写真はイメージです。(AIによる生成)プロフィール
お名前:おーぐっちゃん(ニックネーム)
年代:50代
性別:男性
家族構成:妻との2人暮らし
仕事:公務員
がんの種類:膵臓がん
診断時ステージ:ステージ3(当時の診断基準)
診断年:2016年
現在の居住地:千葉県(診断当時は兵庫県)
※本体験談は、患者さん個人の経験に基づくものです。治療の経過や副作用、生活への影響には、個人差があります。医療的な判断や治療方針の決定の際には、必ず医師・医療従事者にご相談ください。
2016年、おーぐっちゃんさんは、身体に現れた異変をきっかけに近所のクリニックを受診。すぐに精密検査が必要といわれ、地元の総合病院を紹介されました。検査の結果、診断は膵臓がんのステージ3。一時は絶望の淵に立たされましたが、信頼できる外科医との出会いや家族の支え、そして術後の医師の言葉を糧に、再発への不安と常に向き合ってきました。診断から現在までの歩みと、病を経て変化した死生観についてお話しいただきました。
膵臓がん診断のきっかけは異常な尿の色
すべての始まりは、2016年の3月のことでした。ある日、トイレに行くと、尿の色がこれまで見たこともないような鮮やかな黄色になっていました。いわゆる「真黄色」という表現がぴったりの、これまで見たことがないおかしな色だったのです。同時に、しばらく前から微熱も続いていました。
「これはおかしい」と思い、かかりつけの近所のクリニックへ行こうと考えましたが、仕事の都合ですぐには動けず、結局受診できたのはその週の土曜日でした。
そのクリニックの先生は消化器内科が専門で、すぐに超音波(エコー)検査と尿検査をしてくれました。すると、いつもは温厚な先生が、これまでに聞いたことのないような厳しい声で私に言ったのです。「月曜日、すぐに大きな総合病院へ行ってください」
私は仕事のことが頭をよぎり、「火曜日ではダメですか」と聞き返しました。しかし先生は「絶対にダメです。月曜日に必ず行ってください」と、強い口調で譲りませんでした。その切迫した様子に、私は驚きつつも、その時はまだ、その意味には気がついていませんでした。
診察室のモニターに映った「膵臓がんの疑い」
週明け、私は紹介された総合病院を受診しました。当時は、診察の待ち時間に「がんなどの病気だった場合、告知を希望しますか」といった内容のアンケートに回答する仕組みになっていました。その項目を見た瞬間、初めて、「まさか…?でも、そんなはずは…」と、心臓が波打つのを感じました。
診察室に呼ばれると、さらに、いきなり衝撃的な出来事がありました。担当の医師が、前のクリニックからの紹介状をパソコンの画面に大きく映し出していたのです。医師から直接言葉を聞く前に、私はそこに書かれた「膵臓がんの疑い」という文字を自分の目で確認してしまいました。
後からわかったことですが、あの時の尿の色は、がんによって胆管が閉塞し、胆汁が血液中に逆流していたことによるものでした。自宅に帰って鏡をよく見ると、顔色だけでなく白目の部分まで黄色くなっており、明らかな黄疸が出ていました。
すぐに検査入院が決まり、超音波内視鏡検査や針生検が行われました。結果はやはり、膵臓がんでした。消化器内科の先生からは、「確定診断が出たら外科へ行ってもらいます」と言われていました。ある夜、病院の廊下を歩いている時にその先生と偶然会うと、「おーぐっちゃんさん、外科へ行ってもらいますから」と一言だけ告げられました。それが、私にとっての実質的ながん告知でした。そのままベッドに戻りましたが、途端に全身がガタガタ震えだして、どうにも止まらなかったことを、忘れることができません。
「開けてみないとわからない」と言い切る外科医への信頼
外科の先生からは、ステージ3であると告げられました。膵臓がんは見つかった時にはステージ4で手術ができないケースも多い中、私の場合は「画像を見る限り、切れる(手術ができる)と思う」というお話でした。
もちろん「お腹を開けてみないと最終的な判断はできない。そのまま閉じるかもしれない」という厳しい言葉もありましたが、その先生は非常に物言いがはっきりした方でした。同席していた私の母はそのようなはっきりとした話し方に、冷徹さを感じたのか、やや憤慨していましたが、私はむしろ、事実を包み隠さず明確に伝える姿勢に強い信頼感を覚えました。「この先生なら、はっきりとした結果を出してくれる。自分の手術を任せてもいい」と直感したのです。
ただ、すぐに手術はできませんでした。強い黄疸が出ていたため、まずは胆管にステントという器具を入れ、胆汁の流れを確保して黄疸が消えるのを待つ必要がありました。手術まで1か月待たなければならないと聞いた時は、その間にがんが進行してしまうのではないかと、日々常に生きた心地がしませんでした。ネットで調べれば調べるほど、膵臓がんの5年生存率の低さが目に付き、絶望的な気持ちにもなりました。
