写真はイメージです。(AIによる生成)プロフィール
お名前:中野玲(ニックネーム)
年代:20代
性別:男性
家族構成:両親と3人暮らし
仕事:会社員(現在休職中)
がんの種類:上衣腫(脳腫瘍)、舌がん
診断時グレード/ステージ:不明(脳腫瘍)、ステージ2(舌がん)
診断年:2013年(脳腫瘍)、2022年(舌がん)
現在の居住地:東京都
※本体験談は、患者さん個人の経験に基づくものです。治療の経過や副作用、生活への影響には、個人差があります。医療的な判断や治療方針の決定の際には、必ず医師・医療従事者にご相談ください。
中野玲さんは、中学1年生のときに脳腫瘍を、22歳のときに舌がんを経験しました。度重なる再発という困難に直面しながらも、自らの経験をSNSで発信し、同じAYA世代の患者たちを勇気づける活動を続けています。2度の病を経て、どのように心境が変化し、現在の活動に至ったのか。これまでの歩みについてお話しいただきました。
中学1年生で直面した最初の異変
私が最初に体の異変を感じたのは、2013年、中学1年生のときでした。最初は、朝起きようとしても体が重く、ひどい吐き気を感じるようになりました。朝食を食べてもすぐに吐いてしまうような状態が1か月ほど続き、明らかにおかしいと感じて近所の病院を受診しました。そこで詳しい検査が必要だと言われ、紹介された大学病院で精査した結果、脳腫瘍の一種である上衣腫であることがわかりました。
当時は、病気について深く理解していたわけではありませんでしたが、大きな病気であることは理解できました。治療は、腫瘍を摘出する手術と、その後の放射線治療という方針が決まりました。最初の手術では腫瘍を完全に取り切ることができず、翌年にもう一度手術を行いました。幸いにも2度目の手術で、一応の寛解に至りました。
中高一貫校に入学した1学期に、病気のために学校を欠席しなければならなくなったため、新しい環境で友人関係が築けるか不安もありました。しかし、病気の自分と偏見なく仲良くしてくれたことが大きな救いになりました。その後、夏休みなどの長期休暇を充てて入院や治療を行ったことで、出席日数が不足することもなく、学業に大きな遅れは出ませんでした。進級も問題なくでき、定期的な経過観察を続けながら再発することなく5年以上が経過しました。脳腫瘍については、このまま完治するものだと思って過ごしていました。
22歳、就職を控えた時期の舌がん宣告
平穏な日々が変わったのは、2022年のことです。当時、私は大学4年生で、就職内定も決まり、社会人としての新しい生活を楽しみにしていた時期でした。舌の右側の側面に口内炎のようなものができ、2週間経っても治らなかったため、少し不安を感じていました。ちょうどそのタイミングで、定期検診のために歯科医院を訪れました。そこで歯科医師から「これは普通の口内炎ではない」と指摘を受け、すぐに大きな病院での精密検査を勧められたのです。
紹介された大学病院で生検や画像検査を受けた結果、告げられたのは舌がんという診断でした。ステージは2でした。脳腫瘍を経験していたとはいえ、22歳という若さで再びがんになるとは夢にも思っていませんでした。最初は現実感が全くなく、まるで他人の話を聞いているかのような感覚でした。なぜ自分が、タバコも吸わないのに、またがんなのか。やり場のない思いがありましたが、進行を抑えるために早急な手術が必要だという医師の言葉に従うしかありませんでした。
最初の手術では、舌の1/4程度を部分切除しました。手術前、医師からは「1/4程度の切除であれば、発声や食事への影響はそれほど大きくない」と言われていました。実際に手術後の回復は順調で、以前とほとんど変わらない状態で話をすることができました。就職先の人事担当者にも病状を正直に伝えましたが、会社側は非常に理解があり、全面的に応援してくれることになりました。こうして私は、治療を続けながら社会人としての第一歩を踏み出すことができました。
1年半後の再発で失われた「言葉」
社会人として働き始めてからも1か月ごとに通院し、経過観察を続けていました。しかし、2024年6月ごろの検査で、舌がんの再発が判明しました。最初の手術から約1年半が経過したときのことでした。再発した場所を切除するためには、今度は舌の半分を切り取らなければならないと言われました。
舌を半分失うということは、以前のように流暢に話すことが困難になることを意味します。医師からは「完全に前と同じように喋ることは難しい」と告げられました。これから社会人としてキャリアを積んでいこうという時期に、言葉を失うかもしれないという不安は、最初のがん宣告のときよりも重くのしかかりました。
2度目の手術は2024年7月に行われました。舌の半分を切除し、お腹などから組織を持ってきて移植する「再建手術」も同時に行いました。さらに、再発を抑えるために放射線治療とシスプラチンによる化学療法をセットで行うことになりました。この治療のため、会社には約半年間の休職を届け出ました。抗がん剤治療では腎機能の低下、強い倦怠感を感じました。放射線治療では、一時的に味覚を失ったほか、口内の激しい乾燥、飲み込みづらさなどもありました。
