写真はイメージです。(AIによる生成)プロフィール
お名前:やまねこにゃーさん(ニックネーム)
年代:50代
性別:女性
家族構成:夫と実母との3人暮らし
仕事:胚培養士(病院勤務)
がんの種類:卵巣がん
診断時ステージ:ステージ1C2
診断年:2021年
現在の居住地:東京都
※本体験談は、患者さん個人の経験に基づくものです。治療の経過や副作用、生活への影響には、個人差があります。医療的な判断や治療方針の決定の際には、必ず医師・医療従事者にご相談ください。
2021年10月、不妊治療の現場で胚培養士として日々命の誕生に携わっていたやまねこにゃーさんは、自らががんという病に直面することになりました。超音波(エコー)検査がきっかけで見つかった卵巣がんは、ステージ1C2と診断されました。専門職としての誇りを持ち、抗がん剤治療中も仕事を継続。副作用による手足のしびれや視力低下に悩みながらも、胚培養士としての視点と患者としての経験を融合させ、現在は「がん生殖(妊孕性温存)」の啓蒙活動にも力を注いでいます。同じ悩みを持つ仲間との出会いやどのようにがんと向き合ってきたのかをお話しいただきました。
胚培養士としての日常と検診への直感
私は病院の生殖医療センターで胚培養士として働いています。不妊治療において卵子や精子を預かり、顕微授精や胚の培養を行う、いわば命の始まりをサポートする技術職です。仕事に邁進していた2021年の春、私は自治体の子宮頸がん検診を受けることにしました。
職場では子宮頸がん検診が実施されていなかったため、定期的に自治体の検診を利用していました。子宮頸がん検診の検診項目は、問診、視診、細胞診、内診の4項目でしたが、私は35歳の時に子宮内膜症の手術を受けていた経験があり、以前から1年に1回程度はエコー検査も自費で追加するようにしていました。内膜症の再発については以前から指摘されていましたが、その日の検査では、医師の手が止まるのを感じました。
「内膜症にしては、少し様子がおかしい。普通ではないかもしれない」
医師の言葉に、私は直感的に嫌な予感を覚えました。その時点では確定的なことはわからず、ひとまず半年間の経過観察となりました。しかし、半年後の検査で病変らしきものが大きくなっていることが判明し、精密検査が必要であると告げられました。
精密検査は知り合いの医師がいる大学病院を選択
近所のクリニックでMRI検査を受けた後、その結果を持ってさらに大きな病院を紹介されることになりました。私は、以前勤めていた病院でお世話になった先生が在籍している大学病院を選びました。医療の現場を知る人間として、信頼できる先生に診てもらいたいという思いが強かったからです。
大学病院を受診した際、先生は私の画像を見るなり、非常に真剣な表情を浮かべました。内膜症の再発だと思い込んでいた私に、先生は「これはおそらく卵巣がんです。すぐに手術をしなければならない」とはっきりおっしゃいました。私が「仕事はどうすればいいでしょうか」と戸惑いを見せると、「自分の体と仕事、どちらが大切なんだ」と厳しく諭されました。
その日のうちにCT検査など、手術に必要なすべての検査の予約が入れられました。あまりの展開の速さに、私はポカンと立ち尽くすしかありませんでした。しかし、その迅速な判断が、結果的に私を救うことになりました。告知を受けたその足で、私はまず夫にだけ病状を伝えました。
10時間に及ぶ手術とステージ1C1の確定診断
2021年10月、私は卵巣がんの手術に臨みました。当初は、卵巣だけを摘出して術中の迅速病理診断の結果次第で術式を決める予定でしたが、いざお腹を開けてみると、10年以上前の子宮内膜症の影響による癒着が想像以上に激しい状態でした。
結局、手術は予定よりも大幅に長引き、夕方まで続きました。両側の卵巣と卵管、子宮、そして大網の切除に加え、リンパ節の郭清も行われました。麻酔から覚めた時、体にドレーン(排液管)がついているのを見て、「ああ、やはりがんだったのだな」と悟りました。
