写真はイメージです。(AIによる生成)プロフィール
お名前:ゆめさん(ニックネーム)
年代:50代
性別:女性
家族構成:夫と子どもとの3人暮らし
仕事:実家の手伝い
がんの種類:乳がん
診断時ステージ:ステージ1
診断年:2016年
現在の居住地:千葉県
※本体験談は、患者さん個人の経験に基づくものです。治療の経過や副作用、生活への影響には、個人差があります。医療的な判断や治療方針の決定の際には、必ず医師・医療従事者にご相談ください。
2016年、44歳のときに受けた乳がん検診でステージ1の乳がんと診断されたゆめさん。早期発見であったものの、術後の病理検査でHER2陽性であることが判明しました。その後、3年目の骨転移、さらには脳転移という過酷な局面を迎えましたが、そのたびに適切な治療を選択し、家族の支えとともに10年という月日を歩んできました。娘の成長を支えに、がんを「やっつける対象」から「共存する相手」へと捉え直したゆめさんに、これまでの歩みについてお話しいただきました。
44歳の乳がん検診で見つかった影
私の乳がんが見つかったのは、2016年のことでした。40歳を過ぎてからは、市町村から届くがん検診のはがきをきっかけに、毎年欠かさず検診を受けていました。もともと心配性な性格もあり、マンモグラフィだけでは不十分ではないかと考え、自己負担で超音波(エコー)検査も追加して受けるようにしていました。
44歳の検診も、いつもと同じように近くのクリニックへ足を運びました。マンモグラフィの画像には特に異常は写っていませんでしたが、エコー検査の際に、右胸の内側上方に影が見つかりました。私の場合はがんが画像で捉えにくい位置にあったようで、もしエコー検査を追加していなければ、発見が遅れていたかもしれません。
その場で先生から「針生検をしましょう」と提案され、すぐに組織を採取しました。検査の結果が出るまでの10日間は、生きた心地がしませんでした。再びクリニックを訪れたとき、先生は静かに「乳がんで間違いないでしょう」と告げられました。そのときはまだ、がんがどれほど進行しているのか、どのようなタイプなのかもわからず、ただ「がんなんだ」という事実だけが重くのしかかりました。
専門病院での精密検査と全摘の選択
告知を受けた後、妹が必死になって情報を集めてくれました。症例数が多く、信頼できる病院がいいだろうということで、東京のがん専門病院を紹介してもらうことにしました。クリニックからの予約はスムーズに進み、1週間後には初診を受けることができました。
がん専門病院で改めて全身の検査を受けた結果、幸いにも他の臓器やリンパ節への転移は見つかりませんでした。診断はステージ1。この段階では、手術で取り切れば大丈夫だという希望がありました。
治療方針を決める際、先生からは乳房温存手術と乳房全切除術の選択肢を提示されました。形を残したいと願う患者さんが多い中で、先生はギリギリまで私の返事を待ってくださいました。たとえステージ1であっても、悪いものはすべて取り除いてしまいたいという思いが強かったので、私は乳房全切除術を選びました。温存を選んだ場合、その後に25回ほどの放射線治療が控えていることも、私にとっては負担に感じられました。
再建手術についても考えませんでした。見た目を整えることよりも、まずは自分の命を守ること、そしてこれ以上の痛い思いや手術を繰り返したくないという気持ちが勝っていました。2016年12月、私は右乳房の乳房全切除術を受けました。
予期せぬHER2陽性の判明
手術は無事に終わりましたが、本当の試練は術後の病理検査の結果を聞いたときに始まりました。手術で採取した検体を詳しく調べたところ、私の乳がんはホルモン受容体陽性、HER2陽性、核異型度も高い(グレード3)というタイプであることがわかったのです。
私の場合はステージ1であっても、再発予防のために抗がん剤治療をしたほうがいいと告げられました。当初は「手術だけで終わるかもしれない」と楽観していたため、この結果には大きなショックを受けました。
しかし、やらないという選択肢はありませんでした。もし治療を拒んで再発したとき、絶対に後悔すると思ったからです。たとえ数%でも生存率を上げられる可能性があるのなら、どんなに辛くても頑張ってみようと決意しました。2017年3月から、3か月の抗がん剤治療と、その後1年間にわたる分子標的薬の治療が始まりました。
抗がん剤の副作用による日常の崩壊
抗がん剤治療は、私の体にさまざまな変化をもたらしました。最も辛かったのは脱毛です。髪が抜け落ちていく現実に、鏡を見るのが嫌になる時期もありました。吐き気や激しい倦怠感に襲われ、食事も思うように摂れない日もありました。
意外だったのは、鼻血が止まらなくなったことです。抗がん剤の影響で粘膜が弱くなっていたのだと思います。近所の耳鼻科に相談しましたが、抗がん剤治療中であることを伝えると、「うちでは対応が難しいので、がんを治療している病院へ行ってください」と断られてしまいました。歯科治療についても同様で、感染症や出血のリスクを理由に、一般的なクリニックでは診てもらえない現実に直面しました。
結局、鼻血を止めるためにわざわざ東京のがん専門病院まで行き、粘膜を焼く処置を受けました。歯のケアも病院内の歯科に切り替えました。がんの治療そのものだけでなく、それに付随する日常的な体調管理がこれほどまでに困難になるとは、想像もしていませんでした。
