写真はイメージです。(AIによる生成)プロフィール
お名前:ヒデっ子(ニックネーム)
年代:40代
性別:男性
家族構成:配偶者と子ども2人の4人暮らし
仕事:スポーツジムの経営
がんの種類:節外性NK/T細胞リンパ腫・鼻型
診断時ステージ:ステージ1
診断年:2017年
現在の居住地:福岡県
※本体験談は、患者さん個人の経験に基づくものです。治療の経過や副作用、生活への影響には、個人差があります。医療的な判断や治療方針の決定の際には、必ず医師・医療従事者にご相談ください。
2017年、ヒデっ子さんは、節外性NK/T細胞リンパ腫・鼻型という、まれなタイプの悪性リンパ腫と宣告されました。長引く声のかすれが何か月も続き、近所のクリニックを受診したところ、喉の出来物を指摘され、総合病院へ紹介されました。そこで受けた検査の結果、ステージ1という早期でしたが、進行がやや速く、悪性度も中程度という告知に大きなショックを受けます。しかし、転院先の病院で出会った主治医の「任せとってください」という力強い言葉と、愛する家族、特に当時15歳の娘さんが20歳になるまで「生きたい」という強い思いを胸に、どのように治療と向き合ってきたのかをお話しいただきました。
まれな悪性リンパ腫治療の始まりは、治らない声のかすれ
2017年2月、インフルエンザにかかりました。風邪やインフルエンザで声が枯れたり、喉を痛めたりすることはよくあります。その時もそう思っていたのですが、7月になっても声のかすれが治りませんでした。「これはおかしいな」と感じ、近所のクリニック(耳鼻咽喉科)を受診しました。
そこで喉の出来物を指摘され、「切除することは簡単だけれど、よく見る出来物ではないようです」ということで、総合病院を紹介されました。その総合病院で詳しく診てもらい、細胞の一部を切り取って検査に出したところ、節外性NK/T細胞リンパ腫・鼻型と診断されました。
がんの告知は、私にとって本当に青天の霹靂でした。私の家系には、がんの経験者がいなかったため心構えが全くできていませんでした。初めて聞いたときは、何をどう受け止めたらいいのかわからず、ただただ泣き崩れました。
「任せとってください」、信頼できる医師との出会い
診断を受けた総合病院では、このまれな悪性リンパ腫の治療経験がないと言われ、別の病院を紹介されました。自宅からのアクセスや、家族の通院の負担を考慮し、駅から歩いて行ける病院を選びました。
そして、その病院で主治医の先生に出会いました。体が大柄で、一見すると強面な方だったのですが、私の話をとてもよく聞いてくれて、一方的な説明は一切ありませんでした。患者の不安に寄り添うような言葉を選んで語りかけてくれ、そして何より、「まれな悪性リンパ腫ですが、過去に2、3人の治療経験があるから、任せとってください」と言ってくれたのです。
私は、当時15歳だった下の娘が20歳になるまで「生かしてほしい」と強くお願いしました。親として、成人を見届けるという責任を果たしたかったからです。先生は、「そんなこと言わずに、天寿を全うするまで一緒に頑張りましょう」と、80歳という平均寿命を目標にしてくださり、この先生なら信じて任せられる、この先生についていくしかないと決心しました。
告知を受けた時、妻にはすぐに電話で伝えました。妻も言葉を失い、私は泣きながら話すという状況でした。自分のことよりも、まだ成人していない子どもたちの未来、家族の生活がどうなってしまうのか、そちらの不安が大きかったです。
会社には翌日、治療のために休職したいと報告しました。幸いにも、私の会社には最長で2年近く休職できる制度があったので、経済的な面での不安は少なかったです。会社の支援に甘えさせてもらう形にはなりましたが、「病気を治すのは医者だから、会社が何を言おうと主治医の言うことを最優先にしよう」と決めていました。
初回治療から半年後に再発
最初の治療は、抗がん剤を組み合わせたDeVIC(デビック)療法(デキサメタゾン、エトポシド、イホスファミド、カルボプラチン)を3〜4サイクル行うことと、喉への放射線治療でした。放射線治療で声のかすれはなくなり、抗がん剤治療も、覚悟していたほどはきつくありませんでした。脱毛や便秘はありましたが、予想よりは楽に乗り切れました。
入院期間は約2か月で、その後は退院し、3か月ほど定期的な通院検査を続けていました。
しかし、治療開始から約半年後の2018年2月、定期検診に行った際に出た激しい鼻血をきっかけに、再発がわかったのです。実は1月から鼻血は出ていたのですが、血液のがんなら出血しやすいこともあるだろうと、深く気にしていませんでした。
再発のショックは、初回よりも大きかったです。初回治療がうまくいかなかった場合、次の選択肢は移植しかないと事前に調べてわかっていたからです。ホームページなどには、移植の中でも自家造血幹細胞移植という、自分自身の細胞を使う移植の可能性も書いてあったのでそれに期待していました。
しかし、主治医からは「自家移植では無理です。再発のリスクを考えると、他人の細胞を使う同種造血幹細胞移植をしましょう」と言われました。「人の細胞に頼る」ということは、自分の体だけでは生きていけないということを突きつけられたようで、それが一番のショックでした。
兄弟の一致と「はしごを外された」絶望
