写真はイメージです。(AIによる生成)プロフィール
お名前:macpacさん(ニックネーム)
年代:70歳代
性別:男性
家族構成:妻と2人暮らし
仕事:事務職
がんの種類:肺がん
診断時ステージ:ステージ4A
診断年:2020年
現在の居住地:東京都
※本体験談は、患者さん個人の経験に基づくものです。治療の経過や副作用、生活への影響には、個人差があります。医療的な判断や治療方針の決定の際には、必ず医師・医療従事者にご相談ください。
2020年、定期健診で肺がんステージ4Aの診断を受けたmacpacさん。すでにリンパ節などへの転移があり、手術や放射線治療は難しい状況でしたが、分子標的薬による治療が奏効しました。診断から6年が経過した2026年現在も、週4日で働きながらスキーやゴルフを楽しむなど、がんになる前と変わらない日常を送り続けています。「自分は本当にがんなのか」と問い直すほど穏やかに過ごしている日々について、お話しいただきました。
3年越しの指摘でわかった肺の影
私の肺がんが見つかったのは、2020年2月のことでした。毎年受けている定期健康診断で、肺に影があるという指摘を受けたことがきっかけです。診断の結果は、肺がんのステージ4Aでした。
実はこの話には前日譚があります。後から当時の検査レポートを詳しく調べてわかったことですが、初めて肺に影があると記載されていたのは、2020年からさらに3年前の2017年の健診結果でした。その時のレポートには「要精密検査」という指示が出ていたのです。しかし、当時の私は他の病気の方に意識が向いていました。具体的には、逆流性食道炎と大腸ポリープのことが気にかかっており、医師との会話もその2点に終始していました。さらに私自身、タバコを一切吸わないこともあって、自分が肺がんになるなどとは夢にも思っていませんでした。そのため、レポートにあった肺に関する文言を完全に見落としていたのです。
翌年の2018年には、判定が経過観察となり、2019年も同様の評価でした。そして2020年になり、ようやく医師から「精密検査を受けた方がいい」と面談で直接告げられ、事の重大さに気がつきました。もし2017年の時点でしっかりと検査を受けていれば、状況は違っていたのかもしれません。しかし、当時の私には届かない言葉でした。
紹介されたのは、自宅からほど近い大学病院でした。そこでCT検査やPET検査、そして生検を受けました。確定した診断は、肺がんのステージ4A。肺門や縦隔のリンパ節に転移があり、さらに播種も見られるという状態でした。医師からは「手術や放射線治療は難しい」と告げられました。外科的に切除できる段階を過ぎているということで、治療の選択肢は薬物療法に絞られました。
分子標的薬による治療と変わらない日常
遺伝子検査の結果、私の細胞にはEGFR遺伝子変異があることがわかりました。これにより、分子標的薬が使用できることになったのです。医師から提示されたのは、タグリッソという薬でした。
2020年の4月に、薬が体に合うかどうかを確認するために1週間ほど入院しました。そこから私の薬物治療が始まりましたが、辛い副作用がほとんどありませんでした。医師からは皮膚の荒れや爪の異常について説明を受けていましたが、実際に出た症状は、指先の皮膚が少し割れやすくなったり、爪が脆くなったりする程度でした。それ以外の体調不良はなく、仕事や日常生活に支障が出るようなことはありませんでした。
当時、私は週5日のフルタイムで働いていました。診断後すぐに会社へ報告しましたが、入院も短期間で済み、その後の通院も月に1回程度だったため、勤務形態を大きく変える必要はありませんでした。現在は週4日の勤務に調整していますが、しっかりと働いています。
がんになったからといって、私の生活習慣や趣味が変わることはありませんでした。冬になればスキーに行きますし、ゴルフも楽しみます。ジムでの筋トレも欠かさず続けています。あまりにも体調が良いため、時折「自分は本当にがんなのか」と疑ってしまうことすらあります。がんを宣告される前と後で、生活の質が変わっていないのです。
治療の効果は劇的でした。治療開始から約半年後の検査では、当初1.9cmほどあった原発巣が5mm程度まで縮小していました。さらに、胸膜播種やリンパ節転移も画像上では見えなくなりました。主治医からは「専門医でなければ、がんだと気づかないレベルまで小さくなっています」と言われています。2026年になった現在も、その状態を維持しながら同じ薬を飲み続けています。
原発巣が5mmほどに小さくなり、他の転移も見えなくなったことで、私は「ここでもう一段踏み込んだ治療ができるのではないか」と考えるようになりました。もし原発巣だけが残っているのなら、そこをピンポイントで叩くことで、完全にがんを消失させられるのではないかと考えたのです。
以前、知人が前立腺がんの治療で重粒子線治療を受け、非常に経過が良かったという話を聞いていたこともきっかけとなりました。自分なりに調べを進め、重粒子線治療施設へ自ら問い合わせを行いました。
