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膵臓がん治療を通して気づいた「がんを治す」ものから「がんといかに生きるか」という視点

[公開日] 2026.05.11[最終更新日] 2026.04.30

写真はイメージです。(AIによる生成)
プロフィール お名前:けいさん(ニックネーム) 年代:50代 性別:女性 家族構成:夫と子ども3人との5人暮らし(子ども1人は独立) 仕事:宗教者 がんの種類:膵臓がん 診断時ステージ:ステージ2A 診断年:2018年 現在の居住地:東京都
※本体験談は、患者さん個人の経験に基づくものです。治療の経過や副作用、生活への影響には、個人差があります。医療的な判断や治療方針の決定の際には、必ず医師・医療従事者にご相談ください。 2018年、宗教者として活動していたけいさんは、それまで経験したことのない体のかゆみに見舞われました。皮膚科での診断に納得できず、自ら願い出た血液検査をきっかけに、ステージ2Aの膵臓がんであることが判明。手術、そして術後補助療法という険しい道のりの中で、けいさんは「がんを治すこと」を目的とする段階から、その先の「いかに生きるか」という問いに向き合うことになります。家族一人ひとりと向き合った告知の経験を経て、現在はがん哲学カフェで活動するけいさんにお話しいただきました。

直感から依頼した血液検査で異常が発覚

私が体の異変を覚えたのは、2018年でした。それまで皮膚疾患とは無縁の人生を送ってきましたが、突然、全身に強いかゆみが出始めたのです。最初に受診した皮膚科では「季節性のもの」と言われ、かかりつけの内科でも「ストレスによるものではないか」という診断でした。しかし、私の中には「これは内臓から来ているものだ」という、根拠のない強い直感がありました。 私は内科の先生に対し、「季節性でもストレスが原因かもしれませんが、とにかく血液検査をしてください」と食い下がりました。血液検査をすれば何かがわかると思ったのです。先生は少し怒ったような様子で、しぶしぶ検査に応じてくれました。しかし、その結果が出ると先生の態度は一変しました。炎症反応が非常に高く出ており、「すぐに大きな病院へ行ってください」と告げられたのです。 実はその前日、趣味で行っていたムエタイのトレーニング中でも異変を感じていました。普段であれば1時間の練習も問題なくこなせるのですが、その日は30分ほどで動けなくなるほどの強い倦怠感に襲われました。今思えば、かゆみとこの激しい疲れやすさが、体が発していた重要なサインだったのです。紹介状を手に、その日のうちに総合病院を受診した私は、そのまま帰宅を許されず緊急入院となりました。

総合病院での緊急入院と膵臓がんの告知

入院した総合病院は、数年前に胆のうの摘出手術でお世話になった病院でした。当初は、胆管に胆石が詰まったことによる炎症が疑われていました。しかし、CTや超音波(エコー)検査を重ねるうちに、事態がより深刻であることがわかってきました。医師からは「1日で帰れるような状況ではない」と言われ、そこから3日間入院で精密検査が始まりました。 膵臓に病変が認められたため、超音波内視鏡検査を行いました。検査の結果、膵頭部に「顔つきの良くない腫瘍」があることがわかりました。しかし、内視鏡でがん細胞を直接採取して調べることはしませんでした。組織を傷つけることで、がん細胞が周囲に飛び散ってしまう可能性があるという説明でした。 告知を受けたのは、入院から3日後の金曜日でした。ドラマにあるような重々しい小部屋ではなく、ナースステーションの端にあるカウンターのような場所でした。医師と私、そして駆けつけた夫の3人で椅子に座り、画像を見ながら説明を受けました。「こんなに重大な話を、こんなオープンな場所でするのか」と驚いたことを覚えています。そこで、「おそらく膵臓がんです」と告げられました。