それでも、当時中学1年生だった娘の存在が私を支えてくれました。がんであることを伝えたとき、彼女は冷静に「ステージは?」と聞いてきました。「1だよ」と答えると、「じゃあ大丈夫だね」と。その言葉に、私の方が救われました。彼女の学校行事や成長を見守ることが、過酷な治療を乗り越えるための唯一の目標となりました。
3年目に見つかった骨転移
術後の点滴治療を終え、定期検査を受けながら平穏な日々を過ごしていた3年目、再び暗雲が立ち込めました。2019年、定期検査の際に腰の腸骨に異常が見つかったのです。精密検査の結果、乳がんからの遠隔転移であることがわかりました。
医師から「画像で見えているのは1か所だけれども、実際には全身にがん細胞が巡っていると考えなければならない」と告げられたとき、最初の告知のときとは比べものにならないほどの絶望感に襲われました。
そこから再び化学療法として、THP療法(ドセタキセル、ハーセプチン、パージェタ)が始まりました。2度目の脱毛を経験し、前回以上の倦怠感と戦いました。ドセタキセルという薬の影響で全身がひどくむくみ、利尿剤を服用しても追いつかないほどでした。味覚障害も現れ、口の中が常に砂を噛んでいるようにジャリジャリとし、何を食べても味がしない日々が続きました。
副作用があまりに辛く、先生に相談してドセタキセルのみ中止して、ハーセプチンとパージェタによる治療を続けていきました。
しかし、腸骨への転移巣が悪化したため、ホルモン療法に変更になりました。4か月程度ホルモン療法を受けていましたが、さらに骨転移が悪化したため、カドサイラによる治療に切り替えました。
脳転移というさらなる困難が
カドサイラによる治療を続けながら、がんと共存する道を模索していましたが、2022年3月、さらなる困難が私を待ち受けていました。激しいふらつきを感じて検査を受けたところ、今度は脳転移が見つかったのです。
腫瘍は脳幹に近い場所にあり、浮腫もひどく、放置すれば命に関わる状態でした。これまで多くの困難を経験してきましたが、このときが最も死を身近に感じた瞬間でした。主治医からも「すぐに手術が必要です」と強く勧められました。
がん専門病院には脳神経外科がなかったため、別の病院へ転院して手術を受けました。開頭手術への恐怖はありましたが、生きるためにはこれしか道がないと腹を括りました。手術は無事に成功し、腫瘍を取り除くことができました。
術後は再びがん専門病院に戻り、再発を抑えるための放射線治療を受けました。その後、再びカドサイラによる治療を再開し、副作用の様子を見ながら現在も4週間に1回のペースで治療を継続しています。手足のしびれや倦怠感は今も残っていますが、動ける喜びを噛みしめながら生活しています。
10年を経て辿り着いたがんと共存するという境地
2016年の初診から、気がつけば10年という月日が経とうとしています。遠隔転移が発覚してからでも7年が過ぎました。がんが完全に消えることはないのかもしれませんが、私は今、こうして生きています。
この10年間、私を突き動かしてきたのは、娘の節目を見届けたいという一心でした。中学の入学式、卒業式、成人式、そしてこの3月には大学の卒業式を迎えます。がんと診断された当時は、「この子の晴れ姿をあと何度見られるだろうか」と指を折るような毎日でしたが、今日という日に辿り着けたことは、何物にも代えがたい幸せです。
以前の私は、がんを根絶すべき敵として捉え、戦って勝たなければならないと考えていました。しかし、転移を繰り返す中で、考え方が変わっていきました。今はがんと無理に戦うのではなく、自分の体の声を聞きながら、どのように共に生きていくか。そんながんと共存するという意識を持つようになりました。
がんであったからこそ、日常の些細な出来事や、家族と過ごす何気ない時間が、より一層大切で愛おしいものに感じられるようになりました。健康なときには気づかなかった、普通に動けることの素晴らしさを、今なら心の底から理解できます。
これからがんと向き合う方へのメッセージ
今、がんの告知を受けて不安を抱えている方や、再発・転移で希望を失いかけている方へ、お伝えしたいことがあります。
早期発見と継続的な検診を大切にしてください
私は検診を受けていたからこそ、初期の段階で見つけることができ、その後の転移に対しても迅速に対応することができました。何もない状態から検診に行くのは億劫かもしれませんが、早期発見は治療の選択肢を大きく広げてくれます。自分の体を守るために、検診を習慣にしてください。
1人で抱え込まず、周りの力を借りてください
がんは心まで孤独にしてしまいますが、決して1人で戦わないでください。家族や友人、そして信頼できる主治医。誰かに今の気持ちを話すだけで、心は少しだけ軽くなります。私自身、家族の支えと言葉が、折れそうな心を何度もつなぎ止めてくれました。弱音を吐くことは、決して負けではありません。
共存という道があることを忘れないでください
完治を目指すことは素晴らしいことですが、もしそれが難しい状況であっても、絶望する必要はありません。医学は進歩しており、がんと共に生きるための方法はたくさんあります。私のように、転移を繰り返しながらも10年元気に過ごしている人間もいます。一日一日を大切に、自分のペースでがんと向き合っていってください。