写真はイメージです。(AIによる生成)プロフィール
お名前:メロンさん(ニックネーム)
年代:40代
性別:女性
家族構成:夫と子ども2人との4人暮らし
仕事:パート勤務
がんの種類:卵巣がん、子宮体がん
診断時ステージ:1C1(卵巣がん)、1A(子宮体がん)
診断年:2023年
現在の居住地:埼玉県
※本体験談は、患者さん個人の経験に基づくものです。治療の経過や副作用、生活への影響には、個人差があります。医療的な判断や治療方針の決定の際には、必ず医師・医療従事者にご相談ください。
2023年、メロンさんは体に感じた違和感をきっかけに近隣の婦人科クリニックを受診しました。検査結果は「異常なし」とされましたが、症状は改善せず、診断が確定するまでに5か月を要することとなりました。卵巣がんの術後に判明した子宮体がん、そして再発予防のための抗がん剤治療。不確かな情報に翻弄されながらも、標準治療を完遂するまでの経緯についてお話しいただきました。
異変が続いても「異常なし」という診断で不安に
2023年の初めごろ、私はそれまでに経験したことのない体の異変を感じていました。不正出血ではありませんでしたが、水のようにさらさらとした「おりもの」が、かなりの量で出てくるようになったのです。これまで経験したことのない不快感と違和感があり、近所の婦人科クリニックを受診することにしました。
最初の受診では、経膣超音波検査と子宮頸がんの検査が行われました。しかし、医師から告げられたのは「異常なし」という診断でした。超音波画像でも子宮内膜や卵巣に腫れは見られませんでした。医師からは「ホルモンバランスの関係ではないか」と説明され、処方された薬を服用して2週間ほど様子を見ることになりました。
しかし、薬を飲み終えても症状に変化はありませんでした。改善が見られないため再び受診したところ、次は子宮体がんの検査を行うことになりました。子宮体部の細胞を採取して詳しく調べましたが、その結果も「陰性」でした。医師は重ねて「やはりホルモンバランスの異常だろう」と言い、別の薬が処方されました。
その後も、2週間や1か月という単位で薬が変わり、漢方薬なども試しましたが、おりものの症状は一向に治まりませんでした。それどころか、量は次第に増え、わずかに血が混じるようにもなってきました。不安は募りましたが、医師から「命に関わるような悪い病気ではないから、薬で様子を見ましょう」と言われていたため、今の治療を続けるしかないと考えていました。気づけば、最初に受診してから4、5か月が経過していました。
友人の助言により転院を決断
状況が大きく動いたのは、仲の良い友人と食事をしていた時でした。その友人の妹さんが卵巣がんで闘病していたため、私は何気なく自分の現状を話しました。すると、友人の妹さんも以前、私が通っているのと同じクリニックに通っていたことがわかったのです。友人によれば、その妹さんはそのクリニックで「異常なし」と言われ続けた結果、診断が遅れてしまい、大きな病院へ行った時には手術が困難なほど進行していたそうです。
友人からは「もし同じところに行っているなら、すぐに別の病院でも診てもらった方がいい」と強く勧められました。私はその場で別の婦人科専門の病院を予約しました。それまで通っていたクリニックにはもう行かないと決め、新しい病院でこれまでの経緯をすべて伝えて改めて検査を受けました。
新しい病院で行われた超音波検査で、「卵巣が腫れている」という指摘を受けました。さらにMRIの検査を行い、その画像診断レポートには、「卵巣がんの疑い」と書かれていました。腫瘍マーカーは基準値をわずかに超える程度で、この段階では先生も判断に迷っていました。しかし、「放射線科医のレポートに卵巣がんの疑いとある以上、悪性腫瘍を多く扱っている病院で診てもらってください」とのことでした。前のクリニックでの診断とは全く異なる結果に落胆すると同時に、薄々感じていた嫌な予感が現実になってしまったという思いもありました。
