写真はイメージです。(AIによる生成)プロフィール
お名前:kaynaさん(ニックネーム)
年代:60代
性別:女性
家族構成:夫と2人暮らし
仕事:自営業
がんの種類:子宮頸がん
診断時ステージ:ステージ1B2
診断年:2019年
現在の居住地:大分県
※本体験談は、患者さん個人の経験に基づくものです。治療の経過や副作用、生活への影響には、個人差があります。医療的な判断や治療方針の決定の際には、必ず医師・医療従事者にご相談ください。
2022年、訪問看護師として地域医療を長年支えてきたふじさんは、乳がんと診断されました。看護師として多くの患者を見守ってきた彼女が、ある日突然、支援する側から支援される側になりました。術後約1年4か月の脳転移という過酷な局面を経験しながらも、彼女は現在「笑いヨガ」を通じて、同じ悩みを持つ人々を励ます活動を始めています。自らの闘病経験と看護師としての視点が交錯する中で見えてきた、前向きに生きるための心の持ち方についてお話しいただきました。
就寝時に感じた乳房の違和感
がんとわかったきっかけは、2022年4月のある夜、寝ようとしたときに感じた乳房の激しい痒みでした。無意識に手でかいた瞬間、指先に触れた感覚に息が止まりそうになりました。そこには、驚くほど硬くて大きな塊がありました。「これは普通ではない」と思いました。
仕事の忙しさにかまけて、数年は定期的な健康診断や乳がん検診を受けていませんでした。後悔の念が押し寄せましたが、立ち止まっている暇はありませんでした。翌日、以前一緒に働いていた看護師の仲間が信頼を寄せているクリニックを受診しました。触診とマンモグラフィーの結果、医師からは「おそらく乳がんでしょう」と告げられ、手術が可能な総合病院を紹介されました。母が心臓の手術でお世話になっていた病院で、私にとっても通い慣れた場所でした。
精密検査の結果と術前化学療法の開始
紹介された総合病院の初診時に、針生検による組織採取が行われました。6月に検査結果が出て、リンパ節転移を伴うステージ3Aの乳がんであることが判明しました。医師と相談し、まずは腫瘍を小さくするために術前化学療法を行う方針が決まりました。
治療計画は、AC療法を3週間ごとに4回、続いてドセタキセルを3週間ごとに4回投与するもので、期間は約半年に及びました。化学療法の効果は高く、触診では腫瘍がわからないほどに縮小しました。しかし、リンパ節転移があったため、乳房を温存する選択肢は検討せず、全摘出手術を行う方針が維持されました。乳房再建についても医師に質問しましたが、再発時に発見が遅れる可能性があるという理由から、「推奨しません」という説明でした。私自身も積極的に再建を希望していたわけではなく、その理由に納得して手術に臨むことにしました。
抗がん剤治療による副作用と体調の変化
術前化学療法では、さまざまな副作用を経験しました。脱毛については事前に想定していましたが、特に私を苦しめたのは強い味覚障害でした。これまで美味しいと感じていた食事がすべて砂糖のような甘い味に感じられ、何も食べられない状態が続きました。においに対しても過敏になり、食生活を維持することが困難になりました。その結果、体重は10kg減少しました。
ドセタキセルの投与が始まると、爪がすべて剥がれ落ちる、足にひどい浮腫が出るなどの症状が現れました。この浮腫は治療後も長期間残り、日常生活に影響を及ぼしました。また、1回目の化学療法を受けた直後から強い倦怠感やふらつきがあり、健康状態が著しく変化したことを実感しました。
看護師業務の継続断念と事業所の閉鎖
治療開始当時、私は自ら立ち上げた訪問看護事業所で看護業務を行っていました。しかし、副作用による体調不良から、現場での業務継続が困難になりました。訪問看護は病院勤務と異なり、利用者の自宅で床に座ってケアを行う場面が多くあります。足の浮腫によって座る動作ができなくなり、体力も著しく低下したため、これ以上利用者や周囲に迷惑をかけるわけにはいかないと判断しました。
自身が責任者であったため、スタッフに管理業務を引き継ぐことも検討しましたが、業務の負担が重く、適任者を見つけることができませんでした。最終的には、地域の看護師仲間と相談し、受け持っていた利用者を引き取ってもらう形で、事業所を閉鎖しました。心残りはありましたが、治療に専念するためには避けられない選択でした。
術後約1年4か月で判明した脳転移
2022年12月、乳房全摘手術と腋窩リンパ節郭清が行われました。目に見えるがん組織はすべて切除できました。術後の病理検査の結果、サブタイプはホルモン受容体陽性、HER2陰性と判明しました。術後治療として、放射線治療を25回実施し、再発防止を目的としてホルモン療法とTS-1の内服治療を行いました。
