写真はイメージです。(AIによる生成)プロフィール
お名前:がくさん(ニックネーム)
年代:70代
性別:男性
家族構成:妻と2人暮らし
仕事:元教員(現在は仏教研究・執筆)
がんの種類:非小細胞肺がん
診断時ステージ:ステージ4B
診断年:2023年
現在の居住地:千葉県
※本体験談は、患者さん個人の経験に基づくものです。治療の経過や副作用、生活への影響には、個人差があります。医療的な判断や治療方針の決定の際には、必ず医師・医療従事者にご相談ください。
2023年4月、非小細胞肺がんのステージ4Bという診断を受けたがくさん。長年仏教の研究を続けてきたがくさんは、自らに訪れた「死」の予感に対して、どのように心を整え、残された時間を再構築したのでしょうか。最新の薬物療法、そして予期せぬ腰椎ヘルニアによる不自由な生活の中で見出した、不安を振り払うための心の治療法についてお話しいただきました。
はじまりは飲み込みづらさと咳、そして血の混じった痰
私のがん体験は、2022年の春頃に感じた、飲食物を飲み込む際の違和感から始まりました。当時は喉に何かが引っかかるような感覚がありましたが、そこまで深刻には考えていませんでした。しかし、秋になると咳が頻繁に出るようになり、2023年1月には痰に血が混じっていることに気づきました。さすがに放置はできないと思い、2月に以前から通っていたかかりつけのクリニックを受診しました。
そこでCT検査を受けた結果、肺に影が見つかり、医師からはがんの可能性が高いと告げられました。その時はまだ、「がんといっても手術をすれば治るだろう」という程度の認識で、比較的落ち着いていられました。その後、精密検査のために紹介されたのは、自宅から車で40分ほどの場所にある、がんセンターでした。私の家族も4人がこの病院で最期まで診てもらった経緯があり、私にとって最も信頼できる場所でした。
しかし、がんセンターの初診予約は40日先まで埋まっていました。一刻も早く診断を確定させたかった私は、友人の勧めもあり、より早く3月初めに受診できる県外のがんセンターを受診しました。そこで告げられたのは、「非小細胞肺がんのステージ4Bです。手術はできません」という厳しい現実でした。手術以外の治療法を想定していなかった私は、大きな衝撃を受けました。医師からは「もし具合が悪くなった時、急いでここまで来られますか」と問われ、緊急時の対応を考えるとやはり地元の病院が良いと判断し、改めて地元のがんセンターを受診することに決めました。
遺伝子変異に合わせた治療薬という希望
4月17日に正式な診断が下りました。3月初めに告知を受けてから治療が始まるまでの約40日間は、私にとって最も苦しい時期でした。肺がんについての知識が乏しかった私は、「あと何日生きられるのだろうか」「残された時間で何をなすべきか」といった、いわゆる「妄想不安」の渦中にいました。
しかし、がんセンターでの遺伝子検査の結果、私にはMET遺伝子変異があることがわかりました。主治医からは、この遺伝子変異で使える分子標的薬があるという説明を受け、治療を開始しました。それまでは殺細胞性抗がん剤による治療しか頭になかった私にとって、自分の遺伝子変異に合う薬があるという事実は、暗闇の中に差し込んだ一筋の光のように感じられました。「薬が効いている間は生きられる」と、前向きな希望を持つことができました。
分子標的薬による治療は2023年10月まで続きました。その間、がんは縮小傾向にありましたが、体液貯留などの副作用が出たため、一旦中止となりました。12月からは免疫チェックポイント阻害薬による治療に切り替えました。この治療は効果があり、最終的に肺の原発巣は14mmまで縮小しました。しかし、2025年6月に間質性肺炎の疑いが出たため、この治療も中止せざるを得なくなりました。現在は薬を使わず、経過を観察している状態ですが、腫瘍マーカーなどの数値は安定しています。
ヘルニアによる動けない時間がもたらした大きな転機
治療を始めて間もない2023年5月、私は予期せぬ不運に見舞われました。重度の腰椎ヘルニアを発症したのです。右脚の腰から足首までの感覚がなくなり、激しい痛みで歩行が困難になりました。がん治療中だったため手術は断念し、自然治癒を目指すことになりましたが、これによってQOL(生活の質)は大幅に低下しました。外出はままならず、家事もほぼ妻に任せきりになってしまいました。
