写真はイメージです。(AIによる生成)プロフィール
お名前:たつきちさん(ニックネーム)
年代:50代
性別:女性
家族構成:夫と娘との3人暮らし
仕事:パート勤務
がんの種類:乳がん
診断時ステージ:ステージ0
診断年:2018年
現在の居住地:愛知県
※本体験談は、患者さん個人の経験に基づくものです。治療の経過や副作用、生活への影響には、個人差があります。医療的な判断や治療方針の決定の際には、必ず医師・医療従事者にご相談ください。
2018年10月、たつきちさんは健康診断で乳がんの疑いを指摘されました。精密検査の結果、ステージ0の非浸潤性乳管がんと診断されました。たつきちさんは乳房の全摘手術を選択し、一度は治療を終えます。しかし、3年後、骨への転移が判明しました。早期発見でありながら再発という現実に直面し、たつきちさんは自身の治療方針や主治医選びについて深く向き合うことになります。セカンドオピニオンを経て、がんセンターでの新たな治療を開始。薬剤耐性による薬の変更や肝転移といった困難を乗り越えながらも、パート勤務や家事をこなす日常を維持しています。娘さんの成長を支えに、どのようにがんと共に生きてきたかをお話しいただきました。
検診で見つかったステージ0の乳がん
私が乳がんと診断されたきっかけは、2018年10月に受けた乳がん検診でした。夫が勤める会社の扶養者向け健康診断の一環として、毎年欠かさずマンモグラフィを受けていたのです。それまでは特に問題がなかったのですが、この時の検査結果には「乳腺異常」と記されており、精密検査が必要という判定でした。
すぐに自分で乳腺クリニックを探して受診しました。そのクリニックでは超音波(エコー)検査と再度マンモグラフィを行い、さらに組織の一部を採取して調べる組織診を受けました。検査の結果は、その場ですぐに告げられました。医師からは、「おそらく乳がんです。がん細胞は乳管の中から出ていない状態だから、手術で取ってしまえば大丈夫でしょう」という説明を受け、比較的落ち着いて話を聞くことができました。しかし、そこから私の長い治療の道のりが始まることになりました。
全摘手術の選択と再建を見送った理由
クリニックでの診断後、私は県内にある規模の大きな大学病院を紹介されました。紹介先の大学病院を受診した際、手術の方法として温存手術と全摘手術の2つの選択肢を提示されました。ステージ0であれば温存手術も可能でしたが、当時の私の心境は「再発の不安を少しでも減らしたい」という思いが何よりも勝っていました。
もし少しでもがん細胞が残ってしまったら、また同じような不安を抱えることになる。そう考えた私は、迷わずに全摘手術を選択しました。医師からは乳房再建についても詳しく説明を受けました。形成外科の医師にも、同時再建や後からの再建についての話を聞きましたが、私は最終的に再建を行わないことに決めました。
再建をすると手術時間が長くなることや、その後も何度も検査や処置のために通院しなければならないことが、当時の私には負担に感じられたのです。まずはすっきりとがんを取り除いてしまいたいという一心でした。2018年のうちに手術を終え、非浸潤がんだったことが確認され、そのまま経過観察に入ることになりました。
ホルモン療法を行わなかったことへの後悔
2018年の診断当初は非浸潤がん(ステージ0)と言われていましたが、手術後の病理検査の結果、1mmの浸潤が認められ、術後にはステージ1のホルモン受容体陽性のルミナルAというサブタイプであることがわかりました。
再発予防のためのホルモン療法について当時の主治医からは、「1mm程度の浸潤で再発する確率はかなり低いので、積極的にホルモン治療を行わなくてもいいと思います。副作用で生活の質(QOL)が下がるリスクもあるため、今回は無治療でいいでしょう」との説明を受けました。
私はその言葉を信じ、体に負担がかからないのであればその方が良いだろうと納得していました。しかし、今振り返ればこの時の判断が、後々の大きな後悔につながることになります。主治医とのコミュニケーション自体は良好でしたが、他の医師の意見を聞くセカンドオピニオンという選択肢を、当時の私は思いつくことができませんでした。
「もしあの時、副作用を恐れずにホルモン療法をしていたら、3年後の再発は防げたのではないか」。そんな思いが、後になって何度も頭をよぎりました。主治医の判断も正解だったのかもしれませんが、自分でもっと情報を集め、複数の専門医の意見を聞いておくべきだったと痛感した出来事でした。
3年後に判明した骨転移を機に受けたセカンドオピニオン
手術から3年が経過した2021年7月、定期検査の中で事態は一変しました。画像検査の結果、骨への転移が認められたのです。ステージ0で全摘手術まで行い、完治できたと思っていた私にとって、この知らせは最初の告知以上のショックでした。命に直結する不安が押し寄せ、ネットで情報を検索しては、ネガティブな情報ばかり目につき、感情のコントロールができなくなる日々が続きました。
再発後の治療方針を話し合う際、大学病院の主治医からはホルモン療法の提案がありました。しかし、最初の治療方針への後悔があった私は、今度こそ納得できる治療を受けたいと考え、妹の勧めもあってがんセンターでのセカンドオピニオンを希望しました。妹も他のがんの経験者であり、がんセンターの専門性の高さを知っていたからです。
がんセンターの医師は、大学病院の医師とは全く異なる姿勢で私に接してくれました。いくつかの治療候補を提示した上で、「何を選び、何を大事にするのかを決めるのはあなた自身です」と、私に選択の権利をゆだねてくれたのです。最新の治療法や治験の情報も提供してくれ、アグレッシブでありながらも患者の意思を尊重するその姿勢に、私は転院を決意しました。
