写真はイメージです。(AIによる生成)プロフィール
お名前:青木ルミ子さん(本名)
年代:50代
性別:女性
家族構成:夫と実母との3人暮らし
(診断当時は夫と娘との3人暮らし)
仕事:パート従業員、骨髄バンクボランティア
がんの種類:急性リンパ性白血病(急性骨髄性白血病との混合型)
診断時ステージ:-
診断年:2017年
現在の居住地:滋賀県(診断時は東京都)
※本体験談は、患者さん個人の経験に基づくものです。治療の経過や副作用には個人差があります。オンコロマイストーリー含め、ネット上の情報には、進行や再発といった厳しい闘病を経験された方の発信が多く残る傾向がありますが、実際には再発なく平穏に過ごされている方も数多くいらっしゃいます。情報の一つとして受け止め、治療方針の決定の際には、必ず主治医や医療従事者にご相談ください。
2017年8月、青木ルミ子さんは原因不明の発熱を経て急性リンパ性白血病と診断されました。化学療法を経て骨髄移植を受けますが、退院後は病歴を理由にシフトを外されるなど、就労の壁に直面します。その後、自身を救ってくれた骨髄バンクへの恩返しとしてドナーコーディネーターの資格を取得。現在はパート勤務の傍ら、ボランティアとして若い世代への語り部活動や患者支援に尽力しています。小さな目標を積み重ね、病を乗り越えて新たな生活を築くまでの歩みを伺いました。
原因不明の発熱と診断がつくまでの8か月
2017年1月ごろ、発熱する日が多くなりました。風邪でも引いたかなと思い、まずは自分が医療事務として働いていたクリニックで診てもらいました。なかなか発熱症状が治まらなかったので心配になりましたが、クリニックの院長先生からは「そんな大きな病気の可能性は低いと思うよ」と言われました。しかし、原因が判明しなかったため、院長先生の出身大学である大学病院を紹介されました。大学病院では膠原病内科などを中心に受診し、甲状腺の異常を疑われたり、家族性地中海熱などの病名を挙げられたりしながら、検査を重ねました。しかし、いずれも確定診断には至らず、検査を繰り返す状態が8か月間続きました。
私には、自身が白血病を発症する2年前に悪性リンパ腫を患った兄がいました。そのため、自分も血液の病気ではないかと不安になり先生に相談したこともありましたが、当初はその可能性が低いと言われていました。何の治療も始まらないまま体調は悪化し、体がだるくて家事がスムーズにできなくなりました。それを見て家族がイライラすることもあり、原因がわからないまま検査だけが続いたこの期間が、最も不安で嫌な時期でした。
急性リンパ性白血病の告知と治療の始まり
2017年8月になり、血液検査の数値に変化が出たため、紹介された大学病院の血液内科を受診しました。そこで骨髄検査を受け、翌日に医師から悪い細胞が見つかったと電話がありました。正式な診断名は急性リンパ性白血病でした。
白血病と言われたときは驚きましたが、それよりも8か月間わからなかった原因が判明し、ようやく治療が始められるという安心感の方が大きかったです。主治医の先生にお任せするしかないと考えたため、セカンドオピニオンを受けることは検討せず、そのまま入院して治療を始めることにしました。
突然の入院による家族の動揺とそれぞれの受け止め方
告知を受けたその日に、医師から今すぐ入院するように言われました。仕事の調整や家族への説明、入院準備もあったため、頼み込んで翌日の朝一番に入院することになりました。治療は、抗がん剤治療を繰り返したあとに骨髄移植を行うという方針が最初から示されました。
突然の入院に対し、家族は動揺していました。仕事中の夫に電話で伝えると絶句してオロオロしていました。当時大学4年生だった娘には慌ただしく伝えてしまい、娘はインターネットで調べて「白血病ってがんだよね」と言って泣きました。夫も家事の負担が増える心配や最悪の事態を考え、葬儀会社の看板が気になったり、どの写真を遺影に使うかを考えていたと、のちに退院してから聞きました。
神様がくれた約1500人のドナー候補
