写真はイメージです。(AIによる生成)プロフィール
お名前:yoko(ニックネーム)
年代:70代
性別:女性
家族構成:1人暮らし
仕事:なし
がんの種類:乳がん
診断時ステージ:ステージ1
診断年:2019年
現在の居住地:東京都(診断時は愛知県)
※本体験談は、患者さん個人の経験に基づくものです。治療の経過や副作用、生活への影響には、個人差があります。医療的な判断や治療方針の決定の際には、必ず医師・医療従事者にご相談ください。
2019年、健康診断をきっかけに乳がんと告知されたyokoさん。当時住んでいた愛知県から、東京都へと拠点を移しながらの治療が始まりました。手術、抗がん剤、放射線治療、そして現在も続くホルモン療法と、医師を信じて標準治療を受けたyokoさん。1人暮らしでありながら、長女と長男の献身的なサポート、そして学生時代から続けているモダンダンスへの情熱が彼女の支えとなりました。治療中の不安や副作用との闘い、そして今だからこそ感じる「情報の伝え方」への思いをyokoさんにお話しいただきました。
健康診断からの急展開
2019年のことでした。1年に1回受けている健康診断で、乳がんの疑いが見つかりました。健診を受けてからわずか3日後には「すぐに受診してください。乳がんの疑いがあります」と電話が入るという急展開でした。
精密検査を受けるため、まずは愛知県の自宅近くにあるレディースクリニックを受診しました。そこで「おそらく乳がんでしょう」という診断を受けましたが、そのクリニックでは手術や入院ができなかったため、今後の治療をどこでするかを決める必要がありました。ちょうどその頃、東京への転居を考えていた時期でした。そこで、以前から名前を知っていて安心感のあった大学病院を紹介してもらうことにしたのです。
紹介された大学病院で改めて画像検査や生検を受けた結果、乳がんのステージ1でした。
それまで私の家族にがんを経験した人はおらず、私自身にとっても初めての出来事でした。何をどう判断すればいいのか全くわからず、自分なりに調べはしたものの、治療法によって「これをやった、やらなかった」というさまざまな情報に触れるうちに、かえって自分では判断できないと感じるようになりました。
「もう、全面的に先生を信頼してお任せしよう」
私はそう心に決め、医師が提案してくれた標準治療のすべてを受けることに決めました。
東京と愛知、2拠点での治療
手術は、東京の大学病院で乳房温存手術を受けました。入院期間は3泊4日。リンパ節への転移も調べてもらいましたが、幸いにも転移はなく、手術自体は予定通りに終わりました。
ただ、その後の治療については、当時の生活の拠点だった愛知県に戻って行うことにしました。放射線治療は毎日の通院が必要になりますし、抗がん剤治療も体へのダメージが強いと聞いていたため、東京と愛知を往復しながらの治療は現実的ではないと考えたからです。
そこで、大学病院から紹介状を書いてもらい、愛知県内にある総合病院で術後の治療を継続することになりました。ここは以前から通っていた馴染みのある病院だったため、安心感がありました。
放射線治療は、25回(5週間)通いました。放射線に関しては、心配していたようなひどい火傷のような症状もなく、自分で車を運転して通うことができました。
しかし、その後に始まった抗がん剤治療は、私にとって想像以上に過酷なものでした。
抗がん剤による味覚障害が一生残るのではないかという恐怖
数か月にわたる抗がん剤治療は、副作用が非常に強く、精神的にも「もう治らないのではないか」と落ち込んでしまうほどでした。
一番辛かったのは、味覚障害です。何を食べても砂を噛んでいるような感覚で、食欲は完全に失せました。それでも、次の投与に備えて体力を維持しなければならないと、無理やり食べ物を口に運んでいました。息子が近くに住んでいたことも大きな救いでした。私が動けないときには送り迎えや食事の世話を全面的にサポートしてくれました。