治験参加から始まった薬剤変更
がんセンターに転院後、私はまず新しい経口ホルモン剤の治験に参加することにしました。新しく担当となった主治医から「たつきちさんが参加できる治験があります」と提案され、私自身も「今できる最善を尽くしたい」という思いで参加を決めました。その後、治験自体が途中で終了となりましたが、この期間があったことで、自分の治療に対して主体的になる感覚を持てるようになりました。
治験終了後は、標準治療であるホルモン剤の投与に切り替わりました。しかし、がんの勢いを完全に抑え込むことは難しく、約10か月後には腫瘍マーカーの上昇が見られたため、次の薬剤に変更になりました。そこからは、ホルモン剤+CDK4/6阻害薬イブランス、さらにその後は同系統のベージニオという薬剤を使用して治療を継続しました。
薬剤を変更するたびに、私の心には「この薬もいつか効かなくなるのではないか」という不安がよぎりました。しかし、主治医がその都度、何のためにこの薬を使うのかを丁寧に説明してくれたおかげで、納得して治療を続けることができました。副作用はありましたが、日常生活に支障をきたすほどではなく、がんをコントロールしながら日常生活やパート勤務を続けることができました。
肝転移をきっかけに、ホルモン療法から抗がん剤治療へ
順調に思えた治療経過でしたが、今度は肝臓への転移が判明しました。これを受け、主治医からはホルモン療法から抗がん剤治療への切り替えが提案されました。まず最初に使用したのは、S-1という抗がん剤でした。この薬の効果は高く、一時は肝転移巣が画像上から消えるほどの成果が得られました。
しかし、やはりがん細胞は耐性を獲得します。再び腫瘍マーカーが上がり始めた2025年2月、低発現ですがHER2が陽性だったため、主治医は次の選択肢としてエンハーツへの変更を提案してくれました。主治医からは「今一番効果が高いと思われる治療を先に行い、今という時間を大切にするという選択肢もあります」と説明を受けました。
私は、将来のために薬を温存するよりも、今の元気な状態を長く保つことを選び、エンハーツによる治療を開始しました。現在もこの治療を継続しており、高い効果が得られています。しびれや倦怠感といった副作用はありますが、処方された薬でうまくコントロールできています。骨転移に対しても、4週に1回のランマーク投与を欠かさず行い、骨の状態を維持しています。
娘の成長を支えにがん治療と向き合う日々
私の治療を支える最大のモチベーションは、娘の存在です。最初にがんが見つかった時、娘はまだ小学生でした。乳がんで手術をすることになったとは伝えていましたが、当時の娘には「お母さんは手術して治ったんだ」という程度の認識だったと思います。しかし、中学生になり、私の再発と長期にわたる治療を目の当たりにする中で、娘の理解は深まっていきました。
娘は学校のがん教育で配布された冊子を持ち帰ってきたり、講演会の話を聞いたりして、がんと共に生きる私の姿を自然に受け入れてくれているようでした。再発した当時は「娘の成長をどこまで見守れるか」という不安でいっぱいでしたが、娘は無事に中学校、高校を卒業し、この春からは大学生になりました。
入学式や卒業式といった節目に立ち会えるたびに、「ここまで頑張ってきて良かった」と心から思います。これからは、娘が大学を卒業し、社会に出ていく姿を見届けることが私の新しい目標です。先のことを考えすぎれば不安は尽きませんが、まずは目の前のイベントを一つひとつ達成していく。その積み重ねが、今の私の生きる力になっています。
社会との接点を保つためのパート勤務を継続
治療と並行して、私は現在も週3回のパート勤務を続けています。再発した際、仕事を辞めるべきか迷ったことがありましたが、がんセンターの主治医から「絶対に仕事は辞めてはだめだよ」とアドバイスをもらいました。家で治療のことばかり考えて過ごすよりも、社会との接点を持ち、違うことを考える時間を持つことが精神的にとても大切だと言われたのです。
職場の理解にも恵まれ、現在は上司に病気のことを伝えた上で、体調に合わせて無理のない範囲で働いています。仕事をしている間は、自分ががん患者であることを忘れ、一人の社会人として振る舞うことができます。この「がん以外の自分」でいられる時間が、私にとっての救いとなりました。
趣味の旅行も、以前のように大勢で行くことは控え、家族との時間を大切にする形に変わりましたが、不自由を感じることはありません。全摘による外見の変化も、今では「自分だけの証」のように捉えています。がんになったことで、当たり前だった日常がいかに尊いものであるかを再認識し、日々を大切に過ごすことの重要さに気がつきました。
これからがんと向き合う方へのメッセージ
今、がん治療をしている方にお伝えしたいことがあります。
納得できるまで主治医や病院を探してください
がんと共に生きる上で、最も大切なのは医療従事者との信頼関係です。少しでも治療方針に疑問や不安を感じたら、遠慮せずにセカンドオピニオンを受けてください。納得感を持って治療に臨むことが、その後の前向きな気持ちにつながります。
自分の価値観に基づいた治療方針を選択してください
治療の目的は人それぞれです。完治を目指して強い薬を使うのか、QOLを重視して穏やかな治療を望むのか。正解は一つではありません。自分が人生で何を一番大切にしたいのかを主治医に伝え、対話を重ねることで、自分にとってのベストな道を見つけてください。
社会や誰かとつながる時間を持ち続けてください
病気のことばかり考えてしまう時期は誰にでもあると思います。しかし、仕事や趣味、何気ない友人との会話など、社会との接点を細くても保ち続けてください。自分は一人ではないと感じることが、長い治療期間を乗り越えるための大きな力になります。