写真はイメージです。(AIによる生成)プロフィール
お名前:ヨニーさん(ニックネーム)
年代:60代
性別:男性
家族構成:妻との2人暮らし(子ども2人は独立)
仕事:週3日のパート勤務(診断時は建築関係の現場監督)
がんの種類:多発性骨髄腫
診断時ステージ:不明
診断年:2020年
現在の居住地:山口県
※本体験談は、患者さん個人の経験に基づくものです。治療の経過や副作用、生活への影響には、個人差があります。医療的な判断や治療方針の決定の際には、必ず医師・医療従事者にご相談ください。
2020年、ヨニーさんは多発性骨髄腫と診断されました。薬物療法や自家造血幹細胞移植を経て一時は安定したものの、病状は再び悪化。2025年1月には、主治医から家族を交えて厳しい予後を告げられる事態となりました。しかし、その直後に提案されたCAR-T細胞療法が大きな転機となりました。ヨニーさんは劇的な回復を遂げ、現在は週3日で仕事に就き、家族との時間を大切に過ごしています。闘病の過程と現在の心境についてお話しいただきました。
背中の痛みから始まった異変と健康診断での指摘
私が体の異変を感じ始めたのは、がんを告知される半年から1年ほど前のことでした。主な症状は背中の痛みでした。最初は単なる神経痛や加齢によるものだろうと考え、整形外科を受診したりマッサージに通ったりして、しのいでいました。建築関係の現場監督という仕事柄、日常的に体を動かしていたため、疲れが溜まっているだけだという思い込みもありました。しかし、痛みは一向に改善されず、常に不快感がつきまとっていました。
転機となったのは、2019年8月に受けた会社の健康診断でした。その血液検査で異常が見つかり、精密検査を受けるよう指示が出たのです。当時はまだ、自分ががんにかかっているなどとは夢にも思っていませんでした。ただ、長く続いていた背中の痛みと何らかの関連があるのではないかという、漠然とした不安があったことを覚えています。
血液内科での精密検査で多発性骨髄腫と判明
健康診断の結果を受けて、まずはかかりつけのクリニックを受診しました。そこで検査を受けたところ「やはり数値がおかしい」ということになり、血液内科のある地域の総合病院を紹介されました。2019年9月2日のことです。
紹介された総合病院では、さらに詳しい検査が行われました。胸骨からの骨髄穿刺に加え、CT検査やPET-CT検査も受けました。骨髄穿刺は非常に痛みが強く、今でも思い出すだけで顔が歪むほどです。これらの検査結果に基づき、医師から告げられた病名は多発性骨髄腫でした。
この病名は、それまでの人生で一度も耳にしたことがないものでした。白血病やリンパ腫などは知っていましたが、多発性骨髄腫については全く知識がありませんでした。骨がもろくなる、溶けるといった症状が出ることもあると聞きましたが、私の場合は幸いにも骨折などは一度もありませんでした。ただ、血液の状態が悪化していることは事実であり、すぐに治療が必要な状況だとわかりました。
初期治療の開始と自家造血幹細胞移植への移行
主治医からは、まずベルケードとレブラミドを併用する薬物療法を提案されました。初期治療の効果は一定程度ありましたが、半年ほど経過したところで病状に変化が見られました。医師と相談し、より強力な治療として自家造血幹細胞移植を検討することになりました。
私が通っていた地域の総合病院には移植の設備がなかったため、九州にあるがん診療連携拠点病院を紹介されました。そこへ入院し、寛解導入療法を経て、2020年9月20日に自家造血幹細胞移植を実施しました。それまでの人生で入院をしたことがなく、健康には自信があった私にとって、無菌室での生活は精神的に大きなダメージとなりました。
移植後、しばらくはニンラーロによる維持療法を続けました。この期間は通院で治療を行いながら、現場監督の仕事も継続していました。現場を離れることへの不安があり、仕事が自分の「生きがい」であったため、無理をしてでも現場に出たいという気持ちが強かったのです。
維持療法を続けながら現場監督の仕事を継続も
移植後の維持療法は1年ほど続きました。血液検査の結果、ヘモグロビンの数値が7から8g/dL台まで下がることもあり、体力的には決して楽ではありませんでした。気分があまり良くない時期もありましたが、仕事に張りがあったおかげで何とかカバーできていたのだと思います。
マンション建築などの大規模な現場を担当していたため、代わりのきかない立場という責任感もありました。体調が悪いときでも電話で指示を出したり、主治医の了解を得た上で現場に足を運んだりしていました。会社も私の病気に対して非常に理解があり、応援のスタッフを入れてくれるなど、金銭面や環境面で手厚いサポートをしてくれました。
治療を続けながら4年間仕事を続けていましたが、2024年の12月いっぱいで退職することにしました。これには、体調面に加え、60歳を過ぎたことも理由の1つでした。長年続けてきた現場監督の仕事に、一区切りをつけた形です。
一度は覚悟した後に現れたCAR-T細胞療法という希望の光
ところが、2025年1月、病状が深刻な段階に達しました。主治医から「ご家族と一緒に話し合いましょう」と呼ばれ、妻と独立している2人の子ども夫婦が集まりました。その場で医師から告げられたのは、予後に関する厳しい見通しでした。「あまり先は長くないだろう」という趣旨の話が出ており、私自身も「そんなものかな」と、その事実を冷静に、覚悟を持って受け止めました。