救われた「あなたのせいではない」という医師の言葉

膵臓がんであると告げられた際、医師が真っ先に口にした言葉が、私のその後の闘病生活を大きく支えてくれました。医師は「これは、あなたが何をしたからとか、何を食べたからといった原因でなったものではありません。あなたのせいではないのです」とはっきり言ってくれたのです。 この言葉のおかげで、私は「なぜがんになってしまったのか」という原因探しに無駄なエネルギーを費やす必要がなくなりました。もし自分を責めていたら、治療に向かう気力が削がれていたかもしれません。医師の言葉を信じ、私は最短で最善の治療を受けることだけに意識を集中させることができました。 医師からは「今ならまだ手術ができます。早いうちに切ってしまいましょう」と説明を受けました。膵臓がんは、発見された時点で手術ができないケースも多いという知識は後から得ましたが、当時の私は「手術ができるなら大丈夫なのだ」と、希望を見出すことができました。セカンドオピニオンという選択肢も提示されましたが、私の体調は急激に悪化し、発熱や倦怠感で他の病院を回る余力はありませんでした。何より、目の前の医師の姿勢を信頼できたため、そのままその病院で手術を受けることを決断しました。

膵頭十二指腸切除術と術後補助療法

手術までの間、詰まりかけていた胆管にステントを留置する処置を受け、一時的に帰宅しました。ゴールデンウィーク期間中、病院の体制が手薄になることを避けるため、手術は連休明けに行われることになりました。2018年の5月、私は再び入院し、膵頭十二指腸切除術を受けました。膵頭部、十二指腸、そして胃の一部を切り取り、再建するという長時間の大手術でした。 手術は無事に成功し、術後の病理診断の結果、ステージは2Aであることが確定しました。退院後は、再発を防ぐための術後補助化学療法として、TS-1という抗がん剤を半年間服用することになりました。服用中、副作用として目の眩しさや涙目といった症状が出ましたが、日常生活が送れないほどではありませんでした。 しかし、服用の終わりが見えてきた残り1週間のところで、私は猛烈な息切れと精神的な限界を感じてしまいました。ゴールが目前になったことで、それまで張り詰めていた糸が切れてしまったのかもしれません。医師に相談したところ、「あと1週間なら、もうやめても大丈夫です」と言っていただき、そこで抗がん剤治療を終了しました。最後までやりきれなかったという後悔は、その後しばらくの間、「これが原因で再発したらどうしよう」という不安となって私を苦しめることになりました。

TS-1服用中止への葛藤と現在も続く後遺症との向き合い方

抗がん剤を途中でやめたことに対する葛藤は、想像以上に長く続きました。再発の不安に怯え、自分を責める日々もありました。しかし、月日が経つにつれて、自分にできる限りのことはしたのだと受け入れられるようになりました。現在も3か月ごとに通院し、腫瘍マーカーの確認や1年ごとの画像検査を続けていますが、幸いなことに8年が経過した現在も再発は認められていません。 一方で、手術の後遺症とは今も向き合い続けています。膵頭部、十二指腸、胃の一部を摘出・再建したため、術後は消化不良や激しい下痢、ガスが溜まることによる不快感に悩まされました。これは生活の質に直結する大きなストレスでした。医師からは「消化の良いものを食べ、脂っこいものは避けるように」と指導を受けましたが、何を食べれば自分の体がどう反応するかは、自分自身で試行錯誤するしかありませんでした。 現在も消化を助ける薬を欠かさず服用しています。以前のように活発に運動をすることは難しくなりましたが、自分の体の限界を知り、折り合いをつけながら生活しています。がんは「治って終わり」ではなく、その後の体の変化と共に生きていくものなのだと、身をもって実感しています。

「治る・治らない」を超えて、いかに生きるかという視点

がんになってからの数年間、私の最大の目的は「死なないこと」でした。生き延びるためにどうすればよいか、そればかりに必死になっていました。しかし、治療を続ける中で、友人や周囲の人たち、そして緩和ケアの先生との対話を通じて、私の視点は少しずつ変化していきました。 緩和ケアの先生は私に、「がんは治っても治らなくても、人生は続くものですよ」と教えてくれました。治療をしてがんを体から排除することだけが目的ではなく、たとえがんと共にあっても、どのように毎日を過ごしていきたいのか、どのように生きたいのかという問いの方が大切なのではないか、という気づきをいただきました。 それまでの私は、がんを「排除すべき敵」として捉えていましたが、必ずしもそうである必要はないと思えるようになりました。体の中にがんがあっても、それが暴れずに共存できているのであれば、それはひとつの生き方です。この視点の転換は、私の心を大きく救ってくれました。がんを治すことだけに固執するのではなく、今与えられているこの時間をいかに豊かに生きるか。それが、私にとっての真の「回復」であったと感じています。