1か月後の病理診断の結果、私の病期はステージ1C2であることが確定しました。腹水などの細胞診は陰性でしたが、標準的な抗がん剤が効きにくいとされる明細胞がんということもわかりました。主治医からは、明細胞がんは抗がん剤が効きにくいタイプではあるものの、再発リスクを下げるために治療はきっちり行うべきだと強く勧められました。「もし自分だったら、迷わずやる」という先生の言葉に、私は治療を受ける決意を固めました。
TC療法を受けながら仕事を継続
抗がん剤治療は、パクリタキセルとカルボプラチンを併用するTC療法を3週間おきに6クール行うことになりました。治療を開始するにあたって最も悩んだのは、仕事を休むかどうかという点でした。
職場の人事担当者に相談したところ、「これまでにがんで治療をしながら働いている人はたくさんいます。この職場では、がんを理由に辞めた人は一人もいませんよ」という力強い言葉をいただきました。この一言が私にとって大きな希望となりました。
主治医も私の意向を汲み、副作用のピークが土日に重なるように投与スケジュールを調整してくれました。抗がん剤投与から5~7日目あたりが最も体がしんどく、金曜日や月曜日に早退したり、同僚に業務を代わってもらったりすることもありました。それでも、仕事を維持していることが、病気のことばかり考えてしまう精神的な落ち込みから私を救ってくれました。
胚培養士の命取りとなる手のしびれと視力低下
TC療法の副作用で最も苦労したのは、末梢神経障害による手足のしびれでした。顕微鏡を覗き、µm単位の操作を行う胚培養士にとって、手の感覚は生命線です。
SNSなどで得た情報を基に、投与中に手足を冷却する対策をとりましたが、それでも足のしびれは強く出ました。ふかふかの厚底靴を履いているような感覚で、地面をしっかり踏みしめられない怖さがありました。手のしびれも顕著で、大切な卵子や精子を扱う実務を自分で行うのは危険だと判断し、治療期間中は顕微鏡下操作を同僚に託し、私はデスクワークに徹することにしました。
さらに意外だった副作用は、目が見えづらくなったことです。顕微鏡のピントが合わず、当初は老眼かとも思いましたが、抗がん剤が終わると症状が消失したため、やはり薬の影響だったのだとわかりました。技術職として、これまでの自分と同じように仕事ができないもどかしさはありましたが、同僚たちの温かいサポートのおかげで、一度も仕事を辞めたいと思うことはありませんでした。
趣味の山登りとピアリングでの出会い
治療を終え、体調が徐々に回復してきたころ、私は大好きだった山登りを再開したいと考えるようになりました。リンパ節を郭清しているため、主治医からは「足に怪我をしないこと」を条件に、むしろ積極的に体を動かすことを勧められました。
がんになる前は、夫と2人だけで山に登っていましたが、女性のがん患者サポート支援団体のピアリングが運営するSNSに参加したことで、私の生活は大きく変わりました。そこで、同じ卵巣がんや乳がんを経験し、かつ同じように山登りや合唱を趣味にしている仲間と出会ったのです。
最初は東京の高尾山からリハビリを始めました。仲間に支えられながら歩を進めるうちに、かつて登っていた中央アルプスや北アルプスといった3000m級の山々にも再び立てるようになりました。以前よりはペースを落とし、無理のないプランを立てる必要はありますが、同じ痛みを知る仲間と山頂で笑い合い、時には脱毛の苦労などをぶっちゃけ合う時間は、私にとって何物にも代えがたい「生きている実感」を与えてくれました。
がん生殖ナビゲーターとしての新たな使命
がんを経験したことで、私の仕事に対する向き合い方も変化しました。特に「がん生殖(妊孕性温存)」への関心が深まりました。若くしてがんと診断された方が、抗がん剤治療や手術の前に卵子や精子を凍結保存し、将来子どもを持つ希望をつなぐ取り組みです。
