写真はイメージです。(AIによる生成)プロフィール
お名前:西田久美子(本名)
年代:50代
性別:女性
家族構成:夫と子どもと3人暮らし(子ども2人は独立)
仕事:小学校教諭(教頭)
がんの種類:乳がん(遺伝性乳がん卵巣がん:HBOC)
診断時ステージ:ステージ1
診断年:2018年
現在の居住地:京都府
※本体験談は、患者さん個人の経験に基づくものです。治療の経過や副作用、生活への影響には、個人差があります。医療的な判断や治療方針の決定の際には、必ず医師・医療従事者にご相談ください。
2018年3月、小学校の教頭として多忙な日々を送っていた西田久美子さん。ふと胸のしこりに気づき、受診したクリニックでステージ1の初期乳がんと診断されました。治療を進める中で遺伝性乳がん卵巣がん症候群(HBOC)の可能性に気づき、自ら遺伝子検査やリスク低減手術を希望するなど、主体的にがんと向き合ってきました。現在は教員を続けながら、がん患者の当事者会を立ち上げて活動する西田さんにお話しいただきました。
しこりの発見とクリニックでの診断
2018年の3月末、私は自分で胸にしこりがあることに気がつきました。すぐに近くの病院に問い合わせをしましたが、どこも予約が埋まっており、受診するには1か月から2か月待つ必要があると言われました。しこりがあることを伝えて病院を探し続けたところ、乳腺専門医がおりマンモグラフィなどの設備が整っている小さなクリニックが、すぐに診察をしてくれることになりました。その週の金曜日に超音波(エコー)検査とマンモグラフィの検査を受けた結果、しこりが確認されたため、翌週の月曜日に改めて針生検を受けました。
結果が出るのは1週間後でした。心の中では「がんではないと言ってもらえるはずだ」と期待していましたが、受診予定日にクリニックから「今日来られますよね」と電話がかかってきました。その時点で、あまり良い知らせではないだろうと推測しました。クリニックに到着するとすぐに採血の指示があり、診察室で医師から「乳がんの可能性が高いです。ステージ1くらいだと思いますので、治療すれば大丈夫でしょう」と告げられました。
検査結果が書いてある書類を受け取り、待合室に戻って内容を確認していたときのことです。書類の最後に「紡錘細胞がんの可能性を示唆する」という一文が記載されていました。スマートフォンで検索すると、悪性度が高く進行が速いといった情報が目に入りました。気になってもう一度診察室をノックし、医師に意味を尋ねましたが、「もしそうでも、やることは一緒だから」と言われ安心するように言われました。
大学病院への紹介と迫り来る不安
クリニックの医師の紹介で、提携先である大学病院を受診することになりました。別の大学病院で医師をしている友人にも相談しましたが、「もし本当に言われているようながんなら、セカンドオピニオンを聞いている暇はない。そのまま流れに乗って進めたほうがいい」と助言を受けました。
大学病院での診察は1週間後でした。ようやく迎えた診察日で、担当の医師から「もしこのタイプの細胞であれば一刻を争うため、明日CT検査を受けてきてください。うちの病院ではすぐに検査できないので、別の病院を手配します。そして転移がなければすぐに手術します」と説明を受けました。
対応が早いのはありがたいことでしたが、同時に不安を感じました。大学病院では手術件数が多く、手術まである程度の待ち時間があることが多いと聞いていたからです。自分で調べた情報では、紡錘細胞がんはリンパ節転移がなくても血流に乗って転移しやすく、3か月から半年で亡くなってしまう可能性があるとありました。術前治療(抗がん剤治療など)をしている余裕はなく、まずは転移する前に切除するという判断でした。
診断時の仕事と家族への影響
CT検査の1週間後には手術日が決まり、最初の受診から約1か月後の4月26日に手術を受けました。検査・診断を受けた3月から4月にかけては、教頭という立場上、学校で最も忙しい時期でした。同僚と今後の予定を話し合いながらも、心の中では「1年後、私はここにいるのだろうか」と考えていました。
