写真はイメージです。(AIによる生成)プロフィール
お名前:びんさん(ニックネーム)
年代:50代
性別:女性
家族構成:夫との2人暮らし
仕事:派遣で就業中
がんの種類:濾胞性リンパ腫
(一部びまん性大細胞型B細胞性リンパ腫へ移行)
診断時ステージ:ステージ4
診断年:2018年
現在の居住地:京都府
※本体験談は、患者さん個人の経験に基づくものです。治療の経過や副作用、生活への影響には、個人差があります。医療的な判断や治療方針の決定の際には、必ず医師・医療従事者にご相談ください。
2018年、当時派遣社員として働いていたびんさんは、自宅でくつろいでいる際に腹部の違和感に気づきました。それが、後にステージ4の濾胞性リンパ腫という診断につながる日々の始まりでした。一度は治療方針が決まりながらも、入院当日に治療内容の変更を余儀なくされるなど、多くの葛藤を経験。それでも、仕事やSNSなどを通じて社会とのつながりを維持し、前向きに病と向き合ってきたびんさんにお話しいただきました。
腹部の違和感から始まった精密検査
2018年の初夏のことでした。自宅でソファに寝転がっていたとき、何げなく自分の胸の下あたりに手が触れました。すると、その部分が少し盛り上がっているような感覚を覚えたのです。しこりというほど硬くはありませんでしたが、触ってみるとゼリーのような、どこかぶよぶよとした不思議な感触がありました。
私は以前から自律神経の乱れによる高血圧の症状があり、地域の総合病院の内科に10年以上通院していました。当時は特に体調が悪かったわけではなく、いつものようにお薬をもらいに行くついでに、その違和感を先生に相談しました。直前に便秘の症状があったため、先生は「念のためCTを撮りましょうか」と提案してくれました。
そのCT検査の結果、医師の表情が非常に険しくなったのを今でも鮮明に覚えています。「すぐに大きな病院へ行ってください」と言われ、その場で紹介状を渡されました。この時点では具体的な病名は伝えられませんでしたが、ただならぬ事態が自分の体で起きていることだけは理解できました。
確定診断までの1か月と開腹手術による生検
紹介された別の総合病院では、まず婦人科と消化器科で検査を受けました。MRIやCTの画像を見た医師からは、「体全体にがんが広がっている。どこかからの転移という形ではなく、この広がり方は悪性リンパ腫ではないか」という所見を伝えられました。
しかし、その病院には血液内科がなかったため、さらにがん診療連携拠点病院を紹介されることになりました。血液検査やPET検査に加え、骨髄穿刺も受け、悪性リンパ腫と診断されました。
身体的にも負担が大きかった検査は、病理診断のための生検でした。私の場合、お腹の深い部分にある病変を採取する必要がありました。内視鏡を使って内部から採取できないか検討されましたが、病変が動脈に近い場所にあったため、最終的には全身麻酔をかけ、2時間ほどかけて開腹手術を行い、組織の一部を採取することになりました。悪性リンパ腫は手術ですべてを取り切る性質のものではないため、あくまで診断を確定させるための検査でしたが、体へのダメージは大きなものでした。
ステージ4の告知と急な治療方針の変更
検査の結果、下された診断は濾胞性リンパ腫のステージ4でした。濾胞性リンパ腫と確定診断されるまで、約1か月間かかりました。骨髄や他の臓器にも浸潤しており、体中にがんが広がっている状態でした。しかし、最初の担当医だった先生からは「濾胞性リンパ腫は抗がん剤が効きやすい病気であり、ステージ4という数字だけで悲観する必要はなく、重要なのは病型や抗がん剤への反応である」と説明を受けました。濾胞性リンパ腫は年単位でゆっくり進行するタイプであるため、治療も比較的穏やかに進められるという説明でした。そのため、脱毛の副作用がないタイプの治療法を提案されていました。
ところが、入院当日になって状況が急変しました。詳細な検査結果により、一部の細胞がびまん性大細胞型B細胞性リンパ腫という、進行の早いタイプに移行する形質転換を起こしていることがわかったのです。
主治医からは、当初予定していた脱毛の少ない治療法ではなく、より強力なR-CHOP療法(全8クール)に変更すると告げられました。「髪の毛は全部抜けます。入院期間も長くなるかもしれません」という言葉を淡々と投げかけられ、脱毛そのもの以上に、家族や周囲に病気が知られることへの不安が大きく、治療方針の変更は精神的に非常に大きなショックを受けました。治療法が変わること自体は受け入れられましたが、なぜ入院当日のこのタイミングなのか、もっと早く教えてほしかったという不信感と、心の準備ができないまま脱毛という現実を突きつけられたつらさで、当時は先生に対して強い憤りを感じました。
心配させたくない、高齢の母に隠し通した病状
私は、自分自身の病状について周囲に詳しく明かさないという選択をしました。特に、高齢の母には、余計な心配をかけたくないという思いが強くありました。そのため、入院中も母には病名を伏せ続けました。
この隠し通すという決断は、病院生活において独特の緊張感をもたらしました。例えば、病院のトイレには「抗がん剤を投与している方は、影響を考慮して数回流してください」という注意書きが貼ってあります。母が見舞いに来た際、その貼り紙を見て「なぜ数回も流す必要があるのか」と勘ぐられないか、常にハラハラしていました。また、病院内の掲示板にある「がん拠点病院」や「血液内科」といった文字も、母の目に触れないよう細心の注意を払いました。
この計画には、私の姉が全面的に協力してくれました。姉は母が一人で見舞いに来ないよう付き添い役を引き受けてくれました。さらに、看護師さんにお願いして、病院の電子カルテの備考欄に「母には絶対に病名を言わないでください」と記載してもらうよう徹底しました。医療スタッフの方々もこの事情を汲み取ってくださり、非常に気を遣ってくださいました。
