写真はイメージです。(AIによる生成)プロフィール
お名前:Sylphyさん(ニックネーム)
年代:30代
性別:女性
家族構成:1人暮らし
仕事:会社員
がんの種類:乳がん
診断時ステージ:ステージ4
診断年:2019年
現在の居住地:神奈川県
※本体験談は、患者さん個人の経験に基づくものです。治療の経過や副作用、生活への影響には、個人差があります。医療的な判断や治療方針の決定の際には、必ず医師・医療従事者にご相談ください。
2019年、Sylphyさんを襲ったのはこれまで経験したことのない腰の激痛でした。救急搬送された先で告げられたのは腰椎の骨折。その原因は、乳がんの骨転移によるものでした。いきなりステージ4の乳がんという現実をつきつけられ、絶望の淵から彼女を救い出したのは、適切な医療支援と、何より自分を突き動かす「推し活」の存在でした。過酷なリハビリと治療を乗り越え、現在も会社員として働きながら前を向き続けるSylphyさんにお話を伺いました。
「ナイフで刺されたような痛み」と救急搬送
もともと私は腰痛持ちで、腰の痛みには慣れているつもりでした。2019年の初めからずっと腰の調子が悪かったのですが、その時は「またいつもの腰痛だろう」と軽く考えていたのです。7月に入ると痛みはさらに増し、仕事はテレワークで何とかこなしていましたが、近所の病院に行っても「普通の腰痛ですね」と言われて返されるだけでした。
ある日の夜、お風呂上がりのことでした。ふとした瞬間に、腰にこれまでに経験したことのない衝撃が走りました。あまりの激痛にその場に崩れ落ち、1mmも動くことができませんでした。まさに「ナイフを突き立てられたような」痛みです。私は必死に這いつくばりながら、自分で救急車を呼びました。
搬送される際のわずかな揺れさえも耐えがたく、意識が遠のくほどの激痛でした。搬送先の病院は、幸運なことに整形外科の実績があり、地域のがん診療拠点病院でもありました。そこで精密検査を受けた結果、衝撃的な事実が判明したのです。
「腰椎を骨折しています。それも、ただの骨折ではありません。がんが骨に転移して、骨をもろくしていたことが原因です」
さらに詳しく調べると、原発巣は乳がんであり、すでに全身の骨に転移しているステージ4の状態であることがわかったのです。
二重の危機、そして「治らない」という告知
入院直後の検査では、腎機能が著しく低下していることがわかりました。腰痛を抑えるために市販の痛み止めを1日に何度も服用していたことが原因でした。
「まずは腎機能を回復させないと、がんの治療が始められません」
そう言われ、人工透析を受けることになりました。8時間(1回4時間を2回)にわたる透析を受け、まずは命を繋ぐための処置が行われました。
ようやく腎機能が回復し、乳腺外科の先生から正式な告知を受けました。両親も同席していましたが、先生の言葉は冷酷なほど現実的でした。
「乳がんのステージ4です。残念ながら、今の医療では完治(根治)を目指すことは難しいです。これからは、がんと共生し、進行を抑えるための薬物療法がメインになります」
それを聞いた瞬間、目の前が真っ白になりました。「私はもう死ぬんだ」と思いました。仕事はどうなるのか、これからどう生きていけばいいのか。ショックで涙が止まらず、先生が図を描いて説明してくれていたのですが、その内容はほとんど頭に入ってきませんでした。ただ、ひたすら涙を拭いながら、絶望感に飲み込まれていました。
「バットマン」という推し活が私の生きる原動力に
ステージ4の診断に加え、私は折れた腰椎の影響で歩くことすらできなくなっていました。まずは骨の痛みを抑えるための放射線治療を10回行い、並行してホルモン療法と分子標的薬の服用が始まりました。
何よりつらかったのは、寝たきりの状態からのリハビリでした。腰をわずかに動かすだけで激痛が走り、恐怖心から体を動かすことができなくなっていたのです。しかし、リハビリの先生は言いました。
「動かさないと、筋肉が落ちて治療に耐えられる体力がなくなってしまうよ」
その時、私の心の支えになったのが、2012年から熱中していた「バットマン」の推し活でした。都内にあるアメコミ専門書店の2階へ行くために、リハビリを頑張ろうと思いました。その店はエレベーターがなく、急な階段を自力で登らなければ辿り着けません。
「あそこに行って新しいコミックを買い、イベントに参加したい。そのためには、この足で階段を登れるようにならなければならない」
