写真はイメージです。(AIによる生成)プロフィール
お名前:オヤマサトシさん(ニックネーム)
年代:50代
性別:男性
家族構成:1人暮らし
(単身赴任中、妻は秋田県の自宅、子ども2人は独立)
仕事:生命保険会社勤務
がんの種類:悪性リンパ腫(濾胞性リンパ腫)
診断時ステージ:ステージ3
診断年:2013年
現在の居住地:山形県(診断時は山梨県)
※本体験談は、患者さん個人の経験に基づくものです。治療の経過や副作用、生活への影響には、個人差があります。医療的な判断や治療方針の決定の際には、必ず医師・医療従事者にご相談ください。
2013年、オヤマサトシさんは単身赴任先の山梨県での人間ドックをきっかけに、悪性リンパ腫の告知を受けました。働き盛りでのがん発覚、そして家族の待つ秋田県での治療。保険会社の一職員としての知見と、患者としての実体験を融合させ、現在は子どもたちへ「がん教育」を届ける活動に力を注いでいます。13年という歳月をがんと共に歩んできたオヤマさんにお話しいただきました。
人間ドックで見つかった腹部のスマホ大の塊
2013年のことでした。生命保険会社に勤務している私は、当時山梨県に単身赴任していました。体調に異変を感じることは全くなく、仕事に追われる日々を過ごしていました。そんな中で受けた、単身赴任者に義務付けられている年に1度の人間ドックが、私の人生を一変させることになりました。
一通りの検査を終えた後の問診でした。担当した医師が私に「ベッドに横になってください」と指示を出しました。その時、医師の触診の仕方に違和感を覚えました。お腹全体を漫然と触るのではなく、左の肋骨の下あたりをピンポイントで狙い撃ちするように触ってきたのです。おそらく、その直前の超音波(エコー)検査で、そこに明らかな影が見えていたのでしょう。
医師に促され、自分でもその部分を触ってみました。すると、そこには信じられないほど硬い感触がありました。驚いて「これは何でしょうか」と尋ねると、医師は表情を変えず「すぐに紹介状を書くので、大きな病院に行ってください」とだけ言いました。その場では具体的な病名は告げられませんでしたが、ただごとではない雰囲気だけが伝わってきました。
すぐに自宅の近くにあった総合病院を受診しました。精密検査の結果、腹部にある腸間膜のリンパ節に、スマホ大の腫瘍があることがわかりました。診断名は「悪性リンパ腫」。その中でも進行が緩やかな「濾胞(ろほう)性リンパ腫」という種類で、ステージは3でした。
正直なところ、告知を受けた瞬間に激しいショックを受けたという記憶はありません。それよりも、自覚症状が全くないのに、自分の中にそんな大きな塊があったという事実に驚き、どこか他人事のように感じていたのかもしれません。
職場の配慮により家族が住む秋田での闘病
告知を受けてすぐに職場の上司に報告しました。そこで上司からかけられた言葉が、その後の私の治療環境を大きく変えてくれました。「治療をするなら、山梨ではなく、家族がいる秋田でやってこい」と言っていただいたのです。
会社には、がんなどの重大な病気にかかった際の休職制度や福利厚生が整っていました。私はその言葉に甘え、秋田県にある大学病院で入院治療を受けることに決めました。
治療方針は、抗がん剤治療でした。医師からは「今は良い薬が出ているから大丈夫です」と説明を受け、R-CHOP療法という標準的な治療を受けることになりました。これは、4種類の点滴と1種類の飲み薬を組み合わせたもので、3週間を1サイクルとして計6サイクル行う計画でした。
最初の2サイクルは、入院して行いました。この入院期間中、妻が毎日、片道1時間をかけて病院まで通ってくれました。誰かがそばにいてくれるということが、これほどまでに心の支えになるとは思いませんでした。
家族への報告で印象に残っているのは、当時中学3年生だった息子の言葉です。電話で「血液のがんになってしまった」と伝えると、息子は少し考えた後、「じいちゃん(私の父)も食道がんを克服したよね。がんを克服する能力は遺伝するはずだから、父さんも大丈夫だよ」と、医学的には根拠のない、しかし力強い言葉で励ましてくれました。その言葉を聞いて、妙に納得し、前向きになれたのを覚えています。
保険会社の一職員として患者になって気づいたこと
抗がん剤治療が始まると、いくつかの副作用が現れました。医師からは倦怠感や食欲不振、吐き気などの説明を受けていましたが、私の場合は幸いにもそれらの副作用はほとんどありませんでした。「副作用には絶対に負けない」という強い気持ちがあったからか、食事もしっかり取ることができました。
