写真はイメージです。(AIによる生成)プロフィール
お名前:すみれさん(ニックネーム)
年代:30代
性別:女性
家族構成:夫と子ども2人との4人暮らし
仕事:教育関係
がんの種類:悪性リンパ腫(リンパ形質細胞リンパ腫)
診断時ステージ:ステージ4A
診断年:2023年
現在の居住地:大阪府
※本体験談は、患者さん個人の経験に基づくものです。治療の経過や副作用、生活への影響には、個人差があります。医療的な判断や治療方針の決定の際には、必ず医師・医療従事者にご相談ください。
2023年4月、まれな血液がんである悪性リンパ腫の「リンパ形質細胞リンパ腫(LPL)」と診断されたすみれさん。当時、2人の子どもを育てながら教育関係の仕事に打ち込んでいた日常は、突然の病気によって一変しました。抗がん剤治療を経て一度は仕事復帰を果たしたものの、再び病勢が進行。新薬での治療やセカンドオピニオンを経て、臍帯血移植という大きな決断を下しました。過酷な無菌室での日々や移植片対宿主病による症状と闘いながらも、「つないでもらった命を生かし、社会に恩返しをしたい」というすみれさんにお話しいただきました。
きっかけは止まらない出血と異常な貧血
2023年4月のことでした。極端に月経の量が多くなり、出血がなかなか止まらない状態に陥りました。以前から子宮筋腫を患っており、定期的に婦人科のクリニックへ通院していましたが、次第に顔面が蒼白になり、ふらふらとめまいがするようになりました。さらに、激しい動悸や耳鳴りが起こり、夜も眠れないほどの不調を感じました。月経の量が少し減ったタイミングでクリニックを受診し治療を受けましたが、症状は一向に改善しませんでした。
そのため、クリニックの医師から、すぐにより規模の大きな総合病院の婦人科を紹介されました。総合病院を受診して血液検査を行うと、ヘモグロビン値が著しく低下しており、極度の貧血状態であることがわかりました。その場ですぐに輸血を受けることになりましたが、輸血を行っても体調は回復しませんでした。これはいわゆる一般的な貧血ではないと判断され、同じ総合病院内にある血液内科を受診することになりました。そこで骨髄検査を受けた結果、血小板などの数値も低く、何らかの血液の病気であることが判明し、そのまま最初の入院をすることになりました。
診断まで1か月半かかった極めてまれな血液がん
当初、医師からは再生不良性貧血の可能性も指摘されていました。血液内科の外来に通いながらさらに複数回の骨髄検査や精密検査を重ねましたが、悪性リンパ腫は種類が非常に多いうえに、私の病気は症例数が極めて少ないタイプだったため、確定診断が出るまでには長い時間を要しました。
病名が「リンパ形質細胞リンパ腫(LPL)」だと最終的にわかったのは、約1か月半が経過した6月半ばのことでした。骨髄に病変があったため、診断時のステージは4Aという状態でした。通常、がんと聞くとすぐに治療が必要だと思われがちですが、私の場合は初期の検査段階で「進行が緩やかなタイプの血液疾患であろう」と推測されていたため、医師は私の体への負担を考慮し、見切り発車で治療を急ぐのではなく、時間をかけて慎重に確定診断を進めてくれました。その1か月半の間は、骨髄病変による貧血症状を補うために、対症療法として輸血を受けながらしのいでいました。
抗がん剤治療の開始と仕事への復帰
そして6月半ばにLPLという確定診断が下り、貧血の症状も出ていたことから、6月末より最も適したトレアキシンとリツキサンを組み合わせたBR療法を開始することになりました。初回は薬に対する反応や副作用の様子を見るために、3週間の入院治療となりました。2コース目も血球の数値が下がってしまったため、5日間ほど入院して抗がん剤を投与しましたが、3コース目以降は外来での通院治療に切り替えることができました。
合計6コースの治療は、2023年の12月ごろに終了しました。私が受けた治療では髪の毛が抜けることはなく、強い吐き気を感じることもあまりありませんでした。ただ、倦怠感はあり、だるいときには横になって体を休めるようにしていました。LPLは、完全にがん細胞を消し去ることが難しい病気だと聞いており、貧血や輸血なしで生活できるようになることが当面の目標でした。
治療の効果で無事に輸血が不要な状態まで回復し、その後は免疫抑制剤や感染症予防の薬を飲みながら、2か月に1回ほどの外来通院を続けました。体調も安定していたため、2024年4月の年度初めからは、量をセーブしながら元の職場に復帰することができました。
再発の兆候と新薬への切り替え
復帰後は大きな制限もなく、休日に家族と出かけるなど順調な生活を送っていました。しかし、2025年の3月から4月ごろにかけて、再び貧血の症状が現れ、体のだるさを感じるようになりました。検査を受けると腫瘍マーカーの数値が上昇しており、骨髄検査の結果、再発の傾向があることがわかりました。
そこで、2025年4月からはBTK阻害薬のブルキンサによる治療を開始しました。この薬による副作用は私にはほとんどなく、仕事の量も前年より少し増やせるほど、非常に体調の良い状態を維持できました。しかし、期待していたよりも効果の持続期間が短く、11月には薬に対する耐性ができてしまいました。そのため、イムブルビカとリツキサンを併用する治療へと変更することになり、最初の1コース目は5日間ほど入院して治療を受けました。
決断を迫られた造血幹細胞移植とセカンドオピニオン
