写真はイメージです。(AIによる生成)プロフィール
お名前:なつ(ニックネーム)
年代:60代
性別:女性
家族構成:1人暮らし(診断当時は父の介護をしながらの2人暮らし)
仕事:自営業(ブライダル関係)
がんの種類:子宮体がん
診断時ステージ:ステージ4B
診断年:2021年
現在の居住地:兵庫県
※本体験談は、患者さん個人の経験に基づくものです。治療の経過や副作用、生活への影響には、個人差があります。医療的な判断や治療方針の決定の際には、必ず医師・医療従事者にご相談ください。
2021年の暮れ、自営業として忙しく働くなつさんを襲ったのは、立っていられないほどの激痛と重度の貧血でした。さまざまな医療施設で検査を受けますが「うちでは治療できない」と大学病院や県外の医療センターを転々とすることになります。父の介護、仕事の完全キャンセル、そして24時間休まることのない痛み。過酷な状況下で、どのように治療を続けたのか。標準治療への揺るぎない信頼と、心強い医療スタッフに支えられた闘病生活をお話しいただきました。
突然の激痛から始まったがんとの闘い
2021年夏頃から自身の体調の変化を認識しており、毎日夕方になると微熱、時々腹痛と不正出血がありましたが、それでもさほど気に留めず、親の介護と仕事に追われた日々を送っていました。
2021年11月、スーパーでの買い物の途中に下腹部の激痛と出血、めまいに襲われました。それでもなんとか一旦帰宅、しかし、もう歩けずタクシーで近くのクリニックへ行きました。
クリニックでの内診や超音波(エコー)検査の結果、医師からは「がんの疑いがありますが、腫瘍が大きすぎるためうちは手術できません。すぐに医療センターを受診してください」と、即座に地域の医療センターへの紹介状が書かれました。ところが、その医療センターでもさらに厳しい言葉を投げかけられたのです。「10万人に数人という非常に希少ながんの疑いがあり、うちでは対応できません。一刻も早く大学病院へ行ってください」と当初は言われ、治療を受けることができませんでした。
何が起きているのか理解する間もなく、痛みは日に日に増していきました。市販の鎮痛剤など全く歯が立たないほどの激痛が24時間続き、私は次第に歩くこともできませんでした。この時の痛みは、ただ「痛い」という言葉では片付けられない、人生で経験したことのない過酷なものでした。
介護と仕事と治療の3つをどうするのか、決断を迫られた1か月
病院を転々とする中で、私には自分の体以外にも大きな懸念がありました。当時、私は高齢の父を自宅で介護しながらの2人暮らしでした。自分がこれほどまでに動けない状態であるのに、父を置いて入院することはできません。しかし、紹介された大学病院では、「命に関わるからこのまま即入院してください」と言われましたが、私は断わりました。医師からは、「親の命とどっちが大事ですか?」と説得され、私は返事ができませんでした。この医師の言葉で、「私はもうだめなんだ」と思いました。
私は、自分が入院するために親の受け入れ先の手配や対応をすべてケアマネジャーに委ね入所させました。この調整に時間がかかり、最初のクリニック受診から大学病院で入院が決まるまで約1か月を要することになりました。
仕事についても、重い決断を下しました。私はブライダル関係の仕事をメインに自営業を営んでいました。各提携先には「体調不良で復帰は見込めない」とだけ伝え、代理人に依頼して契約を終了しました。自営業にとってすべての仕事を断ち切ることは、経済的な死を意味するようにも感じましたが、あの時の私にはそれ以外の選択肢はありませんでした。
二転三転する診断といつ治療開始できるのかという不安
大学病院へ行けばすぐに治療が始まると思っていましたが、事態はさらに複雑でした。精密検査を受けた結果、「ここでは、できない治療がありますが、まずは貧血の治療をするために入院してください」と言われました。入院しながら、医療センターで放射線治療をするための検査と治療概要説明を受けるように言われました。
その間、病名も二転三転しました。「神経内分泌がん」という聞き慣れない名前から始まり、最終的に医療センターで検査した結果、後日「子宮体がん」という診断に落ち着きました。そこでようやく、子宮体がんとして治療をすることになり、大学病院で輸血と化学療法をすることになりました。
