写真はイメージです。(AIによる生成)プロフィール
お名前:とんぼさん(ニックネーム)
年代:50代
性別:男性
家族構成:妻と2人暮らし
仕事:音楽制作、専門学校講師
がんの種類:肺がん
診断時ステージ:ステージ3B
診断年:2023年
現在の居住地:大阪府
※本体験談は、患者さん個人の経験に基づくものです。治療の経過や副作用、生活への影響には、個人差があります。医療的な判断や治療方針の決定の際には、必ず医師・医療従事者にご相談ください。
2023年、とんぼさんは肺がんの宣告を受け一度は絶望の淵に立たされました。しかし、わずか3日で冷静さを取り戻し、現在は再発しながらも、自分なりの死生観を持って前向きに治療と仕事に取り組んでいます。その心の軌跡と、音楽への情熱、そして支えてくれる家族との歩みについてお話しいただきました。
予期せぬ肺がん告知とステージ4の可能性
「まさか、自分が」という言葉は、多くのがん患者が最初に抱く感想かもしれません。私も例外ではありませんでした。2023年の3月に受けた検診が、すべての始まりでした。
それまでは定期的に検診を受けていたのですが、ちょうど新型コロナウイルスの流行時期と重なり、2年ほど間が空いてしまっていました。もし1年前に受けていたら、もっと早く見つかっていたのかもしれない。そんな思いが頭をよぎりましたが、起きてしまったことは仕方がありません。
胸部X線検査の画像に影が見つかり、医師から「精密検査が必要なので、大きな病院へ行ってください」と告げられました。自宅から徒歩圏内に、関西でも有数の規模を誇るがんセンターがあったため、迷うことなくそこを紹介してもらいました。
最初、検診の段階では「おそらくステージ1くらいでしょう」と言われていました。ところが、紹介先のがんセンターで改めて検査を受けた際に、医師から「これはステージ4かもしれない」という言葉が飛び出しました。その時の衝撃は、今でも忘れられません。ステージ1だと思っていたものが、いきなりステージ4になる。頭の中が真っ白になるというのは、まさにあの時のことでした。
確定診断のための生検を待つ間、あまりのショックに妻と共に数日間、食事も喉を通らないほど落ち込みました。一般的ながんに対する知識しかなかった私は、ステージ4と聞いただけで「もう手遅れなのかもしれない」と絶望してしまったのです。
絶望から3日で立ち直った視点の転換
しかし、落ち込み続けていたのは3日間だけでした。私は元々、物事を論理的に考えたり、別の視点から捉え直したりすることが得意なタイプでした。ふと冷静になった時、自分の中で一つの答えにたどり着きました。
「がんだと知る前も、知った後も、自分の体が病気であるという事実は変わっていない」
告知を受けたからといって、その瞬間に急に寿命が縮まったわけではありません。告知される前の2023年の前半、私は音楽活動を精力的に行い、今年は調子が良いなと感じていました。その時も、私の体内にはすでにがんが存在していたはずです。単に「知っているか知らないか」という情報の差だけで、これほどまでに絶望している自分に気づきました。
また、がんは交通事故や心筋梗塞のように、ある日突然命を奪われるものとは違います。もちろん厳しい現実ではありますが、現代の医療では、その現実を変えられる可能性があると考えるようになりました。「まだやりようがあるじゃないか」と思えた瞬間に、スッと心が軽くなったのです。
「がんというルートが人生に現れただけであって、私の歩みが止まったわけではない」そう確信したことで、私はわずか3日で現実を冷静に受け止めることができました。この開き直りに近い感覚が、その後の治療において大きな支えとなりました。
がんを取れるなら取ってしまいたい
その後の生検の結果、最終的な診断はステージ3Bでした。医師からは、抗がん剤で腫瘍を小さくしてから手術をするか、先に手術で取り除いてから抗がん剤を行うかという2つの選択肢を提示されました。妻も事前に熱心に調べてくれていたため、この2択になることは予想していました。
「物理的に取れるのであれば、まずは体の中から取ってしまいたい」
そう考えた私は、手術を先行する治療方針を選びました。専門学校の講師をしていた私は、夏休みの時期に合わせて右肺の下葉を切除する手術を受けました。術後、背伸びをしたり、くしゃみをしたりするとズキンと響くような痛みはありましたが、手術自体は無事に成功しました。
