写真はイメージです。(AIによる生成)プロフィール
お名前:こたつさん(ニックネーム)
年代:70代
性別:男性
家族構成:妻と2人暮らし(子ども3人は独立)
仕事:設備維持管理
がんの種類:肺がん
診断時ステージ:ステージ1B
診断年:2021年
現在の居住地:茨城県
※本体験談は、患者さん個人の経験に基づくものです。治療の経過や副作用、生活への影響には、個人差があります。医療的な判断や治療方針の決定の際には、必ず医師・医療従事者にご相談ください。
2021年、茨城県で設備維持管理職に従事していたこたつさんは、毎年のルーティンであった人間ドックで肺の異常を指摘されました。しかし、そこから確定診断に至るまでの道のりは、決して平坦なものではありませんでした。最初の総合病院での「経過観察」という判断に納得がいかず、自ら行動を起こして別のクリニックを受診しましたが、診断が下るまでに10か月を要しました。信頼できる医師と出会って手術を完遂したこたつさんの5年間の歩みについてお話しいただきました。
モヤモヤとした始まりと、4か月の「空白」
私の闘病体験は、2021年に受けた人間ドックから始まりました。もともと健康管理には人一倍気を使っており、1年に1回の人間ドックは欠かさず受けていました。その年の検査の結果、胸部レントゲン検査で「肺に影がある」という指摘を受けたのです。
人間ドックを受けたクリニックからは、詳しい精密検査が必要だとして紹介状を渡されました。私はすぐに、地域でも大きな総合病院を受診しました。そこならPET検査も受けられると聞いていたので、はっきりしたことがわかると期待していました。しかし、その総合病院での診断は、私の期待とは裏腹に、非常に曖昧なものでした。「影が小さすぎるので、今の段階ではがんかどうかよくわかりません。しばらく経過を見ましょう」と言われたのです。
医師の言葉を信じるべきか悩みましたが、やはり体に「何か」があると言われて何もしないのは、精神的に大きな負担でした。私はその医師にPET検査を希望しましたが、返ってきたのは「どうしてもと言うなら検診としてならできますが、その場合は全額自己負担になります」という言葉でした。その冷ややかな物言いに、私は強い違和感を抱きました。不信感のようなものが芽生え、結局その病院では検査を進めず、そのまま4か月の月日が流れてしまいました。
この4か月間、仕事は通常通り続けていましたが、頭の片隅には常に「肺の影」がありました。ジョギングをしていても、以前より息苦しいのではないかと疑心暗鬼になりました。悶々とした日々を過ごす中で、やはりこのままではいけない、納得のいく答えがほしいという思いが強くなっていきました。
肺の影の正体を突き止めるため自ら動いた再検査
「もう一度、別の先生に診てもらおう」そう決意した私は、以前行った総合病院ではなく、近所にある別のクリニックを自分で探して受診しました。呼吸器を専門とするそのクリニックの先生は、私の話を丁寧に、そして素直に聞いてくれました。これまでの経緯、人間ドックで指摘されたこと、総合病院で経過観察と言われて不安だったこと。すべてを話し終えた時、先生は「確かに影があるのは事実なのだから、まずはレントゲン以外の詳しい検査をしてみましょう」と、淡々と行動を起こしてくれました。
そのクリニックで改めてCT検査を受けた結果、やはり「怪しい」という判断が下されました。先生はすぐに、同じ県内にある大学病院への紹介状を書いてくれました。この時、最初の人間ドックからすでに10か月が経過していました。時間がかかりすぎたという後悔よりも、ようやく物事が動き出したという安堵感の方が大きかったのを覚えています。
紹介先の大学病院では、最初からPET検査を受けることができました。さらに、生検も行われました。その結果、ようやく肺がんという確定診断が出ました。ステージは1B。比較的早い段階で見つかったことがわかりました。
医師から「肺がんです」と告げられた瞬間、不思議なことにショックはありませんでした。むしろ、10か月もの間、正体のわからない影に怯え、モヤモヤしていた霧が晴れたような感覚でした。事実がはっきりし、これから何をすべきかという道筋が見えたことで、私の心は落ち着きを取り戻していました。
仕事への影響を考え手術を選択
自分の心は決まっていましたが、家族に伝えるのは心苦しいものがありました。妻と、すでに独立していた3人の子どもたちに事実を伝えました。ステージ1Bで手術ができる状態だという説明も添えましたが、ひどくがっくりした様子でした。家族にとっては、ステージの数字よりも「がん」という言葉の響きそのものが、大きな不安だったのでしょう。
