写真はイメージです。(AIによる生成)プロフィール
お名前:えむさん(ニックネーム)
年代:60代
性別:女性
家族構成:夫と2人暮らし
仕事:専業主婦
がんの種類:乳がん
診断時ステージ:ステージ2A
診断年:2010年
現在の居住地:福岡県(診断時は広島県)
※本体験談は、患者さん個人の経験に基づくものです。治療の経過や副作用、生活への影響には、個人差があります。医療的な判断や治療方針の決定の際には、必ず医師・医療従事者にご相談ください。
2010年、40代後半だったえむさんは、自治体の無料のがん検診をきっかけに乳がんの告知を受けました。手術、抗がん剤、放射線治療、そして10年にわたるホルモン療法。その歩みは、夫の転勤に伴う転居や、術後の後遺症であるリンパ浮腫との闘いの連続でもありました。診断から15年以上が経過し、現在は福岡県で落ち着いた生活を送るえむさんに、当時の葛藤や治療中の工夫、そして現在の心境について詳しくお話しいただきました。
人生を変えた1枚のがん検診チケット
私の乳がんが見つかったのは、2010年の秋のことでした。当時は兵庫県に住んでいたのですが、自治体から無料の乳がん検診のチケットが送られてきました。その後、夫の転勤で広島県へ移ったのですが、近所のクリニックで乳がん検診を受けたのがすべての始まりです。
軽い気持ちで受けたマンモグラフィ検査でしたが、医師から「石灰化している部分があり、乳がんの疑いがあります」と告げられました。すぐに総合病院への紹介状を渡されました。当時、広島ではがん検診の無料化により検査予約が殺到しており、総合病院での精密検査を待つだけでも大変な状況でした。
最初に総合病院を訪れた際、検査予約が数か月先になると言われ、付き添っていた夫が「紹介状を持ってきているのに、なぜそんなに待たされるのか」と憤ったこともありました。一時は別の乳腺専門クリニックへ足を運び、「うちで手術すれば日帰りでもできるよ」と言われるなど、病院選びには紆余曲折ありましたが、最終的には再び総合病院へ戻り、精密な検査を経て12月に手術を受けることになりました。
診断結果は、乳がんのステージ2A。腫瘍そのものはあまり大きくはなかったものの、手術中にセンチネルリンパ節への転移がわかったため、左脇のリンパ節をすべて取り除く「腋窩リンパ節郭清」を行いました。この判断が、後に続く長いリンパ浮腫との付き合いの始まりでもありました。
味覚障害の中で支えになった「お蕎麦」と家族の存在
手術を終えた2011年2月からは、半年間に及ぶ抗がん剤治療が始まりました。私にとって最も辛かった副作用のひとつが味覚障害です。何を食べても砂を噛んでいるような感覚で、食べ物の味がまったくわからなくなってしまいました。
専業主婦として毎日食事を作っていましたが、自分の味覚が信じられないため、料理の味付けがまったくできません。濃すぎたり薄すぎたりと、味にばらつきが出てしまいました。そんな時、夫は文句を言うどころか、自らキッチンに立って味を調えてくれるなど、サポートしてくれました。
抗がん剤の点滴を受けてから約1週間は味覚が狂い、その後少し戻ってはまた次の点滴で狂う。その繰り返しの中で、唯一おいしく感じられたのが「お蕎麦」でした。他のものが一切喉を通らない時期も、お蕎麦だけは食べることができ、それが当時の私の貴重な栄養源となりました。
また、見た目の変化も大きな衝撃でした。髪の毛はもちろん、まつ毛まで一本残らず抜け落ちてしまったときは、「人間、こんなところまで毛がなくなるのか」と鏡を見て驚きました。病院からは医療用ウィッグがあることを教えてもらいましたが、私は「どうせいつか生えてくるもの」と割り切り、通販で購入できる手頃なおしゃれ用ウィッグや帽子を活用しました。夏場のウィッグは蒸れて非常に暑く過酷でしたが、自分のスタイルに合わせた工夫で乗り切りました。
終わりの見えないホルモン療法によるホットフラッシュ
