• 検索
  • お問い合わせ
  • お知らせ
  • メニュー
  • がん種
  • ニュース
  • 特集
  • 治験
  • リサーチ
  • イベント
  • 動画
  • 患者会
  • 辞典
  • お役立ち

乳がんと膵臓がん2度のがんを乗り越え、元看護師として、患者として今を生きる

[公開日] 2026.02.20[最終更新日] 2026.02.19

写真はイメージです。(AIによる生成)
プロフィール お名前:えづさん(ニックネーム) 年代:70歳代 性別:女性 家族構成:孫2人との3人暮らし 仕事:主婦(診断時は看護師) がんの種類:乳がん、膵臓がん 診断時ステージ:乳がん(ステージ1)、膵臓がん(ステージ1) 診断年:2005年(乳がん)、2019年(膵臓がん) 現在の居住地:長野県
※本体験談は、患者さん個人の経験に基づくものです。治療の経過や副作用、生活への影響には、個人差があります。医療的な判断や治療方針の決定の際には、必ず医師・医療従事者にご相談ください。 54歳で乳がんを、68歳で膵臓がんを経験したえづさん。いずれもステージ1という早期発見でしたが、その裏には看護師としての長年の経験と、徹底した自己管理、そして定期検診への強い意志がありました。乳がんの手術直後に夫を突然死で亡くし、1人での闘病を余儀なくされた時期や、膵臓がん術後の過酷な消化器症状に苦しんだ日々。看護師としての知識を持ちながら、いざ自分が患者になったことで見えてきた景色、そして食事療法へのこだわりなどをお話しいただきました。

乳がんのセルフチェックと「知っているからこそ」の恐怖

私の最初のがん体験は、今から21年前、2005年のことでした。当時54歳で、公立病院の外科病棟で看護師長を務めていました。職業柄、がんという病気は非常に身近な存在であり、日頃から自分でも乳房のセルフチェックを欠かさずに行っていました。ある日、ほんの小さな「あれ?」と思うようなしこりを見つけたのです。 勤務先の病院ですぐに検査を受けたところ、生検の結果は乳がんでした。ステージ1という早期ではありましたが、外科病棟の師長として多くのがん患者さんを見てきた私にとって、その衝撃は計り知れないものでした。当時はまだ乳がんの治療後に脳転移を起こして亡くなる方も多く、死への恐怖が現実味を帯びて迫ってきました。 しかし、私が一番に考えたのはプライバシーのことでした。師長としてリーダーシップを発揮する立場であり、手術中の無意識な姿や、術後の経過を部下や同僚に詳しく知られるのは避けたいと考えました。信頼していた同級生の医師に相談したところ、快く他院への紹介状を書いてくれました。そうして、自宅から40分ほど離れた病院で治療を受けることに決めました。 当時の乳がん手術は全摘出が主流でしたが、紹介先の先生は「温存できるよ」と言ってくださいました。その先生は、手術中に患者の腕を万歳のような形に固定して執刀する技術を持っていました。おかげで術後の引きつれもなく、リハビリをしなくてもすぐに髪をとかせるほど腕が自由に動きました。看護師として多くの術後患者を見てきた私には、それが魔法のような適切な処置に感じられました。

夫の突然死と、1人きりでの闘病生活

手術は無事に終わり、術後は放射線治療とホルモン療法を続けることになりました。しかし、私の人生を揺るがす出来事は退院直後に起こりました。 私を精神的に支え、毎日病院へ見舞いに来てくれていた夫が、私の退院からわずか1か月後、お風呂場で突然死してしまったのです。あまりに突然の別れでした。がんの傷がまだ癒えない中、私は1人で生きていかなければならなくなりました。放射線治療のために通院を続けながら、悲しみと不安のどん底にいましたが、東京にいた息子が妊娠中の妻とともに長野に戻ってきてくれたことが救いとなりました。 その後、紆余曲折を経て息子の嫁が子どもを置いて出ていってしまうという事態になり、私は乳がんの経過観察を続けながら、幼い孫2人の育児を担うことになりました。当時3歳と4歳だった孫たちのために「死ぬわけにはいかない」という強い原動力が、私を支えていました。

膵臓がんの奇跡的な早期発見

乳がんの手術から14年が経過した2019年、2度目のがんが見つかりました。それは「見つかった時には手遅れ」と言われることも多い、膵臓がんでした。 私は乳がんの経過観察を欠かさず受けていました。半年に1回の血液検査と、年に1回の造影CT検査です。2018年末の検査で、腫瘍マーカー(CA19-9)の値が、正常範囲内ではあるものの少しだけ上昇していました。医師も私も「おや?」と思いましたが、その時は様子見となりました。 そして半年後の2019年、造影CT検査の結果、膵臓に腫瘍が見つかりました。ステージ1の膵臓がんでした。この段階で見つかるのは本当に稀なことで、長年真面目に検診を受け続けてきた恩恵だと痛感しました。 主治医は、乳がんの時と同じ先生でした。実はその先生は消化器外科の専門医であり、乳がんの手術も執刀できる方だったのです。先生も私の膵臓がんには驚いていましたが、「俺が最後まで診るから」と言ってくださり、そのまま手術をお願いすることにしました。 手術は、膵頭十二指腸切除術という非常に難易度の高いもので、10時間におよびました。腫瘍が門脈の近くにあり、門脈の一部を切除してつなぎ合わせるという複雑な処置が必要でしたが、先生の熟練した技術により、がんは完全に取り切ることができました。

