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多発性骨髄腫の再発を乗り越え、医療を信じて娘の成長を見届けるために今を生きる

[公開日] 2026.05.14[最終更新日] 2026.05.12

写真はイメージです。(AIによる生成)
プロフィール ・お名前:カープ君さん(ニックネーム) ・年代:50代 ・性別:男性 ・家族構成:妻と子どもとの3人暮らし ・仕事:鉄道会社勤務 ・がんの種類:多発性骨髄腫 ・診断時ステージ:ステージ2 ・診断年:2022年 ・現在の居住地:東京都
※本体験談は、患者さん個人の経験に基づくものです。治療の経過や副作用、生活への影響には、個人差があります。医療的な判断や治療方針の決定の際には、必ず医師・医療従事者にご相談ください。 2022年4月、鉄道会社に勤務するカープ君さんは、階段の上り下りで生じた異常な息切れをきっかけに、多発性骨髄腫の診断を受けました。自家造血幹細胞移植後の再発を経て、現在も薬物療法を続けながら、職場の配慮を得て勤務を継続しています。看護師である妻の支えや、家族への想いを胸に病と向き合う日々についてお話しいただきました。

階段の上り下りで感じた異常な息切れ

異変を感じ始めたのは2022年の春先のことでした。仕事柄、駅の階段を上り下りすることが多かったのですが、それまで何ともなかった段数で、驚くほど息が切れるようになったのです。当初は「もう50歳を超えたのだから、体力が落ちただけだろう」と考えていました。しかし、その息切れは一向に改善せず、それどころか日を追うごとに苦しさが増していくようでした。 私の妻は看護師で、医療の知識があります。その妻に「最近、階段を使うだけで息が切れて仕方がないんだ」と相談したところ、妻は少し心配そうな表情を浮かべました。「私にははっきりしたことはわからないけれど、そんなに息切れが続くのは普通ではないと思う。近くのクリニックで一度診てもらった方がいいのではないか」と言われました。 その言葉に背中を押され、私は近所に新しくできたばかりの内科クリニックを受診することにしました。そこなら空いているだろうという軽い気持ちでしたが、その判断がその後の人生を大きく変えることになりました。

クリニックでの血液検査から総合病院へ

クリニックで医師に症状を伝えると、すぐに血液検査を行うことになりました。数日後、検査結果を聞きに行くと、医師の表情は非常に険しいものでした。「血液中のヘモグロビンの値が極端に低くなっています。詳しい原因はここではわかりませんが、もしかしたらがんなどの重い病気が隠れている可能性があります」と言われました。 医師は、地域の総合病院を2か所提示してくれました。私は以前にかかったことがあり、自宅からも近い方の総合病院を選び、紹介状を書いてもらいました。この時はまだ、自分ががんだろうとは思いもせず、どこか他人事のような感覚でいたことを覚えています。 紹介された総合病院では、画像検査やさらに詳細な血液検査が行われました。午前中に受診して検査を終え、午後には結果が出ました。そこで改めてヘモグロビンの数値が異常に低いことを指摘されました。しかし、その病院には常勤の血液内科医がいなかったため、確定診断を下すことができませんでした。医師からは「2週間ほど検査入院をしてください」と告げられ、事態の深刻さをようやく悟り始めました。

血液内科医との偶然の出会いと大学病院への転院

総合病院での検査入院を検討していた際、幸運な出来事が重なりました。その日はたまたま、救急外来の担当として大学病院から派遣されていた血液内科の専門医が病院に来ていたのです。主治医がその先生に私のデータを見せたところ、すぐに反応がありました。 「この数値は、多発性骨髄腫の可能性が高いです。一刻も早く、血液内科がある大学病院やがんセンターへ行ってください」 その医師は、自身が所属している大学病院へ私を紹介してくれることになりました。もしその日にその先生がいなければ、2週間の検査入院を経てからでなければ診断がつかなかったかもしれません。偶然が重なり、すぐに治療が受けられる病院へつながることができました。 大学病院を受診すると、その日のうちに骨髄穿刺などの精密検査が行われました。本来であれば即日入院という状況でしたが、あいにくベッドが空いておらず、一度帰宅することになりました。しかし翌日には病院から連絡があり、「明日から入院できます。今日中に準備をしてきてください」と言われました。こうして私の、がんと向き合う日々が本格的に始まりました。

