写真はイメージです。(AIによる生成)プロフィール
お名前:夕菜さん(ニックネーム)
年代:50代
性別:女性
家族構成:夫と子ども1人との3人暮らし(子ども1人は独立)
仕事:会社員
がんの種類:多発性骨髄腫
診断時ステージ:不明
診断年:2011年
現在の居住地:兵庫県
※本体験談は、患者さん個人の経験に基づくものです。治療の経過や副作用、生活への影響には、個人差があります。医療的な判断や治療方針の決定の際には、必ず医師・医療従事者にご相談ください。
2011年11月、健康診断で偶然見つかった血液の異常。それが、夕菜さんと多発性骨髄腫との14年半に及ぶ長い付き合いの始まりでした。当時はまだ子どもが小さく、将来への不安や経済的な懸念を抱えながらも、夕菜さんは治療に正面から向き合ってきました。自家移植や妹をドナーとした同種移植、さらには移植後の合併症や大腿骨頭壊死による歩行困難など、相次ぐ困難に直面しながらも、現在は障害者雇用でのテレワークという形で社会復帰を果たしています。これまでの経緯と現在の心境についてお話しいただきました。
健康診断で指摘されたMタンパクの検出
私が自分の病気を知ったきっかけは、2011年11月に受けた健康診断でした。当時は転職して1年ちょっとだったため、その職場で初めて受ける健康診断 で、その転職先が病院の診療所が経営しているデイケア施設でした。そこでは医師が直接採血をして医師会に送るという体制が取られており、一般的な医療機関で行う健康診断とは少し内容が異なっていたようです。
通常は、検査結果に異常があれば「要精密検査」などの記載がありますが、私の場合は検査結果の2枚目の紙に「Mタンパク検出」とはっきりと記されていました。その時点ではがんの告知を受けたという状況ではありませんでしたが、これまで経験したことのない記載に戸惑いました。
当時の勤務先の医師からは詳しい説明がなく、「落ち着いたらもう一度検査したほうがいい」と言われるだけでした。不安を感じた私は、自宅近くの診療所を改めて受診しました。そこでもう一度採血を行ったのですが、総タンパクの数値が異常に高いことがわかりました。
医師からは「Mタンパクが検出されました」と告げられたものの、それ以上の具体的な説明はありませんでした。私は帰宅後、自分で「Mタンパク」という言葉を検索しました。すると、検索結果には多発性骨髄腫という病名が並んでいました。医師から正式に診断名を告げられる前に、インターネットを通じて自分自身で血液のがんである可能性を知ることになったのです。
1年間の経過観察を経て始まった本格的な治療
その後、診療所の医師から、精密検査と治療を検討するために大学病院か市民病院のどちらかを選ぶよう提示されました。私は、血液がんの可能性を考え病院のホームページで移植の実績が豊富であることを確認し、新しく整備されていた市民病院を選びました。
市民病院を受診した際、医師からは「症状がないので、今すぐには治療をせず様子を見ましょう」という方針が示されました。せっかく早く見つかったのになぜ治療をしないのか、私は医師に質問しました。医師からは、「普通に働きに出られて、一人で診察に来られるような一般的な生活ができているうちは、あえて治療をしないのがこの病気の特徴です」という説明を受け、そこから1年間は経過観察の期間となりました。
2012年11月6日、病状の進行に伴い、ようやく自家移植に向けた本格的な治療を開始しました。CyBorD療法(ベルケイドとデキサメタゾンとシクロホスファミド)を、最初の3週間は入院して行いましたが、2回目からは通院治療に切り替えました。2013年1月8日から4回目の投与が始まりましたが、休薬期間中の1月24日から入院し、シクロホスファミドとG-CSF製剤(ノイトロジン)による処置を行い、2月12日と13日に幹細胞を採取しました。
自家移植の不調と妹をドナーとする同種移植の決断
2013年2月25日、自家末梢血幹細胞移植のために改めて入院し、3月1日に移植を実施し、3月21日に退院しました。約1か月間の入院期間中は強い吐き気に悩まされ、何度も戻してしまうほどつらい日々でした。
自家移植が奏効しなかったため、 退院後も薬物療法を行いましたが、十分な効果は得られませんでした。また、副作用で好中球が下がったり、帯状疱疹を発症して再入院するなど、治療の継続が困難な状況に陥りました。このままでは先行きが厳しいという見通しの中で、唯一の希望となったのが同種移植でした。
幸いなことに、妹の白血球の型(HLA)が完全に一致していることがわかっていました。2014年3月に2泊3日の検査入院を行った後、4月15日に同種移植のために入院しました。4月25日に移植を実施し、無事に退院できたのは7月8日のことでした。
家族に対しては、移植後の移植片対宿主病(GVHD)など、厳しい副作用の可能性についての説明もあったようです。私自身は「妹と型が合っているのだから、きっと成功する」という確信を持っていました。幸いにも、懸念されていた重篤なGVHDは皮膚の異常程度にとどまり、内臓に大きな症状が出ることはありませんでした。
繰り返す入院生活と家計への負担
移植自体は成功したものの、その後の免疫力低下による合併症には苦しめられました。退院後の2014年9月には、高熱が続いたため1週間入院しました。さらに12月には髄膜炎を発症し、2か月間の入院を余儀なくされました。