しかし、この動けない時間が私に大きな転機をくれました。それまで忙しさを理由に先延ばしにしていた、ホームページに連載していた仏教研究を、書籍としてまとめる作業を開始したのです。家の中で椅子に座りきりの生活でしたが、執筆という張り合いを持って取り組めることがあったおかげで、死への恐怖や不安といった「妄想」から抜け出すことができました。2024年1月までに3冊の書籍を完成させたことは、私の心の安定に大きく寄与しました。
この期間、私は自分に言い聞かせていました。「分子標的薬が効かなくなっても、次は免疫チェックポイント阻害薬がある。それまでは生き延びられる」と。書籍化という目標と、次の治療の選択肢があるという安心感が、私を深い落ち込みから救ってくれました。
仏教の教えと妄想の正体
私ががんと向き合う上で大きな力となったのは、長年続けてきた仏教の研究でした。仏教では、目の前にないことを考えて不安になったり悩んだりすることを妄想と言います。がんが治らずに死に至ること、治療の苦しさ、家族の心配。これらはすべて、まだ起きていない未来への不安、すなわち妄想です。
私は不安が湧いてきたとき、「あ、今自分は妄想をしているな」と気づく練習を繰り返しました。そして「ストップ」と自分に声をかけ、呼吸をゆっくりと整え「心の安定、心の安定」と呪文を唱え、意識を「今、ここ」に戻すようにしました(瞑想の初歩)。妄想を取り払い、心を安定させることに集中するのが瞑想です。特に何かをするのではない時には進んで心を調えて瞑想をしました。
また、診断当初から終活の目標を立てたことも功を奏しました。蔵書を整理し、金銭的な管理をまとめ、葬儀の手配も自分で行いました。これによって妻の負担を減らせるという安心感が得られ、これまでの人生を総まとめして「思い残すことは何もない」という心境に至ることができました。死についての恐怖を、仏教の知恵と具体的な準備によって克服していったのです。
私の人生をすべて肯定してくれる友人たちからの言葉が最高の贈り物
私は病状を隠すことなく、兄弟や親しい友人たちにありのままを伝えました。いつ交流が止まってしまうかわからないが、突然のことがあっても驚かないでほしい、という思いからでした。すると、友人たちは入れ替わり立ち替わり、遠方のからの来訪、電話やメール、旅行や食事会、カラオケなどで私を励ましてくれました。
「あなたがいなければ人生がおもしろくなくなる。生きて力を貸してほしい」という友人たちの言葉は、私のこれまでの人生をすべて肯定してくれる、最高の贈り物でした。有言無言の励ましが、どれほどの勇気を与えてくれたか計り知れません。
今、私は3年目の節目を迎えようとしています。主治医から「治癒は望めません」と言われたあの日から、「今日一日を元気に過ごせればベスト」という思いで生きてきました。心の安定と、友人たちが与えてくれる励ましの言葉は、私を前向きにし、がんと共に生きていく力になっています。これからも、一日一日に感謝しながら、最良の一日を目指して歩んでいきたいと思っています。
これからがんと向き合う方へのメッセージ
今、がん治療をしている方にお伝えしたいことがあります。
「今、ここ」に集中して妄想を振り払ってください
がんと向き合う中で、死への恐怖や治療の不安が湧いてくるのは当然のことです。しかし、それらはまだ起きていない未来の妄想であることが少なくありません。不安に振り回されそうになったときは、その思考に気づき、一度ストップをかけてみてください。そして、今この瞬間に自分がなすべきことに集中してみてください。一日一事(いちにちいちじ)、目の前のことに丁寧に取り組むことが、心の安定への一番の近道になります。
可
能なら周囲の人にありのままを伝えてみてください
闘病の不安や苦しさ、病状を一人で抱え込まず、信頼できる人には伝えることをお勧めします。私の場合、病気を公表したことで友人たちから多くの励ましをもらい、それが生きる力に変わりました。周囲の人の助けや応援を素直に受け取ることは、免疫力を高めることにもつながります。あなたの人生を肯定してくれる人の存在は、何物にも代えがたい治療薬になるはずです。
解決できる不安は、正当な手段で解決を図ってください
答えの出ないことを考え続けても、心身は疲弊するだけです。不安の正体を突き止めて、それが治療法やお金のこと、家族の将来などの具体的なものであれば、専門家に相談したり、正しく調べたりすることで解決を図ってください。一人で悩まず、誰かに話を聞いてもらうだけでも、不安の渦から抜け出すきっかけになります。心の安定を第一に考え、穏やかな一日を積み重ねていきましょう。