写真はイメージです。(AIによる生成)プロフィール
お名前:heyyou(ニックネーム)
年代:70代
性別:男性
家族構成:妻と2人暮らし(2人の子どもは独立)
仕事:契約社員
がんの種類:多発性骨髄腫
診断時ステージ:ステージ1
診断年:2020年
現在の居住地:神奈川県
※本体験談は、患者さん個人の経験に基づくものです。治療の経過や副作用、生活への影響には、個人差があります。医療的な判断や治療方針の決定の際には、必ず医師・医療従事者にご相談ください。
2016年、「多発性骨髄腫」と診断されたheyyouさん。診断時、医師から告げられたのは「無治療なら余命5年」という言葉でした。しかし、heyyouさんはその事実を冷静に受け止め、契約社員という立場で仕事への不安を抱えながらも、治療と仕事を両立させる道を選びました。自家造血幹細胞移植という大きな治療を経て、繰り返す再発にも新しい薬で治療しながら、診断から9年が経過した今も現役で働き続けています。病気発覚の経緯から治療中の葛藤、そして現在の心境に至るまでお話しいただきました。
多発性骨髄腫の告知は放置していた「要検査」のサインから
今振り返れば、体からのサインはずいぶん前から出ていました。2010年頃から、会社の健康診断を受けるたびに「尿からタンパクが検出」と指摘され、「要検査」の判定が出ていたのです。しかし、特に自覚症状もなかったため、「まあ大丈夫だろう」と高をくくり、数年間ずっと放置していました。
明らかな異変が現れたのは、2016年のことでした。和式のトイレで用を足した際、自分の尿が異常なほど泡立っていることに気づきました。ただごとではないと感じ、慌てて近所の泌尿器科のクリニックを受診しました。尿検査と血液検査を行いましたが、クリニックの医師は首をかしげ「IgG(免疫グロブリンG)の値が非常に高いのが気になります。腎臓の異常の可能性があります」と言い、すぐに総合病院を紹介されました。
紹介された総合病院の泌尿器科でも、再び同じ検査を行いました。結果は同じで、泌尿器科の医師は「これは泌尿器の病気ではなく、血液の病気の疑いがあります」と判断し、そのまま同病院の血液内科へと回されることになりました。
「余命5年」の宣告は、人生の明確な見通し
血液内科では、さらに詳しい血液検査と、骨髄検査が行われました。その結果、2016年に確定診断された病名は「多発性骨髄腫」でステージは1でした。
聞きなれない病名でしたが、医師は丁寧に説明してくれました。骨髄中のB細胞が分化した形質細胞ががん化して、骨髄腫細胞になり際限なく増殖してしまう病気であること。本来、形質細胞は、外部からのウイルスや異物などから体を防ぐための抗体を作る働きをもっていますが、体を守る働きのないMタンパクを作り続けること。さらに、骨がもろくなったり、貧血、腎不全などの症状がでる可能性があるということでした。
診断の際、私は医師に単刀直入に「あとどれくらい生きられますか」と質問しました。医師は言葉を濁すことなく「無治療なら5年くらいですよ」とはっきり告げました。隣で聞いていた妻はショックで泣いていましたが、不思議なことに、私自身は冷静に受け止めていました。
それまで漠然としていた自分の人生に、明確な「見通し」が立ったからです。「あと5年ならば、無理な計画は立てず、新しい大きな挑戦もしない。残りの人生をどうやって楽しく過ごすかに集中しよう」と、冷静に受け止めることができました。はっきりと余命を伝えてくれた医師を信頼できると感じた瞬間でもありました。
契約社員でも仕事と治療を両立するための工夫
診断後も、私は機械設計の仕事を続けることを選びました。しかし、私は正社員ではなく契約社員でした。正社員のような手厚い休職制度があるかどうかもわからず、「働けるうちは働かないと、契約を切られてしまうのではないか」という強い不安がつねにありました。
治療のためには通院や入院が必要ですが、仕事を休めば当然、収入に影響します。私にとって一番の心配事は「有給休暇がなくなってしまうこと」でした。有給休暇を使い果たせば、欠勤となり収入が減ってしまいます。それを避けるため、私は可能な限り有給休暇を温存するよう努めました。例えば、通院の日には一日休むのではなく、4時間だけの「半休」を取得して病院へ行き、残りの時間は働くなど、少しでも長く休暇を残せるよう工夫しました。
幸いだったのは、私の仕事が肉体労働ではなく、デスクワーク中心だったことです。机に座って行う作業がメインだったため、体調が万全でなくても何とかこなすことができました。また、入院治療が必要になった際、会社側が事情を理解し、給料は出ないものの「欠勤扱い」として契約を継続してくれたことには、心から感謝しました。会社の配慮があったからこそ、治療と仕事の両立が可能でした。
壮絶な移植治療と繰り返される再発
