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食道がんステージ3A、過酷な副作用の末に芽生えた今を生きる感謝の気持ち

[公開日] 2026.04.17[最終更新日] 2026.04.14

写真はイメージです。(AIによる生成)
プロフィール お名前:ミミさん(ニックネーム) 年代:70代 性別:女性 家族構成:1人暮らし 仕事:パート勤務 がんの種類:食道がん 診断時ステージ:ステージ3A 診断年:2020年 現在の居住地:神奈川県
※本体験談は、患者さん個人の経験に基づくものです。治療の経過や副作用、生活への影響には、個人差があります。医療的な判断や治療方針の決定の際には、必ず医師・医療従事者にご相談ください。 2020年、ミミさんは突然の吐血に見舞われました。近隣の病院へ救急受診した結果、見つかったのは進行した食道がんでした。大学病院への転院後、術前抗がん剤治療を経て、食道の大部分を切除する大手術を経験しました。術後の後遺症に苦しみながらも、一度は平穏な日常を取り戻しましたが、3年後に再発が判明。過酷な放射線治療と副作用、一時は「一生声が出ない」とまで宣告された絶望の淵から、ミミさんは前向きに治療を受けました。再発を経験したからこそ辿り着いた「今を楽しむ」という境地についてお話しいただきました。

食道がん診断のきっかけは、突然の吐血で受診した救急外来

私の体に異変が起こったのは、2020年8月16日のことでした。ちょうどお盆の最中で、自宅で過ごしていた時に突然、吐血をしました。以前から少し飲み込みづらさを感じることはあり、病院を予約しようか迷っていた矢先の出来事でした。1回、2回と続いた吐血に驚き、自ら病院を探しましたが、お盆ということもあって近隣の診療所はどこも閉まっていました。 幸い、友人が車を出してくれることになり、少し離れた救急病院を受診することができました。CT検査の結果、食道に明らかな異常が認められました。医師からは「明日、内視鏡検査を行いますので再度来てください」と告げられ、その日は絶食を指示されて帰宅しました。 翌日の内視鏡検査の結果、医師の口から出たのは「大きな腫瘍があります」という言葉でした。場所は鎖骨に近い食道の上部で、そこにはっきりとしたがんが認められました。その救急病院では手術や放射線治療といった専門的な対応が難しかったため、すぐに他院を紹介されることになりました。私は半年前に婦人科系の手術を受けたことのある近隣の大学病院を希望し、紹介状を書いていただきました。

大学病院への転院と手術を前提とした治療方針の決定

紹介状を持って大学病院を受診したのは、最初の吐血からわずか4日後の8月20日でした。担当してくださった外科の医師は、持参した検査資料を確認した上で「手術が可能なので、手術しましょう」とはっきりとおっしゃいました。 その当時、私はがんに関する知識が全くありませんでしたが、先生の力強い言葉を信じることにしました。提示された治療計画は、まず手術の前にがんを小さくするための術前抗がん剤治療を行い、その後に食道を切除するというものでした。当時は「手術一択」という提案に何の疑問も抱きませんでした。外科の先生が「切りましょう」とおっしゃるのだから、それが最善の方法なのだろうと納得したのです。告知から1週間余りがたった8月25日には、すでに抗がん剤治療のための入院が始まり、私の闘病生活は急速に動き出しました。

抗がん剤治療による骨髄抑制と胸の痛み

最初に行われた抗がん剤治療は、シスプラチンと5-FUを組み合わせたものでした。1クール目は約8日間の入院で投与されました。幸いなことに、多くの人が経験するような激しい吐き気などの副作用はほとんどありませんでしたが、予想もしなかった症状に悩まされました。 投与からしばらく経つと、胸骨の真ん中あたりを槍で突き刺されるような鋭い痛みが、発作的に襲ってくるようになりました。痛み止めを飲んでも効き始めるまでに1時間ほどかかり、その間はただ苦しみに耐えるしかありませんでした。この発作は退院してからも毎日続き、2クール目が近づくにつれてようやく回数が減っていくというサイクルでした。 また、2クール目の入院予定日には、血液検査で白血球の数値が戻っていないことがわかり、入院が1週間延期になりました。がん細胞を叩く一方で、自分の体も確実にダメージを受けていることを実感した出来事でした。それでも、2回の抗がん剤治療を終えた後の検査では、がんが劇的に小さくなっていることがわかったのです。当初5cmほどあった腫瘍は、手術時には目視で確認しづらいほどに縮小していました。

