写真はイメージです。(AIによる生成)プロフィール
お名前:たっつーさん(ニックネーム)
年代:50代
性別:男性
家族構成:妻と子どもとの3人暮らし(子ども2人は独立)
仕事:事務職
がんの種類:大腸がん
診断時ステージ:ステージ1
診断年:2015年
現在の居住地:広島県
※本体験談は、患者さん個人の経験に基づくものです。治療の経過や副作用、生活への影響には、個人差があります。医療的な判断や治療方針の決定の際には、必ず医師・医療従事者にご相談ください。
2015年、健康診断をきっかけに大腸がんが見つかったたっつーさんは、当時40代前半という若さでした。ステージ1という診断に胸をなでおろしたのもつかの間、1年後の検査で肺への転移が判明します。再発の絶望感に襲われながらも、たっつーさんは「自分の命は自分で守る」という強い意志を持ち、抗がん剤治療を受けないという大きな決断を下しました。告知から10年以上、現在は息子さんと同じ野球チームで白球を追う日々を送っています。がんという試練を乗り越え、生き方そのものを変えたたっつーさんにお話しいただきました。
健康診断での便潜血から見つかった初期の大腸がん
私が最初にがんの告知を受けたのは、2015年のことでした。それまで自営業だったため、健康診断は受けたことがありませんでしたが、会社に就職して初めて受けた健康診断を受けることになりました。健診の結果、便潜血検査で陽性反応が出たため、再検査を促されました。それまで体に目立った不調はなかったのですが、念のために健康診断を受けた病院で、大腸内視鏡検査を受けることにしました。
検査の結果、大腸に大きな腫瘍があることが判明しました。医師からは「内視鏡では取り切れないサイズなので、外科手術で腸を切除する必要があります」と説明を受けました。私はより自分に適した環境を求め、いくつかの選択肢の中から自宅に近い総合病院を紹介してもらうことにしました。
新しい病院でも改めて大腸内視鏡検査、CT検査、生検を受けた結果、大腸がん(上行結腸)と診断されました。幸い、他の臓器への転移は見られず、進行度はステージ1という診断でした。早期の段階で見つかったことに、私は心のどこかで安堵していました。
最初の手術と想定外だった術後の腸閉塞
2015年の夏、私は上行結腸と盲腸を切除する手術を受けました。手術自体は無事に終了し、人工肛門などの処置も必要ありませんでした。初めての入院生活でしたが、当時はまだ「切ってつなげば治る」という楽観的な気持ちが強く、病院での生活を少し楽しむくらいの余裕さえありました。
しかし、退院後に予期せぬ事態が起こりました。自宅に戻って3日ほど経った頃、激しい腹痛に襲われたのです。診断の結果は、手術の合併症である腸閉塞でした。8月24日に退院したばかりでしたが、すぐさま再入院を余儀なくされました。
結局、仕事に復帰できたのは9月の初めごろでした。事務職ということもあり、体力的な負担は少なかったため、復帰後は通常通り業務をこなすことができました。この時は、がんを克服したという達成感に包まれており、まさかその1年後に再び大きな壁にぶつかるとは想像もしていませんでした。
完治を信じていた1年後に肺転移が判明
手術から1年が経過した2016年、私は再び運命の健康診断を迎えました。この年の肺のレントゲン検査で「影がある」と指摘されたのです。
大腸の手術後は定期的に通院して経過観察を続けており、2月に行った検査では異常がなかったため、わずか数か月の間に影が現れたことになります。大腸がん治療を受けた総合病院でPET検査をしたところ、肺に3か所の光る部分が見つかりました。医師からは、大腸がんの肺転移である可能性が高いと告げられました。
ステージ1だと言われ、手術も乗り越えたのに、なぜ転移してしまったのか。その事実は、私を深い絶望の淵に突き落としました。肺転移という言葉の重みが、容赦なく私にのしかかりました。それまで命の不安など感じたこともなかった私が、初めて「自分は死ぬのかもしれない」という不安に支配された瞬間でした。
「自分の命は自分で守る」と決意した医師からの言葉
肺転移の手術は、呼吸器外科の専門医が担当することになりました。手術自体は内視鏡を使った胸腔鏡下手術で行われ、右肺の下葉を切除しました。手術は成功し、病理検査の結果、やはり大腸がんからの転移であることが確定しました。
この入院期間中、私の心境を大きく変える出来事がありました。術後、集中治療室にいた私の元へ、以前の大腸手術に関わった少し年配の医師が様子を見に来ました。その医師は、私の顔を見るなり「若いのに大変だね」と言いました。他意はなかったのかもしれませんが、私にはどこか他人ごとのように、あるいは私を突き放すような口調に聞こえました。
最初の手術の時は「もう大丈夫だから、好きなものを食べてお祝いしなさい」と明るく言ってくれた医師の言葉とは思えませんでした。その瞬間に、私の心に火がつきました。「医者は私の人生を最後まで守ってくれるわけではない。自分の命を最後に守れるのは、自分自身しかいないのだ」と強く自覚したのです。
抗がん剤治療を受けないという大きな決断
肺の腫瘍を切除した後、主治医からは今後の治療について提案がありました。「再発予防のために抗がん剤治療を行う選択肢もありますが、やるかやらないかはあなたに委ねます」というものでした。私の腫瘍マーカーは診断時から一貫して低値であり、術後の画像検査でもがんは見られませんでした。
私は猛烈に調べ始めました。当時は仕事中も昼休憩中も、車の中でもスマートフォンを握りしめ、がんの転移や再発、抗がん剤の副作用について検索し続けました。インターネット上には悪い情報が溢れており、調べれば調べるほど不安で痩せ細っていく日々でした。
