写真はイメージです。(AIによる生成)プロフィール
お名前:ゆーさん(ニックネーム)
年代:50代
性別:女性
家族構成:1人暮らし
仕事:事務職
がんの種類:子宮体がん
診断時ステージ:ステージ3A
診断年:2025年
現在の居住地:東京都
※本体験談は、患者さん個人の経験に基づくものです。治療の経過や副作用、生活への影響には、個人差があります。医療的な判断や治療方針の決定の際には、必ず医師・医療従事者にご相談ください。
2025年1月、ゆーさんは子宮体がんの告知を受けました。診断時のステージは3A。前年から続いていた不正出血を、1年近く検査をせずに過ごした末の診断でした。ゆーさんは自ら情報を収集して治療環境を選択し、主治医との対話を重ねていきました。術後の化学療法では、副作用による外見の変化への合理的な適応や、副作用による中断の危機を強い意志で乗り越え、治療を完遂しました。がんという現実に向き合い、一つひとつの局面で自ら納得できる道を選んできた経緯を話しいただきました。
子宮頸がん検診の「異常なし」を過信した空白の1年間
私が体の異変を自覚したのは、2025年の診断から遡ること約1年前、2024年のことでした。不正出血が続いていましたが、当時の私はそれを深刻な病気の兆候だとは捉えていませんでした。
過去に尿路結石を患った経験があり、その際、尿に血が混じるような症状を経験していたため、今回1年ほど続いていた出血についても「あ、また石結石が再発したのかな」と自己判断してしまいました。
この思い込みを後押ししてしまったのが、会社で毎年受けていた健康診断の結果でした。子宮頸がん検診の結果は一貫して「異常なし」であり、その判定が私に根拠のない安心感を与えてしまいました。当時は、子宮頸がんは知っていましたが、子宮体がんというがんがあることは知りませんでした。そのため、「子宮頸がん検診で問題ないと言われているのだから、婦人科系の疾患は大丈夫だ」と過信してしまい、結果的に1年近く放置した状態で過ごしてしまいました。
2024年の年末になり、ようやく重い腰を上げて他の診療科を受診しました。まずは内科などで大腸内視鏡や胃内視鏡検査を受けましたが、特に異常は見つかりませんでした。消去法的に「残るは婦人科しかない」と考え、2024年12月末にようやく近所のレディースクリニックを訪れました。そこで医師から「子宮体がんの可能性がある」と告げられ、大きな病院への受診を勧められました。
自ら「名医」を検索して選んだ総合病院と確定診断
レディースクリニックの医師からは「紹介状を書くので、もし希望する病院や先生がいるなら自分で調べてきてください」と言われました。私はただ紹介されるがままに受けるのではなく、自分が納得できる環境を自律的に選ぼうと考え、インターネットで「子宮体がん 名医」といったキーワードで検索しました。
大きな大学病院やがん専門病院も候補に挙がりましたが、そうした大規模な施設では検査や手術の予約が数か月先になることもあるという情報を目にしました。私は一刻も早く手術を受けたいと考え、総合病院を選択しました。そこへの紹介状を書いてもらい受診したところ、精密検査を経て、2025年1月にようやく子宮体がんと診断されました。画像診断から推定されたステージはステージ3Aでした。
確定診断から1か月も経たないうちに治療の具体的なスケジュールが決まったことで、前向きに病気と向き合う態勢を整えることができました。大病院であれば待たされたかもしれない検査や手術が、この病院では迅速に進んだことは、不安を抱えていた私にとって大きな利点となりました。
診察中のなにげない対話で築かれた医師との信頼関係
手術の内容は、子宮、卵管、卵巣の摘出でした。通常、術前診断でステージ3Aと推定されるような進行度であれば、大網切除やリンパ節郭清を行うことが一般的ですが、私の主治医はあえてそれを行いませんでした。手術後の病理検査の結果も、ステージ3Aでした。
