写真はイメージです。(AIによる生成)プロフィール
お名前:かねやさん(ニックネーム)
年代:40代
性別:女性
家族構成:1人暮らし
仕事:会社員(業務委託の副業)/診断時は団体職員
がんの種類:卵巣がん
診断時ステージ:ステージ2A
診断年:2022年
現在の居住地:大阪府
※本体験談は、患者さん個人の経験に基づくものです。治療の経過や副作用、生活への影響には、個人差があります。医療的な判断や治療方針の決定の際には、必ず医師・医療従事者にご相談ください。
2022年、40代で卵巣がんに直面したかねやさん。1人暮らしという環境のなか、自身の体調管理だけでなく、治療と仕事の両立や、後遺症であるリンパ浮腫、更年期症状との共生を模索して来ました。制度やピアサポートを使いこなし、納得できる働き方を自ら見つけました。現在は自分に合った環境で新たな一歩を踏み出しているかねやさんにお話しいただきました。
「中年太り」だと思っていた下腹部の膨らみ
私に起こった最初の異変は、下腹部がぽっこりと出てきたことでした。最初は「中年太りかな」と軽く考えていましたが、うつ伏せで寝たり、柵に下半身をもたれかけたりすると、体の中に丸く硬いものに触れるような感覚がありました。40代という年齢もあり、生理不順や不正出血があっても「閉経が近いのかな」と、自分に都合よく解釈していたのです。
しかし、2022年4月の健康診断で、今まで一度も指摘されたことがなかった貧血の項目にわずかですが引っかかりました。いよいよおかしいと思い、当時の勤め先の系列病院を受診しました。姉が子宮筋腫を経験していたこともあり、自分もきっと筋腫だろうと思い込んでいました。本当は、体の奥にある「何か悪いもの」を知るのが怖くて、見て見ぬふりをしていたのだと思います。
系列病院での診察結果は、「11cmの子宮筋腫」でした。良性腫瘍であり、このまま経過観察する方法もあると言われましたが手術を希望し、その病院では対応できなかったため、交通アクセスの良い総合病院を紹介してもらいました。そこは結果的にがん診療拠点病院でした。
紹介先の病院で、系列病院から持参したMRI画像を改めて確認した医師から告げられたのは、予想外の言葉でした。「これは子宮筋腫ではなく、卵巣にも異変がみられます」と。5月に組織検査を行い、まずは子宮体がんであることが判明しました。卵巣については術中の病理検査で判断することになり、7月に手術を受けました。
朦朧(もうろう)とした意識のなか、ベッドの上で「やはり卵巣がんでした」と告げられたとき、「やっぱりそうか」と先行きへの不安はあっても、診断名がわからない状態から抜け出せた分、もやもやは晴れたなと思う自分がいました。病理検査の結果、卵巣と子宮には同一の組織型のがん細胞が見つかったそうです。そのため、卵巣がんと子宮体がんが同時に発生、またはどちらかが原発で片方は転移という可能性があるとのことでした。最終的には、卵巣がんが子宮に転移したステージ2Aという診断になりました。
治療と仕事の両立の難しさ
私のがん治療の一番の課題は、治療と仕事の両立でした。最初に系列病院で「子宮筋腫の手術で休みが欲しい」と上司に伝えた際、返ってきた言葉は「ボーナスが減りますよ」という言葉でした。自分も職場も、治療と仕事の両立についての知識や経験がなく、考えが甘かったと思います。
手術をすれば治ると思っていた私の期待とは裏腹に、状況はどんどん変わっていきました。筋腫だと思っていたものががんになり、切れば終わりだと思っていたのに抗がん剤治療も必要だと言われました。自分自身の理解が追いつかないなか、職場の上司から抗がん剤治療の2回目が終わった頃、1対1の面談で「雇用形態を変更しましょう」と正規職員からの降格を提案されました。
上司からすれば「良かれと思って」の提案だったかもしれませんが、私は1人暮らしです。治療を続けるためには働き続けなければなりません。しかし、フルタイムで働くには体力が追いつかず、かといって私の気持ちを置いてきぼりにした上司の提案には納得がいきませんでした。私は市役所の労働相談に駆け込み、法律の知識を蓄えました。そして休職期間中に「両立支援コーディネーター」の資格を取得し、自分自身の「両立支援計画書」を自ら作成して職場に提出しました。