食道切除手術と胃管再建による体の変化

2020年11月20日、食道の大部分を切除する手術を受けました。私のがんは食道の上部にあったため、切除範囲は非常に広範囲に及びました。声帯の下わずか2cmほどのところから食道を取り除き、胃の3分の1も切除しました。そして、残った胃を管状に作り替えて引き上げ、残ったわずかな食道とつなぎ合わせる胃管再建術が行われました。 さらに私の場合は、その大学病院で行われていたダブルトラクト法も併用されました。これは胃を切除した患者さんの栄養摂取を助けるために、腸にバイパスを作るような手術です。手術時間は長時間に及びましたが、無事に終了しました。しかし、本当の闘いは手術が終わった後から始まりました。 目が覚めると、体中に管が通っており、身動きが取れない状態でした。術後しばらくは歩くことさえままならず、自分の体がいかに作り替えられてしまったかを痛感しました。食道という、食べ物が通るための大切な器官を失ったことの代償は、想像を絶するものでした。

術後の合併症であるダンピング症候群と逆流症状

退院してからの食生活は、それまでの常識が一切通用しない世界でした。食道がなくなったことで、食べ物を一時的に貯めておく場所がなくなり、食べたものが直接腸へ流れ込むようになります。その結果、激しい動悸や冷や汗、倦怠感に襲われるダンピング症候群に悩まされることになりました。 また、食道と胃の境目にある括約筋も失われたため、食べたものだけでなく、胃酸、腸液、膵液なども簡単に逆流してきます。食後はすぐに横になることができず、寝る時も上半身を高くした状態でなければ、酸が上がってきて激しく咳き込んでしまいます。お水をごくごくと飲むことさえできず、一口ずつ慎重に飲み込まなければなりません。 医師からは「多少の食べにくさは残ります」と言われていましたが、実態は、多少どころではありませんでした。何を食べてもすぐに詰まってしまい、苦しさのあまり指を突っ込んで吐こうとしても、吐く力さえ失われていました。鼻水と涙を流しながら、ただ詰まったものが流れていくのを待つしかない時間は、絶望的なものでした。

3年後の再発と化学放射線療法の過酷な副作用

手術から約3年が経過し、定期検査を続けていた2023年の夏、異変が起きました。以前から感じていた喉の詰まり感が強まり、ついにはお水さえも通らなくなってしまったのです。また、首の周りにボコボコとしたしこりが触れるようにもなりました。近隣のかかりつけの病院で腫瘍マーカーを調べましたが、特に異常は認められませんでした。しかし、その夜に完全に喉が詰まり、翌朝、大学病院へ駆け込みました。 検査の結果、食道と胃をつないだ吻合部にがんが再発しており、首のしこりもリンパ節への転移であることがわかりました。先生方も慌てて治療方針を検討し、化学放射線療法を行うことになりました。抗がん剤と並行して、計30回の放射線照射が行われました。 この治療の副作用は、手術の時以上に過酷なものでした。照射から数日後には、激しい吐き気に見舞われ、朝からバケツを抱える日々が続きました。相部屋で過ごしていましたが、お隣の方の食事の匂いだけで吐いてしまうほどでした。結局、2クール目の抗がん剤は骨髄抑制のために断念せざるを得ず、放射線治療のみを継続することになりました。

声を失う宣告とそこからの回復過程

放射線治療が進むにつれ、私の体にはさらなる異変が生じました。照射部位の皮膚がひどい火傷のような状態になり、そこから二次感染を起こして膿が溜まってしまいました。さらに、味覚と嗅覚が完全に失われ、唾液も全く出なくなりました。そして最もショックだったのは、声が完全に出なくなってしまったことです。 耳鼻咽喉科を受診した際、医師から「声帯が放射線で硬くなってしまっているので、一生声は出ません」と言われました。また、将来的に呼吸も苦しくなり、気管切開が必要になるかもしれないとも言われました。絶望して主治医に相談したところ、主治医は一生懸命に文献を探してくださり、「半年ほどすれば出るようになるはずです。今はとにかく喋らずに喉を休めなさい」と励ましてくれました。 筆談での生活が2か月半ほど続いたある日、主治医から「少し声を出してみて」と言われ、恐る恐る声を出してみると、かすかながら音が漏れました。「そろそろ喋ってもいいですよ」と言われた時の喜びは忘れられません。ただし、大声や長話は1年間禁止という条件付きでした。その後、首の周りが異常に太く腫れ上がる副作用もありましたが、時間をかけて少しずつ元の状態に戻っていきました。

