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「敵」を知り、逃げずに戦う。食道がんと共に働き続けるサバイバーの覚悟

[公開日] 2026.02.27[最終更新日] 2026.02.24

写真はイメージです。(AIによる生成)
プロフィール お名前:かずさん(ニックネーム) 年代:60代 性別:男性 家族構成:妻と娘との3人暮らし 仕事:会社員(管理職) がんの種類:食道がん 診断時ステージ:ステージ3B 診断年:2024年 現在の居住地:千葉県
※本体験談は、患者さん個人の経験に基づくものです。治療の経過や副作用、生活への影響には、個人差があります。医療的な判断や治療方針の決定の際には、必ず医師・医療従事者にご相談ください。 2024年秋、60代で食道がんの告知を受けたかずさん。管理職として責任ある立場にありながら、抗がん剤治療と食道全摘という大きな手術を乗り越え、仕事をしながら治療を続けています。術後の過酷な食生活の変化や体力の低下に直面しながらも、「仕事を辞めないこと」と「がんという敵を正しく知ること」を信念に前を向くかずさん。診断から現在までの歩みと、同じ境遇に立つ方々への力強いエールをお話しいただきました。

「違和感」から始まった半年間の葛藤

異変を感じ始めたのは、2024年の春ごろでした。喉のあたりに何か詰まるような、言いようのない違和感があったのです。当初、私はそれが心臓の問題なのか、それとも消化器系の問題なのか、自分でも判断がつきませんでした。私の母が心臓を患っていたこともあり、不安を抱えながら近所のクリニックを受診しました。 しかし、最初の診断は「経過観察」というものでした。以前からピロリ菌を保持しており、逆流性食道炎と診断された経験もあったため、「またその関係だろう」という程度にしか受け止めてもらえなかったのです。処方された胃薬を服用して様子を見ていましたが、喉の違和感は一向に消えませんでした。 何度も「おかしい」と訴えましたが、最終的には「来月の人間ドックで詳しく見てもらってください」と言われました。違和感を覚えてから、10月にようやく人間ドックを受けるまで、約半年もの時間が過ぎてしまいました。この「わかってもらえない期間」が、精神的にも一番辛かったように思います。 10月の人間ドック当日。内視鏡検査のモニターを見ていた医師の表情が、一気に険しくなりました。「がんの疑いが非常に強いです。うちではこれ以上対応できないので、すぐに紹介状を書きます。どこかご希望の病院はありますか」と切り出されました。その場でもう、ただ事ではないのだとわかったのです。

日本トップレベルの病院で「後悔しない」選択を

紹介先の病院を決めるとき、私は迷わずがんセンターを選びました。ネットで調べれば、そこが日本でもトップレベルの治療実績を持つ病院であることはすぐにわかります。私がその病院を選んだ理由は明確でした。「もしここで治療を受けて、それで死んでしまうのなら、それはもう仕方がない」と自分を納得させられると思ったからです。 近場の病院で治療を受け、後から「ああしておけばよかった」と後悔することだけは避けたかったのです。通院には電車とバスで1時間以上かかりますが、自分の命を預ける場所として、そこ以外の選択肢は考えませんでした。 がんセンターで改めて精密検査を受けた結果、下された診断は「食道がんのステージ3B」。リンパ節にも2か所ほど転移の可能性があるという厳しい宣告でした。告知の席には妻も同席してくれました。医師からは、まず抗がん剤でがんを縮小させてから手術を行う「術前化学療法」を提案されました。 放射線治療という選択肢もありましたが、私は「取れるものなら取ってしまいたい」と考えました。悪いところを完全に取り除くことで、少しでも長く生きられる可能性に賭けたかったのです。悩みに悩みましたが、最終的には標準治療のガイドラインに従い、手術を受ける決断を下しました。