確定診断と初期治療の開始

検査の結果、私の病名は多発性骨髄腫で、病期はステージ2であることがわかりました。染色体の異常は見つからなかったものの、骨の一部に2か所ほど病変が見つかりました。さらに、私の場合は免疫グロブリンの一種であるIgGの値が10,000 mg/dLを超えており、主治医からも「10年以上血液内科医をしていますが、初期段階でここまで高い数値は初めて見ました」と言われるほどでした。 治療方針としては、まずVRD療法(ボルテゾミブ+レナリドミド+デキサメタゾン)を行うことになりました。全4クールのうち、最初の1クールは入院で行い、残りの3クールは通院で行うという計画でした。 治療が始まると、私は職場への連絡をすぐに行いました。クリニックでの受診時から「がんの可能性がある」とは伝えていましたが、確定診断が下り、入院が必要になった段階で改めて詳しく報告しました。鉄道会社の仕事は泊まり勤務などもあり不規則です。上司からは「治療が一段落するまでしっかりと休むように」と言われ、病気休暇制度と傷病手当金を利用して療養に専念することになりました。

自家造血幹細胞移植とひどい二日酔いのような副作用

初期治療を終えた後の2022年9月、私は自家造血幹細胞移植を受けることになりました。移植前の細胞採取のために8月に1週間ほど入院し、9月に移植を受け10月まで約1か月間入院しました。初期の薬物療法ではそれほど強い副作用は感じなかったのですが、この移植による副作用は想像以上に過酷なものでした。 特に苦しかったのは、連日のように続く激しい下痢と、二日酔いのような強烈な吐き気です。トイレに駆け込むのが間に合わないこともあり、おむつを手放せない日々が続きました。また、何をしていても気持ちが悪く、食べ物のにおいを嗅ぐだけでもつらい状態でした。「毎日がひどい二日酔い」という感覚は、約1か月の入院期間中、私を心身ともに消耗させました。

維持療法と2年後の再発

過酷な移植を乗り越え、退院後はレナリドミドを服用する維持療法に移行しました。この時期になると体調も安定し、副作用もほとんど感じなくなったため、職場復帰を果たすことができました。仕事内容は、体調を考慮して比較的責任の軽いポジションへと配慮してもらいました。駅の階段の上り下りでは相変わらず息切れが残っていましたが、それ以外の面では以前に近い日常生活を取り戻すことができていました。 しかし、多発性骨髄腫という病気は非常にしつこいものでした。維持療法を始めてからちょうど2年が経過しようとしていた2024年10月、定期検査で数値の悪化が見つかり、再発が確認されました。 再発という言葉を聞いたときは、やはりショックでした。しかし、この病気は再発を繰り返しながら、新しい薬をつないでいくものだという覚悟はできていました。主治医と相談し、2024年12月から新しい治療に切り替えることになりました。

現在の治療と「ムーンフェイス」の悩み

現在は、DPd療法(ダラツムマブ+ポマリドミド+デキサメタゾン)を続けています。この治療を始めてから現在で約1年4か月が経過しました。 幸いなことに、新しい治療でも重篤な副作用は出ていませんが、デキサメタゾンの影響による「ムーンフェイス(顔のむくみ)」に悩まされています。鏡を見るたびに顔がパンパンに張っているのを感じ、医師からも「顔がむくんでいるね」と指摘されることもあります。また、相変わらず階段の上り下りでは息切れがしますが、それでも何とか仕事を続けられていることに感謝しています。 多発性骨髄腫の最新治療として注目されているCAR-T細胞療法についても医師と話をしています。現在の通院先にはその設備がないため、将来的に必要になれば別の病院を紹介してもらう予定です。今の主治医は、わからないことがあれば正直に「調べておきます」と言って次回までに必ず回答をくれる、非常に信頼できる先生です。パソコンの画面ばかり見るのではなく、大切な話のときにはしっかりと私の目を見て向き合ってくれる姿勢に、大きな安心感を抱いています。