しかし、手術から約1年4か月が経過した2024年4月に事態が急変しました。激しい頭痛と吐き気が現れ、検査の結果、小脳への転移が認められました。ただちに脳外科で手術が行われ、腫瘍は摘出されましたが、この時点で予後は厳しいものであると告げられました。その後、転移巣の病理検査で、原発巣では陰性であったHER2が低発現に変化していることがわかりました。これにより、エンハーツによる治療を行うことになりました。
エンハーツの効果と休薬による再発への不安
エンハーツによる治療は3週間に1回の頻度で行われました。以前の診断では有効な薬が限られていたため、この薬が使えるようになったことは大きな転換点となりました。副作用への懸念よりも、治療の選択肢があることに前向きな気持ちを持つことができました。
しかし、エンハーツの副作用とみられる間質性肺炎を発症しました。間質性肺炎の治療を行うため、エンハーツの使用を約半年間中断し、プレドニンで症状を改善させました。その後、エンハーツを再開しましたが、2〜3か月後に再び間質性肺炎の症状が現れたため、現在は安全を考慮して投与を一時休止しています。
薬の休止期間中は再発への不安を感じることもありますが、プレドニンの影響なのか活動的になれる時間もあり、海に出かけるなどのレジャーを楽しむことで精神的な安定を保っています。
闘病生活の中で出会った笑いヨガ
闘病生活の中で、私は西洋医学による標準治療だけでなく、自身の健康につながる取り組みがないかを模索していました。そんな中、出会ったのが笑いヨガでした。
笑いヨガは、面白くなくても「笑う動作」をすることで、脳に笑っていると認識させ、健康効果を得ようとするものです。実際に近隣のクラブを探して参加してみたところ、多人数で笑い合うことで気持ちが非常にポジティブになることを実感しました。ヨガのポーズをとる必要はなく、手拍子や腹式呼吸を組み合わせた発声法が中心であるため、体力に不安がある私でも継続することができました。
患者支援活動の開始と現在の役割
半年ほど前、笑いヨガを他者に教えることができるリーダーの資格を取得しました。現在は、自身と同じようにがんで苦しむ人々が交流し、共に笑うことができる場を作るため、自宅近くのお寺の部屋を借りて活動の準備を進めています。病院内での活動も希望しましたが、外部の人間による活動には制限があるため、まずは地域で実績を積み上げていくつもりです。
現在は夫が運営するグループホームに籍を置き、専門職としての知識を活かして介護士からの相談に応じたり、医師との橋渡しをしたりする役割を担っています。現場で直接動くことは難しいですが、こうした形での社会とのつながりは、自身の心の支えとなっています。
患者の立場になってわかった看護の核心
かつて訪問看護師として終末期の患者を数多く担当していましたが、当時は患者の不安を本当の意味で理解できていなかったことに気づきました。一度は予後は厳しいと告げられたこと、再発の不安や体力の低下によって日常生活が制限される苦しみを経験したことで、患者が抱える心理的な負担の重さを身をもって知りました。
がんになったことで失ったものもありますが、得られたものもあります。夫の献身的な支えに対する感謝や、空の美しさに感動する心の余裕は、忙しく働いていたころにはなかったものです。自身の経験を生かし、同じ境遇にある方々が少しでも前向きに毎日を過ごせるよう、笑いヨガを通じた支援を続けていきたいと考えています。
これからがんと向き合う方へのメッセージ
今、がん治療をしている方にお伝えしたいことがあります。
将来の自分に具体的な目標を持ってください
病状や治療に不安を感じ、気持ちが落ち込む時期は誰にでもあります。しかし、数年後に元気で活動している自分を想像し、達成したい未来像を描くことが、現在の治療を乗り越える意欲につながります。
がんになったからこそ気づけた「良いこと」を探してください
病気によって制限されることは多いですが、一方で家族のありがたみを実感したり、身近な自然の美しさに気づいたりすることもあります。日常の中にある小さな「良いこと」を見つける努力が、前向きな気持ちを維持する助けとなります。
社会とのつながりや楽しみを見つけてください
治療を継続しながらも、自分にできる範囲で誰かの役に立ったり、趣味を楽しんだりする場を持つことが大切です。一人で抱え込まず、同じ悩みを持つ仲間と交流し、笑い合える時間を大切にしてください。
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