治療は、まず化学療法から始まりました。「ベルケイド」「レブラミド」「デキサメタゾン」という3種類の薬を組み合わせた治療でした。副作用として、足の裏がピリピリと痺れる神経障害が現れました。夜中に痺れと痛みで目が覚めてしまうほどつらい時もありましたが、何とか耐えながら治療を続けました。3クールほど行ったところで薬の効果が薄れてきたため、「カイプロリス」という薬に変更しました。
その後、より強力な治療である「自家造血幹細胞移植」を行うことになりました。これは、あらかじめ自分の正常な造血幹細胞を採取して冷凍保存しておき、大量の抗がん剤で体内のがん細胞を根絶した後、保存しておいた幹細胞を体に戻すという治療法です。
移植の前処置として行われた大量の抗がん剤の投与は、想像を絶するものでした。副作用で髪の毛はどんどん抜け落ち、白血球や赤血球の数が激減して免疫力が極端に低下したため、無菌室に入らなければなりませんでした。この時期は体力的にも精神的にも非常に過酷で、本当に大変な経験でした。
移植後、約2か月で退院し、仕事に復帰しました。しばらくは経過観察が続き、月に一度の診察を受けていましたが、移植から半年ほど経った頃の検査で、再び数値が悪化し始めていることがわかりました。再発でした。
そこからは、再び薬物療法の日々が始まりました。再発後の最初の薬は、一定期間は効果がありましたが、やがて効かなくなりました。今年(2025年)の春頃からは新しい薬に変更し、現在もその治療を継続しています。この病気は、ある薬が効かなくなっても、また別の薬へと変更を繰り返していく、いたちごっこのようなものだと感じています。
失われた趣味と新たに見つけた生活
病気は、私の私生活にも大きな変化をもたらしました。それまで私は登山が趣味で、長年にわたって富士山や北アルプスなど、さまざまな山に登ってきました。しかし、多発性骨髄腫になってからは、それができなくなりました。病気の影響で赤血球が減少し、少し動くだけで激しい動悸や息切れが起こるようになったからです。近場の低い山でさえ、登ることは叶わなくなりました。長年愛してきた趣味を奪われたことはとても残念でした。
登山の代わりになるものを探して、ヨガや座禅などを試してみました。ヨガはすぐに飽きてしまいましたが、座禅は自分に合っていたようで今でも続けています。
私には、個人的に付き合いのある友人がいません。病気のことや治療の悩みを話せる相手は、会社の同僚くらいでした。闘病生活の中で、情報源として頼りにしたのがインターネットでした。多発性骨髄腫の患者会が存在することを知り、そのウェブサイトを閲覧するようになりました。
私は人と直接関わることが苦手なので、患者会の会合に参加したり、誰かと積極的に交流したりすることはありません。そのためサイトに掲載されている情報や、他の患者さんの体験談を読むだけです。それでも、「自分と同じように苦しんでいる人がいるのだ」と知ることは精神的な支えになりました。
新薬への希望と9年目を迎えた現在
診断時に「余命5年」と言われてから、すでに9年が経過しました。多発性骨髄腫の治療薬は近年、目覚ましい進歩を遂げており、次々と新しい薬が承認されています。私が治療を続けてこられたのも、こうした新薬の登場のおかげです。1つの薬が効かなくなっても、「また新しい薬が出てくるはずだ」という希望が、治療を続けるモチベーションになっています。
最近の統計では、多発性骨髄腫の生存率が以前よりも上がっているというニュースも見ました。今、私の目標は修正されました。71歳になった現在、「ひょっとしたら80歳くらいまで生きられるのではないか」という新たな見通しを持っています。
先のことを考えれば不安は尽きませんが、くよくよ考えても仕方がありません。これからは、今自分ができる仕事、そして旅行や趣味など、残された人生をいかに楽しく過ごすかに焦点を当てて生きていこうと考えています。
これからがんと向き合う方へのメッセージ
がんの治療は、予期せぬことの連続です。私の経験から、これから治療に向き合う方へ、少しでも参考になればと思いメッセージを送ります。
健康診断の結果を軽視しないでください
私は「要検査」のサインを数年間放置してしまいました。もし早期に受診していれば、状況は違っていたかもしれません。体の異変を示すサインを見逃さず、早めに病院を受診してください。
「これから起こるかもしれない症状」を知っておくことは大切です
私は患者会の情報などを通じて、他の患者さんが経験した副作用や症状を調べるようにしていました。今現在自分に現れていない症状でも、「将来こういうことが起こるかもしれない」と事前に知っておくことで、実際にその症状が現れた時に慌てずに対処できる心構えができます。
働き続けるための制度や工夫をしてください
非正規雇用であっても、会社の配慮や有給休暇の工夫次第で、治療と仕事を両立できる可能性があります。あきらめずに会社と相談し、自分に合った働き方を模索してみてください。