再発しやすいタイプだったため、根治を目指すには骨髄移植しかないと言われました。2人いる兄のうち1人は悪性リンパ腫を患っており、もう1人は脳出血で半身不随になっていたため、血縁者からの移植は難しいと医師に伝えました。そのため、骨髄バンクへ登録してドナーを探すことになりました。
登録後、約1500人のドナー候補が見つかりました。いつもクールな医師が驚くほどの人数でした。私は以前から定期的に行っていた献血のおかげで、神様が幸運をくれたのではないかと思いました。1人目のドナー候補の方は最終的な遺伝子検査で不適合となり予定より1か月遅れましたが、2018年3月に2人目のドナーの方から移植を受けられることが決まりました。
骨髄移植に向けた化学療法と前処置の体調変化
骨髄移植を行うまでの間、病勢を抑えるために、主治医から「表の治療」と「裏の治療」を交互に行うと説明されました。表の治療としてHyper-CVAD療法(シクロホスファミド、ビンクリスチン、ドキソルビシン、デキサメタゾン)を、裏の治療としてMA療法(メトトレキサート、シタラビン)を交互に行う多剤併用化学療法を合計5クール受けました。
この治療により、吐き気や脱毛のほか、皮膚が鱗のようにボロボロと落ちたり、爪が黒く変色したり、むくみが出たりする副作用に悩まされましたが、治療クールの合間には、医師の勧めにより2〜3日間外泊することはできました。
5クールの治療を終えたあと、移植に向けた前処置が始まりました。大量の抗がん剤投与と、初めての放射線治療を経験しました。口の中の粘膜が傷つくのを防ぐため、抗がん剤の点滴中は氷を口に含んで血管を収縮させ、粘膜へのダメージを防ぐ処置(クライオセラピー)を行いました。放射線治療の後は口が乾いて物を飲み込みづらくなり、体のだるさもこれまでの化学療法とは全く異なる激しいものでした。
移植後の粘膜障害と無菌室での経過
2018年3月に骨髄移植を受け、その後は無菌室で過ごしました。皮膚がかゆくなったり赤くなったりする拒絶反応(移植片対宿主病)の症状はそれほど強く出ず、看護師からも「その程度なら軽い方だと思いますよ」と言われました。
しかし、消化器に起こった粘膜障害は非常にきつかったです。下痢がひどく、胃や腸が痛くて食事をすることができず、眠れない日もありました。痛みが強いときは医療用麻薬を使いながら、点滴で栄養を補給していました。移植からしばらくして細胞が生着すると、体の調子が少しずつ良くなっていくのが自分でもわかり、徐々に食事ができるようになりました。そして、移植から約2か月後に退院することができました。
入院中に作成したやりたいことリストによる目標設定
過酷な治療を乗り越えるうえで、入院中に作成した「やりたいことリスト」が励みになりました。無菌室に入る際、看護師さんから元気になったらやりたいことのリストを作ってみればと提案されました。私は「お寿司を食べたい」「温泉に行きたい」「ライブに行きたい」など、10個ほどの日常的な希望を書き出しました。看護師さんたちが「みんなでサポートするからクリアしましょう」と言ってくれたことが力強い言葉でした。
入院中から退院後にかけて、私は小さな目標を立ててクリアすることを繰り返しました。今日は5分しか座れなかったから明日は10分座ってみようというように、できないことを嘆くのではなく、少しずつでも達成感を得るようにしました。それが次の目標を立てるモチベーションとなり、未来につながっていきました。
退院後の就労で直面した出来事
退院後、再び社会に出て働きたいという気持ちが強くなり、パートタイムの仕事を探しました。入院中に隣の県へ引っ越したため、新しい仕事を探す必要がありました。当時は感染症が怖かったので、人と接しない裏方の仕事を見つけて働き始めました。
勤務中は周囲と同じように問題なく働いていましたが、あるとき職場で過去に白血病の治療をしたことを話しました。すると、その次の日からシフトを入れられなくなってしまいました。それまで迷惑をかけずに働けていたため、病歴を話したことが原因であると考えられました。理不尽な対応に諦めの気持ちを抱きましたが、そこまでして続けたい仕事ではないと考え、その職場は辞めることにしました。