しかし、さまざまな情報を精査していく中で、1つの疑問が湧いてきました。「今、目に見えるがんがないのに、なぜ毒性の強い薬を体内に入れなければならないのか」ということです。抗がん剤によって抵抗力が下がってしまえば、かえってがんを増殖させることになるのではないか。そう考えた私は、抗がん剤治療を受けないという決断を下しました。
診察室で主治医に向かい、私は「抗がん剤はやりません。自分の力を信じて経過を診ていきたい」とはっきり伝えました。主治医は「あなたのケースなら、その選択もあります」と、私の意思を尊重してくれました。
一方、地元の別のクリニックでピロリ菌の治療を受けていた際、その医師に抗がん剤を断った話をすると、烈火のごとく怒られました。「医者の言うことが聞けないのか」と怒鳴られましたが、私は「これは私の命なんです」と心の中で反論しました。医師によってこれほどまで意見が違うのかと驚きつつも、自分の決断に自信を持つことができました。
食生活の改善とウォーキングによる体力作り
その後、私は自分の体を根本から作り直すことに専念しました。まず着手したのは食生活の改善です。それまで好んで食べていた牛肉や豚肉を一切断ち、動物性タンパク質は鶏肉のみに限定しました。主食は白米から玄米へと変え、野菜中心のメニューを徹底しました。
家族には同じ負担をかけたくなかったので、自分だけのメニューを別に用意することもありました。妻には手間をかけさせましたが、10年近くこの習慣を続けた結果、私の体調は見違えるほど良くなりました。
同時に、意識的に「歩く」ことも始めました。事務職で運動不足になりがちだったため、それまでは車で移動していたわずかな距離でも、あえて歩くようにしました。病気になる前の自分からは考えられない変化です。「がんにならなければ、こんなに自分の体を大切にすることはなかった」と、今では感謝に近い気持ちさえ持っています。
「100個の目標」が私に生きる力を与えてくれた
肺転移と診断されたときの精神的なダメージは相当なものでしたが、私を救ってくれたのは家族の存在でした。当時、本を読んで学んだ「100個の目標を作る」というメソッドを実践しました。
最初は100個も思いつきませんでしたが、私は子どもたちの成長に合わせた目標を一つずつ書き出しました。「この子が中学校を卒業するまで生きる」「高校を卒業する姿を見る」「大学を卒業し、成人式を迎えるまで元気でいる」。小さな目標をクリアしていくことが、私にとっての生きる糧となりました。
告知を受けた当時、中学生だった息子も今では社会人1年目となりました。一つひとつ、目標を達成してきた事実は、私に「生きている」という自信を与えてくれました。がんという病気は、私に「当たり前の毎日は決して当たり前ではない」という、人生で最も大切な教訓を教えてくれたのです。
息子と同じ野球チームでプレイする喜び
現在、私の最大の楽しみは野球です。子どものころから野球一筋でしたが、今でも現役でプレイを続けています。特筆すべきは、私が大学生のころに仲間と作ったチームに、今では私の息子や仲間の息子たちが加わっていることです。30年続くこのチームで、親子二代で白球を追える幸せを噛み締めています。
50代になりましたが、周りからは「20代の選手に負けないプレイだ」と驚かれることもあります。これは、病気をしてから徹底してきたウォーキングや食事管理の賜物だと確信しています。体を動かすことは、心の健康にも直結しています。
試合で思い切り走り、仲間と笑い合う時間は、私から「がん患者」という意識を完全に消し去ってくれます。がんを経験したことで、後悔しないように全力を出し切る生き方ができるようになりました。野球ができるこの体こそが、私のこれまでの選択が間違っていなかったことの証だと考えています。
8年間の経過観察を終えて思うこと
2023年5月、私は約7年間に及ぶ総合病院での経過観察を卒業することができました。医師から「もうこちらには来なくて大丈夫です。これからは年齢相応の病気に気をつけてください」と言われたとき、ようやくひとつの大きな旅が終わったような解放感を感じました。
もちろん、今でも毎年の健康診断は緊張します。特に肺転移を見つけてくれたレントゲン検査の前は、当時の記憶が蘇ります。しかし、もしまた何かが起きたとしても、私は以前のようにパニックに陥ることはありません。「その時はまた、自分の心と体に向き合い、納得できる答えを見つけるだけだ」という覚悟ができているからです。
がんになったことは不幸な出来事でしたが、そのおかげで私は人生の密度を上げることができました。会いたい人には会い、行きたい場所へ行き、やりたいことを後回しにしない。がんは私に、本当の意味での「自由な生き方」をプレゼントしてくれたのかもしれません。
これからがんと向き合う方へのメッセージ
今、がんの治療をしていて、不安な夜を過ごしている方にお伝えしたいことがあります。
情報を自分の力に変えてください
インターネットには悪い情報が溢れていますが、それに振り回されて絶望しないでください。自分が信じられる情報、自分を勇気づけてくれる言葉を積極的に探してください。納得感を持って治療を選択することが、何よりの力になります。
自分の命の主人公はあなた自身です
医師は専門的なアドバイスをくれますが、最後に決断を下し、その体と共に生きていくのはあなた自身です。わからないことは何度でも質問し、もし納得がいかなければ別の意見を求めても構いません。「自分の体は自分で守る」という強い意志を持つことが、回復への第一歩となります。
小さな目標を積み重ねていきましょう
遠い未来を考えて不安になるよりも、「次の誕生日を祝う」「子どもの行事に参加する」といった、具体的で小さな目標を立ててください。それを一つひとつクリアしていく喜びが、明日を生きるエネルギーになります。がんに人生を乗っ取られるのではなく、がんを抱えながらも自分の人生を謳歌することを諦めないでください。