2015年2月に一度退院したものの数日後の受診で再発が判明し、そのまま救急病棟へ緊急入院になり、10月に退院できました。
さらに追い打ちをかけるように、足の付け根に激しい痛みを感じるようになり、2016年には特発性大腿骨頭壊死症のため、両足の関節を人工関節に置き換える手術を2回に分けて受けました。術後しばらくは 杖を使わなければ歩けない体になりましたが、リハビリで回復することができ、今では杖も使わず手すりがなくても階段の上り下りも問題なくできています。 その後も、2018年に菌血症で1か月入院するなど、思い返せば診断から今日まで、計11回もの入院を繰り返してきました。
がん治療に直接関連する入院は5回でしたが、その後の合併症や続発する疾患での入院が多く、精神的にも肉体的にも疲弊しました。そして何より、長期間にわたって高額な医療費がかかり続けたことは、家計にとって非常に大きな圧迫となりました。
働けない期間が続く一方で、積み重なる支払い。医療費助成制度などを活用しながらも、いつまでこの負担が続くのかという不安は、病気そのものと同じくらい重くのしかかりました。それでも極力節約を心がけ、一日一日を必死で 家族とともに乗り越えてきました。
パソコンスキルの習得と障害者雇用での社会復帰
歩行に制限が出たことで身体障害者手帳を取得しました。復帰を待っていてくれた元の職場に戻ることはできなくなりましたが、なんとか他の仕事で社会復帰をしたいと 考えていました。家で過ごす時間が長くなると、働いている友人たちと比較してしまい、取り残されたような気持ちになることがあったからです。
私は心機一転、パソコンを学び直そうと考えました。身体障害者向けのillustratorとPhotoshopの講座 を見つけ、そこでスキルを習得しました。その後、就職活動を始めた時期がちょうど新型コロナウイルスの感染拡大と重なりましたが、それがきっかけでテレワークという働き方が普及し、私にとっては追い風となりました。
ハローワークを通じて現在の会社の求人を見つけ、障害者雇用枠で応募しました。面接では病気の既往についてもすべて正直に伝えました。会社は私の状況を理解し、採用を決めてくれました。現在は、午前10時から午後6時まで、自宅で事務補助の仕事を担当しています。
2018年の菌血症での入院を最後に、現在は入院することなく過ごせています。社会の一員として誰かの役に立っているという実感が、これまでの11回に及ぶ入院生活の苦労を少しずつ癒してくれているように感じます。
命の期限を意識して家族と過ごした大切な時間
告知から14年半。この長い年月を支えてくれたのは家族でした。診断当時、長男は高校1年生、次男は小学6年生でした。母親である私が長期間入院し、体調を崩している姿を見せることは、子どもたちにとっても精神的に大きな負担であったと思います。
特に多感な時期だった次男は、「お母さんがいなくなるかもしれない」という不安から、一時期は激しい反抗期を迎えました。家族関係が殺伐とした時期もありましたが、近所に住む両親の助けも借りながら、なんとか持ちこたえることができました。
私は多発性骨髄腫と診断され長くは生きられないかもと考え、子どもたち一人ひとりとの思い出を作りたいと思いました。長男とは名古屋城へ、次男とは沖縄へ旅行に行きました。自家移植後の退院直後で、まだ吐き気が残っており、ポケットに袋を忍ばせながらの旅でしたが、「今しかできないこと」を優先しました。
現在は2人の息子も社会人となり、穏やかな生活を送っています。病気になったことで、家族全員が「命には限りがあること」を身近に感じるようになりました。高額な医療費や繰り返す入院など、経済的にも苦しい時期が長く続きましたが、それを乗り越えて今日があることを誇りに思っています。
これからがんと向き合う方へのメッセージ
今、がんの告知を受けて不安の中にいる方、そして治療を続けている方へお伝えしたいことがあります。
思いや情報を文字にすることをお勧めします
不安な気持ちや、調べた治療内容、医師への質問事項などは、ぜひメモに残してください。文字にすることで自分の考えが整理され、心が落ち着いてくる効果があります。私自身、常にメモを持って受診していましたが、それが医師との円滑なコミュニケーションを助け、納得感のある治療選択につながりました。
無理にでも笑う時間を作ってください
体調が悪く、気持ちが沈んでいる時こそ、お笑い番組などを見て笑うことを心がけてみてください。ストレスは体に良くありません。意識的に気分を切り替える工夫をすることが、長い治療生活を乗り切るための力になります。
「今、この瞬間」を大切に過ごしてください
将来への不安で頭がいっぱいになることもあると思いますが、まずは「今」に集中してみてください。やりたいと思ったこと、行きたい場所があれば、行けるうちに、やれるうちに実行することをお勧めします。家計の不安や体力の衰えなど、困難はさまざまありますが、一日一日を丁寧に積み重ねていくことが、結果として前を向く力になります。
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