医療センターのスタッフは非常に素晴らしく、専門用語を交えながらも、治療方針を詳細に的確に説明してくれました。この医療センターの説明により医療を受ける気持ちに迷いがなくなりました。
この1か月の間、私はロキソニンやカロナールといった鎮痛剤を大量に服用していましたが、全く効き目はありませんでした。大学病院に入院する頃には、痛みで一歩も歩けず、精神的にも極限状態でした。とにかく「この痛みを止めてほしい、早く治療を始めてほしい」という一心で、病院のベッドにうずくまっていました。
医師が提案してくれた標準治療を信じて
私の病状は、最終的に子宮体がんのステージ4Bと診断されました。当初は腫瘍が広がりすぎており、他の臓器への影響も考えられるため「手術は不可能」と言われました。提示されたのは、まず抗がん剤治療で腫瘍を小さくし、その後に手術ができるかどうかを見極めるという治療計画でした。
入院と同時に、激痛と貧血のため立っていられなくなり、人生初めての車椅子生活を送りながら輸血が行われました。
2021年の年末、クリスマスを目前に控えた時期から抗がん剤投与が始まりました。1回5時間にわたる点滴を、3週間おきに6回繰り返すというハードな内容でした。1回目は入院で行い、その後は通院での治療となりました。副作用は投与後すぐに現れました。3日目には手足に強いしびれが出始め、口の中の乾きや倦怠感などが起こりました。
世の中には、がんのステージが進んでいると知ると、自由診療や高額なサプリメント、あるいは「祈れば治る」といった極端な言説に頼りたくなる人がいるかもしれません。実際に私の周りでも、良かれと思ってさまざまなサプリメントを勧めてくれる人がいました。しかし、私はそれらに一切耳を貸しませんでした。あの24時間続く壮絶な激痛を前にして、「祈り」や「得体の知れない粉末」が効くとは到底思えなかったのです。
主治医が提案してくれる標準治療こそが、唯一生き残るための道だと確信していたので、迷わず化学療法に賭けました。
「手術ができる」という言葉が希望に
抗がん剤を6クール受け終えた2022年の春、奇跡的な結果が出ました。画像検査の結果、広範囲に広がっていた腫瘍が劇的に縮小し、遠隔部位に疑われていた影も消えていたのです。主治医から「これなら手術ができる」という言葉を聞いたとき、初めて暗闇の中に光が差し込んだような感覚でした。しかし、不安もありました。私は初回の抗がん剤治療の時点で、すでに体は弱っており、副作用で記憶のムラや視力低下、しびれなどの症状と激痛がある状態でした。
医師の説明では、「手術は開腹してみないとわからない」と言われたので、正直なところこれ以上痛いのは嫌だと思って一旦断りましたが、医療チームの説得で「それでも手術したほうがいい」とのことでしたので手術をすることにしました。
2022年、子宮と卵巣のすべてを摘出する全摘手術を行いました。ストーマの可能性もあるとのことでしたが、手術がうまくいきストーマは回避することができました。手術後の病理検査でも、抗がん剤の効果がしっかりと確認されました。しかし、再発を防ぐためにはそれで終わりではありませんでした。手術後、今度は放射線治療が始まりました。
放射線治療もまた過酷でした。最初は通常の放射線を40日間ほど通院で受け、その後、さらに数回入院し高度な放射線治療を数回に分けて受けました。2021年の暮れから2022年の秋まで、私の生活は完全に病院と治療に支配されていました。約1年間、ただ生きるためだけにすべての時間を費やしたのです。
1人暮らしでがんと闘う過酷さを実感
実は、私が抗がん剤治療の2クール目を受けていた後、施設に預けていた父を自宅に戻し、介護を再開させました。父を安心させたかったからです。ヘルパーさんやケアマネジャーの協力で実現できましたが、現状は父とどっちが要介護なのかわからないほどの状況でした。その後、突然父が倒れ救急搬送され、持病の心不全で3日後に急逝しました。
親戚が近くに住んでいたため、最初の治療方針の説明などは同席してくれましたが、その後は1人の闘いでした。