管理職として、仕事を続けながら挑んだ抗がん剤治療

治療を進める上で、私にとって仕事の問題は避けて通れないものでした。管理職という立場上、長期の不在は避けなければなりません。私はすぐに上司へ病状を報告し、治療計画を伝えました。 幸い、会社には病気休暇の制度が整っていました。私は管理職として日ごろから人事制度を把握していたため、自分が何日間休めるのか、どのような補償があるのかを冷静に計算し、それをフルに活用することにしました。2024年末から始まった3クールの抗がん剤治療では、1週間の入院と10日間のインターバルを繰り返しましたが、退院して動けるときには可能な限り出勤しました。 副作用は決して楽なものではありません。脱毛があり、味覚障害も出ました。手足には強いしびれが残りました。しかし、「吐き気で何も食べられない」といった最悪の事態は免れ、メンタルが病んでしまうようなこともありませんでした。仕事という「日常」を維持していたことが、かえって病気に立ち向かうエネルギーになっていたのかもしれません。 抗がん剤治療の結果、幸いがんは目に見えて縮小しました。2025年2月7日、私は満を持して食道全摘と、胃を持ち上げて食道の代わりにする再建手術に臨みました。

「体の変化」と向き合う過酷なリハビリ

手術は無事に成功しましたが、本当の戦いは術後にありました。食道をすべて取り去り、喉のすぐ下に胃が位置するようになったため、これまでの生活に変化が起きました。 まず直面したのは、食事の困難さです。胃と食道の間にあった逆流防止の“弁”がなくなったため、食べたものがすぐに逆流しようとします。食後に横になることはできません。 また、一度に食べられる量は、以前の6割程度にまで減ってしまいました。食べ物が心臓の裏あたりでつかえるような、得体の知れない違和感が常にあります。無理に食べれば激しい吐き気や痛みに襲われます。最初のころは「どうやって食べればいいのか」わかりませんでしたが、1回の摂取量を減らし、食事回数を増やすという工夫で、少しずつ自分の体のリズムをつかんでいきました。 外食も一苦労です。普通の1人前を食べるのには非常に時間がかかります。仕事の昼休みは限られていますから、1時間で食べ終わるために、自分でおにぎりなどを買って量を調整するなどの工夫もしました。ビールが大好きでしたが、炭酸は胃を膨張させて苦しくなるため、以前のようには飲めなくなりました。麺類も、よく噛まずに飲み込むと喉で詰まってしまいます。こうした不便さと、私は一生付き合っていかなければなりません。

サバゲー復帰を目指して。今、この瞬間を生きる

がんを経験して、私の死生観は大きく変わりました。以前は「80歳、90歳まで生きるだろう」と遠い未来を疑いもしませんでした。しかし今は、視点が「直近」に向けられています。いつ再発するか、いつ終わりが来るかわからないからこそ、今できることを精いっぱいやり、後悔しない生き方をしたいと強く思うようになりました。 私には、どうしても復帰したい趣味があります。「サバゲー(サバイバルゲーム)」です。手術前、体重は70kgありましたが、現在は55kgまで落ちてしまいました。重い装備を背負って走り回る体力は、まだ戻っていません。九州にいるサバゲー仲間たちと、オンラインではなく直接会って、また一緒にサバゲーをしたい。それが、今の私の大きな目標です。 3か月ごとの定期検査は、今でもロシアンルーレットのような恐怖があります。それでも、仕事を続け、家族と過ごし、少しずつ体力を戻していく日々に感謝しています。がんという「敵」は強力ですが、正しく知り、正しく恐れ、そして逃げずに立ち向かう。その姿勢だけは、これからも貫き通していきたいと考えています。

これからがんと向き合う方へのメッセージ

がんと向き合いながら、がんと共に生きている方に伝えたいことがあります。 今ある仕事は、辞めないでください 治療のために早まって退職を選択しないでください。今の社会では、一度がんサバイバーとしてキャリアを断絶すると、再就職は非常に困難です。職場の休暇制度など社内制度を徹底的に勉強し、使えるものはすべて使ってください。「周りに迷惑をかける」と気後れする必要はありません。今の仕事にしがみついてでも続けることが、自分と家族を守ることにつながります。 「敵」をよく知り、自分の戦い方を選んでください がんは恐ろしい病気ですが、現代の医学は着実に進歩しています。抗がん剤の副作用も、昔ほどひどいものばかりではありません。まずは自分が向き合うがんという「敵」について正しく知識を得てください。戦い方は1つではありません。医師と対等に話し合い、自分が納得できる治療法を勝ち取ってください。 自分の体調の「リズム」を見つけてください 術後の体調には必ず波があります。うまく食べられる日もあれば、何をやっても苦しい日もあります。それを「失敗」と捉えず、自分の体のリズムとして受け入れてあげてください。完璧を目指さず、その時々のベストを尽くしていれば、少しずつ「がんとの付き合い方」がわかってくるはずです。
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