その後、紹介された大学病院を受診しました。初診では以前の病院の検査データを基にしつつ、不足していた検査が追加で行われました。その段階で、医師からは「がんを前提とした手術を行う必要があります」とはっきり告げられました。画像から判断して悪性である可能性が極めて高いということでした。医師は「早めの方がいいから、もう手術の日程を入れてしまいましょう」と、その場ですぐに手術日が決定されました。
手術前、私は「がんではない可能性」もわずかに期待していました。しかし一方で、友人の妹さんのように手遅れになることだけは避けたかったのです。手術ができる状態でがんと向き合えるのであれば、すぐに取ってしまいたい。手術を受けることに迷いはありませんでした。
手術で判明した重複がん
2023年、手術が行われました。内容は両側の卵巣、卵管、子宮の全摘出、リンパ節、および大網の切除です。医師からは、お腹を開けてみてまず卵巣を切除して術中迅速組織診をし、悪性でなければそれで終了。悪性であれば、さらに切開の範囲を広げると説明されていました。
術後の診断により、卵巣がんはステージ1C1であることがわかりました。さらに、摘出した組織を調べた結果、子宮体部にも別のがんが見つかり、子宮体がんのステージ1Aという診断も下されました。2つのがんが同時に存在する状態でしたが、どちらも比較的早期の段階でした。
手術後、再発予防のために術後化学療法が必要であると説明されました。私は以前から薬の副作用、特に吐き気や嘔吐に対して強い恐怖心を持っていました。妊娠中のつわりが非常に重かった経験もあり、抗がん剤によって再びあの苦しみが続くのではないかというイメージが頭を離れませんでした。退院の際、医師から6回の抗がん剤治療のスケジュールを提示された時は、心の準備ができておらず激しく動揺してしまいました。
私は抗がん剤治療を本当に受けるべきか悩み、主治医に2つの質問をしました。「先生の家族が同じ状況でも、この治療を勧めますか」ということ。そして「この治療は、命に関わる可能性を減らすためのものと考えていいですか」ということです。医師は迷いなく「家族でも絶対にやらせます。命を守るために必要な治療です」と答えられました。その即答する姿を見て、私はようやく腹をくくることができました。
抗がん剤治療の副作用に対する不安と現実
実際の抗がん剤治療は、TC療法(パクリタキセルとカルボプラチン)を計6回行うものでした。最も恐れていた吐き気については、事前に主治医に「とにかく怖い」と訴えたことで、適切な制吐剤を組み合わせた処方を行ってもらえました。
実際に投与が始まると、投与後の1、2日は強い倦怠感と気持ち悪さで寝込むこともありましたが、数日が経過するとその症状は一気に改善しました。「この苦しみは永遠ではなく、数日で抜けるものだ」と1回目で理解できたことで、2回目以降は過度な不安を感じずに臨むことができました。経験者の友人からも「心配なら先生によく言っておいた方がいい」とアドバイスをもらっていたことが役に立ちました。
一方で、手足のしびれ(末梢神経障害)には悩まされました。治療が進むにつれてしびれが蓄積し、家の中で何かに触れるだけで痛みを感じるようになりました。このまま歩けなくなるのではないか、どこまで我慢すべきなのかという不安も生じました。しかし、「6回やり遂げれば治療は終了」という明確なゴールがあったため、医師と相談しながらなんとか完遂することができました。
脱毛についても、自分なりに覚悟を決めていました。TC療法では全身の毛が抜けるという情報は事前に得ていたため、ウィッグや帽子を準備して備えました。眉毛やまつ毛まで失うことになりましたが、それもメイク法を事前に研究して備えました。そのおかげで、髪型は変わってしまったものの、がん患者とは気づかれないくらい自然に装えたと思います。
情報収集で学んだ、良い面と悪い面を確かめることの大切さ
治療期間中、私はインターネットで膨大な量のがんに関する情報を収集しました。当時は「がんに効く魔法のような方法」がどこかにあるのではないかと期待し、自由診療や高額なサプリメントについて熱心に調べていました。夫に「どうしてもこれを受けたい。お金を工面できないか」と本気で詰め寄ったこともあります。