退院して自宅に戻っても、副作用のしびれと倦怠感で、家事は全くできませんでした。床にタオルが落ちていても、それを拾う体力すらありません。「1人暮らしでがんを患う」ということが、これほどまでに過酷なのかと身に染みました。部屋がどれほど荒れても、動けない自分を受け入れるしかありませんでした。
そんな中、私の心の支えになったのは緩和ケアと精神科の医師でした。当初から痛みが激しかったため、入院初日から緩和ケアの先生がついてくれました。麻薬系の鎮痛剤(オキシコンチンなど)を処方してもらい、痛みをコントロールしながら治療を続けることができました。
しかし、痛み以上に私を苦しめたのはメンタル面でした。将来への不安、1人きりの生活、父の死。これらが重なり、全く眠れない日々が続いたのです。主治医は治療に関しては信頼できましたが、非常に口が重く、情緒的な相談はできませんでした。そこで主治医から紹介された精神科の医師が、私の話をじっくりと聞いてくれました。3年以上経った今でも、その先生との面談は続いています。
いまだに残る後遺症とどう付き合っていくか
2022年10月にすべての治療が完了し、現在は経過観察に入っています。おかげさまで今のところ再発や転移は見つかっていません。しかし、治療の後遺症は今も私を苦しめています。放射線治療の副作用で出血があります。また、進行性のがんのためいつ再発するかわからない状況で、抗がん剤治療のためのポートは今も入れたままです。さらに、記憶のムラや疲労感、視力低下には困っています。私は認知症になったと思っていたのですが、抗がん剤治療の影響も考えられるということを最近知り、継続して検査を受けています。
特に手足の強いしびれは、日常生活に大きな影を落としています。長時間立ち続ける体力も、以前のようには戻っていません。
現在、提携先の店に時折片付けなどの手伝いに行っていますが、数時間働いて帰宅すると、その反動でもう何もできないほど疲弊してしまいます。かつてのように第一線でバリバリと働くことは、もう叶わないのかもしれません。
それでも、あの1年前の地獄のような激痛を思えば、自分で食事が作れ、少しでも仕事の現場に顔を出せる今の生活は、まさに「生き返った」という言葉がふさわしいものです。無理に以前の自分に戻ろうとするのではなく、今のしんどい体とどう付き合っていくか。それを精神科の先生と相談しながら、一歩ずつ進んでいます。
「自分」を二の次にしないために
がんになったことを、私は限られた人にしか伝えていません。近所の人や多くの知人に隠しているのは、余計な同情を受けたくないという思いと、何より「がんにはこれが効く」という根拠のないサプリメントや宗教、怪しげな療法の勧誘から身を守るためです。
がんになると、人は弱みにつけ込まれやすくなります。だからこそ、私は信頼できる医療機関の先生と、初対面でも偏見なく話を聞いてくれる専門家にだけ、自分の心を預けるようにしてきました。
私の人生は、がんによって大きく形を変えました。仕事、父との別れ、そして健康な体。失ったものは多いですが、標準治療を信じ、専門家の力を借りて今ここにある命は、私の誇りでもあります。これからも、この「しんどいけれど生きている自分」を大切にしながら、ゆっくりと歩んでいきたいと思っています。
これからがんと向き合う方へのメッセージ
今がんと向き合いながら闘っている方に、伝えたいことがあります。
「標準治療」を最後まで信じ切ってください
インターネットには無数の治療法が溢れていますが、エビデンスに基づいた標準治療を信じてください。私はステージ4Bでしたが、抗がん剤、手術、放射線という治療を完遂したことで、今こうして元気に過ごせています。
心の専門家を積極的に頼ってください
「がんだから不安で当たり前」と我慢しないでください。主治医には言いにくい悩みも、精神科や心療内科、緩和ケアの先生なら受け止めてくれます。心のケアは、体の治療を続けるための力になります。
周囲の「善意」を賢く取捨選択してください
がんになると、良かれと思ってさまざまな療法を勧めてくる人が現れます。しかし、あなたの体を守れるのは、冷静な判断を持つあなた自身と医療チームです。自分の価値観に合わないものは、はっきりと距離を置く勇気を持ってください。