しかし、避けられなかった副作用が2つありました。1つは脱毛です。そしてもう1つは、薬の影響による便秘でした。特に便秘は辛く、身体的な負担を感じたのはその時くらいでした。また、自覚症状のない副作用として骨髄抑制も起きていました。免疫力が低下するため、外出時には必ずマスクを着用し、感染症には細心の注意を払う生活が続きました。
治療費については、職業柄、自分自身でがん保険に加入していたため、経済的な不安は全くありませんでした。診断確定時に受け取れる一時金として300万円、さらに1日あたりの入院給付金とがん特約を合わせて、1日3万円を受け取れる設計にしていました。
がん教育へという新たな取り組み
6サイクルの抗がん剤治療を終え、私は寛解状態に入りました。最初の2サイクルの後は山梨の職場に復帰し、残りの4サイクルは働きながら山梨の病院通院で行いました。職場復帰にあたっては、上司から残業禁止を厳命され、午後5時には退社する生活を徹底させてもらいました。こうした周囲の理解とサポートがなければ、治療と仕事の両立は難しかったでしょう。
診断から13年が経過しました。今でも3か月に1度の血液検査と、1年に1度のCT検査による経過観察は続いています。悪性リンパ腫、特に濾胞性は再発の可能性がゼロではありませんが、今のところ経過は良好です。
がんを経験したことで、私の中の価値観に変化がありました。それは「この経験を誰かのために役立てたい」という思いです。
数年前、新聞で「学校でのがん教育の講師が不足している」という記事を目にしました。私はこれだと思い、山形県や秋田県の教育委員会が募っている外部講師のリストに登録しました。現在は、中学校や高校に赴き、生徒たちの前で自身の体験や体験を通して感じた「生きていくうえで大切なこと」を語りかけています。
自衛隊の新入隊員向けに講演することもあります。50代半ばを過ぎましたが、私は現役アスリートとして日常的にトレーニングを積んでおり、客観的に見てもムキムキな体格をしています。そんな私が彼らの前に立ち、「自分ががんになると思う人?」と問いかけます。ほとんどの手が上がりません。そこで「私は13年前にステージ3のがんになりました」と伝えると、会場の空気が一変します。
がんは決して他人事ではないこと。そして、がんになっても人生は終わらないこと。むしろ、新しい生き方を見つけるきっかけになることもある。私の実体験を通して、次世代を担う子どもたちにそれを伝えることが、今の私の生きがいになっています。
人生をよりドラマチックにする演出材料として
かつて、がん=死というイメージでした。しかし現代において、がんは、長く付き合い、克服していく病へと変わりつつあります。私にとってがんは、人生の希望を閉ざすものではなく、むしろ人生をよりドラマチックにするための演出材料だったと捉えています。
病気になったことで、家族の絆を再確認し、仕事に対する向き合い方も変わりました。そして何より、自分にしかできない社会貢献、自分だからこそできる社会貢献の形を見つけることができました。がんという経験は、新しい価値観とともに、新しい自分と向き合うための人生の通過点なのかもしれないと思います。
これからがんと向き合う方へのメッセージ
今、がん治療に向き合っている方、そしてそのご家族へお伝えしたいことがあります。
がんを人生の通過点として捉えてみてください
がんと診断されると、目の前が真っ暗になるかもしれません。しかし、現在の医療において、がんは必ずしも絶望を意味するものではありません。人生という長いドラマの中の、1つの大きなエピソードとして捉えてみてください。その経験は、後になって必ずあなたの人生に深みと新しい価値観を与えてくれるはずです。
制度や保険を賢く活用し、周囲に頼ってください
経済的な不安や仕事の悩みは、1人で抱え込まずに周囲に相談してください。高額療養費制度や企業の休職制度、そして加入している保険など、あなたを守るための仕組みはあります。特に職場には正直に状況を話し、甘えられるところは甘えてください。適切なサポートを受けることは、治療を継続するための重要な戦略です。
自身の経験を自分だけの強みだと考えてみてください
治療を終えた後、あるいは治療中であっても、その経験はあなただけの貴重な財産になります。病気を経験したからこそわかる人の痛み、日常の尊さ。それらをどう生かしていくかを考えることが、前を向く力になります。がんにならなかった自分に戻るのではなく、がんを乗り越えた新しい自分として、これからの人生を歩んでください。