私は現在、日本がん・生殖医療学会に所属しながら がん生殖のプログラムに参加し、認定がん・生殖医療ナビゲーターとしての活動を始めています。私が担当する不妊治療の患者さんの中にも、かつてがんを経験した方がいらっしゃいます。以前よりも患者さんの心に寄り添えるようになったと感じるとともに、治療前に妊孕性温存の情報にたどり着けなかった方々の無念さを聞くにつれ、啓蒙活動の重要性を痛感しています。
胚培養士としての専門知識と、がんを経験した当事者としての視点。この両方を持っている私だからこそできることがあるはずだ。そう信じて、小中高生向けのがん教育や、患者コミュニティでの発信に力を入れていきたいと考えています。
診断から5年の節目を前にして
2021年の診断から4年半が経過しました。現在は半年に1回の定期検診を受けていますが、再発の兆候はありません。主治医からは「あと半年で5年ですね」と言われましたが、5年経てばすべてが安心というわけではないことも理解しています。
私の仲間のなかには、5年目の節目で再発がわかった方もいます。それを聞くと、検査の前には今でも心がチリッとするような不安に襲われます。しかし、今の私は一人ではありません。共に山を登る仲間や合唱をする仲間 がいます。そして、胚培養士としてのやりがいのある仕事があります。
かつては死というものを遠い未来のことだと考えていましたが、今は「一日一日を、許される限り自分のやりたいことに使おう」と考えるようになりました。明日何が起こるかわからないからこそ、今を大切にする。その意識の変化こそが、がんが私に与えてくれた唯一の肯定的な教訓かもしれません。
未来を担う子どもたちのためにできること
これからの私の目標は、医療の現場で「がん生殖」の認知度をさらに高めていくことです。がん治療の進歩により、命を救えるケースは確実に増えています。だからこそ、その先の人生、つまり「がんを克服した後の生活」までを見据えた医療が必要不可欠です。
「あの時、将来子どもを持てる可能性について知っておきたかった」と後悔する人を一人でも減らしたい。そのためには、学校教育の段階からがんについての正しい知識を伝え、自分や大切な人が病気になった時に、あらゆる選択肢を検討できる環境を整えることが大切です。
私はこれからも、胚培養士として、そして一人のがんサバイバーとして、命の可能性を信じて歩み続けたいと思います。山頂から見える絶景が、何度登っても新しい感動をくれるように、私の人生もまた、病を乗り越えるたびに新しい意味を見出し続けていくのだと感じています。
これからがんと向き合う方へのメッセージ
がんを経験し、治療を乗り越えてきた私からお伝えしたいことがあります。
医療の進歩と自分の回復力を信じてください
がんと診断されると、目の前が真っ暗になり、将来への希望を失いそうになるかもしれません。しかし、現在の医療は日進月歩で、新しい治療法や薬が次々と登場しています。まずは先生が提示してくれた治療方針を信じて、一歩ずつ進んでみてください。治療を乗り越えた先には、また以前のように趣味を楽しめる日常が待っています。
孤独にならず、外の世界へ一歩踏み出してみてください
がんの悩みは、家族や友人であっても完全には理解し合えないことがあります。そんな時は、患者会やSNSなどを通じて、同じ経験を持つ仲間を探してみてください。同じ痛みを分かち合い、笑い合える仲間ができることは、何よりの心の支えになります。「あなただけではない」ということを、どうか忘れないでください。
自分の「好き」を諦めないでください
病気だからといって、やりたいことをすべて諦める必要はありません。私の場合は山登りや合唱という趣味を続けることが、生きる原動力になりました。治療中でも、できる範囲で好きなことに触れ続けることは、自分らしさを取り戻すためにとても大切です。がんという病気は人生の一部ではありますが、人生のすべてではありません。
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