写真はイメージです。(AIによる生成)プロフィール
お名前:うりさん(ニックネーム)
年代:40代
性別:女性
家族構成:両親と弟2人との5人暮らし
仕事:大学契約職員
がんの種類:乳がん
診断時ステージ:ステージ0(術後ステージ1)
診断年:2017年
現在の居住地:千葉県
※本体験談は、患者さん個人の経験に基づくものです。治療の経過や副作用、生活への影響には、個人差があります。医療的な判断や治療方針の決定の際には、必ず医師・医療従事者にご相談ください。
39歳という若さで乳がんの告知を受けたうりさん。自身にとって大きなチャームポイントであった胸を失うという現実に、一時は「治療をしない」という選択肢さえ頭をよぎったといいます。しかし、納得のいく手術方法と信頼できる医師、そして同じ悩みを持つ仲間たちとの出会いが、再び前向きに治療に取り組むきっかけとなりました。自らの足で情報を集め、自ら選んできた歩みについてお話しいただきました。
乳がん診断のきっかけは人間ドックでの違和感
乳がんが判明したのは2017年のことでしたが、その予兆は前年の年末にありました。2016年の12月、私は毎年の習慣として人間ドックを受けました。その際、乳がん検診のマンモグラフィー検査で胸を挟んだとき、乳頭から分泌物が勢いよく飛び出したのです。
それまで、自分の体にこれといった自覚症状はありませんでした。人間ドックの結果自体も「異常なし」という判定でした。しかし、目の前で起きた出来事の衝撃は大きく、私は「これは絶対におかしい」という直感を拭い去ることができませんでした。
年末という時期もあり、どこの病院も休診に入っていました。私は居ても立ってもいられず、冬休みの間中、ひたすらインターネットで情報を検索しました。調べれば調べるほど、あの分泌物は決して楽観視できるものではないという確信が強まりました。年が明け、病院が診療を開始すると同時に、私は人間ドックを受けたクリニックに併設されている乳腺科を受診しました。
クリニックでの超音波(エコー)検査や分泌物の検査でも、はっきりとした異常はすぐには見つかりませんでした。しかし、診察してくださった先生が、長年の経験から「やはり何かがおかしい」と感じ取ってくださったのです。より精密な検査が必要だということで、紹介状を書いていただき、1月中旬に大学病院へ向かいました。
「自分はがんのはずがない」と思いながら過ごした約4か月
紹介された大学病院では、マンモグラフィー、エコー検査、MRI、そして生検などの検査を受けました。2月の段階で「80%の確率でがんだろう」という話はありましたが、確定診断には至りませんでした。主治医の先生も、私の組織をより細かく精査したいという考えを持っていました。
診断の結果は、ステージ0の「非浸潤性乳管がん」というものでした。がん細胞は乳管内にとどまってはいるものの、広範囲に広がっているため、治療としては左乳房の全摘手術が必要だと告げられました。
最初の違和感から約5か月、大学病院での精密な検査開始から約4か月が経過していました。この待機期間中、私は不思議とがんについての勉強をほとんどしませんでした。
どこかで「自分はがんのはずがない」「何かの間違いであってほしい」という強い拒絶感があったのだと思います。あえて調べないことで、今まで通りの日常を守ろうとしていました。39歳という年齢で、人生のこれからを考えていた時期だったからこそ、現実を受け止めるための猶予期間が必要だったのかもしれません。
「胸を失うなら治療はしない」という絶望
先生から全摘という言葉を聞いた瞬間、私は目の前が真っ暗になりました。私にとって、自分の胸は大きなチャームポイントでした。人よりサイズが大きかったこともあり、それをすべて取り去ってしまうという現実は、自分のアイデンティティーが失われるのと同じことのように感じられました。
「ステージ0なのに、どうして全部取らなければいけないのか」「温存できる方法はないのか」。その一心で、私はセカンドオピニオンを求め3か所の病院を回りました。その中には、がん専門病院も含まれていました。
納得のいく説明を求めて必死だった私を救ってくれたのは、がん専門病院の先生でした。その先生は、私の乳管内に広がるがんの状態を非常に詳細な絵に描いて説明してくれました。がんがどのように広がり、なぜ全摘が必要なのか、一方で全摘をすれば基本的には治療が完結するという見通しも明確に示してくれました。
それまでの病院では「全摘は決まりきったこと」という空気感がありましたが、その先生の丁寧な図解によって、ようやく私は自分の現状を客観的に把握することができました。納得感を得ることは、私にとって何よりも重要なプロセスでした。
イタリアへの短期留学を優先させ手術を延期
全摘という方針には納得したものの、すぐに手術を受ける決心はつきませんでした。なぜなら、私には2017年の8月に、趣味のオペラを学ぶためにイタリアへ短期留学をするという計画があったからです。
「自分の体が満足なうちに、イタリアへ行きたい」。そう考えた私は、手術を帰国後の9月まで待ってほしいと先生に伝えました。術前にホルモン治療を試すなどの選択肢もありましたが、副作用のリスクを考慮して、私はあえて何もしないまま留学する道を選びました。
「もしその間にステージが進んでしまったとしても、それは自分の責任であり、先生のことは責めません」。そう約束をして、私はイタリアへ行きました。家族からは、1日でも早く手術を受けてほしいと泣いて懇願されました。当時は著名な方が乳がんで亡くなったニュースが世間を騒がせていた時期でもあり、両親の不安は相当なものでした。
しかし、当時の私は頑なでした。自分の人生を、がんという病気に支配されたくないという強い思いがありました。イタリアでの時間は、私にとって「がん患者」ではない自分を再確認するための大切なひとときとなりました。
運命を変えた乳房再建手術との出会い