まず、私の5人の兄弟の間で、ドナーとしてHLA型が一致する人を調べました。結果、兄と妹が適合したのですが、兄は検査基準をクリアできず、妹は肝臓の数値(ビリルビン)が高かったため、残念ながらドナーとして認められませんでした。
兄弟で一致する人がいるという期待が大きかっただけに、「はしごを外された」ようで絶望感は大きかったです。
完全一致のドナーを他で探すのには時間がかかり、半年はかかるかもしれないという状況でした。そんな不安を抱える私に、主治医は「臍帯血移植という選択肢もあります」と提案してくれました。骨髄移植と比べると、比較的早く移植できるメリットがあると説明を受けました。
不安はもちろんありましたが、もう自分には生きる選択肢が他にない。そして、先生はまたしても大らかに笑いながら、また「任せとってください」と言ってくださったので、全てを託すことにしました。
臍帯血移植とGVHDとの闘い
2018年6月に臍帯血移植を受けました。移植の副作用は、初回治療とは比べ物にならないほど過酷でした。体が新しい白血球に攻撃されるGVHD(移植片対宿主病)が起こったのです。
吐き気はひどく、下痢は1日に10数回にも及びました。爪は割れ、全身が猛烈に痒くなり、むくみも出ました。特にきつかったのは移植から約2か月間で、体重は69kgあったのが45kgまで減少しました。毎日500gずつ減っていくような感覚で、「40kgを切ったら死んでしまうかもしれない」という恐怖を感じましたね。
主治医からは、「吐いてもいいから、とにかく食べろ」と強く言われました。首筋から点滴で栄養剤を入れていましたが、「栄養剤だけでは身にならない、点滴を外したければ頑張って食べてください」と言われていました。
家族が流した涙と復職への道のり
つらい無菌室での治療中、体中が管でつながれてまるでサイボーグのようになっていた私を、娘が見て泣き崩れたと妻から聞きました。それまで病気らしい病気をしたことがなかった私が、弱々しい姿になっているのを見て、きっとショックを受け、不安を感じたのでしょう。父親として、心配をかけていることが申し訳なかったです。
また、治療費や将来への不安から、妻が仕事を探し始めたり、長女が「進学をやめようか」と言い出したりと、家族に経済的な影響が及んだこともありました。私は会社が支えてくれると思っていたので心配していませんでしたが、家族は最悪の事態まで考えていたのだと思います。
GVHDとの闘いは退院後も続き、ステロイドの副作用で右目の血流が悪くなり、手術を受けるなど、予期せぬ症状にも見舞われましたが、なんとか乗り越えることができました。
2019年10月には、完全に仕事に復職することができました。今では、周りから見れば病気を経験したとは気づかれないほど、普通に日常生活を送っています。
娘が成人するまで生きるという目標を達成し、新しい目標をもとめて
再発から7年、治療開始から8年、「治癒(寛解)したと考えていいでしょう」と主治医から言っていただけました。血液のがんは見えないからこそ、症状がなくなる「寛解」という言葉をひとつの目標にしていました。この言葉が出たときは、ひとつの区切りがついたという思いでした。
とはいえ、今でも風邪を引いて喉が痛くなったり、声がかすれたりすると、「もしかしてまた再発したんじゃないか」という不安は常に感じています。しかし、その都度主治医に相談し、「喉はきれいですよ。心配しなくていいですよ」と言ってもらうことで、安心することができています。
最初に目標とした「娘が20歳になるまで生きる」という願いは叶えることができました。子どもも成人し、ひとつの目標をクリアしてしまった今、次なる目標を見つけるのが難しいと感じるほど、贅沢な悩みに直面しています。とりあえずは、あと2年で定年を迎えるので、まずは定年まで仕事を全うすることを目標に頑張っています。
病気になって一番実感したのは体力が落ちたことです。体重が激減したことで筋肉の蓄えが減り、以前のようにハードワークができなくなりました。事務職なので仕事に大きな影響はありませんが、夜遅くまで遊び回るのはきつくなりました。
これからがんと向き合う方へのメッセージ
私の経験から、今がんと闘っている方へ伝えたいことがあります。
落ち込んでばかりではなく、楽しいことを考えるようにしてください
落ち込む時は必ずありますが、外に出たり、仕事をしたり、何か楽しいことを考えたりする方が、心にも体にも良い影響があると実感しています。
ネガティブな情報は見ないようにしましょう
私は診断された当初、生存率など怖い情報ばかり見てしまっていましたが、ネガティブな情報に振り回されるのはよくないと思います。つらい治療の中にあっても、自分なりの楽しみや「このために頑張る」という生きがいを見つけることが、前へ進む力になると思います。
担当医を信じて任せられるよう、信頼関係を築いてください
がんの治療は、主治医を信じることが何よりも大切だと思います。主治医の言葉に力強さや安心感を感じられたことが、私の治療の大きな支えになりました。
生きているだけで「儲けもの」です
初期治療がうまくいっても再発の不安はあると思います。ですが、「生きているだけで儲けもの」だと考え、希望を持ってその後の人生を楽しんでほしいと願っています。