なぜリンパ節切除をしなかったのか、先生に直接確認すると、その判断の裏にある合理的な意図を説明されました。リンパ節を切除すれば、将来的に足が重篤にむくむリンパ浮腫という後遺症のリスクが生じます。私はもともと足がむくみやすい体質であり、先生は私の術後の生活の質(QOL)を考慮し、あえてリンパ節郭清を避ける判断をされたのだと思います。先生は「今の段階で無理に取らなくても、今後の化学療法で十分にカバーできる」と話し、その方針に私は納得しました。
先生との信頼関係は、こうした治療方針の説明だけでなく、診察中の対話でも築かれました。先生は非常に気さくで、良い意味での「おおらかさ」を持っていました。私はインターネットで調べた真偽の不確かな情報を先生にぶつけることもありました。「このサプリメントを摂取するとがんが小さくなると聞いたのですが、本当ですか」といった質問に対しても、先生は「そのサプリメントでがんが小さくなるなら、世界中の人がみんな元気になっているはずだよ」と、ユーモアを交えて一蹴してくれました。このような、何でも気兼ねなく相談でき、かつ本質を突いた回答をくれる関係性が、その後の治療を支える大きな要因となりました。
外見の変化に対する合理的な適応と6種類のウィッグの使い分け
手術後の3月から、再発予防のための抗がん剤治療が始まりました。投与は2泊3日の入院で行いました。使用した薬剤は、パクリタキセルとカルボプラチンを組み合わせるTC療法です。医師からは「ほぼ確実に脱毛する」と事前に告げられていたため、私は治療開始前に髪を短く切り、治療開始の1週間前には自分の元の髪型に近い人毛100%のウィッグを用意しました。
実際に1回目の投与からしばらくすると、髪の毛が抜け始めました。短くしていたため、抜けること自体へのショックは想定の範囲内でしたが、驚いたのは眉毛とまつ毛までもがすべて抜け落ちてしまったことでした。髪の毛はウィッグで隠せますが、眉毛とまつ毛がなくなると顔の印象が劇的に変わります。「まつ毛がここまで抜けるのか」という驚きとともに、鏡を見るたびにがん患者である現実を突きつけられる瞬間でもありました。
また、最初に用意した人毛100%のウィッグは手入れが大変で、不自然に見えてしまうことが悩みとなりました。そこで、人工毛を混ぜたタイプなど、扱いやすいものをネットなどで買い足していきました。現在は計6種類のウィッグを所有し、用途や気分に合わせて使い分けています。出社用には長時間つけていても頭が痛くならないサイズのもの、休日にはスタイルを大きく変えたものなど、状況に応じて選んでいます。
朝の身支度が大幅に短縮され、髪をタオルで拭くだけで乾いてしまう今の生活は、意外なほど合理的で快適です。伸びてきた髪については、自分でバリカンを購入して整えています。失ったものを嘆くのではなく、現状にどう適応するかを考え、実践していきました。こうした適応力も、治療中の生活を維持するためには不可欠な要素だったと感じています。
点滴の痛みと血液数値の無力感の中で流した一度きりの涙
私は告知から治療完了まで、周囲の前では努めて明るく振る舞い、一度も泣くことはありませんでした。「ぐずぐずしていてもしょうがない」という姿勢で、淡々と治療をこなしていました。しかし、たった一度だけ、涙を流したことがあります。それは、抗がん剤治療中の針を刺した時の痛みと、やり場のない感情が重なった瞬間でした。
看護師さんや医師からは「頑張ってください」と励ましの言葉をかけられます。しかし、そのときの私には、その言葉が非常に重く響きました。自分の意志や努力ではどうすることもできないのに、抗がん剤治療の最中、ただ痛みに耐える。これ以上、何をどう頑張ればいいのかという無力感が、涙となって溢れ出たのです。ただ耐えるしかない状況に対し、抑えていた感情が爆発したような感覚でした。
それは、自分の力ではどうしようもない領域があることを自覚し、自分を追い込んでいたことに気付いた瞬間でもありました。しかし、その一度の涙で、自分の中に溜まっていた感情を吐き出すことができたのだと思います。泣いた後は心が軽くなり、再び「この治療を最後までやり遂げよう」という元の決意に戻ることができました。仕事を継続し、その日常を守るための意志を再確認した出来事でした。
医師の「5回で終了」の提案を退け、貫いた6クール完遂への意志
