写真はイメージです。(AIによる生成)プロフィール
お名前:じゃむさん(ニックネーム)
年代:60代
性別:女性
家族構成:夫と子ども2人との4人暮らし
仕事:専業主婦
がんの種類:乳がん
診断時ステージ:ステージ2
診断年:2018年
現在の居住地:静岡県
※本体験談は、患者さん個人の経験に基づくものです。治療の経過や副作用、生活への影響には、個人差があります。医療的な判断や治療方針の決定の際には、必ず医師・医療従事者にご相談ください。
2018年、専業主婦として平穏な日々を送っていたじゃむさんは、セルフチェックで乳房のしこりに気がつき検査を受けました。検査の結果、トリプルネガティブ乳がんと診断されました。標準治療とがんセンターで実施中の治験という2つの選択肢を医師から提案されたじゃむさんは、治験に参加することを決断し、がんセンターへ転院。副作用による抗がん剤の中止を乗り越え、寛解を迎えるまでの道のりをお話しいただきました。
セルフチェックで見つけた乳房のしこり
今から8年前の2018年、私の生活は一変しました。当時、自治体などの乳がん検診は2年に1度のペースで欠かさず受けていました。その年も6月に検診を控えていたのですが、4月のある日、お風呂に入っている時に「自分でも一度確認してみようかな」とふと思い立ったのです。
手で胸に触れてみると、明らかな「しこり」の感触がありました。検診まであと2か月ありましたが、「これは待っていてはいけない」という直感がありました。すぐに、近くの乳腺クリニックを受診しました。
クリニックでは超音波(エコー)検査を受け、モニターに映し出される画像を見せてもらいました。医師の口調からは、それが良性ではない可能性が高いことが伝わってきました。「おそらくがんでしょう」という言葉に、頭のどこかで「やっぱりそうだったか」と冷静に受け止めている自分と、「どうか間違いであってほしい」と願う自分が同居していました。
精密検査が必要ということで、自宅から近い総合病院を紹介されました。そこで改めてマンモグラフィーや生検を受けた結果、乳がんと診断されました。当初のステージは1。サブタイプは、トリプルネガティブでした。
治験という新たな選択肢との出会い
総合病院の主治医からは、標準的な治療として抗がん剤治療と手術を行う方針が提案されました。主治医は「私の知り合いの先生ががんセンターで治験をやっています。より専門的な病院で治験に参加するという選択肢もありますが、どうされますか」と提案してくれました。
治験の最初のイメージは「モルモット」でした。しかし、家族とも相談し、インターネットでも自分なりに調べていくうちに、考えが変わっていきました。がんの専門病院であれば症例数も多く、手厚いケアが受けられるはずだと思ったのです。「より高度な医療を受けられるなら後悔はない」、そう自分を納得させました。
紹介されたがんセンターへ行くと、治験に参加するための追加検査が始まりました。そこで驚きの事実が判明しました。総合病院ではステージ1と言われていましたが、より精密な検査の結果、私のステージは2であることがわかりました。治験の参加条件がステージ2以上だったため、結果として私はその治験に参加できることになりました。
治験の内容は、手術の前に抗がん剤治療を行い、その際に新薬、あるいは従来通りの薬のどちらかを投与するというものでした。二重盲検試験といって、自分がどちらのグループに入っているのか、医師にも私にもわからない仕組みです。未知の副作用への怖さはありましたが、これから先のがん治療に貢献できるかもしれないという、社会的貢献への思いが私の背中を押してくれました。
薬物治療の副作用と家族の支え
治療が始まると、事前に聞いていた副作用との闘いが待っていました。半年間にわたる術前の薬物治療では、倦怠感と激しい吐き気に襲われました。中でも一番辛かったのは味覚障害です。
自分の知っている味とは違ってしまうので、外食に行ってこれなら食べられそうと思ったものを注文しても、いざ食べてみると食べられないことが多くて大変でした。この状態がすっと続くと思うと絶望的に思えました。また、食べられるものを求めて、食品メーカーの方にメールでお尋ねしたこともありました。メーカーの方から丁寧なお電話をいただき感激したことを覚えています。