治療薬を変更するタイミングで、主治医から「いつかは造血幹細胞移植をしなければならない可能性がある。どんどん薬への耐性がついてしまうのであれば、今のうちに移植も考えたほうがよい」というお話がありました。初発のころから移植の可能性については説明されていましたが、私にはまだ小学生と中学生の子どもがおり、移植という過酷な治療を受けることには大きなためらいがありました。できることなら移植をせずに治療を続けたいと願っていました。
主治医は「他の医師の意見も聞いて納得して決断したほうがよい」と、セカンドオピニオンを勧めてくれました。そこで、通える範囲にある関西の有名ながん専門病院へ足を運びました。結果として、セカンドオピニオンの医師も「移植に向けて準備をしたほうがよい」という全く同じ見解でした。専門家の意見が一致したことで、私自身も腹をくくることができました。
夫は帰宅が遅い仕事だったため、私の治療期間中は実家の両親が子どもたちの夕食など日常的なサポートを担ってくれていました。「両親がまだ元気で動ける今のうちでなければ、この大がかりな治療を乗り越えることは難しいだろう」という思いもあり、今のタイミングで移植に踏み切ることを決めました。また、初発のころからずっとお世話になっている看護師さんや主治医への信頼感が大きかったこと、自宅から近いという環境面も考慮し、現在の総合病院で移植を受けることにしました。がんであることは子どもたちにも自分の口から伝え、上の子は「これで治るの?」と心配しながらも家族全員で一緒に頑張ろうと約束しました。
ドナー探しと過酷な無菌室での日々
移植に向けて、最初は実の弟からの移植(ハプロ移植)を予定していました。しかし、事前の検査で私のHLA抗体が弟のHLA型に対して拒絶反応を示す可能性が高いことが判明しました。同時期に、主治医が日本臍帯血バンクの中から非常に条件の合う良いドナーさんの臍帯血を見つけてくださっており、安全性を最優先して臍帯血移植を行うことになりました。
2026年の初めから準備を進め、感染症を防ぐために一時退院などを挟みながら、3月初旬から本格的な移植のための入院生活が始まりました。前処置として4日間の全身放射線照射を受け、その後は抗がん剤を投与しました。そして、3月26日に無事に臍帯血移植を実施しました。
移植そのものよりも、無菌室での生活が想像以上に過酷でした。口の中の痛みがひどく食事がとれなくなり、毎日「次は何が起こるのだろう」という不安と闘っていました。無菌室という外界から完全に遮断された空間の中で、出口のないトンネルに取り残されたような精神的な苦痛を感じました。それでも、病院に無料のWi-Fiが導入されたおかげで、家族とテレビ電話をつないだり、動画を見たりすることができ、それが大きな心の支えとなりました。
また、入院中には深刻な下痢の症状も現れました。最初は食あたりかと思いましたが、大腸内視鏡検査をした結果、腸にGVHD(移植片対宿主病)が出ていることがわかり、ステロイド治療を行いました。
一日一日を大切に、今後は社会への恩返しを
GVHDの治療により入院が長引き、結果的に95日間に及びましたが、症状が落ち着いたため、6月上旬に無事退院を迎えることができました。現在は、LPLのがん細胞は見当たらない寛解状態にあると医師から告げられています。ずっと共にあった病気を、ようやく抑え込むことができました。
今後の目標は、来年の4月に再び教育の現場へ復帰することです。しかし、免疫力や体力にまだ不安があるため、決して無理はせず、長い目で見て自分にできる仕事から始めていきたいと考えています。
がんになり、移植を経験したことで、一日一日を大切に生きることの尊さを心から実感しました。家族の強力なサポートがあり、そして顔も名前も知らない臍帯血のドナーさんに命をつないでいただいたおかげで、今の私があります。今後は、自分が生かされたこの命を使って、骨髄バンクや臍帯血バンクのドナー登録を推進する活動など、何らかの形で社会に恩返しをしていきたいと強く思っています。
これからがんと向き合う方へのメッセージ
今、がん治療をしている方にお伝えしたいことがあります。
医療従事者や周りの人をたくさん頼ってください
抗がん剤治療や移植治療は、体力的にも精神的にも本当に過酷です。私自身、人に甘えるのが苦手で「大丈夫ですか?」と聞かれると、つい「大丈夫です」と強がってしまう性格でした。しかし、今回の大きな治療に関しては「大丈夫と言わない」と決心しました。つらい症状が出たときは我慢せず、素直に「今こういう状態でつらいです」と伝えることで、医療従事者の方々はすぐに対処してくださり、結果として自分自身が早く楽になることができます。決して一人で抱え込まず、家族や周囲の人、医療スタッフをたくさん頼ってください。
つらいトンネルにも必ず出口があります
無菌室での長期間にわたる治療中は、痛みや不安が強く「もう耐えられないかもしれない」「生きて帰れないかもしれない」と絶望する瞬間もありました。それでも、時間はかかりましたが徐々に体調は上向きになり、つらく苦しいトンネルを抜け出すことができました。同じ治療を経験した先輩患者さんから「絶対に抜けられるから大丈夫。今はしんどいけどね」と言ってもらえたことが、私の何よりの心の支えになりました。今、先の見えない不安の中にいる方も、明けない夜はないと信じて、少しでも前向きに治療に臨んでほしいと願っています。
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