写真はイメージです。(AIによる生成)プロフィール
お名前:にゆさん(ニックネーム)
年代:50代
性別:女性
家族構成:1人暮らし(診断時は夫と2人暮らし)
仕事:求職中
がんの種類:乳がん
診断時ステージ:不明(詳細なステージは告げられず)
診断年:2019年
現在の居住地:東京都
※本体験談は、患者さん個人の経験に基づくものです。治療の経過や副作用には個人差があります。オンコロマイストーリー含め、ネット上の情報には、進行や再発といった厳しい闘病を経験された方の発信が多く残る傾向がありますが、実際には再発なく平穏に過ごされている方も数多くいらっしゃいます。情報の一つとして受け止め、治療方針の決定の際には、必ず主治医や医療従事者にご相談ください。
2019年、にゆさんは父親の介護が始まるのを前に自身の健康状態を確認しようと受けた検診で乳がんの疑いを指摘されました。紹介先の大学病院では、十分な説明がないまま手術のスケジュールが組まれるなど、医療従事者の機械的で高圧的な対応に直面し、強い不信感を抱くことになります。術後の治療の副作用に苦しむ中で転院を決意し、信頼できる医師のもとで治療を継続。その後、心の支えでもあった夫を胃がんで亡くすという大きな試練を経験しながらも、現在は自身の体調を最優先にしながら前向きに人生を歩む経緯についてお話しいただきました。
父親の介護を控えた時期に受けた検診での指摘
私は乳がんの診断を受ける10年ほど前に、一度乳がん検診で胸の石灰化を指摘されたことがありました。しかし、当時は医師から精密検査を強く勧められなかったため、その後は定期的な検診を受けていませんでした。2019年になり、父親の介護が本格的に始まることになりました。介護に専念するためには自分自身の健康状態を確かめておく必要があると考え、2019年6月に近くの乳腺専門のクリニックを受診しました。
クリニックではマンモグラフィ検査、超音波(エコー)検査、および触診を受けました。結果の説明の際、担当医から胸に異常が見つかり乳がんの疑いがあることを告げられました。確定診断を行うためには大きな病院で精密検査をする必要があると言われましたが、医師は「どこにでも紹介状を書くので自分で病院を選んでください」と言うだけでした。動転しているその場で病院を調べることはできず、私は致し方なく、その医師の出身である大学病院への紹介状を書いてもらうことに決めました。
混雑する大学病院と不信感が募る一方的な日程決定
紹介状を持って受診した大学病院では、再度マンモグラフィやエコー検査、生検を行いました。
生検の正式な結果が出るには時間を要しますが、明確な告知を受ける前の段階で、すでに手術の日程だけが病院側によって先に決められてしまいました。患者の不安に寄り添うような心理的サポートや事前の説明はなく、まるで治療のベルトコンベアに乗せられて機械的に処理されているかのような感覚を覚えました。手術の日程が決まった後に、ようやく術前検査としてのMRI検査が組み込まれるという手順が一方的に進んでいきました。
突然の選択と高圧的な態度に奪われた主体性
生検の結果が出た際、医師から改めて「乳がんです。手術をしなければならない」と告げられました。その場で乳房全摘出か乳房温存手術かの選択を迫られましたが、突然の告知で動転している私には判断基準が全くわかりませんでした。迷っていると、医師はイライラした様子を見せ、「他人の手術の画像を見たことがないのですか」と高圧的な態度で私を怒鳴るように言いました。
がんを告知された直後の患者に対するその姿勢に私は深く傷つきました。最終的には「あなたの状態であれば乳房温存を選んでください」と言われ、自分の意思で納得して選択したというよりは、用意された治療のレールに乗せられる形で乳房温存手術を行うことが決定しました。治療方針の決定において主体性を持つことが許されない環境に、強い無力感を覚えました。
事前説明の欠如と事後報告の追加治療
医師からは、ステージやがんのサブタイプといった重要な情報について、質問するまで自発的には教えてくれませんでした。自分で調べた知識を基に検査結果について問い詰めて、ようやく「ホルモン治療は有効だが、成長スピードが速いタイプである」という解説がなされました。しかし入院中、他の患者たちと交流する中で、病棟の看護師がどの患者に向かっても一律に「あなたのがんは大人しいタイプだから、ちゃんと治療すれば大丈夫ですよ」と声をかけている事実を知りました。私の「成長スピードが速い」という実際の診断結果とは完全に矛盾する言葉を、個別の病状も把握せずに誰に対しても使い回している無責任な実態を知り、病院側の対応に対する不信感はさらに深まりました。