医師との相性と信頼関係の大切さ
治療を進める中で、医師とのコミュニケーションも大きな課題となりました。最初の担当医だった先生は非常に優秀な研究者タイプでしたが、患者への説明や情緒的なフォローが不足していると感じる場面が多くありました。治療方針の急な変更をめぐる不信感もあり、最終的には病院側の配慮で、血液内科の部長である先生に主治医が交代することになりました。
新しく担当となった先生は非常にポジティブで、私の不安に寄り添ってくださる方でした。例えば、私が仕事の継続を相談した際、前の先生は「治療上、仕事を続けることは難しいと思う」と否定的でしたが、新しく担当になった先生は「行けるところまで行ってみたらいいんじゃない? しんどくなったらその時に考えようよ」と言って、診断書も快く書いてくれました。
この経験から、医師との相性がどれほど重要かを痛感しました。患者の立場を尊重し、共感してくれる医師の存在は、治療を続ける上での大きなモチベーションになります。この先生との出会いによって、私はようやく納得して前向きに治療に向き合えるようになりました。
派遣社員としての意地と社会とのつながり
治療中、私は派遣社員としての仕事を可能な限り継続しました。私にとって働くことは、単なる収入源の確保以上の意味がありました。社会から必要とされている、誰かの役に立っていると感じられる時間は、自分ががん患者であることを忘れさせてくれる貴重な時間でした。
入院のために一時的に中断せざるを得なかった仕事もありましたが、職場の仲間の手厚いフォローもあり、退院後には元の現場に戻ることができました。50歳を過ぎてからの再雇用は決して容易ではないという現実もありましたが、それ以上に「以前と変わらない日常を維持したい」という強い意志がありました。
仕事に集中している間は、規則正しい生活リズムが生まれます。副作用で体がしんどい時もありましたが、仕事があることが治療の励みになり、精神的な余裕を与えてくれたと感じています。その後7年間もその仕事を勤め上げることができたのは、私にとって大きな自信となりました。
オンライン相談サービスとSNSが支えてくれた孤独な時間
入院中や治療中はインターネットで情報収集をしていました。抗がん剤治療が終わったころに、SNSを活用するようになりました。家族や友人には言えない、がん患者特有の孤独感や不安を解消してくれたのは、専門のサポートサービスやSNSでした。私は、オンラインで看護師さんと患者がつながれるサービスのモニターに参加しました。
主治医や看護師さんには、診察時間の短さを気にしてなかなか聞きづらい些細な悩みや、家族には心配をかけたくなくて飲み込んでしまう心理的な不安があります。そうした思いを、専門知識を持った看護師さんにチャット形式で吐き出せることは、大きな救いとなりました。一対一で話を聴いてもらえることで、自分一人で抱え込んでいた重荷が軽くなるのを感じました。
また、治療が一段落してからはSNSで同じ病気の方々とつながるようになりました。「しびれの副作用が続いているけれど、どう対処しているか」といった具体的な情報交換は、医学書には載っていない生きた情報となりました。同じ立場の人たちが頑張っている姿を見ることは、再発への不安を抱えながら生きる私にとって、何よりの励みになりました。
副作用との共生と日々のリフレッシュ
診断から8年弱、治療終了から約7年が経ちますが、抗がん剤の副作用である手足のしびれは今も完全には消えていません。事務職としてキーボードを叩く指先の感覚が鈍かったり、階段を降りる際に足元に不安を感じたりすることもあります。しかし、これは「生きるために必要だった代償」として受け入れています。
現在は、病気になる前と変わらない楽しみを大切に過ごしています。特に、神社巡りや野球観戦は私の大切なリフレッシュ方法です。神社を訪れて静かに手を合わせる時間は、心の整理をつける大切なひとときです。また、球場へ足を運んで野球観戦に熱中する時間は、病気のことを完全に忘れさせてくれます。
今も定期検査の前には、「いつか再発するのではないか」という不安に襲われることがあります。先生からは「もう検査の頻度を下げてもいい」と言われましたが、私は自分の安心のために、あえて今の頻度で検査を続けてほしいとお願いしています。自分の体の主導権を自分で握り、納得できる形で毎日を過ごしていくことが、私なりの「がんと共に生きる道」だと思っています。
これからがんと向き合う方へのメッセージ
今、がん治療をしている方にお伝えしたいことがあります。
医療従事者との対話を大切にしてください
主治医や看護師さん、薬剤師さんに対して、どんなに小さな不安や要望でも言葉にして伝えてみてください。自分の状況や気持ちを自分から発信することで、先生との相性がわかったり、治療のヒントをもらえたりすることがあります。遠慮せずに、自分からきっかけを作ることが大切です。
今の自分にできる範囲で、楽しみを継続してください
病気になったからといって、全ての趣味や仕事を諦める必要はありません。神社巡りやスポーツ観戦など、自分が心から楽しめる時間を少しでも持つことが、再発の不安を和らげ、生きる意欲につながります。
記録を残し、支え合える場所を見つけてください
日々の体調の変化や気持ちを記録しておくことは、診察時にも役立ちます。また、家族には言えない悩みを相談できるSNSや専門のサポートサービスを活用してみてください。「自分一人ではない」と思える場所を持つことが、闘病生活を支える大きな力になります。
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