写真はイメージです。(AIによる生成)プロフィール
お名前:びっけさん(ニックネーム)
年代:60代
性別:女性
家族構成:1人暮らし
仕事:医師、役者
がんの種類:多発性骨髄腫
診断時ステージ:ステージ2
診断年:2023年
現在の居住地:大阪府
※本体験談は、患者さん個人の経験に基づくものです。治療の経過や副作用、生活への影響には、個人差があります。医療的な判断や治療方針の決定の際には、必ず医師・医療従事者にご相談ください。
びっけさんは、2年に及ぶ背中の痛みをぎっくり腰と言われ我慢し続けた末に、2023年に多発性骨髄腫と診断されました。自家移植を乗り越え、現在は副作用や後遺症と付き合いながら、がんサバイバーとしての情報発信や役者として映画製作に情熱を注いでいます。医師として、そしてひとりの表現者として、病と共に生きる決意をお話しいただきました。
加齢と運動不足のせいだと思い込んだ2年間
背中に違和感を覚え始めたのは、2021年ごろのことでした。最初は「なんとなく背中が痛いな」という程度で、私自身も医師として日々働いていましたし、役者として舞台で踊ったり跳ねたりと活発に動いていました。そのため、この痛みは単なる運動不足か、あるいは年齢相応の衰えだろうと軽く考えていたのです。
近所の整形外科を受診しても、診断はぎっくり腰や加齢によるものという言葉ばかりでした。「そうですか、歳なら仕方ないですね」と納得し、湿布を貼って痛みをこらえる日々が続きました。しかし、痛みは引くどころか、徐々に増していきました。ある時、胸のあたりを少しぶつけただけで、今までに経験したことのないような激痛が走りました。「これは絶対に肋骨が折れている」と直感し、再び整形外科へ行きましたが、レントゲンでは明らかな骨折は認められませんでした。
「折れていないと言われたけれど、こんなに腫れて痛いのはおかしい」。そう思いながらも診断を覆す術もなく、さらに1年近く我慢して過ごしました。2023年3月、ついに痛みでベッドから起き上がれなくなる日が来ました。ぎっくり腰であれば数日で少しは楽になるはずですが、一向に改善しません。両親をがんで亡くし、私自身も38歳の時に大腸がんを経験していたこともあり、「これは普通の痛みではない。どこかにがんの原発巣があり、それが背骨に転移しているのではないか」という予感が頭をよぎりました。
MRIに映し出された全身の病変
意を決して、脊髄外来のある総合病院を紹介してもらいました。看護師の友人が付き添ってくれたのですが、その日の私の様子を見て彼女が医師に強く訴えてくれました。「この人が痛いと言う時は、絶対に何かがあります。お願いですからMRI検査をしてください」と。その言葉に背中を押される形で検査を受けた結果、事態は急展開を迎えました。
画像を見た医師は驚きを隠せない様子でした。全身の骨に病変が広がっていたのです。「これはがんの骨転移の可能性もあります。それならどこかに原発巣があるはずです」と言われました。その時までに、自分なりに気になっていた消化器や婦人科、脳などの検査を単発で済ませておりましたが、どこにも異常は見つかっていません。
そのことを伝えると、医師からPET-CT検査を提案されました。検査の結果、「多発性骨髄腫の可能性があります」と言われました。その瞬間、ショックというよりも「ああ、なるほど」と、これまでのすべての痛みの正体がわかって腑に落ちたような感覚でした。職場での検診で指摘されていた軽度の貧血も、同居していた息子が独立して食生活が変わったせいだと思い込んでいましたが、それもすべてこの病気が原因だったのだと理解しました。
「今できる最善は何か」を考える
総合病院には血液内科がなかったため、家の近くのがんセンターを紹介されました。2023年4月27日、のんびりと連休明けの検査を想定して受診したのですが、現実はもっと切迫していました。その日のうちに骨髄穿刺が行われ、翌日には「5月1日から入院してください」と電話が入りました。
正式な診断は、多発性骨髄腫のステージ2。告知を受けても、不思議と涙が出ることはありませんでした。私は何か問題が起きた時に「なんでこんなことになったの」と嘆くより、「今この状況でできる最善のことは何か」を考えるタイプです。3年から5年の生存率が50%程度であるというデータも冷静に受け止めました。「ならば、その時間で何をすべきか。帰ったらまず家を片付けよう」と終活の準備を頭の中で始めました。
医師として、専門外の診療科の医師と接する難しさも経験しました。私が医学的知識を持っていることを前提に話が進むため、専門外である血液内科の医療用語が飛び交い、実はわからないことも多くありました。しかし、どこか聞きづらい雰囲気があり、結局は自分で調べたり、提示された選択肢に従うほかありませんでした。治療は、自分の造血幹細胞を移植する自家末梢血幹細胞移植を目指すことになりました。
想像を絶した副作用と自家末梢血幹細胞移植