抗がん剤治療は全6クールの予定でした。5回目までは順調に進みましたが、6回目を前にして、血液中の好中球の値が極端に減少する「骨髄抑制」が現れました。治療を継続できる基準値を下回ってしまったのです。
特に2025年の8月に入ってからは、毎週のように入院の準備をして病院へ足を運びましたが、血液検査の結果が出るたびに「好中球の数値が低すぎるので、今日は投与できません」と言われ、帰宅することを繰り返しました。3週間に1回のペースで進むはずの治療が停滞し、精神的にも体力的にも疲弊する日々が続きました。主治医からは、私の体の負担を考慮してか「5回で打ち切っても良いのではないか」という提案がありました。
しかし、私は「どうしても6回すべてやり遂げたい」と強く主張しました。これまで仕事と両立しながら通院してきた努力を、途中で妥協することで無駄にしたくなかったのです。「全部受けなければ意味がない。今までの回数が無駄になる」という、自分なりの納得感を優先させました。結局、予定より3週間ほど遅れましたが、なんとか最終の6回目を投与することができました。その瞬間の達成感は、非常に強いものでした。自分の意志で完遂を選んだことは、その後の大きな自信となりました。
社会とのつながりを維持しながら「命の更新」を積み重ねる現在
仕事については、診断当初は上司にのみ事実を伝え、同僚には「親の体調が悪いので介護が必要になった」と説明してリモートワークなどを活用していました。しかし、抗がん剤治療が始まるタイミングで、外見の変化なども考慮し、自身の病状を公表しました。ありのままを伝えたことで、かえって精神的な負担が軽くなり、周囲の協力も得やすくなりました。
現在は、リモートワークを活用していた時期を経て、100%の通勤体制に戻り、フルタイムの事務職に従事しています。通勤電車に乗り、社会の一員として責任を果たしている時間は、自分ががんを経験したことを忘れさせてくれる貴重な時間です。1人暮らしの生活の中で、社会とつながっている実感が、私の生きる力になっています。
すべての治療行程を終え、現在は3か月ごとの経過観察に移行しています。検査の結果が出るまでの待ち時間は、今でも緊張感に包まれます。主治医から「問題ありません」と告げられるたびに、ようやく次の3か月までの「命の更新」ができたのだという感覚で過ごしています。いつ再発するかわからないという不安は常にありますが、身の回りの整理(終活)を意識しつつも、今この瞬間の生活を丁寧に過ごすようになりました。
治療の副作用が比較的少なかったとはいえ、決して楽な道のりではありませんでした。しかし、自ら納得できる病院を探し、主治医と対話を重ね、自分の決めたスタイルで治療を貫徹できたことは、これからの人生を歩む上での確かな糧となっています。病気になる前には気づかなかった、当たり前の日常の尊さを、今改めて噛み締めています。
これからがんと向き合う方へのメッセージ
今、がん治療をしている方にお伝えしたいことがあります。
がんに負けない、諦めないという強い意志を持ってください
病気に人生の主導権を渡すのではなく、自分自身で持ち続けることが大切です。治療が計画通りに進まなかったり、副作用で心が折れそうになったりすることもありますが、その都度、自分を立て直して立ち向かってほしいと思います。私自身、自らの強い意志で6クールの治療を完遂したことが、今の自分を支える確かな自信になっています。
社会とのつながりや日常の小さな楽しみを大切にしてください
がんのことばかりを考える時間は、心を疲れさせます。仕事や趣味など、がん以外の何かに没頭できる時間を持つことは、精神的な安定に大きくつながります。私はウィッグをファッションとして使い分けることで、自分自身を元気づけてきました。今の状況下でもできる「小さな楽しみ」を、ぜひ1つでも見つけてみてください。
信頼できる医療者と納得がいくまで対話を続けてください
最も信頼すべきは、あなたの体を実際に診ている主治医です。私は、自ら納得できる病院を探して受診し、率直に相談することで信頼関係を築けました。インターネットの不確かな情報に惑わされるのではなく、疑問や不安があればまず主治医にぶつけて解消していくことが、治療を完遂するための最大の助けになります。