主治医からは数年前から、将来的な選択肢としてCAR-T細胞療法の名前を聞いてはいました。ただ、当時は自分には回ってこない雲の上の治療だという感覚でした。
事態が具体的に動いたのは、2025年3月のことです。先生から「ちょうどCAR-T細胞療法の枠が取れたので、実際にやってみませんか」と具体的な提案をいただきました。一度は覚悟をした身ではありましたが、この新たな選択肢を前にして「孫の成長をもう少し見たい」「長男夫婦に子どもが生まれたらその顔が見たい」という思いが湧き、それが治療に向かうモチベーションとなりました。私は家族とも話し合い、「お願いします」と答えました。
まず4月に、自分の血液からT細胞を採取するために、CAR-T細胞療法が受けられる大学病院へ転院し、1週間ほど入院しました。採取した細胞は海外の施設へ送られ、約2か月かけて製剤化されます。その間、体調が大きく崩れることなく過ごせたことは幸運でした。そして製剤が完成し、いよいよ2025年6月の輸注を迎えることになります。
必ず生きて帰ると決断、結婚記念日に受けた輸注
CAR-T細胞の輸注のために大学病院に再入院したのは、2025年5月22日のことでした。その後、6月3日にCAR-T細胞の輸注を行いました。この日は偶然にも私たち夫婦の結婚記念日でした。特別な日に治療が始まることに不思議な縁を感じ、必ず生きて帰るという決断を新たにしました。
輸注自体は短時間で終わりましたが、その後の副作用が大きな壁となります。最も警戒されるのは、免疫反応が過剰に起こるサイトカイン放出症候群です。輸注から数日後、私の体温は40度近くまで上昇しました。2〜3日間は高熱にうなされましたが、幸いにもそれ以外の重篤な副作用は現れませんでした。
医師や看護師が頻繁に声をかけてくれ、名前や日付が言えるかどうかを繰り返し確認してくれました。集中治療室に入ることも覚悟していましたが、結果として一般病棟の個室で管理できる範囲内に収まり、20日ほどで退院することができました。2025年1月の絶望的な状況を考えれば、自分でも驚くほど順調な経過でした。
副作用の壁を越えて手にした夢のような回復
退院後の回復は、劇的なものでした。1か月ごとに地元の総合病院で血液検査を受けていますが、血液の数値も改善しています。主治医も「あの状況からここまで良くなるとは」と驚きを隠せない様子でした。
2025年1月のあの時、死を覚悟した自分からすると、今の生活はまさに夢のような感覚です。もちろん、この病気が「完治しない」と言われていることは十分に理解しています。いつかまた再発するかもしれないという不安がゼロになったわけではありません。しかし、今こうして普通に食事ができ、自分の足で歩ける喜びは、何物にも代えがたいものです。
何よりもうれしいのは、再び社会とのつながりを持てたことです。現在は週に3日のパート勤務として仕事をしています。社会の一員として役割があるということは、私にとって最高の心の薬となっています。
「前向きな諦め」という覚悟を持って生きる今
今回の体験を通じて、私は「前向きな諦め」という言葉を大切にするようになりました。これは決して絶望して投げ出すということではありません。自分の病気の現状を正しく理解し、変えられない運命については覚悟を決めて受け入れるという意味です。
月1回の検査に行くときは、今でも「もし数値が悪くなっていたら」という不安が若干よぎります。しかし、それを恐れて毎日を不安の中で過ごすのはもったいないと思うようになりました。覚悟を決めていれば、必要以上に不安に振り回されることなく、今ある時間を大切に過ごすことができます。
今の私の目標は、孫たちの成長を見守り続けること、そして長男夫婦にいつか子どもが生まれたらその顔を見ることです。医療は日進月歩で進んでいます。私が受けたCAR-T細胞療法も、数年前までは考えられなかった治療でした。希望を持ち続け、今自分にできることを一日一日積み重ねていく。その積み重ねが、私の新しい人生を形作っています。
これからがんと向き合う方へのメッセージ
今、がんと診断され、先の見えない不安の中にいる方へ、私の闘病から学んだことをお伝えしたいと思います。
進歩する医療を信じて最後まで希望を捨てないでください
医療は日々進歩しています。私が受けたCAR-T細胞療法のように、以前は考えられなかったような新しい治療法が開発されています。今の状況が厳しくても、次にどんな道が開けるかは誰にもわかりません。最新の情報を信頼できる医師や公的な窓口から収集し、最後まで前向きな気持ちで治療に向き合ってください。
「覚悟」を持つことで今この瞬間を大切に生きてください
「治らない」と言われる病気であったとしても、それをいたずらに恐れるのではなく、現状をあるがままに受け入れる「覚悟」を持つことが大切です。覚悟が決まれば、未来への不安に時間を奪われることなく、今日一日をどう楽しく、有意義に過ごすかに意識を向けられるようになります。不安をゼロにすることは難しくても、今の自分にできる楽しみを見つけることはできるはずです。
社会や家族とのつながりを日々の活力にしてください
がんにかかると自分を「病人」として閉じ込めてしまいがちですが、できる範囲で社会や周囲の人とつながりを持ち続けてください。私にとって仕事が大きなモチベーションとなったように、誰かの役に立っている、誰かに必要とされているという実感は、治療を続ける上での大きな力になります。自分の存在意義を見失わないことが、病に立ち向かう強さにつながります。