写真はイメージです。(AIによる生成)プロフィール
お名前:こじかさん(ニックネーム)
年代:60代
性別:女性
家族構成:夫と2人暮らし
仕事:会社員
がんの種類:食道がん
診断時ステージ:ステージ1
診断年:2020年
現在の居住地:東京都
※本体験談は、患者さん個人の経験に基づくものです。治療の経過や副作用、生活への影響には、個人差があります。医療的な判断や治療方針の決定の際には、必ず医師・医療従事者にご相談ください。
2020年、こじかさんは食道がんと診断されました。早期発見と思われたものの、手術から1年後には肺と縦隔リンパ節への転移が判明しました。度重なる手術や抗がん剤治療、そして陽子線治療など、さまざまな選択を迫られる中で、こじかさんが一貫して大切にしたのは「自分らしい生活」を維持すること、そして「仕事を続けること」でした。再発の不安を抱えながらも、現在は趣味のよさこい祭りへの復帰や患者会活動など、アクティブな日々についてお話しいただきました。
飲酒時の違和感から始まった体調の変化
私が体に異変を感じ始めたのは、2019年のことでした。お酒を飲んでいるときに、胃の入口あたりに染みるような感覚があったのです。最初はそれほど深刻には考えず、近所のクリニックを受診しました。そこでは「逆流性食道炎ではないか」と言われ、薬を処方されました。しかし、服用を続けても症状は一向に良くならず、むしろ少しずつ悪化しているような気がしました。
ちょうどそのころ、自治体の胃がん検診があり、無料で胃内視鏡検査が受けられる機会がありました。私は自分の違和感を解消するために検査を受けましたが、結果は「とてもきれいで、何の問題もありません」というものでした。胃の入口付近の染みる感覚を伝えても「気のせいでしょう」と言われ、当時はその言葉に安心してしまいました。その後も逆流性食道炎の薬を飲み続けていましたが、やはり違和感は消えませんでした。
会社の健康診断をきっかけにわかった食道がん
2020年8月、会社の健康診断を受けました。胃の検査はX線検査でしたが、どうしても不安が拭えなかった私は、自己負担で胃内視鏡検査に変更してもらいました。画像検査中に異常が認められたため、病変組織を採取して組織検査も行いました。
8月末、健診センターから電話があり「すぐに来てください」と言われました。そこで医師から、食道がんという告知を受けました。1年前の検査では見つからなかったものが、確実にそこには存在していました。告知を受けたときは驚きもありましたが、ずっと続いていた胃の入口の染みる感覚の正体がわかったことで、どこか腑に落ちたような気持ちもありました。
大学病院でのロボット支援手術を決断
がんという告知は受けましたが、健診センターでは治療ができないため、病院を探す必要がありました。父が以前にお世話になっていた大学病院や、健診センターの医師から勧められた病院など、いくつか選択肢はありました。その中で私が選んだのは、自宅から通いやすく、家族が利用していた際にも信頼していた大学病院でした。
大学病院を訪れると、当時の病院長であった先生が迎えてくれました。先生は食道外科の権威であり、非常に丁寧にお話しをしてくださいました。検査の結果、私の病変は食道と胃の接合部にあり、周囲を一周するような形でした。「2週間後にロボット支援下手術(ダヴィンチ)の枠が空いているよ」と言われ、その場で手術を決めました。先生の明るく前向きな態度に救われ、大きな手術ではありましたが「ダヴィンチなら体の負担も少なそうだ」とポジティブに捉えることができました。
術後の入院生活と嚥下障害との闘い
2020年9月16日に手術を受けました。食道の亜全摘と胃管再建を行う大きな手術で、リンパ節の郭清も70か所くらい切除したと記憶しています。入院期間は28日間に及びました。手術自体は成功し、リンパ節転移もゼロだったことがわかって安心しましたが、本当に大変だったのは退院後の生活でした。
手術の影響で、食べ物や飲み物を飲み込むことが非常に困難になりました。特に水分の飲み込みが難しく、一口飲むのにも時間がかかりました。当初はとろみをつけたり、ゼリー状の飲料で水分補給をしました。ストローを使用すること飲みやすいことに気づきました。コップから連続してゴクゴクと飲むことができるようになるまでには、半年ほどかかりました。私は自分の中で「手術から100日(約3か月)」をひとつの目標にして、焦らず少しずつ体を慣らしていくように努めました。
患者会との出会いとお酒を辞めた理由
手術後の経過が落ち着いたころ、他の患者さんたちがいつからお酒を再開しているのか気になり、主治医に「お酒はいつから飲んで大丈夫ですか?」と尋ねたことがありました。すると先生は、一瞬とても不思議そうな顔をされ、「……まあ、別にいつでもいいですけど」とどこか煮え切らない返事をされました。
そのときは、なぜ先生があんな反応をされたのか理由がわからなかったのですが、その後、患者会「食がんリンクス」に参加したことで、その答えがようやく理解できました。
患者会で学ぶうちに、食道がんが「飲酒」と深い関わりがある可能性が高いことを知ったのです。先生のあの困惑したような表情は、「がんの原因となった可能性が高いお酒を、また飲もうとしているのか」という驚きだったのだと気づきました。それまで自分の病気とアルコールの関連性を全く意識していませんでしたが、その事実を知ってからは「またお酒を飲みたい」という気持ちが自然と消えていきました。
がん告知よりショックが大きかった1年後の転移
