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「必ず帰る」その約束を支えに、急性リンパ性白血病から取り戻した子どもたちの日常と成長

[公開日] 2026.03.10[最終更新日] 2026.03.03

写真はイメージです。(AIによる生成)
プロフィール お名前:つづみさん(ニックネーム) 年代:50代 性別:女性 家族構成:夫と子ども2人との4人暮らし 仕事:薬剤師 がんの種類:急性リンパ性白血病 診断時リスク分類:標準リスク 診断年:2023年 現在の居住地:埼玉県
※本体験談は、患者さん個人の経験に基づくものです。治療の経過や副作用、生活への影響には、個人差があります。医療的な判断や治療方針の決定の際には、必ず医師・医療従事者にご相談ください。 2023年の夏、薬剤師として働いていたつづみさんは、体に生じた異変から急性リンパ性白血病の診断を受けました。受診したその日のうちに入院が決まるという急展開の中で、中学生の子どもたちには「必ず元気に帰ってくる」とだけ約束し、闘病生活に入りました。医療の知識があるからこそ、あえて情報を遮断することで心を守り、家族の協力や病棟での仲間との交流を支えに、治癒を目指して一歩ずつ歩んできた道のりについてお話しいただきました。

倦怠感と身に覚えのないあざなどの異変

2023年の夏、私は今までに経験したことのないような倦怠感に襲われていました。加えて、身に覚えのないあざが体にいくつもできていることに気がつきました。私は薬剤師として、父が経営する小児科のクリニックにある院内薬局で働いていました。医療に従事する者として、自分の体に起きていることがただごとではないという予感がありました。 あまりにも体調が悪いため、父に「採血をしてほしい」と頼みました。自分の職場で自ら検査を依頼したのです。翌日、検査結果を見た父の顔色が変わりました。数値は明らかに異常を示しており、父の動揺は隠せませんでした。すぐに紹介状を書いてもらい、大学病院を受診しました。 大学病院でも改めて血液検査が行われ、医師からはその場で「白血病の可能性が高いです。このまま入院してください」と告げられました。ある程度の覚悟はしていましたが、実際に告知されるとやはりショックでした。 私は入院になるだろうと考え、あらかじめ準備を整えてから病院へ向かっていました。父から結果を聞いた時点で、ある程度の予測はついていたからです。自宅を出る前、当時中学1年生と中学3年生だった子どもたちにはこう伝えました。 「ママは白血病で、このまま入院することになるかもしれない。元気になって帰ってくるから、少し長くなるかもしれないけれど待っていてね」 夏休みに入る直前の土曜日でした。子どもたちは驚いた様子でしたが、私はそれだけを言い残して病院へ向かいました。後に知ったことですが、私が去った後、上の子は泣き続けていたそうです。一方で、普段は泣き虫な下の子は一切泣かず、その話題に触れることもなかったといいます。一人で必死に耐えていたのだと思います。子どもたちはスマートフォンで病気について調べ、これが並大抵のことではないと察していたようです。

自分の心を守るため、あえて情報収集をしない

入院後、すぐに治療方針を決定するための検査が始まりました。まずステロイドの服用から開始し、遺伝子解析の結果を待ちました。結果として、フィラデルフィア染色体などの主要な遺伝子異常は見つからず、リスク分類も標準リスクでした。この結果を受け、まずは寛解導入療法を開始し、その経過次第で造血幹細胞移植を行うかどうかが検討されることになりました。 私は薬剤師という職業柄、本来であれば薬理作用などのデータに詳しい立場にあります。かつて母が卵巣がんを患った際には、がん情報ナビゲーターの講座を受けるなど、熱心に勉強もしていました。しかし、いざ自分が患者の立場になると、それまで大切だと思っていた「知ること」が何よりも恐ろしいものに変わりました。 自分で自分の病状を深く調べることは、どうしてもできませんでした。インターネットで検索すれば、真っ先に生存率や厳しい現実が目に飛び込んできます。最悪のケースをすべて把握し、それを背負いながら治療に臨む自信が、その時の私にはありませんでした。 「知るのが怖い。良いことは書いていないはずだ」 そう思い、私はあえて情報を遮断する道を選びました。主治医や薬剤師から説明される副作用についても、その場で聞くにとどめ、自分から深掘りすることはありませんでした。標準治療が確立されている大学病院なのだから、先生にお任せするのが一番だと自分に言い聞かせていました。 ただ、1つだけ主治医に確認し続けていたことがあります。 「もし今の薬が効かなかったとき、次の手段はありますか?」 先生は「大丈夫、まだ2つ、3つと次の手はありますよ」と答えてくれました。その言葉だけが、私の心の支えでした。

LINEと妹の協力で維持した、子どもたちの変わらない日常

入院中、私が最も心を砕いたのは、家に残した子どもたちの日常生活を乱さないことでした。私が不在になることで、子どもたちの習い事や学校生活が止まってしまうことだけは避けたかったのです。それが子どもたちの精神的な安定につながると信じていました。 夫も薬剤師で製薬会社に勤めていたため、医学的な理解はありました。しかし、子どもたちの日々の細かなスケジュール管理は私にしかわからない部分が多くありました。私は病棟からLINEで、夫に「明日は何時にどこへ連れて行ってほしい」「月謝の支払いはこうなっている」と日常生活の“カリキュラム”を途絶えさせないよう、情報を伝達しました。 幸い、わが家は二世帯住宅のような形になっており、隣には私の妹家族と父が住んでいます。妹は私の気持ちを一番に理解してくれており、子どもたちのメンタル面のサポートや家事のフォローをすべて引き受けてくれました。妹の存在がなければ、私の闘病はもっと過酷なものになっていたでしょう。 入院中は無菌病棟にいたため、家族と面会することは一切できませんでした。寂しさを埋めてくれたのは、やはりLINEでのやり取りでした。私は子どもたちに、自分が元気であること、治療が順調に進んでいることを毎日伝え続けました。少しでも明るい報告ができるときは、欠かさずにメッセージを送りました。

