写真はイメージです。(AIによる生成)プロフィール
お名前:らーらさん(ニックネーム)
年代:60代
性別:女性
家族構成:夫と2人暮らし
仕事:幼稚園園長
がんの種類:びまん性星細胞腫
診断時グレード:グレード2
診断年:2020年
現在の居住地:和歌山県
※本体験談は、患者さん個人の経験に基づくものです。治療の経過や副作用、生活への影響には、個人差があります。医療的な判断や治療方針の決定の際には、必ず医師・医療従事者にご相談ください。
2020年、幼稚園の園長として多忙な日々を送っていたらーらさんは、定期的なMRI検査によって脳腫瘍の一種である「びまん性星細胞腫」の告知を受けました。手術を経て一度は仕事に復帰したものの、再発の兆候、そして術後に生じた「思うように体が動かない」という、目に見えにくい症状に直面します。現在は再手術ではなく「治験」に参加し、夫の支えを受けながら、自分らしい生活のペースを模索しています。病との向き合い方、そして周囲への感謝の思いについてお話しいただきました。
数年ぶりに受けた脳ドックで判明した異変
私が自分の脳に何かがあるのではないかと、初めて意識したのは2012年のことでした。もともと頭痛持ちだったこともありましたが、職場で脳ドックを受けられる制度が整っていたことがきっかけで、受診を決めました。その時の検査結果は、小さな脳梗塞の跡があるというものでした。医師からは「定期的に受診して様子を見ていきましょう」と言われていたのですが、しばらくの間、私はその言葉を放置してしまっていました。
ようやく重い腰を上げ、定期的にMRI検査を受け始めたのは2018年になってからのことでした。それからは年に1回、地元の総合病院へ通うようになりました。そして2020年、その日は突然やってきました。
MRI検査を受けた後、病院から連絡が入ったのです。「脳に異常が認められるので、家族と一緒に病院に来てください」という言葉に、私はただならぬ気配を感じました。医師から告げられたのは、脳腫瘍の一種である「びまん性星細胞腫」の疑いでした。
驚きはもちろんありましたが、まずは確かな情報を得なければならないと考えました。地元の大学病院でも診察を受けましたが、そこでは「1か月様子を見て、もう一度MRIを撮りましょう」という提案を受けました。しかし、私はその1か月の間に自分なりに調べ、より実績のある病院での治療を希望するようになりました。
友人にも相談したところ、かつて大学病院で脳神経外科に勤めていた医師が、近隣でクリニックを開業しているという情報を得ました。私はすぐに、検査画像を持ってそのクリニックを受診しました。その医師は画像を見るなり、「これはより専門的な、別の大学病院へ行った方がいいかもしれない」と助言をくれました。その言葉に従い、私は紹介状を書いてもらい、県外の大学病院を受診することに決めたのです。
「おそらく良性だろう」から「びまん性星細胞腫」の診断に
その大学病院を初めて訪れたのは、2020年10月13日のことでした。そこからの展開は非常に早かったのを覚えています。2日後の15日には術前検査のために入院し、PET検査など詳細な調査が行われました。
医師からの説明では、「おそらく良性だろう」とのことでした。しかし、この腫瘍には1つの大きな特徴がありました。それが「びまん性」という性質です。腫瘍が塊として存在するのではなく、周囲の正常な脳組織に染み込むように広がっていくため、正常な組織との境界が非常にわかりにくいのです。そのため、手術中もMRIで確認を行いながら、取れる限りの腫瘍を切除するという方針が示されました。
手術は11月18日に行われました。全身麻酔だったので、私は眠っている間にすべてが終わっていました。術後、切除した組織を詳しく調べた結果、確定した診断名は「びまん性星細胞腫」でした。
手術自体は成功し、目に見える範囲の腫瘍は摘出できたというお話でした。退院後は特に放射線治療や抗がん剤治療を行うことなく、半年に1回の検査で経過を観察していくことになりました。
術後に現れた「ブレインフォグ」のような状態
手術を終え、無事に職場である幼稚園にも復帰しました。しかし、私の体の中では、以前とは決定的に違う「何か」が起きていました。それは、日常生活のあらゆる場面で私を阻みました。
仕事においては、園長という立場上、自分自身が現場で激しく動くよりも、職員への指示や管理が中心でした。それでも、記憶が抜け落ちてしまうことが増えたため、私は必死にメモを取りました。大学ノートにして10冊ほどになるでしょうか。その日にあったこと、しなければならないこと、すべてを書き留めて仕事に臨みました。周囲の職員たちの支えもあり、なんとか4年間、仕事を続けることができました。
しかし、家の中ではそうはいきませんでした。不思議なことに、仕事はできても家事が一切できなくなってしまったのです。
それは「やる気がない」というのとは少し違いました。「掃除をしなければならない」「洗濯物を干さなければならない」という思考はあるのですが、その次の動作に体が移れないのです。例えば、買ってきた花の苗を植木鉢に植えようとします。目の前に苗と鉢がある。それなのに、その前で「はあ」と立ち尽くしたまま、何時間も動けなくなってしまうのです。
料理を作ることも、洗濯機を回すことも、以前の私なら当たり前のようにできていたことが、どうしてもできませんでした。少し無理をして動こうとすると、猛烈な疲労感に襲われ、横にならざるを得なくなりました。
主治医に相談すると、それは「ブレインフォグ」のような状態かもしれないと言われました。先生は私に、生活の工夫として「5分間タイマー」を勧めてくれました。「どんなに楽しくても、5分経ったら一度やめる。それを繰り返してみてください」というアドバイスでした。現在もその方法を試しながら、少しずつ、自分のペースを探っているところです。
再発の告知と治験という選択
