写真はイメージです。(AIによる生成)プロフィール
お名前:kaynaさん(ニックネーム)
年代:60代
性別:女性
家族構成:夫と2人暮らし
仕事:自営業
がんの種類:子宮頸がん
診断時ステージ:ステージ1B2
診断年:2019年
現在の居住地:大分県
※本体験談は、患者さん個人の経験に基づくものです。治療の経過や副作用、生活への影響には、個人差があります。医療的な判断や治療方針の決定の際には、必ず医師・医療従事者にご相談ください。
2019年に子宮頸がんと診断されて以来、仕事を継続するために自ら治療法を模索し、納得できる道を選んできたkaynaさん。医師の提案をそのまま受け入れるのではなく、知人の体験やインターネットなどの情報を精査し、手術ではなく放射線治療を選択しました。再発後、生活の質(QOL)を重視した経緯についてお話しいただきました。
不正出血がきっかけでわかった子宮頸がん
私のがんがわかったきっかけは、不正出血でした。2019年1月、体調の異変を感じて近所の婦人科クリニックを受診しました。検査結果が出るまで通常は1週間ほどかかりますが、それを待たずにクリニックから電話がありました。仕事で電話に出られなかったのですが、1日のうちに何度も着信があり、ただ事ではないと感じました。連絡すると「すぐに大きい病院へ行ってください」と言われ、紹介状を渡されました。
紹介先として、総合病院か大学病院のどちらかを選ぶように言われ、利便性を考えて近くにある総合病院を選択しました。紹介状を見るなり若い医師は「がんです」と告げ、CTとMRIの検査で子宮頸がんステージ1B2と判明しました。その場ですぐに手術の予約をするようにと言われるほど、慌ただしい展開だったことを記憶しています。
仕事を継続するための放射線治療という選択
がんの告知を受けた直後、私の頭にあったのは「仕事を辞めたくない」ということでした。私はフリーランスで仕事をしており、手術で長期入院することになれば、キャリアに大きな影響が出ることが心配でした。そこで、病院の待ち時間を利用して、スマートフォンで懸命に情報を探し始めました。
その際、ふと以前仕事を通じてかかわりがあった大きな文学賞を受賞された方が、子宮体がん経験者であることを思い出しました。検索してみると、新聞のインタビュー記事になっていました。仕事とがん治療を両立させるために放射線治療を選んだことを知ることができました。その記録が私にとって大きな道標となりました。子宮頸がんでも放射線治療であれば、仕事を諦めずに済むのではないかという確信に変わったのです。
しかし、最初に受診した総合病院には放射線治療の設備がありますが、RALS(ラルス:腔内照射の装置)はありませんでした。私は医師に放射線治療を希望すると伝えましたが、強い口調で手術を勧められました。納得できなかった私は、RALSの治療が受けられる大学病院への紹介状を書いてもらいました。
セカンドオピニオンでの助言と治療環境の整備
大学病院に転院しましたが、そこでもやはり手術を前提とした話が続きました。当時の大学病院は非常に混雑しており、医師の対応も事務的なものでした。選択肢を広げるために重粒子線治療施設を紹介してもらい、セカンドオピニオンを受けに行きました。
そこで出会った若い女性医師の言葉が、私の不安を払拭してくれました。私の画像を見た医師は「これならRALSもすれば放射線で治りますよ」とはっきりおっしゃったのです。
私は、大学病院の担当医に「放射線治療の先生と直接お話をさせてほしい」と強く申し出ました。それまでは婦人科の医師としか話をしていませんでしたが、放射線科の医師と面談したことで、ようやく放射線と化学療法を併用する具体的な治療方針が決まりました。
化学放射線療法の実施と仕事との両立
治療は、外部からの放射線照射と、がん細胞の近くに放射線源を配置するRALSを組み合わせ、さらに抗がん剤のシスプラチンを併用する形で行われました。2019年3月から4月にかけての約1か月半というスケジュールでした。