大学病院の主治医は、非常に率直な方でした。包み隠さずズバズバと物事をおっしゃる姿勢に、私は強い信頼を寄せました。先生が提示した治療法は2つでした。手術による切除か、放射線治療か。それぞれのメリットとデメリット、そして治療に必要な期間の説明がありました。
手術を選んだ場合、入院期間は約2週間。一方、放射線治療を選ぶと通院を含めて1か月以上の期間を要することもあります。私は仕事のことが真っ先に頭に浮かびました。施設の維持管理という責任ある仕事を、長く休むわけにはいきません。「1か月は休めない。2週間で済むのなら」と、私は手術を希望しました。幸い、私の体力やがんの部位からも手術は可能だという話になり、方針が決まりました。
会社には正直に病状を報告しました。「肺がんと診断されたため、手術のために2週間ほどお休みをいただきたい」と伝えたところ、会社側は「治療に専念してください」と快く承諾してくれました。職場との信頼関係が築けていたことも、治療に踏み出す大きな後押しとなりました。
今をより安心して生きるための備え
手術は左下葉を切除するものでした。無事に終わり、入院期間も予定通り2週間で退院することができました。術後の抗がん剤治療などは提案されず、切除によってがんを取りきることができたため、あとは定期的な経過観察へと移行しました。
退院後、日常生活に戻って一番に感じた変化は、身体的な影響でした。それまでは趣味でジョギングを楽しんでいたのですが、肺を一部切除したことで以前のような運動量は維持できなくなりました。走ろうとすると、どうしても息苦しさが先行してしまいます。しかし、私はそれを悲観することはありませんでした。「がんを経験して、そういう年齢になったのだ」と自分を納得させました。走るのが無理なら歩けばいい。そう考えて、ジョギングをウォーキングに切り替えました。今ではウォーキングが、私の新しい健康習慣になっています。
また、がんという現実に直面したことで、精神的な変化もありました。「限りある時間」を意識するようになり、私はエンディングノートを書き始めました。自分が死んだ後のこと、家族に託したいこと。それらを整理しておくことで、後を任せられる準備を整えておきたかったのです。これは単なる死への準備ではなく、今をより安心して生きるための、私なりの知恵でした。
5年目の節目と、医師の慎重さ
手術から4年半、間もなく5年が経過しようとしています。現在のところ、再発や転移は認められていません。しかし、今でも経過観察は続いています。一般的には5年経過すれば一つの節目とされますが、私の主治医は非常に慎重です。「肺がんは脳に転移しやすいから」という理由から、今でも3か月に1回は定期検査を受けています。レントゲン、CTに加えて、1年に1回は脳のMRI検査も欠かしません。
患者の側からすれば「もう治ったのではないか」と思いたい気持ちもありますが、先生が「まだだ、まだ安心はできないぞ」としぶとくチェックしてくれる姿を見ると、それだけ真剣に向き合ってくれているのだと感じます。この慎重さこそが、今の私の平穏を支えてくれているのです。
振り返ってみれば、あの時、最初の総合病院の言葉に従って経過観察を続けていただけなら、今の私はなかったかもしれません。医師との相性、そして自分の納得感。それを追求するために自ら動いたことが、10か月という時間はかかりましたが、最善の結果につながったのだと確信しています。現在は仕事も元気に続けており、同年代の仲間と比べても、それほど悪い状態ではないと感じながら日々を過ごしています。
これからがんと向き合う方へのメッセージ
今、がん治療をしている方にお伝えしたいことがあります。
納得できるまで自ら行動してください
医師の言葉に少しでも疑問やモヤモヤを感じたら、それを放置せず、自分が納得できるまで動いてください。セカンドオピニオンを求めることや、信頼できる医師を自分で探すことは、決して悪いことではありません。納得感を持って治療に臨むことが、その後の精神的な安定と回復に大きくつながります。
医師との対話を大切にしてください
信頼できる医師とは、こちらの話をしっかりと聞き、それに対して素直な考えを話してくれる人だと思います。ただ検査数値や画像を見るだけでなく、1人の患者としてその人の生活や考えを理解しようとしてくれる医師を見つけてください。信頼できるパートナーがいれば、再発の不安や治療の辛さも、共に乗り越えていくことができます。
今できる形で生活を繋いでください
がんになったことで、以前と同じことができなくなる場合もあります。私の場合もジョギングがウォーキングに変わりました。しかし、形を変えても生活を繋いでいくことが、「自分はまだ大丈夫だ」という自信になります。完璧を目指さず、今の自分にできる楽しみを見つけていくことが、心の支えになります。