その後、再発予防のために術後化学療法(プラチナ製剤併用療法、免疫チェックポイント阻害薬)を行いました。副作用として脱毛の可能性があると聞いていたので、音楽関係の仕事をしている身として「坊主頭でも様になる格好を考えておこう」と身構えていました。しかし、幸いなことに目立った脱毛はなく、少し髪が薄くなった程度で済みました。一番辛かったのは便秘気味になったことくらいで、手足の痺れも出ませんでした。
専門学校の講師の傍ら、個人的にDJなどの音楽活動をしていましたが、音楽制作の仕事ではコンピューターや機材を使うため、指先の感覚が変わらなかったのは本当に助かりました。ただ、DJとして出演するクラブのような場所は、換気が悪く、感染症のリスクが気になりました。そのため、術後1年ほどは、クラブでの活動を大幅に制限せざるを得ませんでした。
また、専門学校での講師の仕事については、2023年度の後期を半年間休ませていただきました。学生たちには余計な心配をかけたくなかったので、がんであることは伏せ、「肺の調子が悪くて手術をした」とだけ伝えました。現在は復帰していますが、常にマスクを着用し、感染対策を徹底しながら教壇に立っています。
局所再発でも冷静に受け止める自分なりの考え方
手術と術後化学療法を終え、しばらくは経過観察の日々が続きました。日常生活に支障はなく、自覚症状も全くありませんでした。しかし、腫瘍マーカーの値が完全には下がらず、CT検査でも微妙な白く見える影があることが気になっていました。
2024年の10月、担当の医師が交代したタイミングで、改めて精密検査を受けることになりました。新しい医師が「大きくはなっていませんが、白い影があるのが気になります」と言い、再度生検を行ったところ、局所再発が判明しました。
ショックがなかったと言えば嘘になりますが、私の中には「また新しいルートが示されただけだ」という冷静さがありました。現在は、放射線治療と抗がん剤を組み合わせた治療を終え、2025年の1月から別の免疫チェックポイント阻害薬による治療を月1回のペースで受けています。今のところ強い副作用は出ていませんが、手術した部位の周辺に時折痛みを感じることがあります。これは次回の診察で医師に相談するつもりですが、声も元気に出ますし、周囲からは病気だと気づかれないほど元気に過ごせています。
支えとなる妻の存在と死生観の変化
この闘病生活において、最大の力になっているのは間違いなく妻の存在です。彼女は食事管理から最新のがん治療の情報まで、本当に熱心にサポートしてくれています。
本人が直接情報を得ると、時にはシビアな現実に直面して落ち込んでしまうこともありますが、妻がフィルターとなって必要な情報を伝えてくれることが、精神的な大きな支えとなっています。
また、がんになったことで、私の死生観はより深まりました。50歳を過ぎると、親の死や自分自身の老いと向き合う機会が増えます。がんは、私に「人生の閉じ方」を考えるきっかけを与えてくれました。
音楽の仕事でも、「この言葉を誰かに伝えたら、その人の人生が変わるかもしれない」と考えながら制作や指導を行ってきました。私自身が今、自分に向かって「大丈夫だ、まだやりようはある」と言い聞かせているのは、これまで音楽を通じて行ってきたことの延長線上にあるのかもしれません。
がんになった事実は変えられませんが、それに対する考え方を変えることで、目の前の景色は全く違うものになります。今は、この病気と共に、一日一日を大切に、音楽と共に歩んでいこうと思っています。
これからがんと向き合う方へのメッセージ
今、がん治療をしている方にお伝えしたいことがあります。
視点を変えれば、目の前の景色は変わります
がんと診断された瞬間、世界が色褪せて見えるかもしれません。しかし、告知される前も後も、あなた自身が積み上げてきた人生や、今そこにある体は変わりません。「手遅れだ」と決めつけるのではなく、「これからどう向き合っていくか」という選択肢を自分が持っていることに気づいてください。事実を冷静に整理することで、心に余裕が生まれます。
信頼できる伴走者との対話を大切にしてください
自分1人で情報を抱え込むと、悪いほうへと考えが向かいがちです。家族や友人、あるいは医療スタッフなど、あなたの状況を理解し、客観的に支えてくれる存在を頼ってください。誰かが自分のために調べてくれたり、寄り添ってくれたりすることは、強い精神的な支えになります。