写真はイメージです。(AIによる生成)プロフィール
お名前:Emingさん(ニックネーム)
年代:60代
性別:女性
家族構成:子ども2人との3人暮らし
仕事:看護専門学校教員
がんの種類:悪性リンパ腫(びまん性大細胞型B細胞リンパ腫)
診断時ステージ:ステージ3B
診断年:2024年
現在の居住地:山梨県
※本体験談は、患者さん個人の経験に基づくものです。治療の経過や副作用、生活への影響には、個人差があります。医療的な判断や治療方針の決定の際には、必ず医師・医療従事者にご相談ください。
2024年1月、看護師として働き、退職後は看護専門学校の教員として次代を育てていたEmingさんに、思いも寄らない診断が下されました。2024年1月、びまん性大細胞型B細胞リンパ腫のステージ3B。看護師として知識を持ち、患者として直面する現実に戸惑いながらも治療を続けましたが再発を経験しました。CAR-T細胞療法という選択肢に望みをかけ、復帰するまでの道のりをお話しいただきました。
「ただの腫れ」だと思っていた首の異変
私の異変は、2023年12月に受けた人間ドックから始まりました。右側の首に腫れがあることを指摘されたのです。当時の私は、看護専門学校で教員として働き、毎日学生たちと向き合う多忙な日々を送っていました。首の腫れといっても痛みがあったわけではなく、なんの自覚症状もありませんでしたが、人間ドックの医師から「まずは耳鼻科を受診するように」と強く勧められました。
アドバイスに従い、すぐに耳鼻科を受診しました。しかし、そこで「もしかしたら、大きな病院で詳しく診てもらったほうがいいかもしれない」と大学病院への紹介状を渡されたのです。
12月のうちに大学病院の耳鼻科を受診し、年が明けた2024年1月、組織の一部を採取する生検が行われました。その結果、下された診断は「びまん性大細胞型B細胞リンパ腫」という血液のがんでした。さらに詳しいPET-CT検査の結果、病変は脾臓にも及んでおり、ステージは3Bであることがわかりました。
看護師として長年、大学病院の整形外科を中心に働いてきた私にとって、骨軟部腫瘍などがん患者さんと接した経験はありました。しかし、専門は運動器系の疾患であり、血液内科の領域については知識として知っている程度で、自分がその当事者になるとは夢にも思っていませんでした。確定診断を受けたときは1人でしたが、ショックというよりも「これからどう治療を受けていくべきか」という、医療従事者としての視点が働いていたように思います。
治療と仕事の両立、そして看護師としての葛藤
2024年2月から、いよいよ抗がん剤治療が始まりました。主治医から提案されたのはPola-R-CHP療法という、その時点で高い奏効率が期待される標準治療でした。「完治を目指しましょう」という先生の言葉を信じ、前を向くことに決めました。
治療にあたって大きな課題となったのは仕事でした。当時は専任教員としてフルタイムで働いていました。主治医からは「初回は入院が必要ですが、その後は通院での治療も可能です。体調が許すなら仕事を続けても大丈夫です」と言われました。職場である看護専門学校に相談したところ、非常に温かい理解を得ることができました。「無理のない範囲で、進めましょう」と言っていただき、入院中や副作用が強い時期は休みつつ、体調が良いときにはオンラインで授業や会議に参加するというスタイルで仕事を継続することができました。
看護専門学校という場所柄、同僚は皆、医療の知識を持つプロフェッショナルです。私ががんサバイバーとして働くことに対しても、「病気と闘いながら仕事はできる」という共通認識がありました。この職場の理解が、闘病中の私の大きな支えとなりました。
一方で、入院生活ではこれまでにない孤独を感じることもありました。かつて私が看護師として働いていた頃の大部屋は、患者さん同士がカーテンを開けておしゃべりをするような光景が一般的でした。しかし、今の病院ではプライバシー保護のため、常にカーテンが閉め切られています。隣に誰がいるのかもわからない、物音ひとつ立てるのもはばかられるような静寂。看護師さんたちも忙しそうに働いており、看護師だからこそ、その忙しさがわかる分、「ちょっと話を聞いてほしい」と呼び止めることができませんでした。そのような中、教え子が「先生治すよ!」と強く励ましに来てくれたり、学生時代の思い出話をしてくれ「先生と撮った写真があるよ」と見せてくれて一緒に笑ったことは私の闘病意欲をさらに奮い立たせてくれました。
検査から2週間後、反対側の首にしこりを発見
2月から7月まで、計6回の抗がん剤治療を完遂しました。しかし、期待していたほど病変が小さくならず、追加で1か月間の放射線治療を行いました。8月に放射線治療が終わり、10月初旬の画像診断では「病変が縮小している」という良好な結果を得ることができました。ようやく一安心できる、そう思った矢先のことでした。
検査からわずか2週間後、今度は前胸部に、触れてわかるほどの明らかな腫れが出現したのです。自分の手でそのしこりを確認したときの不安は、言葉では言い表せません。
すぐに病院に行き、1泊2日の検査入院を経て出された診断は、やはり再発でした。主治医からは、より強力な「救援療法」を行うために長期の入院が必要であること、そして、通常の治療だけでは難しい場合に備え、CAR-T細胞療法を並行して準備することが提案されました。