ICUで気づいた「心の自由」と家族への伝え方

手術後、ICU(集中治療室)で過ごした時間は、私に「自由」の本当の意味を教えてくれました。体中に管が繋がれ、物理的に身動きができない不自由な状態でしたが、ふとした瞬間に「体はつながれていても、私の心はどこにもつながれていない。何を考えるのも、何を思うのも私の自由だ」と気づいたのです。 たとえ体が不自由であっても、心だけは誰にも縛られない。そう気づいたとき、私は周囲の人への感謝、そして今生きていることへの喜びを見出していこうと決めました。苦しみの中にだけ留まるのではなく、自分の意志で光の方を向くことができる。その気づきは、私にとって大きな希望となりました。 また、子どもたちにがんのことをどう伝えるかについても深く悩みました。当時、長男はカナダへ留学した直後で、娘たちはそれぞれ3歳、中学入学、高校入学という人生の節目を迎えていました。私は子どもたち一人ひとりと個別に向き合い、話をすることにしました。留学中の長男には、ホストファミリーである私の友人を通じて、1か月後に伝えました。娘たちには「ママはがんを治すために手術を受けるけれど、あなたたちの本分は学生として毎日学校へ行き、自分の生活を続けること。それがママへの一番の助けになる」と伝えました。子どもたちが自分たちの人生を止めることなく進んでくれることが、私にとっても最大の支えとなりました。

がん哲学カフェ活動での恩返しと現在

がんを経験し、一度は失いかけた健康を取り戻したことで、私の中に「受け取った親切や恩をがんに関わることで返したい」という思いが芽生えました。当初、患者会に足を運んだこともありましたが、そこにはステージや手術の可否によって「カースト制度」のような見えない階級があるように感じ、居心地の悪さを覚えたこともありました。 そんな時、病気の有無に関わらず、人間として対等に語り合える「がん哲学カフェ」に出会いました。そこでは、答えのない問いを共に考え、病気を通して人生を豊かに捉え直そうとする人たちがいました。私はそこで救われ、自分でもがん哲学カフェで活動することにしました。 現在は、宗教者としてのバックグラウンドを生かし、スピリチュアルケアの学びを深め、その活動に従事しています。がんという病気は、私から多くのものを奪いましたが、同時に「がんは治しておわりではない」や「その後、いかに生きるか」という気づきを与えてくれました。病気であってもなくても、自分らしく生きるとはどういうことか。これからも多くの方との対話を通じて、共に考えていきたいと思っています。

これからがんと向き合う方へのメッセージ

今、がん治療をしている方にお伝えしたいことがあります。 医療者や周囲の人との対話を大切にしてください がんは、一人で抱え込んで治療できる病気ではありません。医師や看護師、家族、友人との対話が不可欠です。先生が忙しくて話せない場合は、他のスタッフや相談窓口、信頼できる友人に頼ってください。対話を通じて自分の気持ちを整理することが、治療に向かう力になります。 あなた自身の「患者力」を育ててください 医師にすべてをお任せするのではなく、「自分がどうしたいか」「どのような選択をしたいか」という意志を持つことが重要です。納得して治療を選択するための知識を蓄え、自分の生き方を自分で決める力を育ててください。それは、治療を乗り越える上での大きな自信につながります。 孤独にならず、誰かとつながれる場所を見つけてください がんの治療は孤独を感じやすいものですが、決して一人ではありません。がん哲学カフェや相談窓口など、病気の有無に関わらず自分を認めてくれる場所やつながりを見つけてください。心が誰かとつながっていると感じられることが、何よりの薬になります。
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