手術後、リハビリを重ねましたが、やはり以前のような発声はできなくなりました。自分の声がうまく伝わらないもどかしさ、そして周囲の視線。精神的に一番きつかったのは、この時期だったかもしれません。しかし、職場の方々は私の復職を待っていてくれました。業務の引き継ぎもスムーズに進めてもらい、サポート体制が整っていたことが心の救いでした。
度重なる転移再発、攻めの治療への決断
2025年3月、左の鎖骨付近のリンパ節と、鼻の奥に転移が見つかりました。局所再発ではなく、転移という事実に、私は大きな衝撃を受けました。しかし、医師からは「まだ若いので、体力が残っているうちに徹底的に叩こう」と、非常に積極的な治療の提案がありました。
鎖骨付近のリンパ節に対しては、放射線治療を行うことになりました。放射線治療により、首周りの皮膚が硬くなり、動かしにくくなるなどの後遺症が出ました。鼻の奥の転移に対しては、手術ができず放射線も届きにくい部位だったため、抗がん剤療法による治療を行うことになりました。
ところが、そのわずか3か月後の2025年6月、今度は耳の下あたりにある耳下腺付近に新たな腫瘍が見つかりました。短期間でこれほどまでに再発を繰り返すと、もはや「なぜ自分だけが」という問いには意味がないと感じるようになりました。私は覚悟を決め、再び手術と放射線、抗がん剤治療に臨みました。
これまでの抗がん剤では劇的な効果が見られなかったため、2026年3月からは免疫チェックポイント阻害薬による治療を開始しています。副作用を確認するために仕事を休職していますが、今のところ目立った副作用はなく、体調は落ち着いています。
AYA世代の患者として、自分にできること
舌がんと診断されてから4年間で私の人生は大きく変わりました。しかし、絶望の淵に立たされる中で、少しずつ心境の変化が生まれました。「納得できない」「どうして自分が」と悩み続けても状況は変わりません。であれば、この経験を何かに活かせないか。そう考えるようになったのです。
2025年10月ごろから、私はSNSでの情報発信を始めました。きっかけは、患者会に参加したときの孤独感でした。がんの患者会に行くと、どうしても年配の方が多く、20代の患者は私一人だけということも珍しくありませんでした。周囲は家族の話や、すでにリタイアした後の生活の話ばかり。就職、恋愛、結婚といった、20代ならではの悩みや不安を共有できる相手がどこにもいなかったのです。
「同じ世代でがんになった人は、きっと私と同じように孤独を感じているはずだ」
そう思い、私は自分の体験をオープンにすることにしました。希少ながんの経験、20代で言葉を失いかけた葛藤、それでも前向きに治療に取り組む日常。これらを発信することで、誰かの役に立てるかもしれない。また、自分自身の頑張りを誰かに認めてもらいたいという思いもありました。
現在は、SNSを通じて同じAYA世代の患者さんとつながり、情報の共有やメンタル面のサポートができるようなコミュニティを作りたいと考えています。ITに馴染みのある私たちの世代だからこそ、オンラインを活用して全国、全世界の仲間と手を取り合えるはずです。
闘病経験を「人生の武器」に変えていく
がんになったことで、諦めなければならないこともありました。しかし、がんは私に新しい視点も与えてくれました。現在は、がん検診の重要性や、早期発見の大切さを伝える啓発活動にも関心を持っています。私の場合は歯科医院での定期検診がきっかけで舌がんが見つかりました。こうした「当たり前の習慣」が、いかに命を救うかをもっと多くの人に知ってほしいのです。
また、今後は地方自治体などとも連携し、若年層のがん患者が孤立しないような仕組み作りにも貢献したいと考えています。がんは高齢者だけの病気ではありません。若くしてがんを経験したからこそ、伝えられるメッセージがあると信じています。
個人的な目標としては、体調が完全に落ち着いたら、前から関心のあったアウトドアの趣味を再開したいです。キャンプに行ったり、各地を旅行したりと、外に出て体を動かす楽しみを味わいたい。そんな未来を思い描きながら、今の治療に向き合っています。
がんと共に生きることは、決して楽なことではありません。しかし、病気になったことは私の人生の終わりではありませんでした。むしろ、この過酷な経験をどう「武器」にしていくか。それを考え、実行していくことが、今の私の生きがいです。
これからがんと向き合う方へのメッセージ
今、がん治療をしている方、その周囲の方にお伝えしたいことがあります。
今の経験は必ず人生の武器になります
今、出口が見えない暗闇の中にいるように感じているかもしれません。しかし、この闘病という経験は、いつか必ずあなた自身の「武器」になります。他の誰にも真似できない、あなただけの強靭な経験値として、これからの人生を支えてくれるはずです。決して諦めず、その経験がプラスに変わる日を信じてほしいと思います。
がん患者の存在を忘れずにいてください
がん患者にとって一番嬉しいのは、自分の存在を忘れずに、こまめに気にかけてもらえることです。「大丈夫?」という言葉もありがたいですが、普段通りの連絡をくれたり、一人の人間として接し続けてくれたりすることが、何よりの支えになります。もし周りに闘病中の方がいたら、特別なことをしようと構えず、その存在を大切に思い続けてあげてください。