写真はイメージです。(AIによる生成)プロフィール
お名前:M.Mさん(ニックネーム)
年代:40代
性別:女性
家族構成:夫と子ども2人との4人暮らし
仕事:日本語教師
がんの種類:肺がん
診断時ステージ:ステージ4
診断年:2022年
現在の居住地:神奈川県
※本体験談は、患者さん個人の経験に基づくものです。治療の経過や副作用、生活への影響には、個人差があります。医療的な判断や治療方針の決定の際には、必ず医師・医療従事者にご相談ください。
2022年、39歳という若さで肺がんステージ4と診断されたM.Mさん。「治療をしなければ余命半年」と言われながらも、適切な薬物療法や治験を経て、現在は日本語教師として元気に活動を続けています。病と向き合いながら、家族とのハワイ旅行や資格取得、転職といった「今やりたいこと」を実現させてきた経緯をお話しいただきました。
肺がんと診断されたきっかけは止まらない咳
全ては2022年1月の、何の変哲もない咳から始まりました。最初は風邪だろうと考え、近所のクリニックを受診しました。しかし、処方された風邪薬を飲んでも症状はいっこうに改善せず、咳は日を追うごとに激しくなっていきました。2月に入る頃には、咳をするたびに胸に激痛が走り、「肋骨にひびが入ったのではないか」と思うほどでした。
あまりの痛さに耐えかね、2月の再診時に「肋骨が折れているかもしれないので、レントゲンを撮って欲しい」と医師に頼み込みました。撮影された画像を見た医師の表情は一変し、「すぐに近隣の大学病院で精密検査を受けてください」と言われました。
紹介先の大学病院では、CT検査、PET検査、そして気管支鏡検査と、矢継ぎ早に精密検査が進められました。実は、医師から正式な告知を受ける前に、私は自分の病名を知ることになりました。気管支鏡検査のための入院手続きの際、署名する書類に「肺がん」とはっきりと記載されていたのです。何の心の準備もできていない状態で目にしたその文字に、頭が真っ白になりました。
その後、医師から正式に「肺がん、ステージ4」であると告げられました。検査の結果、ROS1融合遺伝子陽性であること、そして全身に転移していることがわかりました。医師からは「もし治療をしなければ、余命は半年程度」という、あまりにも過酷な現実を突きつけられました。
家族への思いと、残された時間での決断
告知の際、私は当初「1人で結果を聞きたい」と病院に伝えていました。しかし、病院側から家族を同伴するように促されたため、夫と共に診察室に入りました。結果を聞いた夫は私以上に落ち込んでしまい、ショックで言葉を失っていました。私はそんな夫を見て、逆に「大丈夫だから」と明るく励ます側に回っていました。
2人の子どもたちには、看護師さんと相談した上で、ありのままの事実を伝えました。肺がんであることを子どもたちがわかる言葉で話しましたが、当時の彼らは事の深刻さを完全には理解できていない様子でした。「そうなんだ」という、どこか他人事のような反応でしたが、私自身も家族の前ではできるだけ普通に振る舞おうと努めていました。
当時は、5年後や10年後の自分の姿をまったく想像することができませんでした。周囲は「きっと大丈夫」と励ましてくれましたが、ステージ4という現実を前に、私は「動けるうちに、やりたいことを全てやろう」と心に決めました。
その決意の第一歩が、家族でのハワイ旅行でした。それまで家族で海外旅行に行く機会がなかったため、後悔を残したくないという一心で計画しました。治療を開始し、薬の効果で体調が少し落ち着いた時期を見計らってハワイへ飛びました。青い海を眺め、異文化の中で過ごす時間は、がんという現実を一時でも忘れさせてくれる貴重なひとときでした。
治療の副作用と、日本語教師への挑戦
治療は分子標的薬の服用から始まりました。薬は一定の効果を示しましたが、副作用との戦いでもありました。激しい吐き気やめまいに見舞われ、一時は呼吸困難から酸素マスクを常用するほど体力が低下しました。呼吸を楽にするため、また肋骨の痛みを取り除くためにモルヒネも服用していました。薬の影響で頭がぼーっとし、日常生活にも支障が出ましたが、実家の母が駆けつけて家事などサポートしてくれたおかげで、なんとか日々を繋ぐことができました。