がんセンターは自宅から離れていたため、通院も楽ではありませんでした。家族はみんな仕事を持っていましたので、平日の通院は近くの駅まで子どもに送ってもらい、そこからは電車を乗り継いで1人で向かいました。体調が悪い時は、最寄り駅からタクシーを使うこともありましたが、精神的にも肉体的にも負担を感じました。
そんな私を支えてくれたのは、夫と2人の子どもたちでした。がんを告白した夜、彼らは大げさに騒ぎ立てることもなく、静かに、そして淡々と受け止めてくれました。その「いつも通り」の態度が、どれほど私の救いになったかわかりません。私が寝込んでいる間は、家族が家事や食事の支度を代わってくれました。そんな家族の姿を見て、「今は甘えてもいいんだ」と自分に言い聞かせることができました。
また、看護師さんからの支援も大きかったと思います。治験ということもあり専任の看護師さんがついてくれ何時も気遣っていただいたのと、抗がん剤治療を受けたときの現場の看護師さんにもアドバイスをもらったり的確な処置をしていただけ、とても感謝しています。
副作用により術前薬物治療は中止に
術前の薬物治療も終盤に差し掛かった6か月目のことでした。私はがんになる前から続けていたバレエやヨガ、ピラティスのレッスンを、体調が良い時には受けるようにしていました。看護師さんからも「無理のない範囲で運動は続けてください」と言われていたからです。
ところが、バレエのレッスン中に、今までに経験したことのないような息苦しさを感じました。その場は何とか持ちこたえましたが、翌朝になっても苦しさが収まりません。すぐに病院に電話をして駆け込んだところ、検査の結果、間質性肺炎を発症していることがわかりました。薬物治療の副作用によるもので、非常に重篤な状態になりかねない病気でした。
そのまま10日間の緊急入院となりました。間質性肺炎により、予定していた最後の薬物治療は中止になりました。治験のスケジュールも変更を余儀なくされましたが、まずは間質性肺炎の治療を優先しました。幸い、薬をやめたことで肺炎の症状は落ち着き、無事に退院することができました。
術前治療が終わり、手術を受けることになりました。主治医からは「乳房温存手術も可能です」と言われましたが、全摘手術と同時にインプラントによる同時再建も可能ということで、私は全摘手術を選択しました。
納得して選んだからこそ、取り戻せた日常生活
手術後は、間質性肺炎になったことで、予定していた術後の薬物治療は中止になり、定期的な経過観察を受けました。経過観察中、再発や転移の兆候は見つからず、「治験としてのフォローは終了、寛解です」という言葉をいただくことができました。
現在は、以前と同じようにバレエやヨガを楽しめるまでになりました。間質性肺炎の影響で時折、息苦しさを感じることもありますが、日常生活には支障ありません。病気を経験して、私の意識は大きく変わりました。「明日何があるかわからないから、今日という日、今この瞬間を大事にしよう」と心から思えるようになったのです。大きな目標を立てるのではなく、今日1日を無事に過ごせたこと、バレエで新しい動きができるようになったこと、そんな身近な幸せを積み重ねていくことが、今の私の生きる目標です。
振り返ってみれば、治験を選んだことも、遠くの病院まで通ったことも、すべては納得して治療を受けるためのプロセスでした。自分が納得できる道を選んだからこそ、困難な副作用も乗り越えられたのだと思います。
これからがんと向き合う方へのメッセージ
今まさに、がん治療を受けている方に伝えたいことがあります。
標準治療という言葉の本当の意味を知ってください
標準治療と聞くと、松竹梅の「並」のような、平均的でそこそこの治療という印象を持ってしまうかもしれません。しかし、実際は全く違います。標準治療とは、膨大な数の患者さんのデータに基づき、現時点で「最も効果が高く、安全である」と科学的に証明された、推奨されている治療です。
怪しい情報に惑わされないでください
自由診療や高価なサプリメントが魅力的に見えることもあるかもしれませんが、まずは確立された標準治療を軸に考えることが大切です。
自分が納得いくまで調べてください
ネットの情報すべてを鵜呑みにするのは危険ですが、自分が受ける治療がどのような根拠に基づいているのかを知ることは、前向きに治療に取り組む力になります。もし今、治療の選択に迷っているのなら、まずは目の前の標準治療が、多くの先人たちの協力(治験など)によって作られた「最良の答え」であることを信じて、一歩を踏み出してほしいと思います。