私は「入院せずに治療を受けたい」と希望しましたが、抗がん剤投与後は副作用を抑えるための点滴が必要で、数日間は拘束されることがわかりました。そこで医師と相談し、入院扱いでベッドは6週間確保しつつ日曜日の夜に入院して月曜日に抗がん剤と点滴を受け、木曜日の朝に放射線を終えて毎週金土日の外泊届を出すという変則的な通院スタイルを認めてもらいました。
金曜日は自分の車で病院へ行き、外来で放射線照射を受け、土日は自宅で過ごすというサイクルを6週間繰り返しました。病院にいる間もノートパソコンを持ち込み、締め切りに追われるレギュラーの仕事をこなしました。仕事関係の方々にはがんであることを一切伏せていましたが、この方法をとることで、誰にも気づかれることなく仕事を継続することができました。
治療過程で直面した副作用と日常生活の困難
治療開始から2週間ほどは順調でしたが、3週目に入ったあたりから激しい倦怠感に襲われました。特に堪えたのは、移動の際の身体的負担です。木曜日の退院時など、バスを利用する際の移動が極めて困難になりました。
始めの2週間は病院から最寄り駅前のバス停まで約30分かけてバスで行き、そこから自宅まで約15分という距離を歩けていたのですが、次第に足が前に出なくなりました。足にしびれがあるわけではないのですが、体全体の重だるさから、わずかな距離がどうしても歩けなくなり、タクシーを利用せざるを得なくなりました。
また、倦怠感だけでなく、思考の混乱にも驚きました。例えば、銀行へ行って複数の通帳を整理するという日常的な作業が、急にわからなくなったのです。段取りが組めず、頭の中に霧がかかったような状態になり、「当たり前にできていたことができなくなる」と自分が自分ではなくなってしまうという漠然とした不安がありました。
外見上は脱毛や爪の変色といった症状は一切現れませんでしたが、内部的なダメージは深刻でした。腹部に放射線を当て続けていた影響で、食欲減退と下痢の症状も続きました。それでも「仕事を続けながら治す」という一心で、私はこの期間を耐え抜きました。
再発告知と緩和ケアへの移行
治療後、約2年半は腫瘍マーカーも正常値を保っていました。しかし、2021年10月の検査の結果、組織再発していることがわかりました。腫瘍内科の医師からは、抗がん剤による化学療法を提案されました。
しかし、前回の治療での激しい倦怠感や思考回路の破綻などを経験していた私は、抗がん剤治療だけは二度と受けたくないという強い拒否感がありました。医師からは「抗がん剤をやるか、そうでなければ緩和ケアか」という二者択一を提示されました。私は迷うことなく、積極的な治療を行わない緩和ケアを選びました。
痛みや自覚症状が全くなかったこともあり、私はそのタイミングで一度病院を離れる決断をしました。そこから2025年11月までの4年間、大学病院への通院を中断することになりました。
漢方クリニックでの心穏やかな4年間
大学病院での治療をやめ、私は以前から興味があった漢方専門のクリニックを受診しました。そこで出会った高齢の医師は、とてもポジティブな話をしてくださり、東洋医学では積極的な治療とされる生薬を毎日続けることが私の精神的な支えになりました。
その漢方クリニックでの生薬は今でも続けています。病院から離れていた期間、精神的な安定を得られたことは、私にとって非常に大きな意味がありました。仕事も順調に続けられ、QOL(生活の質)を高く保つことができたと考えています。
救急搬送と大学病院への再通院
2025年11月に再び不正出血の症状が現れました。大量の出血があり、一人では対処できないと判断して自ら救急車を呼びました。救急隊員に「以前、どこの病院にかかっていましたか」と聞かれ、がん治療を受けた大学病院の名前を伝えました。
たまたま運が良く、その夜は大学病院の産婦人科に医師が待機していました。深夜の救急搬送でしたが、すぐにCT検査などが行われ、大きい腫瘍ができていることがわかりました。医師からは「いつどうなってもおかしくない状態です」と説明を受けました。