看護師の妻と娘への告知

がんと診断された際、家族への伝え方は非常に悩ましい問題でした。特に当時中学生だった娘にどう話すべきか、妻と何度も相談しました。 結局、医療知識のある妻から説明してもらうことにしました。「私から話すよりも、母親である妻から話した方が、病気のことを正しく、わかりやすく伝えられるから」という判断でした。私が仕事で不在の折に、妻が娘に病状を伝えてくれました。 後で娘に「母さんから何て聞いた?」と尋ねると、「こういう病気だっていうのは聞いた。死んでしまうとかそういう話はされなかったけど、もしかしたらそういうこともあるかもしれないとは理解している」と落ち着いて答えてくれました。 家で吐いたり寝込んだりする姿をあまり見せていないこともあり、娘はそこまで過度に心配している様子はありません。たまに下痢でトイレに駆け込んだり、調子が悪くて横になったりしている姿を見て、「ああ、今日は具合が悪いんだな」と受け止めてくれているようです。今は高校生になった娘が、元気に学校へ通っている姿を見ることが、私の支えになっています。

死を身近に感じて変わった死生観

がんを経験する前と今とでは、人生に対する考え方が大きく変わりました。以前は「死」というものを遠い未来のことだと考えていましたが、今は常に自分のすぐ隣にあるものとして感じています。 最初にインターネットで調べたとき、多発性骨髄腫の生存期間(中央値)として「3~5年」という数字を目にしました。当時中学生だった娘が成人する姿を見届けることは叶わないかもしれないと、強い不安に襲われました。しかし、主治医から「ステージ2」であることや、新しい薬が次々と登場していることを聞き、「それらをうまくつないでいけば、10年は生きられるのではないか」と希望を持てるようになったのです。 それでも「いつまで生きられるかわからない」という現実に直面したことで、今を大切にしようという思いが強まりました。明日できることを今日やろう、やりたいことは先延ばしにせず今やろう。そう考えるようになりました。私の趣味はプロ野球観戦です。病気になってからは、行けるうちに全国のさまざまな球場へ足を運び、大好きな野球をこの目で見ておきたいので各地を巡ろうと思っています。

娘の自立を見届けるまでは

これからの私の目標は、何よりも娘の成長を見守り続けることです。娘は現在高校生ですが、高校を卒業し、さらにその先の進路へと進み、社会人として自立するまでは、父親として元気でいたいと心から願っています。 「娘が就職するまでは、絶対に元気で働き続けたい」 それが今の私の、最も具体的で強い願いです。私が今こうして治療を続け、仕事を頑張れているのは、娘の未来を少しでも長く見守っていたいという執念のようなものがあるからかもしれません。妻も看護師として私を支えてくれていますが、家族の形が変わってしまうことへの不安を最小限に抑えるためにも、私はこの病気と共に、粘り強く生きていきたいと考えています。

これからがんと向き合う方へのメッセージ

今、がん治療をしている方にお伝えしたいことがあります。 治療の進歩を信じて、共に歩みましょう 突然がんと宣告され、余命や生存率という言葉を耳にすると、目の前が真っ暗になるかもしれません。しかし、現在の医療、特に血液がんの分野は日進月歩で新しい治療薬が次々と登場しています。かつては難しかったことも、今の薬ならうまくコントロールできる可能性があります。希望を捨てず、医療の進歩を信じて一歩ずつ進んでいきましょう。 信頼できる医療スタッフとの関係を大切にしてください 治療を続ける上で、主治医や看護師さんとのコミュニケーションは非常に重要です。わからないことはそのままにせず、遠慮なく質問してください。不安を共有し、納得した上で治療に臨むことが、心の安定にもつながります。一人で抱え込まず、専門家の力を借りながら、自分に合ったペースで病気と向き合っていきましょう。

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