写真はイメージです。(AIによる生成)プロフィール
お名前:ちゃんこさん(ニックネーム)
年代:60代
性別:女性
家族構成:夫と2人暮らし(子ども2人は独立)
仕事:専業主婦
がんの種類:乳がん
診断時ステージ:ステージ4
診断年:2010年
現在の居住地:北海道
※本体験談は、患者さん個人の経験に基づくものです。治療の経過や副作用、生活への影響には、個人差があります。医療的な判断や治療方針の決定の際には、必ず医師・医療従事者にご相談ください。
2010年1月、ちゃんこさんは乳がんのステージ4という診断を受けました。厳しい現実を突きつけられながらも、ちゃんこさんは「10人のうち3人の生存率なら、その中に入ればいい」と、ポジティブな思考で治療を続けてきました。診断から16年以上を経て、現在も最新の治療薬を使いながら穏やかに過ごす日々についてお話しいただきました。
左腕のしびれから始まった、想定外の診断
すべては2009年の12月に感じた、左の二の腕あたりの違和感から始まりました。最初は少ししびれるような、重だるいような感覚があるだけでした。「そのうち治るだろう」と軽く考えていましたが、2週間、3週間と経ってもそのしびれは一向に取れませんでした。冬の寒さのせいかとも思いましたが、念のために整形外科を受診することにしました。
整形外科での診察では、レントゲンを撮るなど一般的な検査を受けました。しかし、医師からは「骨や神経に異常は見当たりませんよ」と告げられました。原因がわからないと言われると、かえって不安になるものです。そのとき、なぜか唐突に「これはもしかしたら乳がんなのではないか」という予感が胸をよぎりました。自分でもなぜそう思ったのかはわかりませんが、その直感を信じて動くことにしました。
受診していた病院は地域でも評判の良い総合病院で、外科の中に乳腺外来が併設されていました。当時は紹介状がなくても他の診療科へ回れるシステムだったので、すぐに乳腺の専門医に診てもらうことができました。それが2010年1月のことです。
診察室に入り、まずは超音波(エコー)検査を受けました。モニターを見つめる医師の表情が、次第に険しくなっていくのがわかりました。エコー画像には、素人目にもはっきりと異常だとわかる腫瘍が写し出されていました。その後の精密検査の結果、病状は私の想像をはるかに超えていました。乳腺にある腫瘍だけでなく、すでに肝臓や骨など、全身のあちこちにがんが転移していたのです。
告知の場で医師から告げられたのは、「乳がんのステージ4」という言葉でした。すでに全身に広がっているため、手術や放射線治療は今の段階では適応外であること、そして薬物療法でがんの増殖を抑えていくしかないという方針が示されました。
「10人中3人なら大丈夫」という根拠のない自信
ステージ4という告知を受けた瞬間、私は意外なほど冷静でした。ショックで泣き崩れるようなことはなく、「ああ、やっぱりがんだったのか」と自分の直感が当たったことに妙な納得感を覚えていました。しかし、一緒に診察室で話を聞いていた主人は違いました。動揺し、これまでに見たことがないほど大きなショックを受けていました。
自宅に戻り、私は自分なりに病気について調べ始めました。パソコンを使って情報を集めたり、図書館へ足を運んで専門書を読み漁ったりしました。そうして調べていくうちに、5年生存率という厳しい数字に突き当たりました。2010年当時の統計では、乳がんステージ4の5年生存率は30%程度だったと記憶しています。
その数字を見たとき、私はこう考えました。「10人のうち3人が生き残るのなら、私はその3人の中に入ればいいんだ。きっと入れるはずだ」と。痛みなどの自覚症状がほとんどなかったことも、そうした強気な姿勢を後押ししてくれました。私にとって「30%」という数字は、絶望の指標ではなく、自分が勝ち取るべき目標の数字に変わりました。
主人は最初こそ落ち込んでいましたが、私が前向きに構えているのを見て、次第に「自分にできることは何か」を考えてくれるようになりました。がんに関する情報を集めてきたり、体の負担を減らすために家事を積極的に分担してくれたりと、献身的に支えてくれました。当時、高校生だった2人の子どもたちも、私の病気を淡々と、しかし温かく受け止めてくれました。家族が過剰に私を「病人扱い」しなかったことが、何よりの支えになりました。
一進一退を繰り返しながら、薬とともに歩んだ7年間
私の乳がんのサブタイプは、ホルモン受容体陽性、HER2陽性でした。そのため、最初に受けたのは、タキソールとハーセプチンによる治療でした。治療を開始した初日の夜には発熱がありましたが、それ以降は激しい痛みや寝込むような副作用はありませんでした。
ただ、抗がん剤特有の副作用は着実に現れました。髪が抜け、手足がしびれ、むくみが出てきました。指先が荒れて血が出ることもありましたが、「これががんと闘っている証拠だ」と言い聞かせて耐えました。仕事はパートをしていましたが、周囲の理解もあり、治療を続けながら1年ほどはそのまま勤務を続けました。普通の生活を維持することが、私の誇りでもありました。
しかし、2010年12月の定期検査で、厳しい現実を突きつけられました。薬物療法を行っていたのに、がんが大きくなり、転移の数も増えていたのです。「今の薬はもう効いていない」という主治医の言葉に、初めて足元が揺らぐような不安を覚えました。