手術を受ける決断ができた背景には、もうひとつの大きな出会いがありました。全摘でも大きな傷が残らないような手術方法を提案してくれた総合病院の医師と出会い、転院を決めたのです。私は真性ケロイド体質だったため、大きな手術痕が残ることを非常に恐れていました。この方法であれば4cm程度の傷で済み、乳輪や乳頭を残す皮下乳房全摘も可能だという話でした。
さらに、後押ししたのが脂肪注入による乳房再建という手法とそれを行っている乳房再建を専門とする医師との出会いです。
手術の方法を模索していた6月、私はあるセミナーに参加しました。そこで初めてその再建方法を知ったのです。それまで提示されていたのは、シリコンインプラントを入れる方法でしたが、実際にインプラントで再建された方の胸を触らせていただいた際、その硬さにショックを受けていました。「自分の胸がこんなにカチカチになるのは嫌だ」と感じていた私にとって、自分の脂肪を使って作る柔らかい胸は、希望の光に見えました。
「傷が小さく、脂肪注入で自分の胸が戻ってくるなら、全摘を受け入れられる」。そう思えたことが、最大の転換点でした。9月、総合病院で乳輪乳頭温存皮下全摘手術と同時に組織拡張器(エキスパンダー)を入れる手術を受けました。
理想の胸を取り戻すため計8回の再建手術
手術後の病理検査の結果、予想外の事実が判明しました。がんの一部がわずかに浸潤しており、ステージは0から1になりました。また、サブタイプもホルモン受容体陽性のルミナルBということがわかりました。
「やはり留学のために手術を遅らせたからだろうか」という思いが頭をよぎらなかったわけではありません。しかし、イタリアへ行ったことに後悔はありませんでした。納得して選んだ道だったからこそ、結果を受け止めることができました。
化学療法の適応も検討されましたが、最終的には主治医を信頼し、10年間のホルモン療法を行うことになりました。現在も毎日薬を飲み続けています。最初の5年間は注射も併用していました。体重の増加や関節の痛み、髪が薄くなるなどの副作用はありますが、それも「生きている証」として向き合っています。
乳房再建についても、現在進行形です。私の場合はサイズが大きかったこともあり、理想の形に近づけるために年に2回合計8回の脂肪注入手術を重ねてきました。自費診療のため経済的な負担は小さくありませんが、それでも自分の納得のいく姿を取り戻していく過程は、私にとって不可欠なものでした。
仲間からもらった「キャンサーギフト」
がんになったことで得られたもの、いわゆる「キャンサーギフト」もたくさんありました。SNSの患者会である「ピアリング」に参加したことをきっかけに、私の世界は大きく広がりました。
再建手術の主治医と親しい患者さんと出会い、そこからさまざまなプロジェクトに携わるようになりました。その1つが、乳がん患者に優しいブラジャーの開発です。大阪のセレクトショップのオーナーさんやランジェリーデザイナーさんと共に、再建中や術後の胸でも美しく心地よく着けられる下着を作りました。実際に自分の胸をデザイナーの方に見てもらい、細かな要望を伝えて形にしていく作業は、とても充実したものでした。
さらに、乳がん患者がモデルとしてランウェイを歩くファッションショー「キャンサーギフトコレクション」にも参加しました。メイクをしていただき、華やかな衣装に身を包んで歩く舞台は、病気になって傷ついた心を癒やし、再び自分に自信を持たせてくれる場所となりました。
職場である大学の研究室でも、当初は病気のことを隠していました。噂になるのが嫌で、同僚とも一定の距離を置いていたのです。しかし、今では理解ある上司に恵まれ、自分らしく働き続けることができています。
納得することの積み重ねが未来につながる
振り返ってみれば、私のこの9年間は納得を探し求める旅だったように思います。もし、あのまま納得のいかない方法で手術を受けていたら、私は今、笑顔でいられたかどうかわかりません。
乳がんは、女性としての自信や、それまで築いてきた日常を一瞬で奪い去ろうとします。でも、自ら動き、情報を集め、信頼できる先生や仲間と出会うことで、その絶望は希望に変えることができます。
現在も再建は完了していませんし、ホルモン治療も続いています。がんになったからこそ見えた景色があり、出会えた仲間がいます。これからも、自分の足で一歩ずつ、納得できる人生を歩んでいきたいと思っています。
これからがんと向き合う方へのメッセージ
がんと診断され、どうすべきか悩んでいる方に伝えたいことがあります。
正しい情報を自ら集める努力をしてください
がんという言葉を聞くと、どうしても頭が真っ白になり、医師に言われるがままになりがちです。しかし、治療の主体はあくまでも自分自身です。情報は待っていてもやってきません。自ら動き、正しい情報を集めることが、納得のいく治療への第一歩です。知識を持つことは、診察室での先生との対話を深め、より良いコミュニケーションを築くための大きな力になります。
セカンドオピニオンを迷わず活用してください
自分が納得できるまで、複数の医師の意見を聞くことは決して悪いことではありません。同じ診断であっても、説明の仕方や提案される方法が異なることもあります。自分が最も納得でき、この先生にならお任せできると思える出会いを探してください。納得感こそが、長期にわたる治療を前向きに続けていくための何よりの原動力になります。
仲間とのつながりを求めて一歩踏み出してください
がんと向き合う日々は孤独を感じやすいものですが、あなたは決して一人ではありません。患者会やSNSを通じて、同じ思いをしている仲間とつながってみてください。家族や友人には言えない悩みも、経験を共有した仲間となら分かち合うことができます。あなたの前には道を切り拓いてきた先輩がいて、後ろにはいつかあなたの経験を必要とする後輩がいます。支え合う輪の中に、あなたが輝ける場所は見つかるはずです。