写真はイメージです。(AIによる生成)プロフィール
お名前:EYさん(ニックネーム)
年代:60代
性別:女性
家族構成:1人暮らし
仕事:会社員
がんの種類:乳がん、子宮頸がん
診断時ステージ:ステージ2B(乳がん)・ステージ0(子宮頸がん)
診断年:2018年
現在の居住地:神奈川県
※本体験談は、患者さん個人の経験に基づくものです。治療の経過や副作用、生活への影響には、個人差があります。医療的な判断や治療方針の決定の際には、必ず医師・医療従事者にご相談ください。
2018年、EYさんは、健康診断をきっかけに乳がんと子宮頸がんという2つのがんに直面することになりました。標準治療である抗がん剤を断り、治験という道を選んだ背景には、自身の仕事や趣味、そして何より高齢の母親を想う強い意志がありました。「がんは面倒な出来事のひとつ」と語る彼女が、どのようにして自分らしい治療の形を見つけ、日常生活を守り抜いたのか。その独自の歩みについてお話しいただきました。
検診結果を「放置」した理由
私が自分のがんを知ることになったのは、2018年のことでした。もともとは、勤め先の健康診断がきっかけです。婦人科系のオプション検査で「要検査」という結果が出ていたのですが、正直なところ、当時の私はそれをしばらく放置していました。
なぜ放置したのかと聞かれれば、一言で言えば「面倒くさかった」からです。もし検査に行って悪い結果が出てしまったら、今の生活が変わってしまう。仕事や日常のスケジュールが狂ってしまうのが嫌だという気持ちが勝っていました。結局、1年後の検診でも再び同じ項目で引っかかり、いよいよ背中に違和感を覚えるようになり、ちょっとした覚悟をもってようやく重い腰を上げました。
最初に足を運んだのは、以前から別の診察で通ったことがあった婦人科クリニックでした。そこで改めて詳しく検査をしてもらったところ、先生から「顔つきが悪いね」とはっきり言われました。精密な診断が出る前でしたが、その言葉のニュアンスで、自分はがんなのだと直感的に理解しました。その時も悲しみより先に、「面倒くさっ」と先生を前につぶやいてしまったことを覚えています。
納得のいく病院選びと「同時再建」の決断
クリニックは手術ができる施設ではなかったため、紹介状を書いてもらうことになりました。私は自宅から通いやすいがんセンターを希望し、そこで改めて検査を受けた結果、乳がんのステージ2Bという診断が下りました。
医師からは手術が必要だと言われましたが、当時のその病院は大変混み合っており、手術は2か月ほど待つことになると告げられました。普通なら「一刻も早く取って欲しい」と焦るのかもしれませんが、私はすでに2年以上も放置していた身です。数か月の遅れなど今さら気になりませんでした。それよりも、仕事の引き継ぎや自分の生活の段取りを整えることの方が重要でした。自分のペースでスケジュールを組み、診断から約3か月後に手術を受けることになりました。
手術の内容については、左胸の全摘と同時に、乳房再建を行う「同時再建」を選択しました。全摘だけをして、数か月後にまた入院して再建手術を受けるとなると、その分だけ仕事も休まなければなりませんし、入院費用もかさみます。一度の麻酔、一度の入院で済ませられるのであれば、それが一番効率的だと考えたのです。体の負担よりも、社会生活への影響を最小限に抑えたいという思いが強かったです。
抗がん剤を拒否した、譲れない理由
手術自体は無事に終わりましたが、病理検査の結果、リンパ節への転移も見られたため、医師からは再発防止のために抗がん剤治療とホルモン療法の併用を勧められました。それが、医学的に確立された「標準治療」であることも説明されました。
しかし、私は抗がん剤治療を受けることを想定していませんでした。理由はいくつかあります。まず、母親のことです。母は非常に心配性で、私ががんになったと知れば、それだけでショックで体調を崩しかねないほどでした。そのため、私は母には病気のことを一切伏せていました。
抗がん剤を使えば、髪の毛が抜けてしまいます。私は昔から髪の量が多く、急にウィッグを被ったり髪がなくなったりすれば、母に気づかれないはずがありません。母に心配をかけたくない、最期まで娘の元気な姿を見せていたい。その一心で、脱毛の可能性がある治療は避けたいと考えたのです。
また、趣味のランニングも続けたいと思っていました。毎週のようにランニング仲間と集まって体を動かすことが私の楽しみで、治療で体力が落ち、外見が変わることでその場に行けなくなるのは、自分らしくないと感じました。