10月下旬から再入院し、救援療法(R-DeVIC療法など)が始まりました。この治療は非常に強力で、白血球の値が急激に下がるため、クリーンルーム(無菌室)での生活を余儀なくされました。4人部屋の孤独感も辛かったですが、個室での隔離生活は、社会から完全に切り離されたような感覚に陥りました。
そんなとき、私を支えてくれたのは、同じ病気の仲間たちとのつながりでした。以前から情報収集のために活用していた血液がんの患者会「グループ・ネクサス・ジャパン」に入会し、オンラインでのミーティングに参加するようになりました。画面越しに、同じ病気を克服して何年も元気に過ごしている方々の顔を見、直接話を聞くことで、「私もまだ諦めるわけにはいかない」と勇気をもらいました。副作用の対処法や心の持ち方など、経験者にしかわからないアドバイスは、私の心に響きました。
CAR-T細胞療法により取り戻した日常
入院していた大学病院では、当時CAR-T細胞療法を実施していなかったため、主治医の紹介で都内の大学病院へ転院することになりました。CAR-T細胞療法とは、自分の体から取り出したT細胞(免疫細胞)を、がん細胞を攻撃するように遺伝子改変して再び体に戻すという治療法です。救援療法と共にCAR-T細胞療法を並行して進めてくれたため短期間で転院もスムーズにできました。
2024年11月に細胞を採取(アフェレーシス)し、改変された細胞が届くのを待つ間も放射線治療などを行い、2025年1月、ついに細胞の輸注が行われました。CAR-T細胞療法には「サイトカイン放出症候群」などの重篤な副作用のリスクがあると聞いていましたが、幸いなことに私は大きな副作用はなく、順調に経過を辿ることができました。
2025年4月からは、少しずつ職場への復帰を果たしました。最初は週に2、3回のデスクワークから始め、現在は実習の指導や試験対策の授業など、以前の仕事に近いところまで戻ることができています。もちろん、以前と全く同じ体に戻ったわけではありません。白血球の値が低くなりやすかったり、放射線治療の影響で歯が脆くなったりといった後遺症はあります。しかし、「今、生きている」ということ、そして「再び社会と繋がっている」ということの喜びは、何物にも代えがたいものです。
患者としての経験を、教育の現場へ
病気を経験する前、私は学生たちに「患者さんの言葉を大切にしましょう」と教えてきました。しかし、今ならわかります。患者さんが言う「大丈夫です」という言葉の裏には、言い出せない不安や、忙しそうな看護師への気遣い、そして計り知れない孤独が隠されていることがあります。
私は復帰後の授業で、学生たちに自分の体験を熱く語ることがあります。中には、あまりの熱量に驚いてしまう学生もいるかもしれません。それでも、私は伝え続けたいのです。看護師が何気なくかける一言や、患者の様子によってはパーソナルスペースを確保しつつカーテンを少し開けておいてくれるような細やかな配慮が、患者にとってどれほど大きな救いになるか。医療従事者として技術を磨くことはもちろん大切ですが、それ以上に、患者さんの心の機微に触れられる看護師になってほしいと願っています。
現在は月に1回の通院で経過を観察していますが、体調は安定しています。再発したときは「もう半年も持たないかもしれない」と弱気になったこともありましたが、諦めずに医療を信じ、周囲の助けを借りることで、私は今こうして再び仕事に復帰することができました。
病気になったことは、自分が悪いわけではありません。それを隠す必要もありません。私は職場や近所の方、そして地域の方々にも病気のことをオープンに話しました。そうすることで、周囲からの温かい協力や励ましを得ることができ、心が軽くなりました。これからも自分の健康を維持しながら、私が経験したこの大切な「患者としての視点」を、未来の看護師たちに伝えていくことが、私の今の生きる目標です。
これからがんと向き合う方へのメッセージ
今、がん治療を受けられている方に私の経験からお伝えしたいことがあります。
医療者との対話を諦めず、言葉を尽くしてください
診察の際、医師や看護師が忙しそうに見えても、自分の体の異変や不安を伝えることをためらわないでください。話したいことをあらかじめ紙にまとめておくと、伝え漏れがなくなり、納得感のある対話につながります。信頼できる医療者に届ける勇気を持ってください。
周囲の助けを受け入れ、社会とのつながりを保ってください
1人で抱え込む必要はありません。職場や友人、そして同じ経験を持つ仲間の集まりに病状をオープンにすることで、思わぬ励ましや具体的な協力が得られ、心が軽くなることがあります。周囲からの助けを素直に受け入れ、社会との接点を持ち続けることは、長い治療生活を支える大きな力になります。
日々進歩する医療と、自身の「治る」という希望を信じてください
がん治療は日々進歩しており、かつては難しかった状況でも、最新の医療が未来を切り拓いてくれる時代です。正しい情報を取捨選択し、自分自身が納得できる治療の道を選んでください。そして何より、明日を諦めない強い気力と、自分を信じる気持ちを持ち続けることが、困難を乗り越えるための何よりの原動力となります。