写真はイメージです。(AIによる生成)プロフィール
お名前:みほこさん(ニックネーム)
年代:40代
性別:女性
家族構成:夫との2人暮らし
仕事:スポーツジムの経営
がんの種類:乳がん (ルミナールA)
診断時ステージ:ステージ2A
診断年:2022年
現在の居住地:神奈川県
※本体験談は、患者さん個人の経験に基づくものです。治療の経過や副作用、生活への影響には、個人差があります。医療的な判断や治療方針の決定の際には、必ず医師・医療従事者にご相談ください。
みほこさんは、ご自身でしこりを見つけたことをきっかけに、2022年11月に乳がん(ステージ2A)と診断されました。スポーツジムの経営者として多忙な日々を送る中、みほこさんは告知を受けても冷静に、そして徹底的に自ら情報を収集し、治療方針を主体的に選択していきました。その後の経過観察中にがんの転移がわかってからも、「人間はいつか死ぬ」という死生観に基づき、今この瞬間を最大限に楽しむ姿勢を崩しません。医師と相談しながら、ご自身のライフスタイルに合わせた治療法を探し、がんとともに力強く前向きに生きる日々についてお話しいただきました。
セルフチェックでしこり発見、徹底的な情報収集で治療に備える
私が乳がんに気づいたきっかけは、セルフチェックでしこりを見つけたことでした。健康診断などではなく、本当にたまたまです。
「ん?これはおかしいな」と感じ、すぐにマンモグラフィー検査ができるクリニックへ行きました。そこで超音波(エコー)検査と細胞診、そして翌日には組織診(生検)を受けました。結果、細胞診ではクラス5という、ほぼがんで間違いないという結果がすぐに出ました。
生検の結果が出るまでの1週間、私はインターネットや書籍で、乳がんに関する情報を徹底的に調べました。特に、乳がんの診療ガイドラインはもちろん、アメリカのガイドラインまで、関係する部分は全てプリントアウトして熟読しました。この段階で、自分のがんのサブタイプがルミナールAだということも、クリニックでわかっていました。
クリニックの先生からは、いくつかの総合病院やがん専門病院の名前を挙げられ、「どこの病院がいいか調べておいて」と言われました。抗がん剤治療を行う可能性も考慮して、頭皮冷却(キャップ)の設備があるかどうかなども含め、10か所ほどの病院をリストアップして調べました。
信頼できる医師とチーム医療、納得いく治療方針の決定
最終的に私が選んだのは、神奈川県にある総合病院です。決め手は、その病院に乳がん治療の分野で著名な先生がいらっしゃることでした。当初はその先生を指名したかったのですが、予約が1か月以上先になると言われたため、一旦は諦めました。しかし、チーム医療で対応していることを知り「どの先生でもいいです」と伝えて、比較的早く診察を受けられるようにしました。
総合病院に移動して驚いたのは、クリニックで撮ったマンモグラフィーや超音波(エコー)検査、生検のデータなど、持参したデータを全て活用してくれたことです。改めて行った検査は、エコー検査のみで、それ以外の検査はほとんど行われませんでした。私のサブタイプも、クリニックでの結果をそのまま引き継がれました。
当初の治療方針は、全摘手術が最善というものでした。ルミナールAであり、全摘出後の放射線治療は不要と判断されました。また、術前化学療法もありませんでした。
私が迷ったのは、リンパ節郭清の必要性でした。当時のガイドラインでは、センチネルリンパ節生検で微小転移があった場合、リンパ節郭清をするという(条件付き)推奨があったのですが、私はリンパ浮腫のリスクを避けたかったため、センチネルリンパ節生検で陽性でもリンパ節郭清を省略して、術後に放射線治療をしたいという希望を伝えました。
しかし、主治医の先生は「その治療法はお勧めできません」とはっきりおっしゃいました。そこで、別のがん専門病院にセカンドオピニオンを聞きに行きました。そこの先生も、私の希望する「リンパ節郭清をせずに、術後に放射線治療を行う」という組み合わせを「(リスクが低いため)過剰治療になるからお勧めしません」と説明してくれました。結局、私は主治医の先生の意見を受け入れました。
術後10日でマラソン復帰とライフスタイルに合わせた治療
手術は無事に終わり、驚いたことに先生からは「明日退院してもいいよ」と言われました。一般的にはもっと長く入院するものと思っていたので、「え、2週間ぐらいは?」と聞き返しましたが、最終的には自分で「じゃあもう1日います」と伝え、3日目に退院しました。