家族構成は夫と子ども3人で、子どもは上から大学1年生と高校2年生、一番下は小学3年生になったばかりでした。上の子どもたちにはもう少しで手が離れる時期でしたが、小学生の子どものことを思うと非常につらい時期でした。病気のことについては、夫から上の子ども2人に伝えてもらいました。
手術の選択と病理検査の結果
手術の方式について、担当医からは乳房温存手術も可能だと提案されました。しかし、私は不安が大きかったため、不確実な要素をすべて取り除きたいと考え、「怪しいものはすべて取ってください」と全摘手術を希望しました。
手術後の病理検査の結果、硬がんの細胞と、紡錘細胞がんの細胞が混在しているトリプルネガティブというタイプであることがわかりました。純粋な紡錘細胞がんだけではなく、抗がん剤が効く可能性がある細胞も含まれていたため、術後に抗がん剤治療を行う方針が決まりました。
当時の私はがんに関する知識が乏しく、抗がん剤治療に対して「髪が抜けて、ずっと吐き気に苦しむもの」というイメージを持っていました。そのため、治療が始まることに対して新たな不安を感じていました。
抗がん剤治療と食事制限による体調悪化
実際に抗がん剤治療が始まると、想像していたような強い吐き気はありませんでした。しかし、味覚障害が生じ、何を食べても味がわからなくなりました。酸味や辛味しか感じられなくなったため、食事には何にでもポン酢をかけて食べていました。
また、当時の私は「食べ物が悪いからがんになったのかもしれない」と考え、自己流の食事制限を始めてしまいました。肉を食べないようにしたり、乳製品を断ったりした結果、精神的な負担と抗がん剤の影響も重なり、体重が一気に10kgほど減少しました。
FEC療法(フルオロウラシル、エピルビシン、シクロホスファミド)という抗がん剤治療の期間中には発熱性好中球減少症を繰り返し、2回隔離入院をすることになりました。仕事については、手術前後は休みを取りながらも学校へ通っていましたが、抗がん剤治療が始まると体調の予測がつかなくなったため、休職して治療に専念することにしました。FEC療法を終えた後は、抵抗力の低下を考慮して、パクリタキセルを毎週投与する方法に切り替え、合計12回の治療を受けました。
市民公開講座での気づきと遺伝子検査
手術を終えて抗がん剤治療に入るまでの間に、乳癌学会の市民公開講座へ行く機会がありました。そこで遺伝性乳がん卵巣がん症候群(HBOC)についての講演を聞き、「これは私のことではないか」と思いました。当時の遺伝子検査はすべて自費診療であり、簡単に受けられるものではありませんでしたが、もしHBOCであれば、手術や抗がん剤治療を終えた後でも、生きる可能性を上げるためにまだできることがあると考えました。
抗がん剤治療中に、主治医に「ここで検査を受けられますか」と尋ねました。最初は「保険適用でもないし、気にしなくてもいい」と言われましたが、3度目に頼み込んだところで調べていただき、大学病院内で遺伝カウンセリングを受けられることになりました。
6月の終わりに遺伝カウンセリングを受け、意思確認のための面談を2回経て、7月に検査を受けました。費用はかかりましたが、がん保険の一時金があったため、自分の裁量で支払うことができました。子どもたちには言いませんでしたが、カウンセリングには夫と共に行き検査に同意してもらいました。
8月に結果が出て、HBOCであることが判明しました。しかし、主治医からは「まずは抗がん剤治療を最後までやり遂げることが第一」と説明され、そのまま11月末まで抗がん剤治療を継続しました。
他院での治験検討とリスク低減手術の実施
抗がん剤治療が終わった後、再発を防ぐためにオラパリブの治験を受けたいと考えました。海外では効果が実証されていると知っていたためです。通院していた大学病院では治験を行っていなかったため、別の大学病院を紹介していただき受診しました。結果的に条件に合致せず治験は受けられませんでしたが、その病院で自費によるリスク低減手術の説明書をもらうことができました。
その説明書を持ち帰り、元の大学病院の医師と相談しました。医師は「うちの病院でするなら倫理委員会にかける必要があり時間がかかります。急ぐなら別の大学病院で受けてもかまいません」と説明してくれました。しかし、私はこれまでの治療経緯をすべて把握している現在の病院で手術を受けたいと依頼しました。