そんな闘病生活の中で、私の心にひとつの変化が芽生えました。ハワイ旅行中に外国の方々とコミュニケーションを取る中で、「かつて抱いていた、国際的な仕事に関わりたいという夢」を思い出したのです。
診断前は個人事業主として別の講師業をしていましたが、仕事のストレスが非常に大きく、このまま続けるのは難しいと感じていました。これを機に、本当にやりたいことに挑戦しようと考え、日本語教師を目指すことにしました。
まずはオンラインの登録サイトで日本語の家庭教師として教え始め、翌年には本格的に資格を取得するため、日本語教師養成の専門学校にも通い始めました。体調が優れない日もありましたが、検定試験の合格という目標があることが、私にとっての大きな生きがいとなりました。現在は無事に資格を取得し、オンラインで世界中の生徒に日本語を教えています。がんに関係のないことに没頭する時間は、私にとって何よりの救いでした。
患者会での出会いと、治療の転機
情報収集のためにインターネットでがんの体験談を読んでいたとき、肺がん患者会の存在を知りました。そこで「ROS1融合遺伝子陽性」患者のコミュニティがあることを教えてもらい、迷わず参加しました。
この出会いが、私の治療を大きく変えることになりました。希少な遺伝子の変化であるROS1融合遺伝子陽性の患者同士で、副作用への対処法や最新の治療情報を共有できることは、大きな心の支えとなりました。最初の薬の効果が薄れてきた際、次にどの治療に進むべきか悩んでいましたが、患者会の仲間から「がんセンターなら治験があるかもしれない」というアドバイスをもらいました。
主治医からは標準的な化学療法を提案されていましたが、仲間の言葉を信じてセカンドオピニオンを受けました。そこで運よく参加できる治験が見つかり、新しい薬での治療を開始することができました。
当初、治験薬は効果がありましたが、1か所の腫瘍が大きくなってきたのです。主治医の先生は、治験薬の効果が薄れてきたので、次の治療として化学療法を提案されました。しかし、その場にいた治験コーディネーターさんが「CTを見ると大きくなっているのは1か所だけ。そこを外科手術で取り除けば、今の薬を継続できるかもしれない」と可能性を示してくれたのです。検査の結果、その1か所以外は腫瘍の影は見つからなかったため、胸腔鏡下手術でその部位を切除することになりました。手術は無事に終わり、このままうまくいけば寛解も目指せるような状況になりました。
今、伝えたいこと
一時は「治ることはない」とあきらめていた私ですが、治験薬の効果と適切な手術により、現在は海を越えて教壇に立つ夢さえ抱けるようになりました。ステージ4であっても、前向きに、そして元気に過ごせる時間があることを、身をもって感じています。
子どもたちも、学校でがんの授業を受けてくることがありますが、「お母さんの話の方が詳しいね」と笑い合えるようになりました。病気を通して、家族との対話が深まり、命の大切さを共有できたことは、私にとって唯一の救いだったのかもしれません。
もちろん、今でも落ち込む日はあります。薬が効かなくなる恐怖に押しつぶされそうになることもあります。しかし、そんな時は無理に前向きになろうとせず、今の自分を認めてあげるようにしています。
「今日は頑張りたくない」と思えば、そのままの自分を受け入れる。そうして一日一日を積み重ねてきたことが、今の私を作っています。これからも、韓国語や英語の勉強を続け、いつか海外の現地で日本語を教えるという目標に向かって、私らしく歩んでいきたいと考えています。
これからがんと向き合う方へのメッセージ
私の経験から、今がんと向き合っている方へ伝えたいことがあります。
1人で抱え込まず、多くの視点を取り入れてください
治療方針を決める際、主治医と自分だけで判断するのではなく、ほかの医療従事者、患者会など、さまざまな立場の人の意見を聞いてみてください。思いもよらない選択肢が見つかることがあります。
「がん以外の目標」を持つことが支えになります
病気のことばかり考えてしまうと、心が疲弊してしまいます。資格試験や趣味など、がんと関係のない小さな目標を持つことで、日々の生活にエネルギーが生まれます。
無理に前向きにならなくても大丈夫です
落ち込んだときでも、その感情を否定せずに受け入れてあげてください。「今日は頑張らなくていい」と自分を許してあげることで、結果的に心が軽くなることもあります。