その日は金曜日でしたが、週明けの月曜日にどうしても外せない仕事の締め切りがありました。私は「今日は入院できない」と医師に話し、一度帰宅して月曜日の朝に仕事を完遂させてから、改めて入院の手続きを取りました。私にとって仕事を全うすることは、生きる尊厳そのものでした。
新しい薬による治療とQOLの維持
医師と面談して「仕事をしたいので入院はしたくない」と告げ、私は過去の経験から「抗がん剤だけは絶対に嫌だ」と言い続けました。私の必死の訴えを汲んでくれた主治医が放射線科の医師と相談し、再発部位が初期治療で放射線を照射した場所とは少しずれていることから、緩和的な放射線の再照射が可能であることを見つけ出してくれました。12月24日のクリスマスイブに照射を受け、その後、症状は落ち着きました。
年が明けて主治医が転勤になり、新しく担当になった医師からは腫瘍を小さくするために抗がん剤治療を強く勧められましたが、抗がん剤治療は拒否しました。そこで、2026年1月からは、子宮頸がんにも適応が広がった免疫チェックポイント阻害薬を開始しました。現在、3週間に1回の点滴を続けています。2026年4月の検査では、腫瘍がほとんど確認できないほど小さくなっていることがわかりました。何より驚いているのは、抗がん剤のような強い倦怠感がないことです。QOLを落とさずに仕事もこれまで通り続けられており、現在の治療には非常に満足しています。
情報収集と多角的な視点の重要性
私が治療を選択する上で最も大切にしてきたのは、徹底した情報収集です。主な手段はインターネットですが、中途半端に調べるのではなく、最新の情報を徹底的に追いかけました。情報を集め続けることで、どの内容が信頼でき、何が自分にとって正しいのかという見極めができるようになると考えています。
また、書籍も活用しました。有名な医師が書いた本も買い込みましたが、特定の意見に偏りすぎることの危うさも感じました。例えば、極端な治療拒否を勧める本に最初は感化されましたが、複数の本を読み比べるうちに、自分自身の頭でフラットに考えることの重要性に気づきました。
セカンドオピニオンも、自分の選択が間違っていないか誰かに背中を押してほしいときに積極的に利用しました。最終的に治療を決めるのは自分自身ですが、専門性のある第三者の意見を聞くことで、高い経験値に基づいたアドバイスを受けることができます。治療直前に、書籍を読んでいたがん専門医のセカンドオピニオンがようやく叶いました。その医師から「がんのコントロールが上手くできていると思います。免疫チェックポイント阻害薬による治療は、あなたの考え方にあっていると思いますよ 」との言葉で気持ちが上向きになり、納得して治療に臨むことができました。
これからがんと向き合う方へのメッセージ
今、がん治療をしている方にお伝えしたいことがあります。
ネガティブな情報は切り捨て、ポジティブな希望を持ってください
がんと診断されると悪い情報ばかりに目が行きがちですが、明るい方向を見つめることが大切です。自分にとってポジティブな情報を選び取ることで、前向きに治療を選択する助けになります。
納得いくまで調べ、自分の頭で選択してください
情報を中途半端にせず、徹底的に調べ尽くしてください。インターネットだけでなく最新の書籍なども読み、多角的な視点を持つことが、後悔のない選択につながります。自分の状況を一番理解しているのは自分自身であるという自負を持ってください。
生活の質や仕事、治療などの優先順位を大切にしてください
がんという病について知ることも大切です。私は組織再発した時点でがんについての書籍を読み漁り、自分なりの向き合い方を手に入れることができたと思っています。治療のために人生のすべてを犠牲にする必要はありません。仕事を続けたい、日常を大切にしたいという自分の想いを医師に正直に伝えてください。
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