「口の下に肛門がある」ような術後の苦しみ

膵臓がんの手術は成功しましたが、術後の生活は過酷を極めました。膵臓の一部と十二指腸を失ったことで、消化機能が著しく低下したのです。 退院後、何を食べてもすぐに下痢として排出されてしまう状態になりました。「口の下にすぐ肛門があるのではないか」と感じるほど、食べ物が体に留まりません。さらに、重い糖尿病も発症しました。インスリンは使わずに済みましたが、血糖値の管理と、体力を維持するための栄養摂取という、相反する課題に直面しました。 私は以前、病院で栄養サポートチーム(NST)の委員長を務めており、栄養管理の資格も持っていました。患者さんに「アルブミン値を維持しましょう」「高タンパクな食事を」と指導してきた立場でしたが、いざ自分のこととなると、これほど難しいものかと思い知らされました。 食べれば下痢をし、食べなければ栄養不足で体力も免疫力も落ちてしまう。排泄物の匂いも、それまでに経験したことがないような強烈なもので、1日の大半をトイレで過ごすような日もありました。しかし、家には幼い孫たちがいます。退院4日目から、私は彼らの食事を作り、世話をしなければなりませんでした。自分のつらさに浸っている暇がなかったことが、逆によかったのかもしれません。

ジビエとりんごが救ってくれた命

栄養管理の専門知識を総動員し、私は自分の体でさまざまな実験を始めました。低脂肪、高タンパク、低カロリーという条件を満たしつつ、下痢を抑えられる食材を探し求めました。 その中でたどり着いたのが、地元の猟師さんが届けてくれる「ジビエ」でした。鹿や猪の肉は、高タンパクでありながら脂肪が少なく、私の弱った消化器でも効率よく栄養を吸収できる貴重なタンパク源となりました。 さらに、私を救ってくれたのは信州名産の「りんご」でした。医学的根拠はありませんが、毎日2個から3個のりんごを食べるようにしたところ、不思議と下痢が落ち着き、便の状態が改善したのです。血糖値の兼ね合いもありましたが、全体的なカロリー計算の中で調整し、りんごを中心とした食事を続けました。 また、長野の冬の保存食である「氷餅(凍らせて乾燥させた餅)」も大きな力になりました。お湯で溶かすとトロトロのお粥のようになり、食欲がない時でもエネルギーを補給することができました。こうした地元の食材と、自らの知識を組み合わせた試行錯誤により、私の体調は徐々に安定していきました。

看護師としての慢心と、患者としての気づき

看護師として40年以上働いてきた私は、患者さんに対して常に「最善の指導」をしているつもりでした。「こうしなさい」「ああしなさい」と、教科書通りのアドバイスを押し付けていた部分があったのではないかと、自分が患者になって初めて反省しました。 患者さんたちは、私が病院に戻った時、「えづさんならわかってもらえる」と言ってくれました。同じ病名の人はいても、痛みやつらさは1人ずつ異なります。がんという診断を受けた人が、常に「死」を意識し、些細な体調の変化を再発に結びつけてしまう恐怖心。それは、どれだけ医学書を読んでも、自分が体験しなければ本当の意味で理解することはできなかったのです。 退職を前に看護学校の学生たちへ講演した際、私はこう伝えました。「私ががんになったのは、きっとまだ看護が足りないという教えだったのだと思います」と。患者の気持ちに寄り添うとはどういうことか、身をもって学んだ21年でした。 現在、定期検査では肺に小さな影が見つかっており、経過観察を続けています。それが乳がんの転移なのか、膵臓がんの影響なのか、あるいは新たな肺がんなのかはわかりません。しかし、大きくならない限りは「共に生きる」というスタンスでいます。70歳を超えた今、今日を元気に生きていること、そして孫たちの成長を見守れることに、心から感謝しています。

これからがんと向き合う方へのメッセージ

私の経験から、今がんと闘っている方へ伝えたいことがあります。 自分の体と対話し、体力を維持しましょう がんと戦うための土台は、あなた自身の体力と気力です。自分に合った食事を見つけ、少しでも体を動かす工夫をしてください。私の場合は、地元のりんごやジビエが力になりました。 誰かのために生きる意欲を持ちましょう 私には孫たちの面倒を見るという役割がありました。自分1人のためだけでは限界がありますが、「この子たちのためにまだ死ねない」という強い思いが、治療や食事療法の辛さを乗り越える原動力になりました。 看護師や周囲の人に素直に頼ってください 患者になって初めて、医療者の言葉が時に冷たく、押し付けがましく聞こえることを知りました。もしつらいことがあれば、我慢せずに伝えてください。同じ病気を経験した人や、心から共感してくれる誰かとつながることで、孤独な戦いは少しだけ楽になります。
体験談 乳がん 膵臓がん

おすすめ記事

治験・臨床試験

一覧を見る

リサーチ・調査

一覧を見る

ニュース

一覧を見る

イベント

一覧を見る

動画

一覧を見る

体験談

一覧を見る

患者会

一覧を見る

電話受付:平日(月〜金)10:00-18:00

※オペレーターが受付いたします。内容に応じて専門のスタッフへおつなぎいたします。