しかし、病院からの回答は、重粒子線治療を行うためには現在服用している分子標的薬を一定期間中止する必要があるというものでした。今、薬が順調に効いて安定している状態をあえて中断し、別の治療に切り替えるリスクを取るべきか。検討した結果、今は今の薬を信じて継続することが最善であると判断し、その選択肢は一旦脇に置くことにしました。自由診療への関心もありましたが、こうした公的な専門機関への相談を通じて、自分なりに納得のいく選択肢を常に探り続けてきました。
死を見据えることは、今を丁寧に生きること
身体的には非常に元気な私ですが、決して楽観視だけをしているわけではありません。ステージ4という診断を受けた以上、万が一の事態は常に頭の片隅にあります。そのため、診断を受けてから早い段階で、自分の終末期についての意思表示を明確にしました。
日本尊厳死協会の資料を取り寄せ、延命治療を望まないという「尊厳死の宣言書」を作成しました。植物状態になって管につながれたまま生き続けることだけは、どうしても避けたかったからです。この書面は、万が一の時に医師に見せてもらえるよう、妻とも共有してあります。
また、この1年の間には、近隣にある緩和ケア病棟(ホスピス)を2か所ほど見学に行きました。自分がいよいよ最後を迎えることになった時、どこでどのようなケアを受けたいかを自分の目で確かめておきたかったのです。事前にある程度のコンタクトを取っておくことで、いざという時に自分も家族も慌てずに済むと考えました。同時にお墓の手配も済ませました。
こうした「終わりの準備」と並行して、治療の「次の手」についても冷静に備えています。今の薬もいつか耐性ができて効かなくなることも見据えています。その時になって慌てるのではなく、あらかじめ次の選択肢を把握しておくことが、私の心の平穏に繋がっています。
すでに主治医との診察の場でも、次に使う可能性がある薬剤について具体的な相談を始めています。自分でも論文やレポートを読み込み、「次はライブリバントという薬になるのでしょうか」といった形で、エビデンスに基づいた対話をするように心がけています。効果が続くことを願いつつも、次に何ができるかを具体的に想定しておく。この二段構えの姿勢が、がんと共に生きる上での私のスタンスです。
これらの「終わりを想定した行動」は、決して絶望からくるものではありません。むしろ、最後をどのように締めくくるかを決めておくことで、今の元気な時間をより自由に、安心して過ごせるようになったと感じています。いつか来る終わりの準備を整えた上で、今は「ケ・セラ・セラ(なるようになるさ)」という気持ちで毎日を過ごしています。
もちろん、2か月に1回の定期検査や、4か月に1回の精密検査で病院の待合室に座っている時は、自分ががん患者であることを強く意識します。周りを見渡せば、明らかに体調が悪そうな方もいらっしゃいます。「自分はこんなに元気なのに、やはりがんなのだ」と、その瞬間だけは現実に引き戻されます。しかし、診察が終わればまた元の日常に戻ります。
がんとの距離感と周囲への伝え方
私の病状については、妻や職場、親しい友人には包み隠さず伝えています。隠し続けることのメリットをあまり感じないからです。特に職場には、いつ体調に変化があるかわからない以上、迷惑をかけないためにも正確な状況を伝えておく責任があると考えています。
幸い職場の理解もあり、年に一度の社長面談でも「体調はどうですか」と気遣ってもらうところから話が始まります。妻からは、診断当初はひどく心配されましたが、6年経った今は「5年以内に死ぬと思ってわがままを許してきたけれど、もう6年経ったからわがままは許さないからね」と冗談めかして言われるほどになりました。
私のようにステージ4でありながら、6年間もほとんど副作用なく過ごせるケースは、決して多くはないかもしれません。しかし、がんという診断を受けても、すぐにすべてを諦める必要はないのだということを、私自身の経験を通じてお伝えできればと思っています。
これからがんと向き合う方へのメッセージ
今、がん治療に向き合っている人に、私の経験からお伝えしたいことがあります。
気持ちを楽に「なるようになる」と考えてみてください
がんであるという事実に心を縛られすぎないことが大切です。先のことを不安に思って「明日どうなるのか」と悩みすぎても、状況が好転するわけではありません。「ケ・セラ・セラ」の精神で、今の自分にできることを淡々とこなし、あとは天命に任せるくらいの心の余裕を持つことが、穏やかな日常を守る鍵になります。
日常の活動を可能な限り、続けてみてください
体調が許す範囲で、太陽の下で体を動かしたり、これまでの趣味を続けたりすることをお勧めします。私はがんになっても筋トレやスキーを続けてきましたが、それが身体的な支えだけでなく、心の張り合いにもなりました。病気になったからと閉じこもらず、自分らしい生活のリズムを維持することが、治療への前向きな力につながります。