医師に全幅の信頼をしていたからこそ、「抗がん剤治療はしたくない」と伝えられましたが、当然ながら驚かれ、説得されましたし、院内でのカンファレンスにもかけられましたが、結論は変わりませんでした。医師からの今後の治療について説明を受ける中、「抗がん剤をやることで、再発しない確率が50%から90%に飛躍的に上がるなら考えなくもないですが、そうでないなら私はそのために今の生活を犠牲にしたくありません」と伝えました。自分の価値観を天秤にかけた結果、納得のいかない治療は受けない、という答えを出しました。
治験という新しい道と、子宮頸がんの発覚
自分の判断のもと先生が提案してくれたのが、ある「治験」への参加でした。それは、ちょうど自分の乳がんのタイプに効果が期待される新しい薬の試験でした。
治験と聞いて、人体実験のような怖いイメージを持つ人もいるかもしれませんが、私にはポジティブな選択肢に映りました。最先端の医療に貢献できるかもしれませんし、何より費用面での助成もありました。説明を詳しく聞き、「これなら納得できる」と参加を決めました。
この治験に参加していたおかげで、予期せぬ幸運もありました。乳がんの治療と並行して、放置していた子宮頸がんの疑いについても同じ病院の婦人科で診てもらうことができたのです。検査の結果、ステージ0の状態であることがわかったのですが、乳がんの影響でホルモンバランスを考慮する必要があったため、子宮の全摘手術を勧められました。
この際も、治験の枠組みの中で診察や検査が進んだため、経済的にも非常に助かりました。当時は高額療養費制度なども活用しましたが、もし治験に参加していなければ、毎月の薬代だけでも相当な金額になっていたはずです。2つのがんを同時に抱えるという状況でしたが、信頼できる医師のもとで、全てのデータが共有された状態で治療が進んだことは、私にとって大きな安心材料となりました。
がんが教えてくれた「自己責任」と「準備」
結局、私は乳がんの手術後に2週間の入院を経て、退院した翌日から職場に復帰しました。直属の上司だけには「悪いものが見つかったので取ってきます」と伝え、周りの同僚には「ちょっと休みます」とだけ伝え、入院することは伏せていました。退院してすぐに普段通り働いている私を見て、誰もがんの手術を受けてきたとは思いもしなかったでしょう。海外旅行にでも行っていたのかと聞かれるほどでした。
振り返ってみれば、私はがんという病気を「特別な悲劇」ではなく、人生の中で対処すべき「課題」のように捉えていたのかもしれません。2018年に始まったホルモン療法は、10年間の継続が必要と言われ、現在9年目に入りました。治験の薬も2年間飲み続けました。副作用で体調が優れない時期もありましたが、その都度、医師に相談して薬の量を調整してもらうなど、無理のない範囲で継続してきました。
一度も「なぜ私がこんな目に」と悲観することはありませんでした。そもそも、最初の検診結果を1年も放置したのは私自身です。その結果として手術の範囲が広がったとしても、それは自分の選択による「自己責任」です。そう割り切っていたからこそ、後悔することなく前を向けたのだと思います。
がんになったことで得たものもあります。それは「終わりの準備」を具体的に考える機会です。人は誰でもいつか終わりを迎えます。そのために、どのような準備をして、どのような最期を迎えたいのか。それを真剣に考えるきっかけをがんに与えてもらったと思っています。
現在、私は以前と変わらずフルタイムで働き、週末には趣味のランニングを楽しんでいます。がんになる前と後で、私の生活の本質は何も変わっていません。それは、自分にとって何が一番大切なのかを見極め、周囲の意見に流されず、自分自身の責任で治療を選択してきたからだという自負があります。
これからがんと向き合う方へのメッセージ
今、がんと向き合っている方に私の経験から伝えたいことがあります。
自分の価値観で、納得のいく選択をしてください
がんと診断されると、多くの情報や周囲の声に惑わされがちです。しかし、治療を受けるのは他でもないあなた自身の体です。「標準治療だから」「先生に言われたから」と言われるがままに治療を進めるのではなく、自分の生活、仕事、大切にしたいものを天秤にかけ、自分が納得できる道を探してください。
情報を整理し、冷静に向き合う時間を持ちましょう
今はインターネットでさまざまな情報が手に入りますが、中には根拠のないものも含まれています。不安な時ほど、そうした極端な情報にすがりたくなりますが、まずは病院から提供される正確な資料を読み込み、自分の状況を客観的に把握することが大切です。
「自分らしさ」を諦めないでください
がんになったからといって、全ての楽しみを諦める必要はありません。仕事、趣味、家族との時間。あなたを構成している大切な要素を維持するために、どのような治療法があるのか。それを医師と一緒に考えていく姿勢が、前向きな療養生活につながります。