骨髄バンクのコーディネーター資格を取得
その後、骨髄バンクでドナーコーディネーターを募集していることを知りました。その際は、隠さずに白血病のことも応募書類にすべて記入しました。医師からも働いて大丈夫だと言われていることを伝え、面接を経て採用されました。
ドナーコーディネーターになるためには勉強が必要で、採用後に半年間で10回ほどの座学研修を受けました。座学のあとに実地研修があり、最終的な試験と面接に合格して、正式にドナーコーディネーターの資格を取得しました。自分を救ってくれたドナーの方や骨髄バンクへの恩返しの意味を込め、働き始めました。
滋賀県への移住と現在のボランティア活動
2021年の年末、1人暮らしを始めた実母をサポートするため、夫と共に実家のある滋賀県へ引っ越しました。ドナーコーディネーターの仕事は近畿ブロックへ登録を引き継ぎましたが、関東と近畿では進め方が全く異なっていました。そのためやり方についていけず辞めてしまいました。
現在は、滋賀県内で別のパート仕事をしながら、ボランティアとして骨髄バンクの活動を継続しています。ドナー登録の呼びかけや手続き、イベント会場での普及啓発や、4年目になるがんのことを当事者として伝える語り部活動を行っており、県内の高校や看護学校などに出向いて命の大切さや骨髄移植についてお話ししています。今年(2026年)の秋からは、滋賀に新しく患者サロンの立ち上げも計画しており、大切に進めていきたいと考えています。
病気を経たことによる心身の変化
定期的な血液検査の結果を見ると、私の体内にある免疫を司る細胞の数値は、現在も健常者の半分ほどしかありません。感染すると重症化するリスクを指摘されていたため、コロナ禍はマスクを二重にしてフェイスガードを着用するなど、外出時の感染対策には細心の注意を払っていました。
しかし、現在は医師からの特別な行動制限はなく、入院中に厳しかった食事制限もすべて解除されました。どこへ行くのも自由であり、何でも食べられる状態にまで体が回復しています。このように、身体的なリスクを抱えながらも、かつての制限された生活から普通の日常へと戻ることができた経験が、私の意識に大きな影響を与えました。命の危機や不自由な期間を経験したからこそ、当たり前にある目の前の暮らしや、少し先にある日常の予定を、一つひとつ全力で楽しもうという前向きな心の変化が生まれました。
体調への不安に怯えるのではなく、目の前のできることに集中して日々の目標をクリアし、現在のボランティア活動などへ精力的に取り組むようになった私の一連の姿を見て、身近で支えてくれていた夫からは「強くなった」と言われるようになりました。
これからがんと向き合う方へのメッセージ
今、がん治療をしている方にお伝えしたいことがあります。
自分は元気になれると信じ、強く思い続けましょう
病は気からと言いますが、治療に向き合う上で自分は必ず元気になれると信じる心は非常に重要です。根拠のない不安に心を支配されるのではなく、回復した自分の姿を強くイメージし続けることは、生きるモチベーションを高めるだけでなく、体の回復を助ける大きな力になると考えています。つらい時期もあると思いますが、自分の可能性を信じてください。
小さな目標を立てて、一つひとつクリアしていきましょう
一度に大きな目標を達成しようとすると、現状とのギャップに苦しむことになります。入院中や退院後の生活では、ごく些細なことで構いませんので、毎日小さな目標を設定することをお勧めします。
できないことを嘆くのではなく、今できることに集中してください
がんの治療中は、それまで当たり前にできていたことができなくなり、焦りや悔しさを感じる局面が多々あります。しかし、失われたものを数えて嘆くよりも、今この瞬間に自分ができることを見つけ、そこに集中する方がはるかに前向きです。今日という1日を大切にし、少しずつ前へ進んでいっていただきたいと心から願っています。
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