写真はイメージです。(AIによる生成)プロフィール
お名前:ミサトさん(ニックネーム)
年代:40代
性別:女性
家族構成:夫と子ども3人(10歳、6歳、3歳)との5人暮らし
仕事:専業主婦
がんの種類:肺がん
診断時ステージ:ステージ4A
診断年:2023年
現在の居住地:広島県
※本体験談は、患者さん個人の経験に基づくものです。治療の経過や副作用、生活への影響には、個人差があります。医療的な判断や治療方針の決定の際には、必ず医師・医療従事者にご相談ください。
2023年の末、思いも寄らないきっかけから肺がんステージ4Aと診断を受けたミサトさん。自覚症状が全くない中で見つかった病に、彼女は戸惑いながらも、自ら情報を集め、納得のいく治療を選択してきました。分子標的薬による治療を経て、現在はさらなる可能性を求めて治験に参加しています。がんという病に向き合いながら、限られた時間をいかに大切に生きるか。前向きに、そして戦略的に自らの道を切り開いてきたミサトさんにお話しいただきました。
まったくの無症状から始まった、突然の肺がん告知
私の肺がんがわかったきっかけは、本当に偶然の重なりでした。2023年11月の初め、家族で友人宅のバーベキューに参加したのですが、そこで子どもが胃腸炎になってしまったのです。その看病をしていた私にもうつってしまい、熱が出ました。普段なら胃腸炎くらいで病院へは行きませんが、その時はしんどさが強く、たまたま近所の内科を受診しました。
そこは、初診の患者さんに広く血液検査を勧める方針のクリニックでした。「これまでに血液検査をしたことがありますか?」と聞かれ、「ありません」と答えると「じゃあ一度やってみましょう」ということになったのです。翌日、病院から「結果が悪いからすぐに来てほしい」と電話がありました。そのクリニックの血液検査には腫瘍マーカーが含まれており、その数値が異常に高かったのです。
まずは胃内視鏡検査と大腸内視鏡検査を受けましたが、異常はありませんでした。先生から「次は肺に異常がある可能性がありますが、ここでは詳しく調べられないため、近くの総合病院で検査を受けてください」と言われました。そこでCT検査をしたところ、肺に影が見つかりました。レントゲンでは映らないほど小さな影でしたが、腫瘍マーカーの結果と合わせると、肺がんの疑いが極めて濃厚でした。
12月末にかけて、PET-CTや気管支内視鏡など、さらに詳しい検査を進めていきました。画像上では原発巣が小さかったため、最初は「ステージ1くらいの早期発見かもしれない」という期待もありました。しかし、PET-CTの結果、右肺門縦隔リンパ節転移と仙骨への転移がわかったのです。最終的な診断は、肺がんのステージ4Aでした。
それまで大きな病気もせず、健康そのものだと思って生きてきました。咳が出ることも、息苦しさを感じることも全くありません。あの時、子どもが胃腸炎にならなければ、私にもうつらなければ、そしてあのクリニックを受診していなければ……。今思えば、本当に奇跡的なタイミングで見つけていただいたのだと感じています。
納得できる治療を、自ら選ぶということ
確定診断を待つ間、並行して遺伝子検査が行われました。その結果、私の肺がんは「EGFR遺伝子変異」が陽性であることがわかりました。これには効果が期待できる分子標的薬があり、先生からは、2つの選択肢を提示されました。1つは第3世代の分子標的薬である「タグリッソ」を単剤で使う方法。もう1つは、第1世代の分子標的薬と血管新生阻害薬を組み合わせた2剤併用療法でした。
主治医の先生からは「2剤併用の方が、将来的に他の薬に切り替える際の選択肢が広がる可能性がある」と勧められました。しかし、私はすぐに決めることができませんでした。
ちょうどその頃、夫の知人の肺がん専門医に相談する機会がありました。「今の主治医の提案は決して間違いではないと思います。ただ、現在の主流はタグリッソを最初に使うほうが多いと思います」というアドバイスをもらいました。それを聞き、私は自分でも国立がん研究センターのホームページなどで、最新の治療方針を徹底的に調べました。
個人差はあるかもしれませんが、タグリッソの方が副作用は少なそうであること、そして野球に例えるなら「負けられない試合には、一番良い投手を先発に出す」ということも書かれていました。それが、私の場合はタグリッソなんだと理解し、数日間の帰宅期間中、悩み抜いた末に、私は主治医に「タグリッソを使いたいです」と自分の意思を伝えました。先生は快く私の決断を受け入れてくださり、2024年1月から治療が始まりました。
1年半の平穏と、忍び寄る「耐性」
タグリッソによる治療は、驚くほど順調でした。1日1回、1錠を飲むだけ。副作用も爪囲炎(そういえん)などの軽い皮膚症状はありましたが、生活に支障が出るほどではありませんでした。治療を始めてから約1年半の間、私は自分が病人であることを忘れてしまうほど、元気に過ごすことができました。