上司に就業規則の変更を提案し、正規職員のまま復職したのは、私の後に続く人たちが同じような目に遭わないための「前例」を作りたかったからです。簡単に意識が変わるとは思いませんでしたが、会社側に「働く人の気持ちを置き去りにした扱いは通用しない」と示し、同僚の支えを受けながら、時短や隔日勤務の制度を活用し1年半働き続けました。
がんそのものよりつらかった後遺症との闘い
手術では、子宮と両側の卵巣、そしてリンパ節を取り除きました。術後3日目から、私の「本当の闘病」が始まりました。それはがんそのものよりも、卵巣欠落による更年期症状とリンパ浮腫という後遺症でした。
顔からは滝のように汗が出るホットフラッシュがあるのに、足先は氷のように冷たい。感情のコントロールが難しくなり、精神的にも追い詰められていきました。しかし、主治医は「がんと闘うこと」には熱心でも、後遺症にはあまり目を向けてくれませんでした。「様子を見ましょう」という言葉に、何度絶望したかわかりません。
自分のつらさを医師に正確に伝えられない自己嫌悪から、適応障害と診断され、精神科を受診することになりました。後遺症の治療が本格的に始まったのは、冬になってからです。系列病院の婦人科の先生が「すぐに心療内科を受診してください」と背中を押してくれたおかげで、ようやく更年期症状への漢方治療が始まりました。
リンパ浮腫については、オンラインで偶然見つけた患者会「リンネット」に救われました。「日々の暮らしでのセルフメンテナンス」や、信頼できる専門医の情報を教えてくれたのは、同じ悩みを持つ患者さんたちでした。患者会に出会わなければ、私のリンパ浮腫はもっと進行し、今のように仕事を続けることはできなかったはずです。
協力者を上手に使える人が治療を制する
この経験を通じて、医療従事者やピアサポートなどの協力者を上手に使いこなし、自分に必要な情報を引き出せる人こそが、納得できる治療を制するのだと痛感しました。
また、がんになったことは人生最大のピンチでしたが、それを「チャンス」と捉えるのは私には無理でした。ただ、人生の「総棚卸し」を行う「チェンジ(変化)」の機会にはなりました。今の自分に必要なもの、そうでないものを冷静に見極め、手放していく。それは冷淡な意味ではなく、現状を明らかにするための前向きな選択でした。
有給休暇の付与が難しくなったタイミングで前の職場を退職し、現在は新しい環境で働いています。今の職場は、がんや持病を持つ方たちが共に働く、理解のある環境です。デスクワーク中に足を乗せる台が複数用意されているなど、むくみを防ぐ工夫が自然に受け入れられています。
また、罹患前から5年続けてきた副業も、私の大きな支えとなりました。本業で復職がままならないときも、副業の依頼があることが「早く体調を戻して仕事がしたい」という強いモチベーションになりました。収入を大きく落とさずに生活を回せている今の日常は、あのとき自ら動いた結果だと思っています。
よく、「諦めないでください」といわれます。今は、「断念する、やめる、放棄する」という意味で使われています。しかし、「諦める」という言葉は、本来「物事の真実や本質を正しく理解し、受け入れること」「現実をありのままに見つめ、真理を悟ること」という意味があります。現状を冷静に見つめ、今までの自分に固執せず、何が必要で何が不要かを判断してください。無理な執着を手放すことで、新しい道が見えてくるはずです。
これからがんと向き合う方へのメッセージ
今まさに、がんと向き合っている方に伝えたいことがあります。
医療従事者を「上手に使いこなす道具」と考えてください
医師や看護師も、治療という目的を達成するためのプロフェッショナルな道具です。もし相性が悪い、あるいは自分の悩みに向き合ってくれないのであれば、遠慮なく別の専門医を探してください。自ら声を上げなければ、なかったことにされてしまう症状もあります。
法律や就業規則を知り、安易に辞めないでください
仕事は暮らしであり、自分の居場所でもあります。安易に辞める前に、まずは会社の就業規則を読み、法律で守られている権利を確認してください。両立支援コーディネーターなどの専門家や、行政の労働相談をフル活用し、自分が納得できる働き方を模索してほしいと思います。
「お金の余裕」は「心の余裕」です
お金で解決できる困りごとはたくさんあります。ネットスーパーの利用、入院中のレンタルパジャマ、使い捨ての衛生用品など、少しの出費が1人暮らしの闘病を劇的に楽にしてくれます。働けるうちに働き、制度を賢く使うことは、自分自身の心を守ることにつながります。