平穏な時間は長くは続きませんでした。手術から9か月が経過した2021年8月、定期検査のMRI画像に変化が現れました。手術した跡の周辺が、わずかに白くなっていたのです。当時はそれが再発なのか、手術の影響によるものなのか判別がつきませんでしたが、慎重に経過観察をすることになりました。
そして2022年12月、ついにその白い影が明確に大きくなっていることが確認されました。再発でした。私自身もショックでしたが、いつも診察に付き添ってくれていた夫の方が、より大きなショックを受けているように見えました。
主治医からは、再び手術をする選択肢も提示されましたが、私は首を縦に振りませんでした。最初の手術の後の、あの何とも言えないしんどさ、家事ができなくなった自分への戸惑いを思い出すと、どうしても再び手術を受ける勇気が出なかったのです。
そんな時、主治医から提案されたのが「治験」でした。まだ承認されていない新しい飲み薬の試験に参加しないか、というお話でした。再手術を望まない私にとって、それは希望の光のように感じられました。夫も独自にいろいろな治療法を調べてくれていましたが、最終的に私たちは、この治験に参加することにしました。
2023年1月から治験に参加することになりました。この治験は「二重盲検比較試験」といって、本物の薬(実薬)を飲むグループと、プラセボ(偽薬)を飲むグループに分かれて行われるものでした。私がどちらを飲んでいるのかは、医師にも私にもわかりません。
最初の数か月間、腫瘍の大きさに目立った変化はありませんでした。しかし、その後の解析で、治験薬の有効性が示され二重盲検が解除されました。そのため、私はプラセボを服用していたことがわかったのですが、2023年4月から、ようやく治験薬による治療を受けることになりました。
治験への参加は自分にとって最良の選択だった
治験薬による治療を始めて2か月が経った頃、新たな問題が発生しました。血液検査の結果、肝臓の数値(AST、ALT)が急激に上昇してしまったのです。治験薬による肝機能障害の疑いがあるため、治験は一時中断を余儀なくされました。
「せっかく治験薬による治療ができるようになったのに」という焦りもありましたが、まずは肝臓を休めることが先決でした。幸い、1か月ほどで数値が落ち着いてきたため、7月からは薬の量を半分に減らし、肝臓の薬を併用しながら治験を再開することになりました。
それから現在に至るまで、約2年半以上、私はこの治験薬を飲み続けています。3か月に1回のMRI検査の結果、腫瘍は「大きくもなっていないけれど、小さくもなっていない」という状態を維持しています。劇的に消えてなくなるわけではありませんが、進行が止まっている。その事実に、私は大きな救いを感じています。
もし治験という選択肢がなかったら、今頃どうなっていたでしょうか。無理に再手術を受けていたかもしれませんし、あるいは何もできずに不安な日々を過ごしていたかもしれません。今の私にとって、この治験に参加できていることは、最良の選択だったと思っています。
「謝罪」から「感謝」への言葉に変える生き方
治療中、私のそばには常に夫がいてくれました。病院への送り迎えはもちろん、私が一切できなくなった家事のすべてを、文句ひとつ言わずに引き受けてくれています。
かつての私は、非常に気が短い性格でした。「あれやって、これやって」と自分ですべてを仕切り、テキパキと動かないと気が済まないタイプだったのです。そんな私が、今では何もしない、いえ、何もできない生活を送っています。
最初は、何もできない自分に罪悪感を抱き、夫に「ごめんね」と謝ってばかりいました。しかし、そんな私に主治医の先生が素敵な言葉をかけてくださいました。
「らーらさん、ごめんねって言われると相手も辛くなるから、これからは、ありがとうって言いましょう。その方がお互いの気持ちが明るくなりますよ」
その日から、私は謝るのをやめました。夫が洗濯をしてくれた時、食事を作ってくれた時、心からの「ありがとう」を伝えるようにしました。言葉を変えるだけで、不思議と自分自身の心も軽くなり、前向きになれたような気がします。
また、仕事についても、この3月で退職することを決めました。2025年4月から「病気休暇」という形で休みに入っていますが、ようやく肩の荷が下りたような感覚です。
「なるようになる」とすべてを受け入れて
がんという病気になったことも、手術後に思うように体が動かなくなったことも、そして今こうして治験を受けていることも、すべては「なるべくしてなったこと」なのだと、今の私は受け入れています。
病気になったことを嘆いても、過去の健康な自分を追い求めても、現状は変わりません。それならば、今できることを精一杯、そして楽しくやっていこう。そう思うのです。
今の私には、信頼できる主治医がいて、支えてくれる夫がいて、そして現状を維持できている治験薬があります。それだけで十分、幸せなことだと思えるようになりました。
これからも、私の脳の中には腫瘍が居座り続けるでしょう。でも、それを敵として排除しようと躍起になるのではなく、共存しながら、一日一日を大切に積み重ねていきたい。これからの人生、何が起きても「なるようになる」と笑って受け流せるような、そんな強さを持っていたいと思っています。
これからがんと向き合う方へのメッセージ
がんと診断され、先の見えない不安の中にいる方も多いと思います。私の体験から、大切だと感じていることをまとめました。
「ごめんね」を「ありがとう」に変えてみてください
周囲のサポートを受けることに罪悪感を持たないでください。謝るよりも感謝を言葉にすることで、支える側の心も救われます。
納得できる治療の場を自分で探してください
最初の診断だけで決めず、信頼できる医師や病院を納得いくまで探してください。セカンドオピニオンやクリニックの先生の助言が、新たな道を切り拓くこともあります。
「今できるペース」を探してみてください
以前のようにできない自分を責めないでください。「5分だけやってみる」というような小さな工夫で、今の自分にできる楽しみを見つけていくことが大切です。