不信感が決定的になったのは、手術が無事に終了した後の追加治療に関する説明でした。事前の説明では、乳房温存手術の後は放射線治療を行うということのみを聞いており、追加の薬物療法については知らされていませんでした。しかし手術が終わると担当医が変わっており、新しい医師から「術後にホルモン療法を始めます」と当然のように告げられました。手術と放射線治療だけで終わると思っていた私にとって、後出しのようにホルモン療法を提示されたことは大変なショックでした。
精神的負担となった放射線治療とホルモン療法の副作用
手術後には、予定通り温存した乳房への放射線治療が始まりました。平日の週5日、合計25回にわたって毎日のように通院する過酷なスケジュールでした。期間中、体には強い倦怠感が現れましたが、それ以上につらかったのは精神的な変調でした。薄暗い空間で巨大な照射機器が発する独特な機械音を聞いているうちに、強烈な恐怖を覚えるようになったのです。通院のたびに恐怖心は増幅し、治療室の前で待っているだけで気持ちが不安定になり、パニックに近い状態に陥りました。同じ病院の精神科を受診し、安定剤を処方してもらうことで、なんとか25回の治療を乗り切りました。
放射線治療の終了後、タモキシフェンによるホルモン療法が始まりました。しかし薬を飲み始めると、重い副作用が一気に現れました。体温が急激に上昇して発熱し、一晩の間に何度も異常な発汗が起こるため夜間に全く眠れなくなりました。さらにアレルギー反応が出るようになり、体調は悪化しました。病院へ電話をしても「休薬して様子を見てください」と言われるだけで、1か月後の診察で苦痛を訴えても、医師は何の対策も講じないまま次回分を機械的に処方し続けました。他の治療法を尋ねても「これしかありません」と冷たく突き放され、私は限界を感じました。
恩人となる特任教授との出会いとホルモン剤の変更
この病院に通い続ければ生きること自体が困難になると感じていたとき、別の大学病院で理事を務めている知人が、自身の病院の乳腺外科で特任教授を務める高名な専門医を紹介してくれました。自宅からは少し遠い場所でしたが、私は転院を決意しました。新しい大学病院への転院を希望し、紹介状を書いてほしいと申し出ました。しかし主治医は、私が本当に転院するとは思いもよらないような態度で、「セカンドオピニオンでしょう。いいですよ、出しますよ」とセカンドオピニオンとしての紹介状しか書いてくれませんでした。結局、形式上はセカンドオピニオンを受けるという扱いで紹介状と検査データを出してもらい、私はそれを持って新しい大学病院へ行き、そのまま転院の手続きを行いました。
新しい主治医となった特任教授は、パソコンの画面ばかりを見るのではなく私の目をまっすぐに見て、これまでのつらい体験や体調の悪化についてじっくりと話を聴いてくれました。医師は私の副作用を考慮し、体に合わないタモキシフェンの内服を中止し、代わりにリュープリン(注射薬)への変更を提案してくれました。
その際、「もしリュープリンでも具合が悪くなって生活がつらくなったら、いつでも途中でやめていいんだよ」と言ってくれました。医師から初めて「いつでもやめていい」と自分の気持ちを最優先にする言葉をかけられたことで心は驚くほど軽くなり、「この先生を信頼して最後まで頑張ってみよう」という意志が湧いてきました。この出会いを機に、私は5年間にわたるホルモン療法を断念することなく完遂することができました。
既往症による激しい腹痛と自らの判断での専門医受診
信頼できる主治医のもとで治療を継続していましたが、もうひとつの大きな課題が生じました。私は乳がんを発症する7年ほど前に小腸重積という病気で緊急入院した経験があり、消化器系の機能が非常にデリケートな状態でした。ホルモン治療を続けるうちに頑固な便秘状態が引き起こされ、お腹を締め付けられるような激しい腹痛に日常的に見舞われるようになりました。