2011年の1月から、薬をタイケルブとゼローダの組み合わせに変更しました。この薬は私の体に合っていたようで、服用開始から数か月後の検査では、がんが小さくなり、数も減っていくという良い兆しが見えました。もちろん、すべてが順風満帆だったわけではありません。2012年の6月には頸椎への転移が見つかり、脊髄を圧迫して歩けなくなる危険があるとのことで、その部位に放射線治療を行いました。
こうした局所的な悪化への対応はありましたが、ベースとなる薬物治療は非常に効果的で、一時は画像上でがんが確認できない状態にまでなりました。結果として、この組み合わせの治療は2017年までの約7年間という長期間、私の体を支え続けてくれることになったのです。
この時期、私は治療を優先するためにパートの仕事を辞める決断をしました。体調が悪いわけではありませんでしたが、自分の人生に残された時間をどう使うかを考えたとき、仕事よりも家族との時間や、自分を労わる時間を大切にしたいと思ったからです。この7年間は、がんを抱えながらも、旅行に行ったり趣味を楽しんだりと、ごく普通の幸せを噛みしめることができた貴重な時間でした。
治療環境を見つめ直し、地元の病院へ
2017年、今度は副腎に新たな転移が見つかりました。長年使い続けてきた薬に対しても、がんは少しずつ耐性を持っていくのだと痛感しました。主治医からは、副腎の腫瘍を摘出する手術を提案されました。「片方を取っても、もう一方が残っていれば日常生活に支障はない」という言葉を信じ、手術を受けることに決めました。
この手術にあたっては、自分の意志を強く通しました。当時は通院に少し時間がかかる病院に通っていましたが、手術は実績のある先生にお願いしたいと考え、自分で調べて「この先生なら」と思える執刀医のもとへ足を運びました。手術の結果は良好で、術後の経過も驚くほどスムーズでした。
手術を経て、私はあらためて「これからの長い治療をどこで受けるべきか」を考えました。転移を繰り返し、常に新しいリスクを抱える中で、何かあったときにすぐに駆け込める地元の病院の重要性を感じたのです。私は自分の判断で、最初に診断を受けた地元の総合病院に戻ることにしました。そこで出会ったのが、今も全幅の信頼を置いている主治医です。
医師との信頼関係が「生きる力」になる
16年に及ぶ治療生活の中で、私は多くの医師と接してきました。すべての出会いが良かったわけではありません。中には、患者を置き去りにするような対応をされたこともありました。
例えば「治療法はいくつかありますが、どれにしますか?」と、専門的な判断を丸投げされたこともあります。知識のない患者に選ばせるのは、責任を回避しているようにしか思えませんでした。また、大きな薬が飲みづらくて少し苦労していると伝えても「そうですか」としか言ってくれない先生もいました。
だからこそ、今の主治医との関係は私にとって大きな財産です。先生は私の話を遮ることなく最後まで聞いてくれます。そして、常に最新の治療データをアップデートされており、「ちゃんこさんの場合は、こういう新しい選択肢もあります。最新の研究ではこう言われています」と、具体的な根拠を持って私を見ながら話してくれます。
押し付けるのではなく、私の生活や価値観を尊重した上で、一緒に治療の方向性を決めてくれる。こうした対等なコミュニケーションがあるからこそ、私は安心して最新の治療に身を委ねることができています。
最新の治療とともに歩む未来
2017年からはハーセプチン、パージェタ、フェマーラという組み合わせで治療を続け、2025年9月からはフェスゴに切り替えました。これまでは何時間もかけて点滴を受けていましたが、フェスゴは皮下注射で済むため、病院での拘束時間が劇的に短縮されました。
がんを患った当初は、これほど長く生きられるとは思っていませんでした。しかし、医学は想像を上回るスピードで進化しており、かつてはステージ4なら「終わり」だと思われていた状況でも、今は長く共生できる時代になっています。
脱毛して鏡を見るのがつらい日もありました。手足がしびれて思うように動かない日もありました。それでも私は、今この瞬間を生きていることに感謝しています。家族と笑い合い、美味しいものを食べ、季節の移ろいを感じる。そんな当たり前の日常が、どれほど奇跡的なことかを知っているからです。
私はこれからも、前向きな気持ちを忘れずに、最新の治療の力を借りながら、一歩ずつ未来へ歩みを進めていきたいと思っています。
これからがんと向き合う方へのメッセージ
今、がん治療をしている方にお伝えしたいことがあります。
当たり前の日常に感謝の気持ちを持ってください
病気になると、失ったものばかりに目が向きがちです。しかし、今日こうして生きて、誰かと話し、食事ができることは、実は非常に奇跡的なことです。周囲のサポートや日々の小さな幸せに感謝の目を向けることで、心の平穏が保たれ、それががんと向き合う大きなエネルギーになります。
どのような状況になっても希望を捨てないでください
たとえ厳しい診断を受けたとしても、希望を持ち続けることを諦めないでください。医療は日々進歩しており、新しい薬や治療法が次々と登場しています。「もうダメだ」と思わず、「次の新しい治療まで生きよう」という気持ちでいることが大切です。前向きなメンタルを持つことは、自分自身の命を守る大きな盾になります。