写真はイメージです。(AIによる生成)プロフィール
お名前:高野哲さん(本名)
年代:50代
性別:男性
家族構成:妻と2人暮らし(子どもは独立)
仕事:会社員
がんの種類:くすぶり型多発性骨髄腫
診断時ステージ:-
診断年:2022年
現在の居住地:神奈川県
※本体験談は、患者さん個人の経験に基づくものです。治療の経過や副作用、生活への影響には、個人差があります。医療的な判断や治療方針の決定の際には、必ず医師・医療従事者にご相談ください。
2022年、高野哲さんは働き盛りの50代でくすぶり型多発性骨髄腫と診断されました。経過観察から始まった闘病生活は、やがて本格的な治療、そして自家造血幹細胞移植へと進んでいきました。治療と仕事の両立、転職、そして最愛の孫の誕生。病と向き合いながらも、自分自身の評価と家族との時間を何より大切にしてきました。診断から再発、そして未来の治療を見据えた現在の心境についてお話しいただきました。
始まりは健康診断でのささいな異常
私の闘病生活は、2022年の健康診断から始まりました。実はその前年から、2年連続で尿タンパクの異常を指摘されていたのですが、当時の私はそれほど深刻に考えてはいませんでした。というのも、私は1歳6か月の頃に腎臓結石を患った経験があり、小中学校時代の健康診断でも頻繁に尿タンパクで再検査になっていたからです。成人してからは落ち着いていましたが、「またいつものことだろう」と軽く考えていました。
しかし、その年は例年とは異なる変化がありました。特に運動や食事制限をしていたわけでもないのに、1年で体重が10kgも減っていたのです。この変化を重く見た当時の勤務先の健康相談室から、泌尿器科の受診を強く勧められました。当時は仕事が非常に忙しく、夜遅くまで業務に追われていましたが、自宅近くに夜9時まで診療している泌尿器科クリニックを見つけ、ようやく受診しました。
そこで受けた血液検査と尿検査の結果が、私の人生を大きく変えることになりました。クリニックの先生は、結果から「Mタンパク」が出ていることに気づいてくださいました。先生は以前、私が住んでいる市内の公立大学病院に在籍されていたそうで、Mタンパクと多発性骨髄腫に対する専門的な知識をお持ちでした。「大きな病院で診てもらう必要があります」と言われ、先生が勤務されていた市内の公立大学病院への紹介状を書いてくださり、同公立大学病院の血液内科の予約を取っていただきました。2021年の12月にクリニックを受診し、年が明けた2022年の1月から、大学病院での精密検査が始まりました。
経過観察から半年、治療を開始
大学病院では、骨髄検査や全身の画像検査など、これまで経験したことのない詳細な検査を行った結果、くすぶり型多発性骨髄腫と診断されました。当時、まだ骨の破壊などの症状はありませんでした。すぐに治療を始める必要はなく、まずは経過観察することになりました。
当初は2か月に1回程度の通院で済んでいたため、生活に大きな変化はありませんでした。職場でも直属の上司には病名を伝えていましたが、体調に変化はなかったので、以前と変わらずフルタイムで働き続けていました。しかし、状況は半年ほどで一変しました。定期検査で腎機能を示すクレアチニンの数値が急速に悪化し始めたのです。2022年8月、主治医から「これ以上放置すると危険です。すぐに治療を開始しましょう」と言われ、本格的な闘病が始まりました。
最初の治療として、2週間の入院が必要だと言われました。当時は責任あるポジションを任されており、業務を止めるわけにはいかないという焦りがありました。しかし、会社側が私の状況を理解し、代わりの人員を手配してくれるなどのサポートをしてくれたおかげで、治療に専念する決断ができました。入院中に行われたのはVRD療法という、3種類の薬を組み合わせた標準的な治療でした。入院中は大きな副作用はありませんでしたが、退院後に血尿や全身の発疹、さらには倦怠感や味覚障害、末梢神経障害による手足のしびれが一気に出てきました。
仕事と治療の両立を困難にしたコロナ禍のルール
仕事への復帰後も、困難は続きました。退院直後の2022年9月には、腰椎の圧迫骨折を起こしてしまいました。さらに追い打ちをかけたのが、当時のコロナ禍のルールでした。副作用で発熱することがあったのですが、会社側としてはコロナ感染のリスクを排除できないため、熱がある限りは出社が認められず、1週間ほどの欠勤を余儀なくされました。
当時は新幹線を利用した遠距離通勤をしていましたが、VRD療法による免疫低下とそれに伴う感染症のリスクが高いことを考慮し、上司に相談しました。その結果、週2回の通院日は有給で休み、それ以外は出勤と在宅勤務を併用させてもらえるようになりました。自宅から会社のサーバーにアクセスできる専用のパソコンを支給してもらうなど、その時は会社側の配慮には本当に助けられました。仕事と治療を天秤にかければ、命を守る治療が優先ですが、同僚に迷惑をかけたくないという思いも強く、必死で業務をこなしました。
