写真はイメージです。(AIによる生成)プロフィール
お名前:リク&ココさん(ニックネーム)
年代:50代
性別:女性
家族構成:夫と子ども2人との4人暮らし
仕事:販売職
がんの種類:卵巣平滑筋肉腫
診断時ステージ:ステージ1C1
診断年:2021年
現在の居住地:大阪府
※本体験談は、患者さん個人の経験に基づくものです。治療の経過や副作用、生活への影響には、個人差があります。医療的な判断や治療方針の決定の際には、必ず医師・医療従事者にご相談ください。
2021年、リク&ココさんは希少がんである卵巣平滑筋肉腫との診断を受けました。当初、検査では「子宮筋腫」と診断され経過観察を続けていましたが、自身が感じた尿漏れという違和感から泌尿器科を受診したことが、早期発見への大きな転機となりました。これまでに4度の手術と2度の抗がん剤治療を経験しながらも、その都度、大好きな職場への復帰を申し出たことで、現在も充実した日々を送っています。自ら情報を集め、納得のいく治療を選択してきたリク&ココさんにお話しいただきました。
子宮筋腫という診断への違和感
私のがん体験は、2021年に受けた定期的な乳がん検診から始まりました。その際、看護師さんから「もう40代なので一度卵巣がん検診も受けてみませんか」と提案されたことがきっかけでした。軽い気持ちで受診した婦人科クリニックで、超音波(エコー)検査の結果「子宮筋腫があるね」と言われました。
詳しい状態を調べるために別の病院でMRI検査を受けましたが、その画像診断の結果も「漿膜下筋腫」という診断でした。担当の先生は当初、卵巣が腫れているのではないかと疑っていましたが、画像診断の専門医が「筋腫である」と結論づけたため、その言葉に従うことになりました。その日から、定期的に大きさを確認する経過観察が始まりました。
しかし、経過観察を続ける中で、徐々に腫瘍が大きくなっていくのを感じていました。それと同時に、今まで経験したことのない尿漏れの症状が現れるようになりました。婦人科の先生に相談しましたが、「筋腫と尿漏れは関係ありません」と言われてしまいました。どうしても納得がいかなかった私は、自分自身の判断で近くの泌尿器科を受診することに決めました。
泌尿器科でエコー検査をしてもらうと、医師は驚いた表情で「これだけ大きな塊があれば、膀胱を圧迫して当然です。自然に小さくなることは考えにくいので、早急に手術を検討した方がいい」と言われました。この泌尿器科の先生の言葉が、私の背中を押してくれました。私は元の婦人科に戻って事情を説明し、手術設備の整った総合病院を紹介してもらうことになりました。
「まさか自分が」突きつけられた希少がんの現実
紹介された総合病院は設備も新しく、信頼できる雰囲気でした。これまで受けた検査データを見て、やはり子宮筋腫という見立てでした。2021年の12月6日に、腹腔鏡下手術で筋腫を摘出することになりました。
ところが、腹腔鏡で確認した先生が目にしたのは、子宮筋腫ではなく大きく腫れ上がった卵巣でした。その卵巣は非常に硬く、通常の筋腫とは様子が異なっていたそうです。先生は慎重を期して、腫れている卵巣だけを摘出し、すぐに病理検査に回しました。
1週間ほどの入院を経て一度退院しましたが、数日後、病院から「至急来てください」と電話が入りました。「病理検査の結果が出たときは電話するね」と言われていたので、その電話を受けた瞬間、直感的に「ただ事ではない」と思いました。
病院へ行くと、告げられた病名は卵巣平滑筋肉腫というものでした。卵巣にできるがんの中でも非常に症例が少ない希少がんであり、先生からは「私自身もこれまでに症例を見たことがないほど珍しいがんです」と言われました。目に見える範囲の腫瘍は摘出したものの、がん細胞が散らばっている可能性があるため、12月24日に再手術を行うことが決まりました。子宮、両側の卵巣、卵管、そして大網という脂肪の組織をすべて摘出する大掛かりな手術でした。
副作用を考え退職した職場への復帰
再手術は無事に終わりましたが、その後、目に見えないがん細胞を叩くために抗がん剤治療を行うことになりました。希少がんゆえに確立された治療法が少なく、先生は大学病院の専門医とも連携を取りながら、私に最善の治療法を模索してくれました。
2022年の年明けから抗がん剤治療を開始しましたが、ここでまた予期せぬトラブルが起こりました。ドセタキセル投与開始直後に、アナフィラキシーショックが起こり、治療は中止せざるを得ませんでした。当初予定していた薬剤が使えなくなったため、ゲムシタビン単剤での投与に切り替え、3か月から4か月かけて計4回の治療を受けることになりました。