抗がん剤と放射線治療が終わった後は、再発を防ぐためのホルモン療法が始まりました。当初は5年の予定でしたが、「10年続けた方がいい」と方針が変わり、2021年頃まで毎日薬を飲み続けることになりました。
このホルモン療法による更年期障害のような副作用も、私を長く苦しめました。特にホットフラッシュは凄まじく、真冬の凍えるような寒さの中でも、突然体中から汗が噴き出し、暑くてたまらなくなるのです。かと思えば、数十分後には急激に体が冷えて寒気に襲われる。こうした症状は2〜3年ほど続き、常に着脱しやすい服を用意するなど、日常生活での工夫が欠かせませんでした。
そんな治療の最中、夫の転勤で広島から兵庫へ、そして兵庫から今の福岡へと、2度の引っ越しを経験しました。がんの治療中に病院を変えることは、非常に大きなストレスでした。驚いたのは、病院側が次の転院先を指定してくれないことです。「自分で探してください」と言われ、通いやすさや乳がんの専門性、リハビリ施設の有無などをネットで必死に調べました。
転院先で先生が変わるたびに、「これまでの経緯をわかってもらえるだろうか」という不安はありましたが、幸いにも紹介状やデータを持っていくことで、大きなトラブルなく治療を継続することができました。現在は福岡の総合病院で、年に1回の定期検診を続けています。
リンパ浮腫への不安と失った趣味
現在、がんの再発に対する不安はかなり和らぎましたが、一方で今も強く残っているのが「リンパ浮腫」への懸念です。左の腋窩リンパ節を取り除いた影響で、左腕がむくみやすくなっており、これまでに蜂窩織炎(ほうかしきえん)で3回も入院を余儀なくされました。
医師からは「左手で重いものを持たない」「日焼けや怪我を避ける」「注射や血圧測定は必ず右手でする」と厳重に注意されてきました。最近では、「そこまで神経質になる必要はない」という考えを持つ先生もいらっしゃいますが、一度炎症を起こして入院した恐怖があるため、私は今でも外出時には弾性スリーブを着用し、左腕をかばう生活を続けています。
この病気になって一番悲しかったのは、大好きだった茶道ができなくなったことです。お茶の稽古には着物が欠かせませんが、帯を締めるとちょうど手術の傷跡の部分に当たり、強い痛みを感じてしまうのです。今でもその場所を触ると痛みがあり、和服を着ることができなくなりました。お茶の仲間にはあとから病気のことを打ち明けましたが、「早く検診に行ったほうがいいよ」と伝えることが、私なりのせめてものアドバイスでした。
15年以上の治療経験を振り返り、今思うこと
告知から15年以上が経ちました。当時はインターネットの情報も今ほど整理されておらず、何が正しい情報なのか迷うこともありました。自費診療や漢方など、さまざまな情報が溢れていましたが、私は「医師の言う標準治療を信じる」というスタンスを貫きました。それが私には合っていたのだと思います。
今、振り返ってみて思うのは、一人で抱え込まずに周囲の理解を得ることの大切さです。特に家族には、副作用の辛さを具体的に話し、協力してもらうことが不可欠です。辛いときは「ごめんね」と言って休む。その一言があるだけで、精神的な負担は大きく変わります。
これからがんと向き合う方へのメッセージ
今、まさに抗がん剤やホルモン療法の副作用で苦しんでいる方に伝えたいのは、「その苦しみは永遠には続かない」ということです。波はありますが、必ず体調が落ち着く時期がやってきます。
「これなら食べられる」というものを見つけてください
味覚障害のときは、無理に栄養を摂ろうとせず、自分が食べられるもの(私の場合はお蕎麦でした)を大切にしてください。
副作用の状況を具体的に家族には伝えてください
家族には「今はこういう理由で体が動かない」「味がわからない」とはっきり伝えましょう。罪悪感を持たず、周囲のサポートを遠慮なく受けることが、治療を完遂するコツです。
自分らしい「おしゃれ」を楽しんでください
髪が抜けることはショックですが、今は手頃で素敵なウィッグもたくさんあります。医療用という言葉に縛られすぎず、自分が明るい気持ちになれる方法を選んでください。