手続きが進み、2019年の3月に健側(けんそく)の乳房と、卵巣および卵管のリスク低減手術を同時に受けました。婦人科の医師は、リスク低減手術を実施する体制を整え、希望する患者を待っていたとのことでした。乳房の再建については、当時インプラントのリコール問題があったことや、特殊なタイプのがんであったため今後の画像検査を妨げないようにすることを優先し、実施しませんでした。現在まで定期的な検査を継続しており、再発や転移は見つかっていません。
なお、HBOCのことについては、長男と長女にはそれぞれ20歳になったタイミングで、他県の大学病院に連れて行き、専門の医師も交えて伝えました。
心理面での葛藤と当事者会との出会い
がんの診断を受けてから、私は現実を受け止めることができず、適応障害になってしまいました。臨床心理士のカウンセリングを受けるために、腫瘍精神科を受診していました。臨床心理士は、事実として備えるべきことと、不確実な予測によって自ら膨らませている不安を、丁寧に分けて整理してくれました。
同時に、インターネットでHBOCの当事者会を見つけ、参加するようになりました。東京に拠点がある団体でしたが、代表の方が京都に来られた際にお会いし、その後は他県の大学病院で月に1回開催される集まりに参加しました。ずっと一人で調べて誰にも相談できず苦しんでいましたが、同じ経験を持つ仲間と話すことで孤立感が和らぎました。病気になってから、初めて心から笑えたと感じた瞬間でした。
この経験と、知人の医師から「いつかあなたが立ち直ったら、今のつらさや不安を伝える人になってほしい」と言われたことがきっかけとなり、自分でも患者のための場を作りたいと考えるようになりました。前向きで力強い患者でなくても、弱音を吐ける場所があれば、救われる人がいるのではないかと考えたからです。
自ら当事者会を設立し、がん教育に取り組む現在
2020年に、リスク低減手術を担当してくれた婦人科の医師に顧問を引き受けていただき、女性のがん患者を対象としたオンライン当事者会を立ち上げました。HBOCに限定しなかったのは、当時はまだリスク低減手術が保険適用直前であり、対象を広げた方がより多くの、自分が遺伝性であることを知らない患者さんにも情報を届けられると考えたからです。
現在は月に1回のオンラインサロンのほか、がん相談支援センターでのピアサポート活動、写真撮影会、貸し切りで周囲の目を気にせず入浴できる温泉イベントなど、さまざまな活動を行っています。
また、学校でがん教育に携わる機会もあります。小中学生の間には「がんは死ぬ病気」「抗がん剤は毒」というイメージが根強くあります。映画やドラマなどで目にするのが、悲しい結末を迎える物語ばかりであることが影響していると感じます。私は自分自身の姿を通して、「がんになっても治療をして元気に生きている人がいる」という事実を発信し、正しい知識を伝えていきたいと考えています。
これからがんと向き合う方へのメッセージ
今、がん治療をしている方にお伝えしたいことがあります。
一人で抱え込まないでください
がんと診断されると、孤独に陥り、自分の殻にこもってしまいがちです。しかし、あなたは決して一人ではありません。一歩踏み出せば、同じ経験をした仲間がいます。解決策を提示できなくても、ただ話を聞いて共感してくれる場所があります。ぜひ、当事者会やピアサポートの場に顔を出してみてください。
がんと診断されても終わりではありません
私自身、がんになったときは「もう死ぬんだ」と思い込んでいました。しかし、がんになったからといって、人生がそこで終わるわけではありません。医療は進歩しています。初めから諦めず、正しい知識を持ち、道を探してみてください。医療者と相談しながら、自分にできることを見つけていくことが大切です。
生きている間にやりたいことをなんでもやりましょう
人間は、誰しもいつかは終わりの日を迎えます。明日のことは誰にもわかりません。だからこそ、生きている間にやりたいことはなんでもやりましょう。今という時間を大切に、一生懸命に生きていくことが何よりも重要だと私は思っています。
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