最初の抗がん剤治療である導入療法では、薬剤に対するアレルギー反応が現れたため、途中で薬の種類を変更することになりました。また、副作用による倦怠感は尋常ではなく、身の回りの作業すら手につかない日々が続きました。
その後、2024年1月の自家移植直前には、体内のがん細胞を根絶するために強力な大量化学療法(前処置)を行いました。このプロセスで想定されるリスクの1つが、薬剤の影響による口内炎です。これを防ぐため、点滴中の約1時間、ひたすら氷を口に含み続けました。
口腔内の血管を収縮させ、薬剤が粘膜に届きにくくするためですが、抗がん剤の影響で寒気を感じやすいなか、ガタガタと震えながら氷を噛み砕き続けるのはまさに苦行でした。その甲斐あって口内炎は起こりませんでしたが、脱毛や激しい下痢、味覚障害からは逃れられず、自分の体がコントロールを失っていくような強い不安を覚えたのも事実です。
また、シャワーを浴びるたびに、驚くほどの量の髪が流れるように抜けていく光景には、一瞬ぞっとするような恐怖を感じました。下痢もひどく、トイレに駆け込む毎日。食べ物の味は一切せず、ステロイドの副作用で顔や体はパンパンに膨れ上がり、体重は8kgも増加しました。「私の体はどうなってしまうのか」という不安が、初めて現実味を帯びて迫ってきました。
キャンサーズの結成と、映画製作への挑戦
2024年1月に移植を終え、ようやく退院の日を迎えました。現在は維持療法として服薬と点滴を続けています。かつてのようにミュージカルで踊ることはできませんが、私は表現者としての活動を諦めませんでした。
同じ時期にがんが見つかった役者仲間の女性たちと、3人で「キャンサーズ」というユニットを結成しました。YouTubeで、脱毛のことやウィッグの補助金のことなど、がん患者が本当に知りたい情報を明るく発信しています。最初は身内向けの記録のつもりでしたが、次第に「元気がもらえた」というコメントが届くようになり、それが私たちの力になりました。
活動はさらに広がり、ついに映画を製作することになりました。この映画は、家族の中に問題を抱えて生きる1人の少女が主人公です。彼女がさまざまな人たちと出会う中で、自分の生き方を見つけ、成長していく姿を描いています。
私たち「キャンサーズ」は、彼女が出会う人々の1人として登場します。「がんなのに楽しそうで変な3人組だな」という出会いから始まり、私たちが過去の苦難を乗り越えて今を明るく生きていることを知ることで、彼女自身も「自分も頑張らなきゃ」と一歩踏み出す勇気を得ていく──。そんな、観る人が「明日からまた頑張ろう」と思えるような物語です。
多発性骨髄腫を経験されている佐野史郎さんにダメ元でお手紙を書き出演依頼をしたところ、医師役として出演を快諾してくださいました。さらに由美かおるさんや柴田理恵さんといった素晴らしいキャストが集まり、2026年5月の上映が決まりました。病気になったからこそ出会えた縁が、私を新しい舞台へと押し上げてくれたのです。
痛みと共に、今日より明日へ
現在、私の脊髄は2か所が圧迫骨折しており、肋骨も4か所が折れたまま固まっています。骨が縮んだことで、身長は以前より数cm低くなりました。体をねじったり、重いものを持ったりすると今でも痛みがあります。
しかし、私はこの痛みも自分の人生の一部として受け入れています。もし、あのまま「加齢のせい」にして放置していたら、私は今日ここでお話しすることも、映画を作ることもできなかったでしょう。
人生には、自分の力ではどうにもできない絶望的な瞬間が訪れます。でも、その中で「今、何ができるか」を問い続けることはできます。がんというピンチを、新しい挑戦へのチャンスに変える。1歩が無理なら、半歩でもいい。今日より明日、何かができると信じて歩み続ける。それが、今の私が医師として、そして表現者として辿り着いた答えです。
これからがんと向き合う方へのメッセージ
今、がん治療をしている方にお伝えしたいことがあります。
「なぜ」より「今、何ができるか」に目を向けてください
「なぜ自分がこんな病気に」と原因を追求しても、過去は変えられません。それよりも「この状況で、今日一日をどう過ごすか」「今できる最善の選択は何か」と、視点を現在と未来に向けることで、心の負担が少しだけ軽くなることがあります。
医療者とのコミュニケーションを諦めないでください
医師も人間であり、必ずしも患者さんの気持ちをすべて汲み取れるわけではありません。特に医療知識がある場合でも、わからないことは「わからない」と伝えて良いのです。相性が合わないと感じたら、別のスタッフや上の医師に相談するなど、自分から環境を調整する勇気を持ってください。
病気になった「今だからこそ」できることを見つけてください
がんになったことで失うものは多いかもしれませんが、新しく得られる縁や視点も必ずあります。病気を理由にすべてを諦めるのではなく、今の体調で楽しめること、今の自分だからこそ伝えられる表現を大切にしてください。それが生きる力につながります。
がん患者さんを支えるご家族や友人、あるいはがん以外の悩みを抱えていらっしゃる方も、「あと一歩」そう思って進んでいただけたら幸いです。