当時、私は販売の仕事をしていました。人間関係も良好で、半年ほど勤めてようやく仕事に慣れてきた時期でした。しかし、抗がん剤治療で髪の毛が抜けてしまうことへの不安があり、接客業を続けるのは精神的に厳しいと考えました。「皆に挨拶もできないまま辞めるのは心苦しい」と思いましたが、直属の上司に事情を話し、退職することにしました。
治療中は家で過ごす時間が長くなりましたが、次第に気持ちが沈んでいくのを感じました。そんな時、退職する際に店長がかけてくれた「いつでも戻っておいで」という言葉を思い出しました。ずっと家にいるよりも「働いて病気のことを忘れる時間を作った方が気分転換になるのではないか」そう考えた私は、勇気を出して元の職場に電話をかけました。「今、空きはありますか」と尋ねると、店長は二つ返事で「ぜひ戻っておいで」と迎えてくれました。診断から約半年後、脱毛の副作用も軽度だったため、私は元の職場への復帰を果たしました。
再発、そして自ら見つけた頭皮冷却という選択
復帰して1年ほど経った頃、定期検診で局所再発が見つかりました。自分でお腹を触った時、わずかなしこりを感じていたので、悪い予感は的中してしまいました。最初の腹腔鏡手術の際、腫瘍が硬すぎて一部がこぼれ落ちていた可能性があり、それが大網付近で再発したようでした。
ここから3度目、4度目と手術が続きました。開腹手術で再発部位を取り除き、再び抗がん剤治療を行うことになりました。2度目の抗がん剤はアドリアマイシンという、心臓への負担が大きく、脱毛の副作用も避けられない薬剤でした。
1度目の治療で髪を失う不安から仕事を辞めた経験があった私は、今度こそ納得のいく形で治療を受けたいと考え、必死に情報を集めました。そこで見つけたのが頭皮冷却という方法でした。抗がん剤投与中に頭皮を冷やすことで毛根へのダメージを抑える研究をしている会社があることを知り、自ら連絡を取って冷却帽子を購入しました。
主治医に「これを試したい」と申し出たところ、当初は「頭皮冷却は頭部に薬剤が届きにくくなる可能性がある」と慎重な意見をもらいました。しかし、私の「治療を受けたい」という強い意思を伝えると、先生は私の気持ちを尊重し、病院での使用を許可してくれました。結果として、髪の毛は大部分が抜けてしまいましたが、治療終了後の発毛が早く、自分の力で副作用に立ち向かったという実感が、大きな自信へとつながりました。
3度目の入社、病気の前より充実していると思える今の生活
再発治療のために再び(2度目)仕事を辞めざるを得ませんでしたが、治療が一段落した頃、元の職場の先輩と再会する機会がありました。その縁で職場に顔を出しに行くと、またしても上司から「戻っておいで」と声をかけてもらいました。こうして私は、同じ職場に「3度目の入社」をすることになったのです。
希少がんと診断され、4度の手術を経験した私の人生は、病気になる前よりも今の方が充実していると感じています。職場の人たちは、私の病名を知っていますが、適度な距離感で心配し、普段は病気になる前と同じように接してくれます。重くならず「無理しないでね」と声をかけてもらえる環境が、今の私にとっては何よりの支えです。
思えば、私は節目節目で自ら行動を起こしてきました。泌尿器科を受診したことも、頭皮冷却の会社に電話をしたことも、そして大好きな職場に再び連絡を入れたことも、すべては「後悔したくない」という思いからです。医師にすべてを任せきりにするのではなく、自分なりに調べ、話し合い、納得して進むこと。それが、私が希少がんと共に生きる中で見出した、自分自身の守り方でした。これからも一日一日を楽しみながら、販売の仕事に精を出していきたいと思っています。
これからがんと向き合う方へのメッセージ
今、がん治療をしている方にお伝えしたいことがあります。
自身の体からのサインを見逃さず、行動してください
医師の診断がすべてだと思い込まず、自分の体が出している違和感を信じてください。気になるところがあれば自ら他の科を受診したり、情報を集めたりすることが、道を開くきっかけになります。待っているだけでなく、自ら動くことが、後悔のない選択につながります。
納得できるまで医師と対話を続けてください
提示された治療方針に対して不安や希望があるときは、遠慮せずに医師に伝えてください。希少がんのように情報が少ない場合でも、先生と連携を取りながら「自分はどうしたいのか」を明確にすることが大切です。自分が納得して受ける治療は、副作用や困難に立ち向かうための大きな心の支えになってくれます。
自分が心地よいと思える環境へ、自ら手を伸ばしてください
病気になったからといって、すべてを諦める必要はありません。私は大好きな職場に自分から連絡をし、戻る場所を確保しました。職場や趣味など、病気のことを忘れられる時間や場所を持つことは、治療を続ける上での強いエネルギーになります。自分を温かく迎えてくれる環境へ、勇気を持って一歩踏み出してみてください。