この苦しさを乳腺外科の主治医に訴えましたが、消化器系の具体的な対処法や処方については専門外であり、有効な解決策を得ることができませんでした。がん専門の診療科では、専門外のトラブルに対して十分な対応が難しいという現実を痛感しました。
そこで私は、自宅の近所にある胃腸科で実績のあるクリニックを見つけ受診しました。専門医に乳がんのホルモン治療中であることと過去の小腸重積の既往歴を詳しく伝えたところ、私に合った適切な胃腸薬を処方してもらうことができました。
夫の胃がん発覚と闘病の末の別れ
がんの診断を受けた当時、私は実家へ通い父親の介護をする生活を送っていましたが、術後の衰弱により実家へ行くことが困難になりました。同居していた夫は私を優しく抱きしめ、「自分の治療のことだけを考えて頑張ってください」と全面的にサポートしてくれました。
しかし、私の治療が続いていた2023年、夫に進行した胃がんと診断されました。夫は、私が最初の大学病院での治療後に心身を病み、「こんなにつらい思いをするなら手術なんてしなければよかった」と泣いていた姿を最も近くで見続けていました。夫は私の姿から「あのような医療のレールに乗って苦しむのは絶対に嫌だ。手術を拒否し、残された時間を自分らしく生きたい」という強い覚悟を決めました。一度は抗がん剤も試みましたが、体に合わないと判断すると夫は自らの意思で治療をやめてしまいました。そして、3年後に夫は旅立っていきました。倒れる直前まで、夫は日々の生活の中に楽しみを見つけ、命を完全に楽しむように生きていました。
価値観の変化と5年間の治療完遂
かつて私は、乳房温存手術で形が変わった乳房を元に戻すため再建手術を受けることを考えていました。しかし、夫の闘病と最期を看取ったことで価値観は変化しました。「形を取り戻すために再び痛い思いをして大金を使うよりも、夫が教えてくれたように今ある命、人生を心から楽しみたい」と思うようになり、乳房再建へのこだわりはなくなりました。
5年間に及ぶホルモン療法が終了してから、約1年が経過しました。治療が終わったことで胃腸の不調はだいぶ安定し、うつ状態も抜けて心身の状態は以前より落ち着きました。体調の回復に伴い、少し前に派遣職員として働き始めました。しかし、自分の中では「まだがんが寛解しているわけではないので無理はできない」という思いがありました。そのため、無理をせずに休みを取るようにしていたところ、派遣先から契約の延長はしないと告げられてしまいました。仕事を失うことにはなりましたが、自分の体を守るためには仕方のないことだと受け止めています。周囲のペースに合わせて無理を重ねるような働き方はしないと決めているため、現在は焦らず、自分の体調に合った働き方ができる場所をゆっくりと探しています。
5年間の治療を終えた際、主治医は「どの段階をもって寛解というのかは難しいですが、今のところ新しいがんは見つかっていないし、右胸の手術痕の状態もいい。左胸にある石灰化も大きくなっていないから、普通に生活して大丈夫ですよ」と言ってくれました。寛解とは言われませんでしたが、なぜそう言い切れないのかをきちんと説明してくれたことで、自分の中で納得することができました。がんと診断されてから7年目となる現在も経過観察を続けています。これからも再発や転移の不安はありますが、夫の分まで今ある命や人生を楽しんで生きていきたいと思っています。
今、がんと向き合っている方へのメッセージ
今、がん治療をしている方にお伝えしたいことがあります。
主治医の専門外の不調には迷わず別の専門医を頼ってください
がんの専門医であっても、専門外の症状への対応は難しいのが現実です。主治医だけに頼って我慢するのではなく、別の専門医を受診することが、治療を安全に続けることにつながります。
治療のレールに流されず信頼できる医師に出会うまで諦めないでください
病院側の都合で一方的に治療が進むことに違和感を覚えたら、迷わずセカンドオピニオンを求めてください。こちらの話をしっかり聞き、誠実に説明してくれる医師に出会うまで動くことが、後悔のない治療につながります。
周囲の認識に縛られず今ある命と日々の時間を楽しんでください
副作用の苦しみは人それぞれであり、周囲がどう思おうと関係ありません。無理をせず、ご自身の体の声を聞きながら、今ある命と日々の生活を楽しむことが、何よりの心の回復につながります。
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