「気持ちいいぐらい綺麗に取れたよ」という最高の言葉
2016年4月7日、手術が行われました。膵頭部にあるがんを、周囲の臓器ごと切除する大きな手術です。結果的に膵臓の3分の1、胃の3分の1、さらに十二指腸、胆嚢、胆管を全て摘出しました。
手術後、まだ私が麻酔で眠っている間、先生が妻と両親らのもとへやってきました。そこで先生が言った言葉が、その後の私の生きる支えとなりました。
先生は、がんを周囲の組織ごと、マージン(余白)を持ってしっかりと取り切ることができたという意味で「気持ちいいぐらい綺麗に取れたよ」と説明してくれたそうです。後日、私自身も、妻や親からだけでなく、先生からもその話を直接聞き、暗闇の中に一筋の光が差し込んだような感覚になりました。「これで生きられるかもしれない」という希望を、初めて抱くことができた瞬間でした。
20kgの体重減と、再発への恐怖との闘い
手術後の経過は順調で、4月19日には退院することができました。5月からは自宅療養をしながら、再発予防のための抗がん剤(S-1)の服用が始まりました。幸い、私には強い副作用は出ませんでした。食欲も落ちず、手足の先が少し黒ずむ程度で済みました。
しかし、体へのダメージは想像以上でした。手術前は80kg近くあった体重が、一気に60kg台まで落ちました。20kgも痩せてしまうと体力が著しく低下し、常にふらふらしているような状態でした。5月の半ばには職場に復帰しましたが、今思えば少し早すぎたかもしれません。
肉体的な衰え以上につらかったのは、メンタル面でした。膵臓がんは再発率が非常に高い病気です。先生からも「6割から7割は再発、転移する」と言われていました。そのため、少しでもお腹に違和感があると、「再発、転移したのではないか」という不安に襲われました。定期的なCT検査の結果を待つ1週間は、毎回、再発とか転移したらどうしよう…という思いで、生きた心地がしませんでした。
一度、造影CTの際に息止めが不十分で、画像に怪しい影が映ったことがありました。その時は追加でPET検査を受けることになり、再び絶望の淵に突き落とされました。結果的に再発ではなかったのですが、そうした「絶望と希望の繰り返し」を、私はその後何度も経験することになります。
病を経て変わった、人生の優先順位
診断から7年が経過した頃、ようやく先生から「もう来なくてもいいですよ」という言葉をいただきましたが、その時は先生と固く握手し、先生の目の前で号泣してしまいました。現在は大きな病院での定期的な精密検査は卒業し、年に1回の造影CT検査とクリニックでの経過観察に切り替わっています。
この経験を経て、私の価値観は大きく変わりました。以前は仕事が第一で、残業も厭わない生活を送ってきました。しかし今は、何よりも「生きること」が第一です。仕事はあくまで生活の一部であり、無理をしてまで自分を追い込むことはなくなりました。
性格も少し変わったように思います。以前は妻に対して厳格で少し威圧的な態度を取ってしまうこともありましたが、今は何があっても「生きていられるだけでいい」と思えるようになり、妻や他の人に対して寛容になれたように感じています。死の淵を彷徨ったことで、日々の平穏がいかに尊いものかを痛感したからです。
また、健康管理に対する意識も劇的に変わりました。以前の私は人間ドックの結果で数値が悪くても、「酒飲みの勲章だ」などと同僚と笑い合って放置していました。しかし、その「放置」こそが膵臓がんという大きな病を招いた一因だったと、今は反省しています。
膵臓がんという大きな壁にぶつかりましたが、私は今、こうして新しい場所で日々を過ごしています。絶望の中でも希望を捨てず、一つひとつの検査や治療に向き合っていくことが、未来へと繋がっていくのだと信じています。
これからがんと向き合う方へのメッセージ
最後に、今まさにがんと闘っている方、そして健康に不安を感じている方へお伝えしたいことがあります。
健康診断の結果を「自分事」として受け止めてください
健康診断で「要経過観察」や「精密検査」の結果が出たら、絶対に放置しないでください。結果を持って、信頼できるかかりつけ医に相談してください。私の場合は、慢性膵炎の疑いをあまり気にもとめず、長年放置していたことが悔やまれます。
小さな異変を見逃さないでください
体調の変化だけでなく、排泄物の変化にも敏感になってください。私の場合は黄疸が大きなサインでした。洗面所の電球が暖色系だと顔色の変化に気付きにくいので、白い光の照明など、色の変化がわかりやすい照明の下でチェックすることをお勧めします。
がん保険などの備えを大切にしてください
経済的な安心感は、治療に専念する上で非常に重要です。私はたまたま勧められて加入していた保険に救われました。治療の選択肢を広げるためにも、備えの大切さを痛感しています。