対する負い目を感じる必要はないのだと思えるようになりました。

ボランティア活動と今を楽しく生きるということ

現在は、がん患者のための帽子を作ったり、視覚障害者のための音訳ボランティアをしたりしています。また、患者会のピアサポーターとして活動し、がん教育の研修も受けています。誰かが笑ってくれることが嬉しく、やりがいを感じています。 がんは必ずしも死と直結するわけではありませんが、いつかは誰もが死を迎えます。私は自分が亡くなった後のことについて、お世話になった大学病院(医学部)への献体や散骨の手続きを済ませました。先々の準備をしておくことで、かえって「今日をどう生きるか」「楽しいことをしよう」と前向きになれました。 病気が進行してできないことが増えたとしても、「できないこと」ではなく「できること」に目を向けたいと思います。寝たきりになっても音楽を聴いたり、良い香りを楽しんだりすることはできます。病気に振り回されず、自分で自分のご機嫌を取る生き方を続けていきたいです。

今、がんと向き合っている方へのメッセージ

今、がん治療をしている方にお伝えしたいことがあります。 病気であることを負けだと思わないでください がんになったからといって、人生に負けたわけではありません。高血圧や糖尿病といった病気を持ちながら生活している人がいるように、がんも共存していく病気のひとつです。病気であることを負い目に感じず、ご自身のペースで治療と向き合っていくことが大切です。 周囲の言葉に振り回されないでください 治療をしていると、周りの人から「かわいそうに」と言われたり、心無い言葉をかけられたりすることがあります。しかし、そうした声に感情を左右される必要はありません。ご自身がどう生きたいかを一番に考え、雑音に振り回されずに自分らしさを保ってください。 今日できる楽しみを見つけてください 病気の状況によって、これまでできていたことができなくなるかもしれません。しかし、できないことを嘆くのではなく、今の自分にできる小さな楽しみを見つけてください。音楽を聴くことや香りを楽しむことなど、自分で自分のご機嫌を取りながら、毎日を心地よく過ごす工夫をしてみてください。

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