その一心で、痛みに耐えながらリハビリに励みました。まさにバットマンが闇の中から立ち上がるように、私も自分の足で立つための努力を続けました。目標を持つことは、どんな薬よりも私に活力を与えてくれました。
会社との復職交渉と制度の活用
入院生活は1か月半に及び、9月の初めにようやく杖をついて歩ける状態で退院しました。しかし、すぐに仕事に戻れるわけではありませんでした。分子標的薬のベージニオやホルモン剤の副作用が、想像以上に私の体を痛めつけていたのです。
特に酷かったのは吐き気と下痢でした。最初の数か月は常に胃がむかつき、食べ物を受け付けない日もありました。栄養補助食品のゼリーなどをストックし、少しずつ体力を戻していく日々でした。
半年間の休職を経て、2020年1月に復職することに決めました。復職にあたっては、会社の産業医、人事、上司、そして病院のがん相談支援センターの看護師さんや社会保険労務士さんと何度も話し合いを重ねました。
当時はまだ新型コロナウイルスが流行する直前で、フルタイムのテレワークは一般的ではありませんでした。私は「週に数日のテレワークと短時間勤務」を希望しましたが、会社側との条件調整には時間がかかりました。最終的には、私の体調を最大限に考慮してもらい、フルリモートワークでの短時間勤務からスタートすることができました。
職場の理解があったことはもちろんですが、がん相談支援センターで具体的な制度やプランを練り上げ、それを会社側に提示できたことがスムーズな復職に繋がったと感じています。
趣味の仲間とSNSに支えられて
現在も治療は続いています。ベージニオの副作用による突発的な下痢や、貧血、倦怠感などは今でも付き合っていかなければならない課題です。それでも、私は日々を前向きに過ごせています。
その大きな要因は、趣味の仲間たちの存在です。私は告知を受けた日、Xで繋がっているバットマン仲間の友人たちに自分の状況を包み隠さず伝えました。「ステージ4ですが、頑張ります」という投稿に、驚くほど多くのサポートや応援の言葉が届きました。
入院中の経過や、リハビリでようやく杖が使えるようになったこと、放射線治療のつらさなどを逐一投稿することで、励ましの言葉をくれました。同じ趣味を持つ仲間からの言葉は、孤独になりがちな闘病生活において、何にも代えがたい「生きる力」になりました。
また、同年代の仲間たちには「絶対に検診に行って欲しい」と伝え続けています。私の発信を見て「検診を予約したよ」と言ってくれる友人も増えました。私の経験が、誰かの早期発見に役立つのなら、この病気になった意味も少しは見いだせるのではないかと思っています。
次の目標は海外旅行
現在の病状は、薬でコントロールされており、乳房の腫瘍はほぼ消え、骨の転移も落ち着いています。
今の私の目標は、コロナ禍で断念していた海外旅行に行くことです。病気になる前は行っていた海外へ再び行き、現地でバットマングッズを心ゆくまで買い込む。その日を夢見て、日々の治療と仕事を両立させています。
がんは確かに怖い病気ですが、それだけで人生が全て終わってしまうわけではありません。適切な治療を受け、周囲の助けを借り、そして自分だけの「楽しみ」を捨てずに持ち続けること。それが、私がこの経験を通じて学んだがんと共に生きていくための秘訣です。
これからがんと向き合う方へのメッセージ
今、がんと向き合い、不安の中にいる方へ。私の経験から、以下のことを大切にして欲しいと願っています。
治らない違和感を見逃さないでください
普通の腰痛であれば、数週間で改善の兆しが見えるはずです。長引く痛みや、今までにない違和感を覚えたら、迷わず専門医を受診してください。
「怖いから行かない」はもったいないです
がんは早く見つけるほど、治療の選択肢が広がります。自分を大切にするために、定期的な検診を習慣にしてください。
推し活や趣味を諦めないでください
治療のことばかり考えていると、心が疲弊してしまいます。「来週のイベントまで頑張ろう」「あの本を読めるようになろう」といった、ささやかな目標が、過酷な治療を支えるモチベーションになります。
がんと治療のことを忘れられる時間を作ってください
がんがあることは事実ですが、それがあなたの全てではありません。趣味に没頭し、病気のことを忘れる時間を意識的に作ってください。
1人で抱え込まないでください
病院のがん相談支援センター、社会保険労務士、SNSの仲間など、頼れる場所は必ずあります。特に仕事との両立には専門的なアドバイスが不可欠です。また、同じ悩みを持つ人や、全く別の趣味で繋がっている仲間との交流は、精神的な大きな支えになります。