VRD療法の導入治療の際、主治医から「50代というこの病気では比較的若い年齢で発症し、内臓疾患がないので、より深い寛解を目指して、自家造血幹細胞移植を行いましょう」という提案を受けていました。2022年11月に末梢血幹細胞を採取するために1週間入院しました。翌12月に再び入院し、大量の抗がん剤(メルファラン)を投与する治療を受け、末梢血幹細胞の自家移植を行いました。この時に使用した薬の副作用は、これまでの治療とは比較にならないほど激しいものでした。無菌室で過ごした1か月間は、激しい下痢と時々吐き気を伴う倦怠感で2週間ほど食事がほとんど喉を通らず、ただ天井を見つめて耐え忍ぶ日々でした。
娘の結婚式、そして転職という大きな決断
移植後、2023年5月からは、最初の2週間は入院し、その後は通院による維持療法を行いました。この時期、私には何としても達成したい目標がありました。それは、11月に行われる娘の結婚式に、最高の状態で出席することでした。維持療法の影響で味覚障害が続いていましたが、私は主治医に「娘の結婚式では、おいしい料理を味わい、一緒にベルギー勤務から帰国する時に買い求めた娘の生まれた年のワインを飲みたいのです」と切実な思いを伝えました。主治医はその要望を汲み取り、結婚式の時期に合わせて一時的に服薬を休むスケジュールを検討してくれました。幸い、8月には検査の数値が安定したことで休薬となり、当時の主治医から「このまま無治療で経過観察だけで良いですよ」と言われ、そのまま無治療になりました。
一方で、仕事の面では大きな壁に突き当たりました。当時の勤務先では、55歳を過ぎると役職定年となり給与が下がる仕組みがありました。さらに会社からは、病気を理由に自宅近くへの転勤と、さらなる給与ダウンを提示されたのです。会社側は「配慮」と言いましたが、私にはパフォーマンスが落ちていないにもかかわらず、病人だからと不当に評価を下げられたように感じられました。これから先の治療費のことも考えると、納得できるものではありませんでした。
そこで私は、2024年の末に自分を正当に評価してくれる別の会社へと転職することを決意しました。転職先(現在の勤務先)には、最初から病気のことを包み隠さず伝えました。もしもの時に迷惑をかけたくないと考えたからです。幸いにも、今の会社は「50歳を過ぎれば多かれ少なかれ、みな病気を抱えているものです。あなたの経験が必要です」と言って私を受け入れてくれました。働くことは、私にとって単なる生活の手段ではなく、社会における自分の価値を証明する大切な場なのです。
再発しても孫の未来を見届けるという希望
2023年8月から約2年間、無治療で経過観察を続けていましたが、2025年7月に再発が認められました。そのため、再発治療としてDVd療法を行うことになり、現在も治療中です。副作用もあり、大好きだったスキーには怖くて行けなくなるなど、できなくなったこともあります。しかし、それ以上に私を突き動かす新しい原動力があります。それは、昨年生まれた孫の存在です。
2022年の告知当初、先生からは「あと10年くらい」という言葉をかけられました。それから4年が経ちましたが、私にはまだやり残したことがあります。それは、孫が小学校に入学する姿を、この目で見届けることです。そのために、現在は主治医と相談し、CAR-T細胞療法の機会をうかがっています。保険適用になったことで経済的なハードルも下がったので、チャンスがあれば治療を受けたいと考えています。
多発性骨髄腫は、確かに完治が難しい病気かもしれません。しかし、医療は日々進歩しており、新しい薬や治療法が次々と登場しています。私はこれからも、仕事に対する誇りを持ち続け、家族、そして孫との時間を1秒でも長く過ごすために、1歩ずつ歩んでいきたいと思っています。
これからがんと向き合う方へのメッセージ
今、がん治療をしている方にお伝えしたいことがあります。
仕事を辞めずに、両立の道を模索してください
がんと診断されると、もう働けないのではないかと絶望してしまうかもしれません。しかし、働くことは経済的な支えになるだけでなく、社会との繋がりを保ち、自分自身のプライドを守ることにも直結します。会社や主治医としっかり対話し、リモートワークや短時間勤務など、今の自分にできる働き方を諦めずに探してみてください。
主治医には自分の「人生の目標」を伝えてください
治療は単に病気を治すためだけのものではなく、自分らしく生きるための手段です。私にとっての娘の結婚式のように、どうしても譲れない大切な予定があれば、遠慮せずに主治医に話してみてください。あなたの人生を尊重してくれる医師であれば、必ず最善の方法を一緒に考えてくれるはずです。
楽しみを未来に設定し、希望を持ち続けてください
厳しい治療を乗り越えるためには、心の支えが必要です。私の場合は、孫の成長を見届けることが大きなエネルギーになっています。どんなに小さなことでも構いません。未来の楽しみを見つけることが、病気と向き合う勇気を与えてくれます。医療の進歩を信じ、前を向いて歩んでいきましょう。