患者会での活動と仲間との情報交換

がんと診断されてすぐ、私は同じ病気を持つ人たちの情報を求めて患者会を探しました。当時、食道がんの患者会はまだ設立されたばかりで、コロナ禍ということもあってオンラインでの交流が主でした。私はその初期から参加し、後に食道がん患者会の女子会の司会進行を務めるようになりました。 患者会に入ってわかったのは、私と同じように術後の後遺症に苦しみ、「こんなはずじゃなかった」と絶望している人が非常に多いということでした。医療従事者から説明される情報は、主に生存率や術式についてであり、その後の生活の質についての情報は驚くほど少なかったのです。 私たちは、自分たちが経験した後遺症や対処法をまとめ、先生方に「もっと後遺症について事前に詳しく教えてほしい」と提案しました。ある外科の先生は「手術前にそんな怖い話をしたら、誰も手術を受けなくなる」とおっしゃいました。その気持ちもわからなくはありませんが、知らないまま困難に直面することの不安は、それを上回ります。今、不安でいっぱいの新しい患者さんに「私もそうだったよ、大丈夫」と声をかけられる場所があることは、私自身の救いにもなっています。

料理やお酒に代わる新しい趣味との出会い

がんになる前、私は料理を作ることと、お酒を飲みながら友人たちとワイワイ過ごすことが大好きでした。自宅に人を招いては手料理を振る舞うのが私の生きがいでしたが、がんはその楽しみを根こそぎ奪っていきました。お酒はきっぱりとやめ、味覚障害の影響で辛いものや刺激物は一切受け付けなくなりました。以前のように料理を楽しめなくなった喪失感は大きなものでした。 そんな中で出会ったのが「ローズウィンドウ」という、紙で作るステンドグラスのようなアートでした。図案をカッターで切り抜き、色の付いた薄い紙を何枚も重ねていく作業は、非常に高い集中力を要します。無心になって手を動かしている間は、病気のことや将来の不安を忘れることができました。 完成した作品に光を透かすと、言葉にできないほど美しい模様が浮かび上がります。それは、かつての料理やお酒に代わる、新しい私の喜びとなりました。また、運動が嫌いだった私が、再発防止のためにとジムに通い始め、今では週に数回の筋トレを欠かさないようになっています。失ったものは多いですが、それによって得た新しい世界も、確かに存在しています。

当たり前の日常に感謝する心の変化

私は以前からカウンセリングの勉強をしており、がんになる直前には起業も考えていました。しかし、がんに罹患したことでその計画は一旦白紙になりました。当初はそれを諦めだと思っていましたが、今では方向転換だったのだと捉えています。 また、病を通して、私は「本当の意味での感謝」を知ることができました。以前は当たり前だと思っていた「食べられること」「話せること」「歩けること」、そして何より「生かされていること」が、どんなにありがたいことなのかを実感しました。食道切除の後に一口の食べ物を飲み込めた時の感動、失った声が戻ってきた時の震えるような喜び、そうした経験の一つひとつが、私の心のあり方を根本から変えてくれました。 今では、たとえ嫌なことがあっても、どこかに感謝の種を見つけられるようになりました。自分の体の中の臓器一つひとつが愛おしく、たとえ一部を失っても、今こうして動いてくれていることに「ありがとう」と言いたくなります。がんという病気は、私に過酷な試練を与えましたが、同時にそれ以上の深い感謝の心をもたらしてくれました。

これからがんと向き合う方へのメッセージ

今、がん治療をしている方にお伝えしたいことがあります。 過去や未来ではなく「今」を楽しんでください まだ来ぬ未来の再発を恐れたり、失った過去を悔やんだりしても、今の時間は戻ってきません。大切なのは、今日という日をどう過ごすかです。たとえ病気であっても、日常生活の中に一つでも楽しいことを見つけ、笑って過ごすことが、何よりの薬になると私は信じています。 正しい情報を求めて仲間とつながってください 医師から説明される医学的な情報だけでは、日々の生活の不安は解消されません。同じ病気を経験し、同じ悩みを乗り越えてきた仲間の言葉は、時にどんな薬よりも心を癒してくれます。一人で抱え込まず、患者会などの場所を頼ってみてください。そこには必ず、あなたの味方がいます。 生かされている自分に感謝の目を向けてください がんになると、どうしても「できないこと」に目が向きがちです。しかし、今の自分に「できていること」を数えてみてください。息ができること、歩けること、誰かと言葉を交わせること。当たり前だと思っていた日常は、実は奇跡の積み重ねです。自分自身を慈しみ、感謝の気持ちを持つことで、心はきっと軽くなります。
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