傷口は、皮膚の表面を接着剤で貼り合わせる方法だったので、抜糸の必要はありませんでした。術後、私は癒着が始まるのが早かったこともあり、積極的に腕を動かし、脇の下や肩甲骨のストレッチを行いました。これは、普段からスポーツをしている経験から、癒着を放置すると腕が上がりにくくなるということを知っていたからです。
退院から5日後にはウォーキングを始め、術後10日目には、次の月に控えていたフルマラソンに備えて、軽いジョギングを再開しました。術後1か月目と2か月目には、ダブルエントリーしていたマラソン大会に、予定通りフルマラソンで出場し、完走しました。
術後のホルモン療法については、ルミナールAであるため、開始することが決まっていました。しかし、ホルモン剤は「老化を早めるような薬」というイメージや、「飲んでも飲まなくても再発しない人も多い」という話も聞いていたため、飲むことに消極的でした。
転移の診断と「今」を「楽しく」生きる選択
手術から約1年後、経過観察中に脇の下にしこりが見つかりました。さらにその検査の過程で、肝臓にがんの転移があることもわかりました。
総合病院の先生からは、「肝転移への局所治療はお勧めしませんが、やりたいことがあったら好きにやってみて」という、私の自由な生き方を尊重してくれるような言葉をいただきました。
私は、この転移の診断を受けても、慌てることはありませんでした。高校生の頃から、仏教校で学んだ経験もあり、「人間はいつか死ぬ(致死率100%)」という死生観を強く持っています。病気になるまでは90歳くらいまでは生きられるかなと思っていましたが、病気になってからは、「60歳までは生きられるかな」と、人生の時間を短く見積もるようになりました。だからこそ、残された時間を大切に、やりたいことを優先して生きようと考えています。
現在は、イブランスという分子標的薬とホルモン剤を併用する治療を続けています。イブランスの量や服薬スケジュールも、マラソン大会や体調に合わせて先生と相談しながら細かく調整しています。ベージニオのような下痢の副作用が出やすい薬は、私のライフスタイルに合わないため、選択しませんでした。
転移が見つかった肝臓の病変に対しては、ラジオ波焼灼術を検討中です。より良い治療を受けるために、地元の病院の放射線治療科の先生にも相談し、専門的な意見を聞いています。
私は、治療においても、自分の体と人生の主導権を握り続けることを大切にしています。情報収集を怠らず、医師と対等な立場で相談し、納得のいく治療を選択することが、私にとって「今を生きる」ための方法なのです。
これからがんと向き合う方へのメッセージ
私が自身の体験を通して、これからがんと向き合う方々にお伝えしたいことがいくつかあります。
信頼できる情報源を複数確認してください
情報が溢れる現代ですが、その全てが正しいわけではありません。特に、誰かの感情や解釈が入った情報ではなく、診療ガイドラインや公的機関のウェブサイトなど、信頼できる情報源を複数確認し、ご自身で納得いくまで調べるようにしてください。情報を集めることが、医師との建設的な話し合いの土台になります。
対等な立場で話し合うことができる、信頼できる医師を見つけてください
医師も人間であり、知識や考え方はさまざまです。もし、一方的に治療方針を押し付けたり、質問にきちんと答えてくれなかったりするような医師であれば、ためらわずにセカンドオピニオンを求めるべきです。命を預けるのですから、自分が心から信頼し、質問リストにも丁寧に対応してくれる医師を見つけることが何よりも重要です。
自分の人生のQOLを優先して治療を選んでください
「先生にお任せします」ではなく、自分のライフスタイルやQOL(生活の質)をどう守りたいのかを真剣に考え、自分の意志で治療を選択して欲しいと思います。私の場合は、マラソンを続けるためにリンパ節郭清を避けたかったり、副作用の少ない薬や減量した服薬量を選んだりしました。治療のメリット・デメリットを理解した上で、最後の決断は自分自身で下してください。
一人で悲観せず、前向きな行動に時間を使ってください
「人間の致死率は100%」です。悲しみに暮れている時間は、みんなに等しく与えられた貴重な時間を無駄にしてしまいます。自分だけが大変だと思わず、周りの人に頼ることも大切です。自分のやりたいことや、マラソンのような体力維持やメンタルヘルスにつながる前向きな行動に、時間を使って欲しいと思います。