「治癒を目指す」という言葉に救われた、寛解へのプロセス

最初の寛解導入療法は、想像していたよりも副作用が軽く済みました。味覚障害で食事が摂れなくなった時期もありましたが、基本的には病棟内を散歩することもできましたし、体調が良い日も多くありました。 大きな転換点は、寛解導入療法が終わった後の検査結果でした。微小残存病変(MRD)が陰性、つまり、通常の検査では見つからないレベルまでがん細胞が減っていることがわかったのです。この結果を受け、移植は行わずに化学療法のみで継続することが決まりました。この時、主治医から言われた言葉が今でも忘れられません。 「これからの治療は地固め療法です。治癒を目指すためのものです。頑張りましょう」 治癒という目標をはっきりと口にしてもらえたことが、何よりも嬉しく、安堵しました。それまでは「自分はもう家には帰れないのではないか」と、最悪の事態を想定して遺書のようなものを書いたり、数年先までの子どもたちの誕生日プレゼントをオンラインで予約したりしていました。しかし、その言葉を聞いて初めて、私はこれから先の未来を信じることができたのです。 その後、地固め療法を5コース行いました。血球が減少して発熱する時期もありましたが、大きなトラブルなく進めることができました。現在は維持療法に移行し、通院しながら日常生活を送っています。

無菌病棟の仲間と共有した、ささいな日常と闘病の知恵

入院生活の中で、もうひとつ大きな支えとなったのが、同じ無菌病棟で過ごした患者さんたちの存在でした。病棟の外に出られない閉鎖的な空間でしたが、同じ境遇にある仲間たちとは不思議な連帯感が生まれました。 私たちは大部屋で、医師にはわざわざ言わないような些細な困りごとや、生活の知恵を共有しました。「こういうときは、こうすると楽だよ」「あの看護師さんのときは、こう頼むといいよ」そんなたわいもない雑談が、どれほど心を軽くしてくれたかわかりません。 外の世界で普通に過ごしていたら、決して出会わなかったであろう人たち。年齢も背景もさまざまですが、同じ病と戦う者同士、言葉にしなくても伝わるものがありました。退院した今でも、外来で顔を合わせれば「調子はどう?」と励まし合っています。 ある時、仲間の1人と「あの入院生活、なんだかんだ楽しかったよね」と話し合ったことがあります。不謹慎に聞こえるかもしれませんが、それほどまでに密度の濃い、人間味あふれる時間がそこにはありました。患者同士のコミュニケーションは、時に医学的な治療と同じくらい、心を救う力があるのだと実感しています。

子どもの成長という節目を、ひとつずつ丁寧に重ねる喜び

診断から約2年半が経過しました。今振り返ると、入院したばかりの頃の絶望感が嘘のように、穏やかな日々を過ごせています。 もちろん、再発の不安が完全に消えたわけではありません。定期的な血液検査の結果を待つ間は、不安になります。検査結果に一喜一憂し、問題がなかったと聞いてようやく胸をなで下ろす。そんなサイクルの繰り返しです。それでも、主治医が「もし再発しても、まだ次の手があるから大丈夫」と言ってくれていることが、大きな安心感となっています。 病気になる前と今とで、生活自体は大きく変わりません。しかし、一つひとつの出来事に対する感じ方は変わりました。娘の中学校の卒業式に出られたこと。高校の入学式に立ち会えたこと。そして今度は、下の子の中学校の卒業式を控えています。 かつて「もう出られないかもしれない」と諦めかけた節目の行事に、一つまた一つと出席できている。そのこと自体が、私にとっての勝利であり、生きるモチベーションになっています。 これからも、無理に前を向こうとするのではなく、自分のペースで、自分に合った情報の取り方で、病気と付き合っていこうと思っています。1日1日を大切に、家族との時間を積み重ねていく。それが、今の私にできる精一杯の、そして最も贅沢な「がんと向き合う形」だと思っています。

これからがんと向き合う方へのメッセージ

突然の診断に戸惑い、不安を抱えている皆さんに、私の経験からお伝えしたいことがあります。 情報を「調べない」という選択肢も大切にしてください インターネットにあふれる生存率などの情報は、時に必要以上に心を傷つけることがあります。医療の専門的なことは主治医を信頼して任せ、自分の心を守るために、あえて情報を遮断することもひとつの有効な方法です。無理にすべてを把握しようとしなくても大丈夫です。 辛くなる前に、身近な人に相談してみてください 体調の変化や困りごとは、我慢して問題が重たくなる前に、周囲の人や医療スタッフへ伝えてみましょう。「少し便秘が辛い」といったささいな悩みでも話すことで、具体的な対策や共感が得られ、結果として心の負担を軽くすることにつながります。 自分なりの日常のリズムを大切にしてください 病気になったからといって、すべての生活を変える必要はありません。家族との連絡や、これまで大切にしてきた日常の習慣を無理のない範囲で続けてみてください。これまでと変わらない日常を維持しようとすることが、治療に向き合うための大きな活力になります。
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