写真はイメージです。(AIによる生成)プロフィール
お名前:dejiさん(ニックネーム)
年代:70代
性別:男性
家族構成:妻と子どもとの3人暮らし
仕事:無職(診断時は教員)
がんの種類:食道がん
診断時ステージ:ステージ4A
診断年:2018年
現在の居住地:広島県
※本体験談は、患者さん個人の経験に基づくものです。治療の経過や副作用、生活への影響には、個人差があります。医療的な判断や治療方針の決定の際には、必ず医師・医療従事者にご相談ください。
2018年11月、喉の奥の違和感を放置し続けていたdejiさんは、ステージ4Aの食道がんと診断されました。腫瘍の長さは約15cm。大動脈や気管支への浸潤も疑われる極めて厳しい状況から、標準治療を信じ、化学放射線療法と手術を乗り越えました。退職という人生の区切りを経て、術後の後遺症に悩む彼を支えたのは、インターネットを通じて出会った全国の仲間たちでした。がんとともに歩んだ軌跡についてお話しいただきました。
喉の違和感を放置した数か月
私の異変は、喉の詰まりから始まりました。今思えば、それが体からの最初のサインだったのです。しかし、当時の私は仕事が忙しく、どうしても休めない状況が続いていました。自分に都合の良い解釈をして、数か月間も放置してしまったのです。
症状は次第に悪化していきました。最初は固形物が通りにくくなり、やがてうどんのような柔らかいものしか受け付けなくなりました。11月に入る頃には、そのうどんさえも胃まで落ちていかずに戻してしまうようになり、ついには水さえも飲めない状態に陥りました。そのため、体は極度の脱水症状に見舞われていたのだと思います。私は意を決して、直接、地域のがん診療拠点病院である総合病院へ駆け込みました。
意識を失う中での告知とステージ4A
なんとか病院に行きましたが、到着してからの記憶は断片的です。内視鏡検査を受けたことは覚えています。一度は帰宅し数日は自宅で過ごしていましたが、意識を保つことすら難しくなっていました。数日後、意識もうろうとなってしまった私を見て、家族が慌てて救急車を呼び、私は先ほどの総合病院へと再び運ばれ、そのまま緊急入院することになりました。
後日、意識がはっきりしてから医師から告げられた病名は、食道がんでした。しかもステージは4A。腫瘍の長さは約15cmにも達しており、大動脈や気管支に接しているため、手術による完全な切除は不可能だという説明でした。
15cmという数字を聞いたとき、私はショックを受けるよりも先に、「やはりそうだったか」と妙に納得してしまったのを覚えています。あれだけ喉を通らなかったのですから、それなりのものが潜んでいるだろうという予感はありました。悲嘆に暮れる暇はありませんでした。これからどうやってこのがんと向き合っていくか、それだけを考えていました。
治験か標準治療か
医師から提案された治療方針は、まず抗がん剤と放射線を同時に行う化学放射線療法で腫瘍を小さくし、その後に手術を目指すというものでした。食道がんに放射線は有効であり、隣接する臓器への浸潤が疑われる私の状況では、これが最善の道だということでした。
その際、医師から治験への参加も提案されました。従来の標準治療と、新しい薬剤を組み合わせた治療法を比較する試験でした。私は治験について初めて知り、自分なりに必死に調べました。しかし、どうしても拭えなかったのがランダム化と盲検への不安でした。
治験に参加した場合、自分がどの治療を受けることになるのか、最後までわかりません。もし新しい治療法が自分に合わなかった場合、元の治療に戻れるのか。誰かと比較されるグループの1人としてではなく、医師と1対1で向き合い、私の状況に合わせた最善の処置をしてほしい。そう考えた私は、最終的に治験ではなく、医師が最初に提案してくれた標準治療を選択しました。
幸いにも、担当の外科医は非常に信頼できる方でした。「手術には8時間から9時間かかります。もし昼前に終わったら、それはうまくいかなかったということです。当院の場合およそ1,4%は合併症などでうまくいかないケースがあります」といった厳しい現実を、包み隠さず正直に話してくれました。その誠実な姿勢に、私はこの先生にすべてを任せようと決心したのです。
2か月の絶食と過酷な治療
治療が始まると、私は約2か月間にわたる絶食生活に入りました。食べ物が喉を通りませんでしたから、栄養はすべて点滴に頼るしかありませんでした。放射線治療は全部で30回、週5日のペースで行われました。
副作用は想像以上に過酷なものでした。放射線の影響で食道炎が起こり、唾液を飲み込むだけでも喉が焼けるような激痛が走りました。ヒリヒリとした痛みが1か月以上続き、精神的なダメージも大きかったですが、入院中であったことが救いでした。常に看護師さんや医師がそばにいてくれる安心感は、何物にも代えがたいものでした。
一方で、抗がん剤の副作用は血液検査の数値に現れるものの、吐き気などはそれほど強くありませんでした。何も食べていなかったことが、かえって幸いしたのかもしれません。
術前治療の結果、15cmあった腫瘍は縮小しました。3月に行われた最終チェックで、医師から「これなら手術に踏み切れます。頑張りましょう」と言われたときは、なんとかなるかもしれないという希望が持てるようになりました。