手術から1年が経過し、日常生活が落ち着いてきたころのことです。2021年の定期検査で、肺と縦隔のリンパ節に転移が見つかりました。最初の告知のときよりも、この再発の告知のときのほうがショックは格段に大きかったです。患者会でも手術後に順調な方が多かったため、自分もこのまま治るものだと思い込んでいたのです。
転移という言葉の重みを痛感し、インターネットで調べれば調べるほど、食道がんの再発や転移に関するネガティブな情報ばかりが目に入ってきました。予後があまり良くないという記述を見るたびに、覚悟する気持ちが強くなっていきました。自分よりも家族や周りの人のことを考えると気持ちが沈み、非常につらい時期でした。医師と相談しながら、すぐに抗がん剤治療を開始することにしました。
身体への負担を考え陽子線治療を選択
治療は、ドセタキセル、シスプラチン、5-FUを組み合わせたDCF療法というものでした。副作用は確かにありましたが、吐き気止めのおかげで、想像していたほどの苦しさではありませんでした。合計5クールの治療を行い、画像上では肺の病変が消え、治療の効果が確認できました。
治療を続ける中で、私は看護師や医師に「もっと積極的に治療する方法はないか」と尋ねました。そこで提案されたのが放射線治療でした。私は自分で調べ、体の負担が少ないとされる陽子線治療に興味を持ち、通いやすく実績のあるがんセンターでの受診を希望しました。大学病院側からは自院での放射線治療を勧められましたが、セカンドオピニオンとしてがんセンターを訪れ、陽子線治療を受けることに決めました。
がん保険の先進医療特約で受けた陽子線治療
陽子線治療は、先進医療扱いで非常に高額な費用がかかりました。それでも決断できたのは、加入していたがん保険に先進医療特約が付いていたからです。費用の心配をせずに、自分の体に最も負担が少なく、効果が期待できる治療法を選べたことは、精神的にも大きな安心になりました。
実際の陽子線治療は40日間ほど通院で行いましたが、大きな副作用も感じませんでした。並行して抗がん剤の5-FUも2クール行いましたが、生活の質を大きく損なわず治療することができました。情報の収集を怠らず、自分が納得した治療法を選択できたことには満足しています。
2度目の肺手術と心臓の合併症
陽子線治療から約1年が経過した2023年4月、再び肺の端に小さな病変が見つかりました。今度は大学病院に戻り、胸腔鏡による切除手術を受けました。肺の1/4程度を切除しましたが、初期手術が低侵襲だったため、癒着も少なく、肺転移の手術を行うことができました。肺機能も9割は温存できると言われ、術後の回復も順調でした。
実は、抗がん剤治療の入院中に、突然の頻脈(心臓の拍動が速くなること)に襲われたことがあり、検査の結果「上室性頻脈」と診断されました。最初は一時的なものでしたが、次第に発作が頻発かつ長期化し、トイレに行くだけで息が切れるほど悪化してしまいました。がんとの直接的な関連は不明でしたが、放置できない状態だったため、2024年にカテーテルアブレーション手術を受けました。これにより、現在は心臓の不安も解消されています。
仕事を辞めずに治療を続けた意味
治療を続けてきたこの5年間、私は一度も会社を辞めようとは思いませんでした。最初の手術の後は、会社の「復職支援プログラム」を利用し、時短勤務から段階的に復帰しました。また、コロナ禍により在宅勤務が推奨されたことも、食事や体調の管理をする上で大きな助けとなりました。
周囲にはがんであることを公表し、近しい仲間からはお守りをもらったり、温かい応援を受けたりしました。会社を辞めなかったことで、傷病手当金や健康保険の付加給付といった社会保障制度を最大限に活用でき、経済的な不安を最小限に抑えることができました。治療と仕事の両立は決して楽ではありませんでしたが、社会とのつながりを持ち続けられたことは、私の心の健康にとっても非常に重要だったと感じています。
趣味のよさこいとこれからの生活
病気になっても諦めたくないことがありました。それは、2000年から続けている趣味の「よさこい」です。大きな手術や転移、心臓の手術を経験しましたが、仲間の待つ場所に戻りたいという気持ちは、私を明るく前向きにしてくれました。
2023年の肺の手術後も、高知で開催された本場のよさこい祭りに参加し、仲間と共に踊ることができました。以前に比べれば体力は落ちたかもしれませんが、アクティブに動けている今の状態には満足しています。がんになったことで、自分の人生や家族との時間について深く考える機会を得ました。今、私がこうして笑顔で生活できているのは、支えてくれる家族や仲間の存在があったからです。
これからがんと向き合う方へのメッセージ
今、がん治療をしている方にお伝えしたいことがあります。
仕事は辞めないでください
がんの告知を受けると、動揺して「周囲に迷惑をかけるから」とすぐに仕事を辞めてしまう方が少なくありません。しかし、辞めるのはいつでもできます。まずは会社の休暇制度や傷病手当金、健康保険の付加給付など、利用できる制度をすべて確認してください。会社に在籍し続けることで、経済的な支えだけでなく、責任感や目標も持つことができ、治療後の居場所も確保できます。
情報を自分で取りに行く姿勢を持ってください
医師は医学の専門家ですが、患者としての生活など治療以外のことを把握しているわけではありません。患者会に参加して経験者の話を聞いたり、自分に合った治療法を調べたりして、納得のいく選択をしてください。自分から積極的に情報を求めることは、前向きな闘病生活につながると思います。