しかし、2025年6月頃の定期検査で、肺の原発巣のサイズが少しずつ大きくなっていることがわかりました。分子標的薬には、いつか薬が効かなくなる「耐性」が起こる可能性があることは知っていました。それでも、いざその現実を突きつけられると、やはり不安が募りました。
10月末には原発巣が2cmほどになり、リンパ節の腫れも指摘されました。「次の治療に進みましょう」という段階になりましたが、その病院で提案されたのは通常の抗がん剤治療でした。私は、もっと他に選択肢はないのか、まだ承認されていないけれど効果が期待できる新薬はないのかと考え、治験への参加も検討することにしました。
先手で動いた、治験への挑戦
治験に関する情報は、肺がん患者会の「ワンステップ」や、専門的な情報発信を行っているサイトから得ていました。肺がんとともに10年以上生きている方々の姿を見て、「受け身ではいけない、自分で納得できる道を探したい」と強く思うようになっていたのです。
今の総合病院では治験を行っていないと聞いていたため、自ら近隣の大学病院を調べ、治験を積極的に行っているところを見つけました。主治医に「セカンドオピニオンに行きたい」と伝え、11月中旬にその大学病院を受診しました。
そこで提示されたのが、現在受けている第1相(フェーズ1)の治験でした。これは、まだ世の中に出ていない新薬の安全性を確認する段階の試験です。非臨床試験を経て、初めてヒトへの安全性を確認する段階です。リスクはもちろん考えましたが、私はその未知の可能性に賭けてみたいと思いました。何より、飲み薬であることや、通院の条件が自分にとってベストだと感じたのです。
トントン拍子に検査が進み、2025年12月1日から入院して投与が始まりました。実際に治験に参加してみて感じたのは、医療スタッフの方々の手厚いサポートです。治験コーディネーターさんが常に寄り添ってくださり、何かあればすぐに専門の先生方が連携して対応してくれます。現在は副作用としてのひどい発疹に悩まされており、薬の量を調整しながらの継続ですが、「自分も医学の進歩に貢献している」という感覚が、私の心の支えになっています。
「死」を意識してわかった、日常の輝き
がんになって、私の死生観は大きく変わりました。「人はいつか死ぬ」という、当たり前だけれどどこか遠かった事実が、自分事として目の前に現れたからです。
診断当初は、体調も良かったので「いつか死ぬなら、今のうちにやりたいことを全部やろう」と非常にポジティブでパワフルでした。しかし、タグリッソをやめ、治験が始まるまでの間に体調が急激に悪化し、全身の痛みや息苦しさを経験しました。その時は、「なんで私だけがこんな目に」と、どん底まで落ち込みました。SNSなどで見かける「がんになって良かった」という言葉に対しても、「それは元気だから言えることじゃないの」と、反発を感じてしまうほどでした。
けれど、治療が始まって体が少し楽になってくると、不思議とまた「あれが食べたい」「あそこに行きたい」という欲が湧いてきました。人間は、欲があるからこそ生きていける。元気に動ける時間は、なんて貴重で尊いものだったのか。改めてそう気づかされました。
子どもたちは今、10歳、6歳、3歳です。まだ「肺がん」という具体的な病名は伝えていません。お母さんは皮膚にブツブツが出る病気で、病院に通っている。そんなふうに理解しているようです。10歳の長女は、YouTubeなどでがんに関する動画を目にすることもあるようで、薄々何かを感じているかもしれません。
いつか、きちんと話さなければならない時は来るでしょう。でも今は、病気であってもお母さんは一生懸命生きている、楽しく過ごしているという姿を見せていきたいと思っています。医療は日々進歩しています。数年後には、今よりももっと良い治療法が出ているかもしれない。そう希望を持って、一日一日を積み重ねています。時間は有限です。だからこそ、自分の選択に後悔しないよう、一歩先を見据えて行動してほしいと思います。
これからがんと向き合う方へのメッセージ
がんと診断されると、どうしても受け身になりがちですが、自分から情報を拾いに行く姿勢がとても大切だと感じています。
情報は自ら取りに行ってください
主治医の話だけでなく、信頼できる公的なサイトや患者会などを通じて、自分に関係のある情報を積極的に集めてください。
主治医は患者と一緒にがんと闘ってくれる仲間です
疑問に思ったことは、遠慮せずに何でも聞いてください。先生に悪いかな、などと気を使っている場合ではありません。自分の体と人生のことですから、納得いくまで話し合うべきです。
「次の一手」を常に考えておきましょう
今の治療がうまくいっている時から、「もしこれが効かなくなったら次はどうするか」という見通しを立てておくことをお勧めします。体力が残っているうちに動けるよう、通える範囲にどんな病院や治験があるか、目星をつけておくだけでも心の余裕が変わります。