インターネットでブログなどを読むと、まれに味覚障害が一生残ってしまう人がいるという情報が目に入り、「もし自分もこのまま一生、味のしないものを食べ続けなければならないとしたら、人生の喜びがなくなってしまう」という強い恐怖に襲われました。
髪の毛も抜けました。ただ、脱毛に関しては事前に詳しく説明を受けていましたし、「いつか必ず生えてくる」と信じていたため、名古屋までウィッグを作りに行くなど準備を整え、比較的冷静に受け止めることができました。診断から7年が経つ今も、便利なのでウィッグを使い続けています。おしゃれとして楽しめているのは、当時の開き直りがあったからかもしれません。
結局、味覚障害は治療から1か月半ほど経ってようやく塩気を感じられるようになり、徐々に回復していきました。あの時の恐怖は今でも忘れられません。
変わらない日常と、支えてくれる仲間たち
2020年の年明けにすべての治療が一段落し、私は予定通り東京へと移住しました。現在は半年に1回の定期検診を受けながら、10年間の予定でホルモン療法を続けています。
幸いなことに、治療中も、そして今も、私の生活が大きく変わることはありませんでした。私は大学時代からモダンダンスを続けており、自分でもスタジオを持って教えていたのですが、抗がん剤と放射線治療の期間以外は、月に一度指導を続けていました。
がんになったことを周囲に隠さず、オープンに話したことも良かったのかもしれません。ダンスの教え子や友人たちは、私の状況を深く理解してくれました。「月に一度でもいいから来てほしい」と言ってくれる仲間がいたことが、何よりの励みになりました。
現在は東京で週に一度ダンスを教え、自宅ではプリザーブドフラワーを作るなど、穏やかな毎日を過ごしています。医師からは検診のたびに「今回も大丈夫でしたね。お祝いしましょう」と言ってもらえることが、今ではひとつの区切りとなっています。
経験を繋ぐ、情報共有の大切さ
私ががんになってから不思議なことに周囲の友人が次々と5人も乳がんになりました。その際、私は自分の経験をもとにアドバイスを求められることが増えました。
例えば、抗がん剤治療中に手足を冷やす(フローズングローブなどを使用する)と、しびれや麻痺の副作用が軽減されるという知識。私は自分の治療が終わった後にテレビドラマを見て初めて知ったのですが、それを友人に伝えると「すごく助かった」と喜ばれました。
病院は治療についてはプロですが、生活の中での細かな工夫まではなかなか教えてくれません。味覚障害のときも、「味はしなくても、調味料は普段通りに入れていいのか」「塩分を摂りすぎにならないか」といった些細な不安をどこに相談すればいいのかわからず、1人で悩むしかありませんでした。
自分の知りたい情報にすぐたどり着ける仕組みがもっと充実してほしい。そして、私たちのような「普通に日常に戻れた」という経験も、誰かの安心材料になるのであれば、伝えていく価値があるのではないかと今は思っています。
これからがんと向き合う方へのメッセージ
今まさに、がんと向き合っている方に私の経験から伝えたいことがあります。
信頼できる「伴走者」を見つけてください
がんと診断されると、多くの決断を迫られます。自分ですべてを調べ、決めるのは大変なエネルギーが必要です。私は医師を全面的に信頼して任せる道を選びましたが、それもひとつの選択肢です。納得できる医師や、支えてくれる家族・友人を頼ることをためらわないでください。
生活の知恵は「横の繋がり」から得られます
病院で解決できない生活上の小さな悩み(食事の工夫や副作用への対処など)は、患者同士のコミュニティや体験談の中にヒントがあることが多いです。1人で抱え込まず、同じ経験をした人の声を探してみてください。
「いつもの日常」を大切にしてください
治療中であっても、自分の好きなことや趣味を完全に諦める必要はありません。周囲に助けを求めながら、少しずつでも「自分らしい時間」を持つことが、心の回復に繋がります。味覚も髪の毛も、時間はかかっても戻ってくると信じてください。そして、希望を捨てずに過ごしてください。