人生の区切りとしての退職
入院治療が始まるまで、私はまだ現役で働いていました。職場は70歳まで働ける環境で、私自身もそのつもりでいました。しかし、ステージ4Aという現実、そしてこれから続く長い治療と手術を考えると、これまで通りの働き方を続けるのは難しいだろうと直感しました。
私は入院中にお見舞いに来てくれた上司に対し、退職の意思を伝えました。治療に専念し、もし回復したとしても、以前のような100%の状態で復帰できる保証はありません。中途半端に職場に迷惑をかけるよりも、ここで一度人生の区切りをつけ、療養に専念すべきだと判断したのです。
有給休暇などを消化し、2019年3月末をもって退職することになりました。仕事への未練がなかったわけではありませんが、この決断があったからこそ、目の前の病との闘いに全力を注げたのだと思います。
8時間に及ぶ手術と術後の合併症
2019年4月、手術が行われました。食道を切除し、胃を吊り上げてつなぐという体への負担が非常に大きい手術です。手術自体は予定通り長時間に及びましたが、無事に終了しました。術中の病理検査でも、周囲への浸潤は認められず、目に見えるがんはすべて切除することができました。
しかし、本当の闘いはここからでした。手術からしばらくして、私は「吻合不全(ふんごうふぜん)」という合併症に見舞われました。つなぎ合わせた部分がうまくくっつかなかったのです。化学放射線療法を受けた組織は硬くなっており、合併症が起きやすいというリスクは聞いていましたが、結局、退院は予定よりも3週間以上延びることになりました。
退院後も、食生活は一変しました。食道がないため、食べ物は胃に直接落ちていくような感覚です。食事は少しずつしか取れず、体重はみるみるうちに落ちていきました。また、吻合部が狭窄して食べ物が詰まってしまうこともあり、これまでに10回以上、内視鏡を使ったバルーン拡張術を受けました。
孤独を救ってくれたオンライン患者会
退院後の生活で最も苦労したのは、食事や後遺症に関する情報の不足でした。病院では手術後の退院までのサポートは手厚いのですが、いざ日常生活に戻ると、ダンピング症候群や逆流、詰まりといった具体的な悩みに対し、どう対処すればよいのか戸惑うことばかりでした。
そんな私を救ってくれたのが、インターネットで見つけた全国規模のオンライン患者会でした。広島という地方に住んでいると、食道がんという比較的数の少ないがんの患者に直接会う機会はほとんどありません。しかし、オンライン上には同じ悩みを抱え、前向きに生きている仲間が全国にたくさんいたのです。
Zoomを使った情報交換会や、患者自身が作成した療養の手引きなど、そこには病院では得られない生の声が溢れていました。自分の症状が自分だけのものではないと知るだけで、どれほど心が軽くなったかわかりません。私も自分の経験が誰かの役に立てばと思い、患者会の活動に積極的に協力するようになりました。
8年目の今、新たな病と向き合う
がんと診断されてから、現在で8年目を迎えています。大きな目標だった5年生存を達成できたことは、私にとって大きな自信となりました。もちろん、今でも食事のしにくさや後遺症は残っていますが、それも含めて自分の体だと受け入れています。
最近、新たに特発性間質性肺炎という指定難病の診断を受け、在宅酸素療法を始めました。これが過去の治療の影響なのか、あるいは持病の喘息によるものなのかははっきりしません。せっかくがんを乗り越えたのにと、落胆しそうになることもあります。
しかし、今の私には食道がんを乗り越えてきた経験があります。特発性間質性肺炎の診断を受けたときも、すぐに同じ病気の患者会を探して入会しました。昨日もオンラインで交流したばかりです。1人で悩まないという知恵を、私はがんを通じて学びました。
これからがんと向き合う方へのメッセージ
今、がんと診断されて不安の中にいる方へ、私からお伝えしたいことがあります。
同じ境遇の仲間とつながってください
がんは、心まで孤独にしてしまうことがあります。しかし、あなたは1人ではありません。病院の外には、同じ悩みを持つ仲間がたくさんいます。特に地方にお住まいの方は、インターネットを活用した患者会を覗いてみてください。自分と同じステージ、同じ症状を乗り越えた人の言葉は、どんな薬よりもあなたを勇気づけてくれるはずです。
医師との信頼関係を大切にしてください
治療法に迷ったときは、情報の海に溺れる前に、目の前の主治医を信じられるかどうかを自問してみてください。私は標準治療を選びましたが、それは医師がリスクも含めて誠実に話してくれたからです。納得して治療に臨むことが、その後の長い療養生活を支える大きな基盤になります。
自分の経験を誰かのために役立ててください
がんは失うものばかりではありません。あなたの経験は、いつか必ず同じ病に苦しむ誰かの希望になります。私も国立がん研究センターの患者・市民パネルに参加するなど、自分の体験を発信することで、新たな生きがいを見つけることができました。がんになったからこそ見える景色があり、果たせる役割があることを忘れないでください。