夫は私を突き放すのではなく、「よくわからない治療をして、逆に体が変になってしまう方が怖い。医学的に根拠がないものに手を出すのはやめた方がいい」と冷静に諭してくれました。最初は反発しましたが、その後も情報を精査し続けるうちに、自分が見ていた情報の多くが「良い面だけを強調した広告的なもの」であることに気づき始めました。
特に、YouTubeなどで標準治療の大切さを説く医療者の発信を見たり、自由診療を受けた人の冷静なレビューを探したりするうちに、高額な治療費を払っても効果が保証されない現実を知りました。たまたま自分とは対極の意見や情報に触れることができたおかげで、私は怪しげな治療に大金を投じる手前で思いとどまることができました。
私が精神的な安定を取り戻せたのは、主治医との対話が大きな要因でした。検査結果の些細な文言に不安を感じ、パニックに近い状態で質問した私に、医師はこう言ってくれました。
「検査結果をきちんと説明できなくて不安にさせてしまいましたね。あなたは今、完治を目指せる状態にあります。私の経験上、今の段階で急激に悪くなることは考えにくい。安心してください」
それまでは「いつ死ぬかわからない」という恐怖に支配されていましたが、自分の受けている治療が延命ではなく「治すため」のものであるとはっきり認識できたことで、前を向くことができました。完治を目指せるという言葉の重みを、この時ほど強く感じたことはありませんでした。
家族と共に歩む平穏な日常
中学生と小学生の息子たちにも、自分の病気については隠さず事実を伝えました。子どもたちは思いのほか冷静に受け止めてくれました。母親ががんだからといって、過度に同情したり悲しんだりするのではなく、いつも通りに接してくれました。
死の恐怖にとらわれている自分との温度差に、少し戸惑いや寂しさを覚えることもありましたが、家族全員がパニックに陥らなかったからこそ、日常生活が保たれていたのかもしれません。
副作用で髪が抜けていく様子には戸惑っていたようですが、家庭内が暗くなりすぎることはありませんでした。家族に病状を共有していたことで、無理に元気なふりをする必要もなく、体調が悪い時は素直に助けを求めることができました。
最初のクリニックで「異常なし」と言われ続けた5か月間は、今振り返っても大きなリスクだったと思います。もしあのまま別の病院へ行っていなければ、がんは進行し、今こうして元気に過ごすことはできていなかったかもしれません。他人の助言に耳を傾け、自分で行動を起こしたことが、私の運命を分けました。
現在は抗がん剤治療も終わり、再発もなく定期的な経過観察を続けています。診断から3年が経過し、再発リスクが低下する時期を無事に超えつつあります。今でも検査の前には緊張しますが、あの時、逃げずに標準治療を最後まで受けた選択は間違っていなかったと思っています。
これからがんと向き合う方へのメッセージ
今、がん治療をしている方にお伝えしたいことがあります。
副作用を過度に恐れすぎず、主治医と対話を重ねてください
抗がん剤の副作用、特に吐き気や嘔吐については、今の医療でかなりの部分を抑えることが可能です。イメージだけで「絶対に無理だ」と治療を拒絶してしまうのは、完治の可能性を狭めてしまうことにもなり、非常にもったいないことです。まずは自分の不安をすべて医師に話し、対策を講じてもらった上で、一度試してみてから判断してほしいと思います。
魅力的な情報ほど、必ず反対側の意見も調べてください
不安な時ほど、魔法のような治療法に頼りたくなりますが、世の中には医学的根拠のない情報があふれています。もし特定の治療に惹かれたなら、必ずそれに対する否定的なレビューや「怪しい」と言っている人の意見も探してみてください。良い面と悪い面の両方を知ることで、一時的な感情に流されず、自分にとって本当に必要な治療が何であるかを冷静に判断できるようになります。